⑧職探し?
自分が潜む森の方に近付いて来るハンスを見つけたエレナは、安堵の余り泣きそうになるのを堪えつつ、隠れていた茂みの中から飛び出すと、
「ハンスさん!! 大丈夫……ですか!?」
彼の服に出来た真新しい斬り痕を見つけ、背中の背嚢を降ろしながら縋るように身体を寄せ、血は流れていないか確かめる。
「ああ、心配掛けて悪かったね……俺は何ともないし、怪我は無いよ」
背の低いエレナが無我夢中で傷口(は無いのだが)を見ようとした為、彼女の控え目な胸元が自然と押し当てられ、ハンスは布越しとはいえ柔らかい少女の丸みを体感し、困惑してしまう。
「あ、あの……大丈夫だから! ほら、血も出ていないだろ……?」
何とか精神の均等を保ちながらエレナの身体を引き離すと、彼女は少しだけ怒ったように頬を膨らませながら、呟く。
「……そうですけれど、こんな切れ方してたら誰だって心配します!! だって……ハンスさんは一応、私の……その、パートナーなんですから」
エレナにそう言われたハンスは、彼女の恥じらう態度を不思議に思い、どうやら相手も自分の事を使役獣として扱い慣れていないようで、内心ホッとする。だが、逆に動物として扱い慣れたエレナに、
『よーしよしよしよし! ハンス!! お上手ね!!』
とか言って頭を撫でられたら、威厳も何も無くなるな……と複雑な気分になった。そんなハンスの心情を余所に、エレナは降ろしていた荷物を背負い直しながら、顎に手を添えて言葉を漏らす。
「……でも、街から近い所で襲われるなんて……この辺りの治安はどうなっているのでしょうね」
「さぁ、それは判らないが……ところでエレナさん、ちょっと聞きたいんだが」
首を傾げながら呟くエレナに、ハンスは自分の荷物を彼女のように訊ねた。
「街に着いたら、どんな仕事を探して働くつもりなんだい?」
エレナの故郷の村(名前は特にないそうだ)から一日半掛けて到着した中央都市という名の街は、ハンスは自分が勝手に抱いていた印象と大きく欠け離れていた。
なだらかな丘陵地帯に広がる穀倉地の真ん中に、大小様々な建築物が立ち並び、外周部と街の外を隔てる木製の頑丈そうな柵が、先程の野盗を始め様々な害意を持った連中から、自分達の街を守ろうとする住人の意思を感じられる。
そうした砦のような外観に対し、まだ日の高い街の内外を歩く人々の様子は平和そうで、長く戦争を経験し疲弊した市民や兵士を見慣れたハンスにとっては、穏やかで長閑な環境なのだと思われた。
しかし、街の入り口に構える門の周辺には、剣を提げた物々しい出で立ちの男達が見受けられ、やはりこの世界なりの治安維持には彼等のような暴力装置が必須なのか、と彼は悟った。
「ハンスさん、あの門を抜ければ街中に行けるんですが……もしかしたら少し時間が掛かるかもしれません」
と、街の様子を眺めながら歩いていた彼に、エレナは少し眼差しを伏せながら切り出した。
「ええ、身分証とか必要なんでしょう……あ、そうか……」
彼女の言葉に何気無く答えながら、ハンスはその意味を悟り、漸く事の重大さを理解した。
「……俺、この世界じゃ【使役獣】だったんだ……」
村を出る時に手渡されていた人物証を差し出し、軽く受け答えするだけで終わったエレナとは違い、ハンスの扱いは係官を困らせた。
「……で、ハンスさんは幾つかね?」
頭の剥げた中年の係官が羽根ペンを手に、用紙と向き合ったまま質問する。
「小官はハンス・ウェルナー元伍長、齢二十四才! フランクフルト出身で元家具職人!! そして家族は居ません!」
つい軍隊式に景気良く答えてしまうハンスだったが、係官は一瞬だけ眉を上げて目線を動かし、再び用紙に注視すると羽根ペンを動かしつつ口を開いた。
「……私もね、色々な人間を見てきたが……自分が【使役獣】だと言った者は一人もいなかったよ。だから、あんたが正直者だと信用する代わりに……その証拠を見せてくれないか?」
そう係官が告げた瞬間、ハンスは背後のエレナを、そして係官の横で興味深く事態の成り行きを眺めている女性係官(悪い事にこちらも妙齢である)の存在を意識したが、もうこれ以上エレナに隠し通す自信を失っていた。それに……元居た軍隊では、人目に全裸を晒す事も胆力を鍛える為に必要だと学んできたのだ。今更何を悩むと言うのか!? 人は生まれて来た時は全裸である!! ならば今、自分は再びこの地に生を受けて生まれ変わる時ではないかッ!? ……と。
「……宜しい!! ではとくとご覧頂こう!! 不肖、ハンス・ウェルナーの新たに生まれ変わったこの肉体をッ!! ……あ、ちょっと待ってください……」
そう高らかに宣言したものの、ハンスが突如前屈みになってベルトを外し始めると、係官の二人はキャッともヒッともつかない小さな悲鳴をあげ、背後に居たエレナは何事かと彼の横に回り込んだのだが……
「……あー、なんと言うか……これ、見て判りますか?」
先程の勢いから一転、やや申し訳無さげにズボンを降ろしたハンスの言葉に、指の間からしっかり状況を確認していた女性係官から(……あら!)と小さな呟きが漏れ、男の係官の(……こりゃ珍しいな……)と言う奇異な言葉を聞いたエレナは、遂にハンスの下半身を目の当たりにしたのだ。
「……これが、ハンスさんの【鋼の虎】……」
「……その、あんまり……まじまじと見ないで貰いたいんだが……」
エレナの視線に晒され続け、流石に序盤の勢いも萎えてきたハンスだったが、続けて男の係官に向けて放たれた一言は、彼とハンスだけではなく、そこに居合わせた全員の言葉を失なわせた。
「で、……男の方々はみんな、こんな形で、黒光りなさっているんですよね?」