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苦手な方はご注意ください。

1と2と31のパララックス

作者: 空見タイガ

本作はアンソロジー『夢見月夜の誕生会 ~3月生まれの作家によるテーマアンソロジー~』に寄稿した小説『1と2と31のパララックス』を一部修正し、「小説家になろう」に新しく投稿したものです。「3月」をお題に書いています。


(発行:2019年3月21日)

 早うまれってなんだ。どう考えたって遅いじゃないか。走る速さも九九を覚えるスピードも身長の伸びも何一つ先行しない。

 しかも箕島の野郎は、とびぬけて速い。見よ、この弾丸。一年にしてエース、一日にしてスター。一と三十一の劣等生たるおれたちのプライドを貫いて砕いて先にゆく。もはや人生においてもトラックにおいてもヤツの周回遅れになって舌打ちばかり。早うまれってなんだ。

「どうやったらあいつを退部に追いこめるのだ?」

 一なのにナンバーワンになれない男、水井壱也はだれにも愛されない。具体的にどうとは言えないが、家柄と容姿と人格と歯並びに問題がある。蛇口から水をがぶがぶと飲む横顔は下手くそな漫画の絵のようであり、およそ人間でない。

「ヤツの裏アカを作ってみんなの悪口を書きまくるとかな」

 三十一であるおれもまた、だれにも愛されない。家柄も容姿も人格も歯並びにも問題がないはずなのに、愛されない。おそらくそれは三十一であることに起因している。なにせ中途半端、一番早くうまれることも一番遅くうまれることもなかった人間。

「殺したいなあ」

「殺したいよ」

 だいたい、と水井はタオルで口を拭いながらぼやいた。だいたい何でアイツ陸上なのだよタッパあるしバスケやりゃいいだろバスケ。そりゃそうだ、おれもそう思う、前からそうだ、小学校のときだっておんなじクラブだった、サッカークラブ、図工クラブ、おれたちが卒業したあとはやっぱりパソコンクラブに入ったらしい。なんてでたらめなやつだ! それはおれたちもそうだろ。ぐでんぐでん。

「先輩、そろそろ戻らないと見つかりますよ」

 陰気な水飲み場がとつぜん華やいだ。華やいだからなんだ、暗いところでしか生きられない命もあるんだぞ。現にもともと細い水井の目がさらに細い糸になって、その真向かいにいるおれはいよいよ浄化されそうになっている。先輩だってさ、先輩、たった二日、あるいは一日しか差がないのに。

「おいおい見つかるかい、僕の運命の相手はよ」

「見つかったときに頑張らない姿を見せたら申し訳ないでしょ」

「そもそも見つからんのだからダラダラして何が悪い」

「そんなことないです。先輩は魅力的です」

 おろろろろろ。吐く真似のハーモニーが美しく決まる。一と三十一の友情は永遠であるが、二はなにもわかってくれない。

「冗談じゃないです」

「おまえはほんとうにつまんねーヤツだな」

「先輩のボケを殺しやがって」

 箕島は腕を組んで、少し首を傾けた。女子がやるとカワイイあのしぐさ。ヤツのほうが背が高いのでもちろんナメられているようにしか見えない。

「俺のクラスメイトが言ってました。足の速い男はカッコいいと」

「小学校の価値観を引きずりすぎじゃねそいつ」

「単なるおまえへのアピールだぞアピール」

「それに、全力で走ったらブレて醜悪な容姿も誤魔化せると思います」

 一と三十一は顔を見合わせ、二の前に立って左腕と右腕を同時に伸ばした。

「肩パーンチ!」


 そもそも陸上部だからといって足が速いとは限らない。遅いくせになぜ走ろうと思ったのか、なんて疑問は逆を考えることで解決する。人は速く走れるから走るわけではない。

 というわけで本日の朝も一と三十一はなんとか遅刻寸前で教室へと滑りこむ。校門から残り三分での偉業。あの走りを大会で発揮できていればイイところまでいけただろうに、女子にちやほやされたかもしんないし、高校の推薦も――練習後のストレッチでだらだらと話していた一と三十一のあいだに割りこむように二がやってくる。やけに白い膝をついておれたちと目線を合わせようとするが、それでもあいかわらずの上から目線。

