⑦剣とハンス
一度だけではない。二度、三度、いや数え切れない殴打を身体に受け、まともな身体なら打ち身の痛みに気を失っていたかもしれないハンスだったが、【鋼の虎】の力で過度な痛みは全く無い。だが、幾度も幾度も打ち負かされた筈にも関わらず、その表情は晴れやかだった。
リグレット翁と木剣を交えたハンスは、数えきれない負けを喫しながら、しかしその心中は清々しさに満ち溢れていた。重戦車に等しい力を与えられ、そう易々と命を落とす事の無い身体になりはしたが、その全ては所詮借り物。本来の自分には過ぎた力でしかない。
思い起こせばハンスは中央都市に赴く途上、成り行きとはいえ盗賊の一人を短剣で殺めてしまった。だが、自分にリグレット翁のような技量が備わっていたならば、無用な殺生は避けられたかもしれない。
制御し切れぬ過大な力は、余計な犠牲を生み出す。自分が参加していたヨーロッパ全土のみならずアジア一帯をも巻き込んだあの戦争。加速度的に抑制が効かなくなったのも当然だろう。そう考えると、リグレット翁の元でこうして省みる機会が持てた自分は、やり直す機会を与えられているのだ。
そう思いを新たにするハンスだったが、そんな彼にリグレットは思わぬ言葉を掛けてきたのだ。
「ところでハンス殿は、この都市にどのような用向きでいらしたのかね」
「……用向き? ああ、それは……護衛みたいなものですが、それが何か?」
ハンスの返答に頷くとリグレットは暫く口を閉ざしていたが、不意に口を開くと慎重に言葉を選びながら話し始める。
「……なら、良いが……ハンス殿の身体から戦場の濃い匂いがしての」
「……匂いですか?」
思い当たる節の有るハンスはしかし、素直に答えられない。そんな彼の胸中を察したようにリグレットが言葉を接ぐ。
「そう、匂いだ……血と肉、そして其れ等を別つ為に振るわれた、鋼の武器の濃い匂いが、な」
「……隠すつもりは有りませんでしたが、仲間と共に迷宮に……」
諦めてハンスが正直に話すと、リグレットは迷宮に……と語尾を取りながら木剣を床に着け、柄尻の端に両手を重ね、杖のように身体の前へ置く。
「ハンス殿、迷宮で魔物を屠ったのか」
「はい、仲間を守る為に戦いました」
彼の答えを聞き、リグレットは瞑目しながら語り掛ける。
「……何かを守る為に戦う事は、誇るべきであろう。だがのぅ、迷宮は……人の欲を吸って育つ忌まわしき物だ。儂も、城勤めの果てにあの迷宮に幾度も足を踏み入れて魔物を斬ってきた。だが、儂の求める答えは、迷宮には無かった」
そう言いながら木剣を持ち上げると正眼に構え、ピタリと止める。
「……ハンス殿。剣とは、剣術とはな……敵を上手に斬る事ではない。如何にして自らの身体を意のままに動かすか、その極意を究める為に為す全てが剣術だと、今は思うとる」
そう語るとリグレットは、ハンスの方に木剣の柄を向けて促す。
「儂の剣は、もう何かを斬る役目を終えたのじゃ。だから、ハンス殿に魔物を斬る方法は教えられん。しかし、それでも良いと言うなら……また来なされ」
ハンスは黙したまま柄を掴み、大事そうに受け取ると姿勢を正し、
「……はい、宜しくお願いします!」
語気強く、しかし心から素直に応じた。その時、ハンスの中に燻っていた【鋼の虎】に対する蟠りは鳴りを潜め、代わって小さな芽吹きが顔を覗かせたのだ。ハンス自身はまだ気付いていないものの、その芽吹きは彼の奥底に眠る【鋼の虎】に寄り添い、少しづつでは有るが根を張っていった。
「……伯父様、ご来客でしたか?」
不意に戸口から声が掛かり、ハンスとリグレットが注視すると、長い髪を後ろで纏め、動きやすい服装を纏った一人の女性が立っていた。
「おお、ラクエル! 今日は随分と早いではないか?」
「ええ、騎士団の勤めはピメント君に引き継いで来ましたので……それで、こちらの方は?」
「自分はハンス・ウェルナーと申します! 今日からこちらで剣の指南を授けて頂いております!」
「あら、ハンスさん初めまして! ……あっ!」
ハンスが自らの名を告げると、ラクエルと呼ばれた若い女性が少しだけ考えた後、不意に思い出したのか、
「ハンスさんって、あのハンスさん!? 騎士団中で随分噂になってますよ!! ピメント君と真正面から打ち合って、最後は口で咥えて停めた怪物……あ、申し訳ないです!」
「いや、まあ……こちらこそ恥ずかしい事をしてしまいまして……」
ラクエルが思わず興奮気味に発して言葉を濁し、ハンスも困惑しながら恥じ入る。そんな二人の様子を見守っていたリグレットだが、どうやら新しくやって来た弟子が姪のラクエルと既知の間柄だと知り、
「ほう、騎士団にも顔を出しとったのか? 随分と勉強熱心なようだが……口で木剣を、のぅ……ん?」
そう呟きながら不意に……口で停める? と漸くそこに気付き、改めてハンスの顔を見て眉を潜める。そんなリグレットの顔色を見たハンスは、背中の汗が止まらなくなった。




