打ち上げ花火と線香花火
暗闇の大空に咲く菊の花。
綺麗だ。
誰の心にも響く美しさだ。
けれど、何故か、みんな、これをやりたかったんだ…と言わんばかりに最後には線香花火を愛でる。
その儚さと小さな命に人はどうしようもなく惹かれるんだ――――。
「菊菜ちゃん、お暇様ごっこしよう!」
「良いよ!あたしがお姫様ね!」
「うん!」
菊菜のお姫様役の立候補に、誰も文句を言う子はいなかった。
「香ちゃんは召使役ね」
「うん」
そして、香に召使役をやらせることにも、誰も気に留める子はいなかった。
それは、珍しいことではなく、いつもの風景だった。
美崎 菊菜は幼稚園の時からリーダー的存在で、性格も明るく、子供モデルとしても活躍していた。
一方、葉月 香は、目立たない子供で、見た目も、幼稚園からメガネをかけて、髪の毛を後ろで束ね、お世辞にもおしゃれな面は何処にもなかった。
香は自分でもそれを解っていたし、別にそれを嫌がることもなかった。自分の立ち位置と言うものを小さいながらにわきまえていたのだ。
そんな正反対の二人は、日常的にも菊菜は何処か香を本当の召使のように思っていたし、香も菊菜の容姿にも、性格にも憧れていた為、菊菜のたまに無茶とも思える我儘もなんの躊躇もなく従っていた。
菊菜は、香に劣っていることなど一つもないと思っていた。
しかし、小学校に上がり、七五三で、菊菜は驚くことになる。
七五三で内輪でお祝いをする為、香は記念写真を撮ることになった。せっかくなんだし、メガネを外して、髪の毛も可愛く結ってもらって、それまで一度も経験したことのないお化粧もした。その香は、いつもモデルとして髪形も、お化粧も、ばっちり決めて雑誌に載っていた菊菜より、数倍可愛かったのだ。
香も、自分の変身ぶりに自分で驚いた。しかし、それを誰かに見て欲しいとか、自慢して目立ちたいとか、ましてや、今まで召使に落ち着いていたお姫様ごっこの時間に、お姫様役になりたいとか、そんな大それた願望は何処からも湧いてこなかった。唯、自分の中で、そっと、大事にしておきたい思い出に過ぎなかった。
しかし、菊菜は違った。
たまたま、菊菜一人で香の家に遊びに行った時、香の家のリビングに飾られていた七五三の写真を見て、菊菜は咄嗟に危機感を抱いた。
今までに感じたことない嫉妬を、初めて経験したのだ。
そして、菊菜は香に言い放った。
「香ちゃん、この写真、みんなに見せたら、絶交だからね!」
突然の絶交宣言に、香は唯々驚いた。
「な…なんで?菊菜ちゃん」
「良いから!約束だからね!約束破ったら、みんなにもう香ちゃんと遊んじゃダメって言うからね!」
「え…あ…うん。わかった」
女の嫉妬は子供でも恐ろしいものだ。
菊菜は自分が一番じゃなきゃ気が済まなかった。
子供モデルとして、いつもお化粧をして、可愛い衣装に纏われて、プロのカメラマンに撮られた自分よりも、本気を出せば、一皮むいてみれば、本当は自分に勝るほど可愛い香に、悪魔的な嫉妬をしたのだ。
一方、香は、
(みんなに見せなければ良いんだよね?)