「先輩たちってどうして短距離にしようと思ったんですか?」

「あ? 嫌味か?」

 おれの言葉に簑島はのけぞって「そんなわけないですよ」と言う。「そんなわけないわけあるかあ」と水井が指をぷるぷると震わせながらつきつければ「なんで震えながら言うんですか」と見ればわかることを聞くので、爆発。

「遅いくせになんで短距離にしたのだって? なんで? 忘れたわい。悪いか! 悪いか! 人生に人生に人生に遅いも早いもヤモメもないのだ!」

「しょうもない話にヤモメを呼ぶのはやめましょうよ」

「何がしょうもないのだ! 僕は真剣だっつーに!」

 ちらちらと簑島がおれに目くばせをする。「先輩を目で動かそうとするとは良い態度だな」ぱっと輝く水井の顔。

「えへへ、外面がいいだけのクソったれ後輩」

「違いますって、そういうつもりじゃ」

「でも遅いくせにって部分は否定しなかっただろ」

 うつむかないようにあごをわずかに上げる。今度はじっと、おれの表情をうかがうように見てくる。

 どうして三十一が一と二のあいだを取り持ってやらなきゃいけない?

「先輩に盾ついた罰だ! 野球場一周!」

「野球部が迷惑しますよ」

「おまえなんてファウルボールに狙撃されればいい」

 しっしっと水井に追い払われ、去る簑島はそれでも名残惜しそうに、あるいは問いたそうに横目を使った。

 その問いに、答えようとは思わない。


 スクリーンショットを撮るときになぜシャッター音がなるのだ? 昼休み、教室でカシャカシャと試みる水井に静音カメラのアプリを教える。「アプリすごし!」一と三十一の何気ない青春の一ページである。

 その次のページには、おなじみの部活の光景がある。恋愛? 残念ながら一と三十一にそんな甘酸っぱいだけのものは無縁だし、一にかぎっていえば獣のように旺盛な性欲しかない。

 もちろん、色男である二の青春においては別である。つねにトップバッターで一位を貫きつづけた弾丸は婦女子どものハートまでも打ちぬいて「ぎゃあぎゃあ」の歓声を一身に集める。帰宅部も放送部もソフトボール部も「ぎゃあぎゃあ」がぎゃあぎゃあ。

「うるせーーーーーーーーー、殺すぞ!」

 外野に向かって叫ぶおれに簑島は急いで駆けつけてくる。まったく息を切らすことなく、静かに三十一を見下ろしている。

「彼女たちは純粋なだけなんですから、怒鳴らないであげてください。先輩の評判が悪くなりますよ」

「出た出た。自分の子どもが粗相したときに、ほかの人に迷惑でしょって責任転嫁するタイプ」

「そんなの……」

「ああ、子どもは作れないか」

 ヤツが猫なら、きっと背中を丸めて逆立っていたに違いない。

「だって、無精子症だもんな」

「あは、なんですか、それ。でたらめを言わないでください。ちょっと本気に聞こえましたよ」

「本気になんて、なるわけないだろ。だってはじめから、何もかも決まっているんだし」

 たった一日の差が一年の差をうみだし、たった一年の差が今後の人生の差をうみだす。努力だ積み重ねだなんて話でもない。いったいおれが何をコツコツとしなかったために三月生まれになったのか。しかも三十一。終わりの終わり、ともいえない終わり。

