好きな歌を増やせない
Twitterか何かで見たような話で、「新しく心を動かされるものが減って、好きだった昔の歌ばかり聴いてしまう」みたいな、歳を重ねることによる不安があるようだ。
私自身も、これには当てはまる。大学生の頃も、もちろん好きな歌というのはあったけれど、「新しい分野を開拓しよう」という気持ちも抱けていた。
事実、好きな歌と新しい歌で、半々ぐらいを聴けていたと思う。
ただ、学生時代を抜け、社会人となり、挫折を繰り返していけば、疲れも溜まっていく。なりたかった自分になれていないこと、そもそも「何者にもなれていない」という恐怖を抱くことだって多い。
そうなった時に、新しい挑戦によって心を動かされる、ということさえ、疲れて出来なかったりするのだ。自分自身が生活することへの限界、上手く行かないことの増加があれば、「感動」「興奮」といった感情を得ることも、どこか避けてしまったりするのだと、私は思っている。
もちろん、人によって差異はあるとしても。
新しいジャンルに挑戦する、というのは、程度はどうあれ、心に変化をもたらす。それを「刺激を得たい」と思えるかどうかは、大きな分岐点なのだろう。
私自身は、心に大きな刺激を与えれば、壊れてしまうのではないか……という不安に苛まれ、難しいのが現状だ。
流行りの歌、新進気鋭のアーティストの歌を聴いて、自分自身が大きく置いていかれているような感覚さえ、抱くかもしれない。いや、実際は多少聞いてはみてるし、「良い曲だな」と思うことは多いのだけど、大学生の頃の比率には、きっともう戻らない。
小説を書く身としては、色々なものに触れて、色々な知見を得て、という動きをすべきなのかもしれない。そもそも、上手く行かないことに悲しさを感じるならば、新しいことに挑戦することこそ、大事なのだと思う。
それでも、無理して聴こうとすることは確かなのだ。話題だから、みんな聴いてるから、という思いだけでは、自分の心がついていかない。歳を重ねたから、というのは言い訳であって、自分の心に荒波を立てたくないだけと言える。
「好きな歌を増やそう」というのは、大事な感情だし、心の豊かさには必要だと思う。
だが、今の時点で好きな歌を抱えて、それで心を整えるだけで、今の自分には精一杯。
インターネットで、ランダム再生をしていても、知らない歌が来るとスキップしてしまう。とても勿体ないことであるというのに、自分はそれを、何だかんだで是としていた。
良いことなのか、悪いことなのか。