と、律儀に菊菜の言う通り、その写真を誰に見せるわけでもなく、唯、自分みたいな地味で、目立たない子でも、こんなに可愛く変われるんだ…。魔法みたい…。と思い、香は宝物のように、その七五三の写真をお守り代わりに、そっと持ち歩くことにした。
その写真に贈られた、菊菜の言葉とともに…。
時は流れ、二人は高校生になった。
菊菜は相変わらず、お嬢様気質で、男子からチヤホヤされながら、高校一年生の一学期を過ごしていた。そして、二学期には学園祭を控えていた。菊菜は、その学園祭でどうしても手にしておかなければならない称号があった。
ミスコンで、ミスS高に選ばれることだ。
依然、モデルとして雑誌に頻繁に載っている自分が、例え一年生だとしてもミスS高に選ばれないわけにはいかなかった。お嬢様気質に加え、女王様気質でもあった菊菜は、男子だけではなく、女子もしもべのように従えていた。
一学期の終業式の後の、ホームルームが終わると同時に、菊菜の周りにクラスメイトが群がってきた。
「菊菜、二学期、楽しみだね!菊菜は絶対ミスになれるって!」
「そうだよ。菊菜ちゃんは超有名モデルなんだから、ミス確実だよ!」
そんな風にくらすの女子に持ち上げられ、良い気分になる菊菜。
「うん!みんなありがとう!応援よろしくね!」
と、クラス中にィンクした。
一通り愛想を振りまくと、菊菜は、取り巻きを何人か携え、玄関へ向かった。
玄関に着くと、そこにいたのは、ノロノロと靴を履き替えている香だった。
「香…」
「あ、菊菜ちゃん」
相変わらずは、菊菜だけではなかった。香も、幼稚園の時より更に分厚くなったレンズのメガネをかけ、何の色気もない黒い髪を、後ろで一つに束ねていた。
「あんた、一学期の終わりにそんなブス顔見せないでよね」
「あ…ごめん。でも、二学期、学園祭あるね。菊菜ちゃん、絶対みすS高になれるね!」
「あんたには関係な…くもないか…」
菊菜は、少しもごもごして、釘を刺すように、香にこう言った。
「香、あんた、まさかミスコン出ようなんて思ってないでしょうね?」
「え?あ…考えたこともなかった。菊菜ちゃんがミスだって絶対思ってるから」
なんの嫌味も感じさせない香に、菊菜はまた理不尽な怒りを覚えた。
「あんた、あんまりあたしの視界に入らないようにしてよね!」
「あ…そうだね。ごめんなさい」
そう言うと、菊菜は、下駄箱の前に申し訳なさそうに立っている香を残し、ローファーの踵をカツカツと鳴らし、さっさと帰って行ってしまった。
香は、そんな菊菜に、頭にきたことなど一度もなかった。香にとって、菊菜は憧れで、高校生になった今でも、お姫様ごっこのお姫様だったのだ。
その菊菜に、不快感を与えないように、唯、ひっそりと日々を過ごしてきた。
二学期に行われる、学園祭までは―――。
「では!そろそろー!学園祭のメインイベント、我がS高のミスと、ミスターを決める時がやってきました!皆さん!もう発表の準備はオッケーですかぁ?!」
三年生の司会の生徒が、大袈裟に場を盛り上げる。
「オッケー!良いから早く発表しろー!」
他の生徒たちも、司会のノリにくっついて、学園祭の後夜祭を目前に、お酒でもあおっているかのように、ワーワー騒いでいる。
「では!まず!ミスターS高から発表したいと思います!ミスターはぁー?!なんと!一年三組、夜与 光君でーす!!」
「えー!一年かよ!二、三年冷てー!」
三年の男子から、ブーブーと悲鳴にも似たブーイングが起こった。その声に反して、本人は、
「え?なんで俺、エントリーされてんの?初耳なんだけど…」
と、クールに呟いた。
「えー、夜与くーん!壇上上がってー!」
司会に促されて。仕方なしに壇上に上がると、今度は女子から悲鳴が上がった。
「えー!格好良い!あたし知らなかったー!!」
「バーカ!もう超有名だよ?あたし、入学式から目ぇつけてたもん!!」
「あたしなんて、廊下で鞄落としちゃってぇ、そしたらこぼれた中身まで拾ってくれたのー!もう内面もイケメンって感じだったよー!!」
キャーキャー言う女子に、司会の生徒が大声で言った。
「はーい!!女子黙れー!!」
「黙れって何ー?!(笑)」
学園祭の盛り上がりは最高潮に到達しようとしていた。
「次はとうとう!ミスS高の発表でーす!!ミスはーーーーーーーーーー?!これまた一年三組、美崎 菊菜ちゃんでーす!!」
わ――――!!!
