1日目 桜の花びらと雪の降る日②
誰かの声がする
優しい声で、そっと語りかけてくれる。
誰かの温もりを感じる
優しく、ギュッと握られているであろう手はとても暖かい。
小さいながらも包容感と安心感を感じる。
とても心地がいい。
ぼんやりと目を開けるとそこは、見覚えのない白い天井が拡がっていた。
明らかに違う景色
独特のこの匂いは病院だ。
しかし、唯一知っている匂いを感じる。
この匂い…大好きな匂い…早くあの人に会いたい
そう思い、やっとの思いでぱっと目を開けた。
だが、そこに立っていたのは求めていたものではなく
ショートボブの似合う、見知らぬ女性だった。
「どちら様…ですか?」
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「…冗談…だよね!?いつもの!そうそう!いつものだよね!でもこの状況でその冗談はよしてよー!もう!」
「えっと…その…」
「春樹くんそういう意地悪なところあるよね!いっつもからかって私の反応見て楽しんで…こっちの身にもなってねー!今回のはシャレにならないよ!」
「…分からない…です」
「…」
記憶喪失
名前は聞いたことは誰でもあるだろうし、漫画やドラマにはよく出てくる。
フィクションか何かだと思っていた。実際起きるなんて考えたこともないし、ありえない。しかし、目の前には記憶をなくした彼がいる。
認めたくなかった。
やっばり夢なのではないかと思っていたかった。
神様のいたずら、悪い夢、幻覚
最近病院にいすぎていたから疲れが溜まってるんだ、ずっと心の気を張ってたから疲れてるんだ。そうに違いない。
…そうに…違いないのに…
腕をつねってもつねっても
血が出るほどつねっても、痛みは変わらなかった。とても痛かった。
でも、それよりも
心の痛みが 耐えられないほど痛い
「あ…ダメだよ、跡残っちゃうし血出てるよ。女の子なんだからお肌大切にして?」
つねっている手を退けてくれるては、いつもの大きくて包み込んでくれる包容感の塊のような手だった。それなのに、少し冷たい知らない手のようにも感じた。
「あ…ごめんなさい…ありがとう」
「いえいえ、あの…あなたは…誰なんですか??」
やめて、そんなこと聞かないで
大好きな人から聞くことの無いこの言葉は心に大きな穴を開けた。
「死にたい」
ぼそっとそう呟いてしまった。
「え、大丈夫ですか!?えっと…僕こんな状態ですけど、お時間があるならなんでも話してください!」
しかし、頭の整理がつかない。声が出ない。
出るのは、涙ばかりだ。
「泣かないでください!なんでも聞きますよ!相談してください!あ…でも…何もわからない人に話すのは怖いですよね…ですので、自己紹介します!僕の名前は山崎春樹と言います!」
知ってる。
誰よりも知ってる。
山崎春樹。名前の由来は春に生まれたこと。そして、春のように暖かい温もりを持つ心と、樹のように芯のある諦めない心。このふたつを持って欲しいということから「春樹」と名前もつけてもらった。
そんなことを、楽しそうに自分で語っていたのを今でもよく覚えている。
「趣味はお菓子作りで、大学で心理学を学んでいます!」
知ってる。
この前のバレンタインで「外国では男の人が女の子に花束とかを渡す日なんだよ!」といって、私の作ったチョコレートより可愛いマカロンを作ってくれたこと。
よく人から相談を受けるけど、親身になりすぎて自分も泣いてしまうのも、その相談がきっかけで人の心に支えになれるような人になりたいって理由で心理学を学んでることも全部知っている。
私は…知ってる。
「あの…貴方のこと…聞いてもいいですか?」
…この目、忘れるはずもないこの目。
彼は人の話を真剣に聞こうとする時、こんな目をする。
アーモンドのような綺麗な形をした、純粋な瞳。優しさが滲み出る、人の心に寄り添おうとするその瞳。
しかし、その素直な瞳が逆に、私のことを何も知らないことを裏付ける証拠になってしまった。
ほんとに…彼は私のことを…
「わ、私の名前は柊冬華。あ、あなたとと、お、同い年で将来の夢は保育士になること…で、です。」
泣いてばかりで上手く喋れない。
言葉になってるかすらわからない。
「そっか!冬華さんって名前なのか!いい名前だね!。それに、保育士さん目指してるのか…見た目の判断であれかもだけど…冬華さん保育士絶対似合うね!いい先生になりそう!」
「あり…が……とう…」
心が痛い。
ずっと痛い。
優しい言葉をかけてくれる彼の言葉が、毒のように私の心を蝕んでいく。
いつもなら大好きな人の優しい言葉なんて、ずっと聞いていたいし、抱きしめたくもなるほどいとおしく感じる。
でも、今、その言葉は私の心には痛いだけだった。
私はどうすればいいのだろう。私と彼の関係を話すべきなのか。それとも、新しい記憶と共に新たな人生を歩んでもらうべきだろうか。
…やだ、やだ、絶対にやだ
やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ
…嫌だ!!!!
そんなの嫌だ!彼との思い出を忘れられるわけがない!!!
