⑨木剣勝負
「……では、参ります」
思いの外落ち着いた声でエドが告げ、リグレット翁との試合が始まる。ハンスから見れば、初めてリグレット翁の実力の一端が垣間見られるかもしれず、眼を離す隙は無いと思われた。
対してエドは何度か行動を共にしていた為、彼の実力は何となく判っていたつもりだった。だが、最初に打って出たエドの踏み込みを目の当たりにしたハンスは、
(……ご老体相手に、そりゃ無いだろ!?)
と、愕然としたのだ。遠く離れた間合いを二歩で詰め、木剣の届くぎりぎりの距離で剣の持ち手を狙って突き、それをリグレット翁が柄元で弾くと、間髪入れず三歩目の爪先で脛を狙う。だが、これは誘いの一手。もし剣で払う動きが有れば更に踏み込んで鍔で封じ、後ろに下がって間合いを空けようとすれば、エドは踏み込みを生かした大振りの一撃を狙っていた。
「……相変わらずじゃな?」
「……それはお互い様ですよ!」
だが、リグレット翁が選んだのは敢えてエドの左側まで進み、柄の後ろで彼の喉元を狙っての突きだった。エドは即座に反応し、身体の軸ごと半身を回転させて払いへと転じ、リグレット翁を下がらせた。
「教えた事は忘れておらんようじゃな」
「そりゃあ、日々叩き込まれましたから……」
軽く互いに言葉を掛け合う二人だったが、ハンスはここで漸く気付く。エドの実力は低い訳では無く、ただ単純に彼が【対人】にのみ特化した剣技の持ち主だ、と。だが、リグレットもエドも底を見せ切ってはいなかったらしく、
「……このまま続けても良いが、指南所では市中ゆえ何かと迷惑もかかるの……」
「そうですね、場所を変えた方が良いかもしれません」
次の一手に繋ぐ足運びを途中で止めたリグレット翁がそう言うと、エドも頷いて肯定する。ハンスにしてみれば二人の言葉の意味を汲み切れず、何を言っているのか判らなかったが敢えて尋ねはしなかった。
「……それで二人が近衛騎士団の教練場を借りたいって言ってきたのね……」
中央都市騎士団の副団長の立場のラクエルに先導されながら門を潜り、ハンスは以前来た教練場へと入る。前回は自分がエレナの使役獣だと証明する為にやって来たが、良く良く考えると何とも妙な理由だなと思いながら身体を反らして空を見た。そんなハンスに同調するように、ラクエルも遠くを脱力した視線で捉えつつ呟いた。
「あーあ、片や騎士団のご意見番の叔父様で、もう片方は不出来の弟か……」
「止めた方が良かったんでしょうか?」
「それは無理でしょうね……リハレス・リグレットの名前を出されたら、私達は無条件で従う立場だし……おまけにこれだけ見物客が集まっちゃったら……」
彼女の言葉通り、教練場を囲む城壁の内側は近衛騎士団の面々に、話を聞き付けてやって来た城詰めの様々な立場の人々が集まっていた。しかし、ハンスは二人の間柄からリハレス家の誰かが止めに来たりしないのかと思ったが、ラクエル曰くリグレット翁に口止めされ、誰も知らせていないとか。
「……ところで、ラクエルさんはエドと再会して、何か無いんですか」
まだ手合わせは始まらないようなので、彼の事情を理解しつつ、ラクエルにエドの事をハンスが尋ねると、
「いえ、特に何も……そもそも、エドとはたまに会ってましたし、彼が城下に居る事も知ってましたから」
そう呆気なく告げ、その代わりと前置きしてから、
「……お相手のキャロンさんとは、会うなと親族に止められています。一応、家督に絡む事情もありますからね……」
少しだけ寂しそうにラクエルは話した後、そろそろ始まりそうですよとハンスを促した。
中央都市の、近衛騎士団教練場。
ハンスが以前来た時と同じ、広々とした敷地の真ん中にエドとリグレット翁の二人が立っている。板敷きの指南所と違い、土の地面は固く踏み固められ締まっている。余程の事がなければ、周りに損害が出るような事は無いだろう。だが、ラクエルを始め近衛騎士団の騎士はもとより、見物に出てきていた他の人々も二人から遠く離れた場所に陣取っている。
「……そんなに大立ち回りするものなのですか」
不思議に思いつつ、ハンスがラクエルに尋ねる。
「ハンスさんは、指南所で二人の手合わせを見ていたのですよね」
「ええ、剣の使い手らしい鮮やかな手並み……だったと思います」
彼女の問いにハンスがそう答えると、ラクエルは近衛騎士の簡易正装を軽く伸ばして皺を取り、溜め息と共に答えた。
「……はあ、やっぱりそうですか……ハンスさん、それは只の遊びですよ」
「……はい?」
「リハレス家の剣は二通りありまして、私は極めて普通の才能しか受け継いでいません。代わりに弟のエドが受け継いだ才能は、リハレス家のもう一つの方です」
その言葉にハンスは口を開きかけたが、リグレット翁とエドが距離を詰め、互いの木剣を打ち合わせた瞬間、彼の言葉は消え失せた。
エドの木剣とリグレット翁の木剣が交わると同時に大気が裂け、風圧で二人の身体が揺れ動いたからだ。
「……エドと叔父様の才は【剣鬼】……一度勝負が始まれば、どちらかが剣を下ろすまで決して退かず、敗けを認めない剣技の鬼と化しますから」
ラクエルの言葉通り、未熟者と定められた筈のエドの気迫は見る者を悉く圧倒し、老境の域を越したリグレット翁も一切の無駄を省いた剣技で応酬し、互いの先を取ろうと打ち掛かる全ての動作で、教練場の大地が小刻みに揺れる程だった。