盛大な声援が響いた。
「菊菜ちゃん!おめでとう!!」
「えー?あたしぃ?信じられなーい」
しらじらしい菊菜の声に、女子先輩方は少々ブスっとしたが、学校中の生徒、特に男子からは、歓喜の声が上がった。
壇上に上がり、二人が並ぶと、本当に美男美女と言った感じで、付き合ったら完璧だな…と、誰もが思ってしまう程、お似合いだった。
そして、何故、これ程までに生徒が盛り上がっているのかと言うと、後夜祭では、全校生徒で男女それぞれじゃんけんをして、残った十人が、ファイヤーの周りで、ミス・ミスターと踊れる権利を得ることが出来るのだ。
「おっしー!俺、菊菜ちゃんと踊れるぜー!!」
「マジかー!負けたー!なんで俺パー出しちゃったんだよー?!」
「いやーん!あたし光君と踊れるぅ!」
「えー!いいなぁ!!」
じゃんけんで、盛りに盛り上がっている全校生徒の中、一人、今にも泣きそうな女子がいた。
「なんで…私…?」
何と、香がじゃんけんで勝ってしまい、光と踊る羽目になってしまったのだ。
最初から仕方なしの光と、幸か不幸かじゃんけんで勝って、光と踊らなければならない羽目になってしまった香。香は、全校生徒の女子の恨めしい視線を体中で感じ、戸惑った。
しかし、戸惑ったのは、香だけではなかった。そう。菊菜は、入学してから、すっと光が好きだったのだ。と言うより、自分に似合うのは光しかいない、そう思っていた。
菊菜は、自分が訳の解らない男子と踊っている中、香が意中の光と踊っている。その光景を見て、イラついていた。
その視線を、誰より先に、誰より敏感に、香はすぐ悟った。
「あ…の…私、もう良いんで」
「ん?でも、一人十分って決まってるじゃん。まだファイヤー、一周もしてないぜ?」
「あ、でも、もう良いんで。ありがとうございました」
すっと手を解いて、香は光から、ファイヤーから離れて行ってしまった。
その時、光は香のことをなんとも思っていなかった。顔を覚えることもなく、悪い印象も持たなければ、好印象を持ったわけでもなかった。
そして、そんな香と菊菜を差し置いて、じゃんけんの後、学校内は大いに盛り上がった。
ファイヤーの燃え盛る炎に揺られ、微笑む生徒を、その周りをみんな一緒くたになって、踊る生徒が、後夜祭を最後の最後まで盛り上げた。
―二日後―
学園祭の片付けの時、菊菜は光の側を離れなかった。
「光!これ、何処置けば良い?」
「美崎…。なんで突然下の名前、呼び捨てで呼ぶかな…」
「え?悪かった?でもほら、ミスとミスターだし?お似合いじゃない?」
「俺、別にミスターとか興味ないし。美崎、それ、あっちだから。じゃあな」
(ちっ!)
と、心の中で、菊菜は舌打ちした。
(ま、焦ることないか…。どうせ香が夜与に相手にされるはずないんだし…)
そう思った瞬間、七五三の時の写真を思い出した。
(イヤ!ないない!!あの子、誰にも見せないし。あんな臆病な子に夜与を落とせるはずがない!)