私の人生に彼がいないことなんて考えたくない、そんな絶望耐えれるはずがない。
それこそもう
死んだ方がマシだ。
「…ねぇ春樹くん?私、貴方のことよく知ってるの。」
そっと優しく話しかける。
私はとあることを心に決めた
涙は自然と収まっていた。今ならしっかり話せる。
「あ…そうなんですか…本当にごめんなさい。僕は何も覚えていないんです…ほんとに何も…」
「…うん、覚えてないなら仕方ないよ。でも、一つだけ聞いて欲しいの。相談っていうか願いっていうか。」
「は、はい!僕でよければ聞きます!」
真剣に話に耳を傾けてくれる彼に私は…
「春樹くんは覚えてないかもだけど、私、あなたのことが大好きなの。たまらなく好きなの。その顔も、声も、性格も。ちょっとした仕草も大好きなの。だからね…??」
そっと彼の耳元に寄り
「絶対に諦めないから、また私に恋してね
思い出せることは全部思い出してね
大好きだよ、愛してる。」
そう囁いた
「え…????」
彼はキョトンとしていた。
それもそうだ、記憶にない初めてであった人から突然溺愛され、突然告白される。
「え…ちょっと状況がつかめな…」
ギュッ
私は強く彼を抱きしめた。
彼と付き合っていた時、彼にはもうない記憶の中にある彼が大好きな強めのハグ。
「な、何してるんですか!???!え、いきなり!」
「なんでも聞いてくれるって言ったのは春樹くんだよ?私のわがままくらい聞いてくれてもいいんじゃない?」
「で…でも…」
「でも?」
「…恥ずかしい…です…それにこんなことっ」
「だめ、私のことを忘れた罰なんだから。そのくらい我慢してよね」
彼との関係は1度リセットする。
でも、決して彼との関係を断つわけでない。
もし今「私たち付き合ってたんだよ!」と言っても、今の春樹くんは戸惑うだけで理解できない。それに、今話したとして、いきなり過去の春樹くんのように私のことを溺愛することはない。今の春樹くんは昔の春樹くんじゃない。
だから、春樹くんとまた最初からリスタートする。また私のことを好きになってもらう。そうすれば記憶が戻っても戻らなくても、春樹くんと一緒にいられる、そう考えた。
だから、私は絶対に諦めない。
「春樹さんー、そろそろご飯の時間になりますよーって…いっても、まだ目が覚めてるわけはないか…」
看護師が突然ドアを開け病室に入ってきた。
当然、私は今春樹くんを抱きしめている。そんな光景を見た看護師さんは…
「な、何やってるんですか!?あ、春樹起きてるよかった!…じゃなくて、ここは病室ですよ!それに意識が戻ったばっかりの人にハグって!」
当然戸惑うだろう。
そして
「冬華さん!!看護師さん驚いちゃってますし、僕も人に見られて恥ずかしいです!」
春樹くんも戸惑う。
人前でこういうのされるの苦手なのは変わらないんだなぁ…
「いいの、見られてもいいの。だって私の春樹くんだから。誰にも盗られたくないから、見せつけるの。」
もっと強く抱きしめる。
看護師さんはいつの間にかいなくなっていた。担当の医師の方を呼んでくるのだろうか。
そんなことはどうでもいい
今は…春樹くんの温もりを感じてたい。
ずっと…こうしてたい
「ねぇ…春樹くん?」
優しい声でそっと囁いてみた
「…」
返事がない、照れちゃったのかな
「大好きだよ?」
「…」
返事がない…あれれ?
抱きしめている腕を緩め、そっと春樹くんの顔を覗いてみる。
「…あれ?意識がない??」
春樹くんは意識を失っていた。
…そーいえば、昔
外でも私は手を繋ぐだけじゃなくて、くっついたりギューってしたりしようとしてて
「外とか人前だと恥ずかしくて…意識飛んじゃうかもよ!?だから人前でそういうことはしないようにしよう!」みたいな可愛いこと言ってた気がする。
ほんとに意識飛ぶんだ…これは3年付き合ってて初めて知った。
あ、てか、今は春樹くんからしたら、私は知らない女の人なのか。
そう考えたら…混乱するのもわかるし、余計にそうさせちゃったのかも…
「…ご、ごめんなさい!!!!!!!」
急いでベットに寝かし、布団をかけ傍を離れた。
息はしてる、よかった…。
今日はやりすぎたし、そろそろ帰ろう。
(明日も病院に来なきゃ…あ、彼の記憶喪失についてとか、担当の医師の方と彼のお父さんお母さんに話さないと…それに、いつ頃退院なんだろ、色々やることが沢山だ)
その後、病室を出てあの看護師さんが担当の医師を連れ戻っているのを見かけた。
そして、彼が今記憶喪失になっていること
退院はいつ頃になるのかを聞いた。
医師の方は「彼女の記憶は何も無かった…か…ほんとに残念だ…。しかし、何かしらのきっかけで戻るかもしれないから、諦めちゃダメだよ」と励ましてくれた。
いい先生が担当でほんとに良かったと思う。
それと、退院は体調によっては早くて1週間程でできるらしい。
早く元気になって欲しい。そして、いっぱい話して、いっぱい遊んで、また彼との思い出を増やしていこう。
私の春樹くんとの生活を取り戻す生活が、今始まった。