パックご飯に恋をして
パックご飯というものは、2分という短い時間で、大きな幸福を与えてくれる。
自分は、白米を食べないとあまり、調子が出ないタイプの人間だ。だから、炊飯器でご飯を多めに炊いておき、冷凍の唐揚げ、ふりかけ、卵などに頼りつつ食べるのが、幸福の一つとなる。
それでも、炊飯器で炊くのが面倒だ、という時もある。心が疲れてくると、炊飯器の釜を洗うとか、米を研いで水を計るといった行為さえ、億劫だと思えてしまう。心の病は水回りに現れる、というのを聞いたことがあるが、実際そうなのだろう。
かつ、気力がわかないときこそ、パックご飯は有用だ。手間なんて無いに等しく、蓋の角をちょっと開けて、コンセントを挿してボタンを押して2分くらい待てば、温かい白飯が目の前に現れてくれる。
もちろん、炊飯器のご飯と比較すれば色々あるだろうが、果てしなく便利なこのパックご飯を、どうして馬鹿に出来ようか。心の支えとして、扱いたいに決まっている。
3個パックの商品を、家にたくさん積み重ねておく。そうすることで、白米が食べたいという願いを、すぐに満たすことが出来る、魔法のようなものだ。
常にいてほしい存在であるし、何か食べたいと思った時にすぐ、頭に浮かぶ存在でもある。もはや恋なのかもしれないし、既にパートナーなのかもしれない。
炊飯器で炊く白米、あきたこまちには、子供のころから恋をしている。でも、パックご飯のコシヒカリにだって、安易にハートマークを送る自分がいる。
これもまた、成人したがゆえ、なのだろう。