二度目の心の確認をして、菊菜は片付けに戻った。
「う…っ。重っ…」
クラスでも、引っ込み思案の香は、みんなの言いなりだった。この時も、重たいごみを教室からごみ置き場へ運ばされていた。ごみ置き場まで後少し…と言う時に、三年の男子とぶつかりごみをばらまいてしまった。
「あ、ごめん。ごめん」
そう言っただけで、先輩の男子は去って行ってしまった。
「ん…もう…あ、メガネ落とした!もう!」
ぶつかった拍子に落としてしまったメガネを拾い、ごみをもう一度集め、持ち上げると、フラフラしながらごみ置き場へ向かった。
その時、大事な、大事なものを落としたことを知らずに。
香がごみ置き場から立ち去って五分程経って、そこに光が通りかかり、あるものを踏んづけた。
ぎゅみょ…。
地味な音を立てて、それはその居場所を光に教えた。
「ん?…学生手帳?誰のだ?…葉月…香…?一年か。知らねぇな…。なんか地味だな…。ま、いっか。後で職員室に届ければいいや」
手帳を閉じようとした時、一枚の写真が地面にダイブした。
「え?これ…この子の子供の時の写真?うわ…。めっちゃ可愛いじゃん」
光は、思わず頬を赤くした。クールで、特に面食いでもない光が。
「これが今のこの子で、この写真は…七五三…か?」
綺麗な着物に、豪華な髪飾り。ほんのり色づいた頬。
「ガキん頃こんな可愛かったら、この葉月って子、ちゃんとしたら滅茶苦茶美人なんじゃね?あ、美崎、顔広いから知ってるかも…。後で聞いてみよう」
ブツブツ言いながら、光は教室へ戻った。
「光!もうだい終わったよー…って何持ってんの?」
「ん?あぁ…美崎…。あ、美崎!」
「え?何々?」
光の何処か明るい瞳に、何かしら良いことがあるような気がして、菊菜は二つ返事で光の元に歩み寄った。
「この子!この子知ってる?」
と、光はさっき拾った学生手帳を菊菜に見せようとした。
「何?一年生?なら大体…」
「そう。一年。知ってる?」
と手帳を差し出した。
「げ!」
「ん?」
えげつない菊菜の声に、光は少し引いた。
「あ…ごめん。この子がどうしたの?」
「え?イヤ、可愛いなと思って。手帳にこの写真挟んでるってことは、大切にしてるって証拠だろ?だから、届けようと思って…」
「あたし知ってるからあたしが届けとくよ!」
「あ、でも…」
光が何か言いかけた瞬間、菊菜は光から手帳を奪い取った。念押しに、
「それに、こんな写真、カメラマンの腕が良いだけじゃん!」
と、捨て台詞を残した。
その日の放課後、菊菜は香りを人気の少ない校舎の階段の踊り場に呼び出した。
「こんな写真、あんたまだ持ってたの?」
「あ…それ…。拾ってくれたんだ。ありが…」
と受け取ろうとした瞬間、
ビリッ!!
菊菜は写真を真っ二つに破り捨てた。
「あ…」
「あんたなんて所詮根暗なブスなんだからね!よく覚えときな!」
そう罵声を浴びせ、学生手帳を、香の顔面に投げ付けると、その場を立ち去った。
「…あぁあ…破れちゃった…」
スンっ…。
と、鼻をすすり、メガネを取って涙を拭きながら、写真の切れ端を集めていたその時、
「あれ?これ…葉月ってあんた?」
「へ?」
何処かで聴いたような、聞かないような声が上から降ってきた。
「この写真の子ってあんた?」
「あ…の…」
香はメガネなしでは、三十センチ先の人の顔も識別できない。ぼやけた男子の顔を見上げながら、慌てて涙を拭いた。
「あ、本当だ。あんた、メガネ取ったら美人じゃん」
「!」
男子に、そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった香は、頭の中に返すべき一言の言葉も浮かんでこなかった。
「でも、なんで、写真破れてんの?誰かに破られた?」
「あ!いえ!」
カシャンッ!
慌てて弁解しようとしたら、拾いかけたメガネを落としてしまった。すると、
「はいよ」
と、その男子がメガネをかけてくれた。
その時、香は初めて気が付いた。
「あ!ミスターの夜与さん!」
長い間菊菜に華を持っていかれ、地味に、どんより過ごしてきた。そんなこ香を”美人”と言ったのが、初めて言われたのが、光だった。
しかし、感情を表すより、理性がいつも勝る香りは、咄嗟に菊菜の顔が浮かんだ。
(菊菜ちゃんに殺される!!)
