強い漫才・強い文章
2018年のM-1グランプリで、印象に残っているコメントがある。
「面白い、面白くないじゃない、強弱で言えば強いんで2人とも。そういう意味で凄く強い人間がやってるなと」
結果的には優勝者になる霜降り明星に、審査員であったナイツ・塙が言った言葉である。
実際、そう言われた1本目のネタは面白かったし、審査員も軒並み高得点。そして何より、2人ともパワーがあるなぁというのは、素人目でもわかったくらいであった。
でも、本放送で見た当時は、自分にはまだ、「面白かったもんなぁ」という印象に留まっていた。もちろん、塙のコメントも何となくしか覚えてなかった。
でも、ここ3年で創作をするようになり、「強弱で言えば強い」と思われることがどれほど難しいかを、知ったような気がする。つまり、「強い文章を作る」ということについてだ。
霜降り明星の漫才においては、現在でもそうだが、ボケのせいやが全身を使いつつ面白おかしくボケて、ツッコミの粗品が体言止めを用いながら強く突っ込む。2人とも強い動きと言葉で笑いを取れるから、パワーが生まれるような感じがある(もちろん、番組によって熱量とかはあるとしても)。
その中では、ネタ中のワードだって強いし、表現も強い。だから、面白さ以前の問題として、「強い」という評価を受けることが出来る。
そうすれば、自分の世界に人を引き込むことだって出来る。
小説、物書きも同じところがあると自分は思うのだ。しっかりとパワーを持っていて、根がしっかりした文章が書ければ、たとえ内容などがブレそうになっても書き続けられるはず。
そういうパワーが、簡単に身につくとは思っていない。それでも、推敲や加筆を繰り返すことで、自分なりに一生懸命紡いだ文章が現れてくるし、それがきっと、少しは「強さ」を孕んでくれると思う。
その「強い文章」で引き込むことが出来て、その上で、誰かが内容まで面白いと思ってくれたらありがたいし、ベストなことではある。
自分の書きたいものを、自分なりに考え、こねくり回して、良い形で伝えようとする。
きっと、それで生まれるものこそ、「強い文章」なのだと自分は思いたい。
出来ているかは、神と読者のみぞ知る、としても。