 簑島は背中の後ろで手を組んで「そんなことないです」とつぶやいた。

「もし、そうだとしてもですよ。俺と先輩方が違うことは、いいことです。生まれつき左目と右目が離れているから、奥行を知って前に進むことができる」

 もはや何も言えない。「いつのまにか、トラックが決まっている」それでも絞りだすように続ける。「進路は決められている」

 気づくとぎゃあぎゃあたちは消えていた。簑島の影の濃さを見て、ずいぶんと日が照っているのに気づき、同時に汗が額から流れて眉にたまった。

「水井なら公欠だよ。散った散った」

「嘘でしょう。さっき先輩もサボってましたし」

「プールが使えるようになったからな」

「先輩たちは、元からそんな風ではありませんでした」

 ストップウォッチがあったらと思った。「三人でよく一緒に遊んだじゃないですか」ヒモをつかんでぐるぐるぐると振り回して投げてヤツの額をえぐって瀉血してやるのに。

「喉が渇いた。いつもの、買って来いよ」

 今度はおれが背中の後ろで手を組んで、静かに二を見上げる。

「おまえのほうが速いんだから、あんな距離、大したことじゃないよな?」


 ところが、二には一と三十一に追いつけないものが、一つだけある。おれたちが小学四年生のとき、簑島は小学三年生だった。当時、およそ人間でない風貌の水井壱也はクラスメイトから「バケモン」と呼ばれてボールに見立てた石を投げられ、しつけの名目で殴られていた。だれかがどこかの筋で入手したらしいマジもんの鞭で叩いた痕がまだうっすらと太ももに残っている。「すべてはお前が同じクラスになってくれなかったせいだぞ」そんな支離滅裂な恨み節すら吐けなくなったところで、颯爽と現れるヒーロー。

「イチくんをいじめるな!」

 体格のよい同級生を何人か引き連れた、キリッとした小学三年生を前に、いじめっ子軍は負けられないと勝負。結果はどうなったか? 水井に投げかけられた言葉がすべてを物語っている。

「年下に守ってもらうなんて、ダッセーやつ!」


 教室がやけに騒がしい。女子のぎゃいぎゃい。水井はおれの挨拶を無視する。担任がやってきて、号令をかけて、立って、座って「お話があります」と切り出してからやっとの静寂。

 走りながら転ぶなんて、熱っぽいまなざしでハアハアする女子。何も言わずに立ち上がった簑島に近づいて、背中を叩く。「保健室に行くか?」

 ヤツが膝を洗っているあいだに、裏にある水飲み場でごくごくと喉をうるおす。口を拭っているうちに、簑島と目があった。

「蛇口、締めろよ。資源をたいせつに」

「また公欠なんですか。それとも、また何かあったんですか」

 簑島が流しっぱなしにした水が、ジャアジャアとうるさく音を立てて当然のように排水されてゆく。

「何かがあったよ、あいつも伊達に生きてないからね」

 おれは背中の後ろで手を組むふりをして、携帯電話を取りだした。「そっちでも騒いでただろ。水泳部の着替えを盗撮しているヤツを見かけたってさ。まったく、思春期の性欲は怖いね」

 話がつながらないと言わんばかりの顔をして、簑島は次の言葉を待っている。違う違う、話をつなげたくないだけだ。

「そういやさ、昨日、ものすごくあやしい人物を見かけて追いかけたんだよ」

 操作は画面を数回、叩くだけで終わる。人を底に叩き落とすのに、数回で、終わる。

「ハイ、これ証拠」

 伸びた簑島の手から一歩だけ退く。

「おいおい、先輩に実力行使か」

「どうしてです」

「あいつに聞いてくれや」

「水井先輩の話じゃありません! なんで、止めないで、しかも俺に話すんですか」

 ヤツのかわりに水を止める。

「きっと、水井は思っている。あの時、僕を助けてくれたのは単なるカッコつけだってな」

 簑島の顔といえば、まだ膝から血がどくどくと流れているかのように蒼白になっている。

「そのせいで、ダセーヤツになって、一生もんの汚点を残して、前に進むことができなくなった」

 二は一の写真と三十一の素顔を交互に見ている。そのあいだに何があるというのか。もう、うすうすと気づいている。一と三十一のあいだに二が堕ちる方法を。

「ここに、挽回のチャンスがある」


 水井にも罪の意識があるらしい。ランニングを抜けだして一息ついた中庭のベンチにて、あの哀れな後輩の不幸をこれでもかと嘲笑する日記の一ページを読ませてくれた。

「こんなもの、残してどうするよ」

「人は二度と思い出さないために書いて忘れるのだ」

 二のおまえには一と三十一の気持ちがわからない。同じものを見るときもおまえには光の当たっている部分が見えて、おれたちには陰の部分が見える。立つ場所が違っていることをおまえは良しとして、きっとこんな言い方をする。人間はひとりで生きるのではない、他者と情報を共有することで景色ははじめて広がりを見せ、視差によって人生は立体感を得る。

 バーカ。

「あーあー、夏ももう本番だよ」

「涼みたいねえ」

「ゲーセンでねえ」

 おれたちは良い人間にはなれなかったし、きっとこれからもああはならない。

「おい、おまえら何してる!」

 突如として現れた部長に、おれたちはベンチから飛び上がって、前を向いて、どこに向かうまでもなく、走る。

「好きだからだあああああああああああ!」

 始まりの始まり、ともいえない始まり。

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