そう思った香は、写真より、この場から離れることを選んだ。
「あの…ありがとうございました!じゃあ!」
「あ!おい!写真は?!」
「捨ててください!」
どたどたと音を立てて、階段を駆け下りて、香は光の前からいなくなった。
―次の日―
「おはよー」
「おー」
いつもと変わらない登校の風景がそこには広がっていた。しかし…、
香が、普段通り下駄箱を開けると、そこに、テープで歪につなぎ合わされた七五三の時の写真が入っていた。
「あ…これ…もしかして…夜与さん?…わざわざ拾ってつなぎ合わせてくれたのかな…?」
地味で、奥手で、引っ込み思案の香は、こんなこと男子にしてもらったのは初めてだった。
香は決してナルシストではないし、自分に、『本当は自信がある』なんて言えるわけでもなかった。
そんな香でも、光が、『美人』と言ってくれたことに、自分も、少しは”女の子”で良いのかも知れない…と思った。そんなことをポーっと考えていると…、
「何それ?」
いきなり、後ろから機嫌のわるそーな女子の低い声が聴こえた。
「菊菜ちゃん!」
香は思わず写真を隠した。
「何隠したの?」
「う…ううん!別に…!」
「貸しな!」
と、無理矢理、また昨日光から学生手帳を奪い取ったように、香が慌てて後ろに追いやった写真を奪い取った。
「やっぱり!あんたこんなナルシストだったんだ?気持ち悪っ!」
菊菜の毒舌が炸裂したその次の瞬間、
「何それ?」
菊菜のそのまた後ろからさらに低く、今度は男子と思しき声が聴こえた。
振り返った二人の背中には光がいた。
「美崎、それ破いたの、美崎?」
「え?…あ…」
菊菜は、光にまずいところを見られたと、怯んだ。
「ち…」
菊菜が何とか否定しようとした、その時、
「菊菜ちゃんは!」
香は、自分が出せるだけの大声で、菊菜の名前を叫んだ。
「菊菜ちゃんはそんなことしません!それを破いたのは私の為だから」
「え?どういうこと?」
香の思わぬ否定の言葉に、光は驚いた。てっきり、自分の目は真実を見破った!と思ったからだ。
「この写真の子、私じゃないんです。妹なんです。可愛い自慢の妹だったんですけど、それ、気にし過ぎて嫉妬して、妹がいない間に家から持ち出しちゃったんだです。私、地味だから、悔しくて…。菊菜ちゃんは、それ、破ることで私の自信取り戻させようとしてくれたんです。…だから…夜与さん、誤解しないでください。…じゃあ…」
そう言うと、すっと、二人の前から、香はいなくなった。
「今の葉月の言ったことマジ?美崎」
「え?…あ、うん…うん!当たり前じゃん!」
香に救われたことが癪に触りながら、それでも光に自分の素の一部分を知られず済んだ、と菊菜は胸を撫でおろした。
「そっか。なんか悪かった。でも、あいつもメガネ取った時結構可愛かったけどな」
「え?」
その光の言葉を菊菜は聞き逃さなかった。
「光…香のこと…」
「ん?」
「あ、ううん。なんでもない。教室行こう。光!」
「あぁ」
香の後ろ姿を少し惜しそうに見つめながら、光は教室へ向かった。
(大丈夫だよね?香のこと…夜与が好きなることなんてない…よね?)
そんな二人を知らず、廊下を早歩きしながら、香は教室に急いだ。その途中、香は酷い後悔に苛まれた。
初めて、男の子を男の子だと思った。
父親以外の人を、”男”だ、と。
父親以外の男の人に褒めてもらうことなどなかった。
みんな素通り。みんな座敷童くらいにしか思ってくれない。
幼稚園の時から、誰の目にも、地味で、暗くて、引っ込み思案の香は、男の子に褒められるどころか、話しかけられること自体、数える程しかなかった。
それなのに、光に『美人』だと言われ、仮にもミスターS高に、『美人』だと言われ、香が嬉しくないはずがなかった。それでも尚、菊菜に華を持たせた…持たせるしか出来ない自分が情けなかった。
初恋だった。
きっと、光に『美人』だと言われた瞬間、香は光に恋をした。
それは、初めて人を好きになった香には残酷過ぎる仕打ちだった。
「菊菜ちゃんみたいに可愛かったらな…。私も、男の子に…夜与さんに…少しは相手にしてもらえたのかな?」
メガネに大粒の雫がポタポタ落ちた。
「私、なんでこんなに意気地ないかな?一度も…頑張ったことなかったもんな…。こんな私、好きになってもらえなくて当たり前だよね…。菊菜ちゃんは…こんな私を認めてくれたのに…」
香は、急に、今までの自分の人生が間違っていたように思えてならなくなった。菊菜を尊敬する気持ちは変わらない。嘘もない。”あの”菊菜の言葉に、香がどんなに喜びの気持ちを抱いたか、誰も知らない。
香には”あの”言葉が誇りだった。すべてだった。宝物だった。キラキラ光る目に見えない、正に”ヒカリ”だったのだ。それがこんな風に自分を否定するまで追い詰めて来るなんて、想像もしていなかった。
「菊菜ちゃん…私、このままで良いんだよね?菊菜ちゃんが正しいんだよね?私、こうするしか…ないんだよね?」
切りなく流れる涙に、教室を通り越し、トイレへ走り込むと、香は泣きじゃくった。その時、初めて、菊菜の存在を肯定しなければ、言い聞かせなければ、菊菜を否定しそうで怖かった。
それでも、明日からも今日と変わらない道を香は歩くのだった。
…と、思っていた。しかし、香の知らない場所で三つの想いが静かに動き始めていた。
次の日の朝、香が高校の玄関で靴を履き替えていると、
「おっす!葉月!」
と、声がした。しかし、香は返事をしない。
「葉月!」
それでも、振り向こうとしない。
「葉月 香!」
「へ?」
三回目の呼びかけでやっと香が声のする方へ顔を向けた。
「あ!夜与さん!お…おはようございいます」
菊菜と光を結び付けようとして、自分を悪者にして、自分の存在を光の中から消したつもりでいた香は、二度と聞くことはないと思っていた光の声に、反応することができなかったのだ。
「なんで一回で応えないんだよ?目だけじゃなくて耳も悪ぃの?」
「あ、いえ。私、男子から挨拶されるの高校入ってから初めてで…。気付かなかったと言うか…わからなかったと言うか…」
しどろもどろになって言い訳している香を見て、光は吹き出した。
「ブッ!葉月、面白いな。じゃあ、俺が初めての男友達な!」
「な…っ…何を言うんですか!私なんかが夜与さんの友達になんてなれません!」
「なんで?」
「え…だって私ですよ?地味で、暗くて、引っ込み思案で、ブスで…」
と、いつものように、自虐の言葉を次々と並べようとする香に、
「ブスはない!」
「へ?」
「葉月は綺麗だよ。顔も、心も」
「へ?」
「『へ?』ばっかり言うなよ!昨日、美崎のことかばったろ?あの写真は葉月だよ。見りゃ解る」
「いえ。あれは本当に菊菜ちゃんが私の為に破った妹の…」
「良いから!あれ、葉月だろ?」
「あ…あの…は…はい」
クールな一面と違い、押しに押してくる光に、香は認めざるを得なかった。
「やっと認めた!」
「…でも、このこと、菊菜ちゃんには黙っててもらえませんか?菊菜ちゃん、夜与さんのことが好きなんですよ。なのに、私が後夜祭で夜与さんと踊ったりしたから…。だから、間違っても菊菜ちゃんを責めたりしないでくださいね」
「葉月って本当に優しいのな。あの写真、大事にしてたんだろ?破られてもなんとも思わないのかよ?」
もっともな質問だ。
「思いません。菊菜ちゃんは私の憧れですから」
そう。昨日のあの出来事の直後こそ、少し菊菜を否定しそうになったが、それまで、香は菊菜に嫉妬したり、不快感を覚えたことは一度もなかった。いつも活発で、元気で、明るくて、みんなにチヤホヤされて、男子も女子も従えてしまうリーダーシップも、全部まとめて本当に菊菜は香の憧れだった。それを羨ましいと思うことはあったけれど。
昨日のことだって、写真を破られたのは悲しかったけれど、それは、菊菜の期待に応えられなかった、認めてくれた菊菜を裏切ったせいだと思っていたし、泣いたのだって、菊菜に近づきたいと思ったからだった。
その話を嘘偽りないと解った光は、また一つ、香の心の綺麗なところを見つけたのだった。
「あ、光!おはよう!」
「あ、菊菜ちゃん」
「ん?香…。なんであんたが光と一緒にいるの?」
「美崎、んな言い方すんなよ。まず、おはようだろ?」
「あ…うん!だね!おはよう、香」
「おはようございます。私、お二人の邪魔なので、もう行きます」
「あ、葉月!」
その声は、香には届かなかった。
「どうしたの?光。香がどうかした?」
「あ、いや…」
香に、『黙ってろ』と言われたのをとっさに思い出し、口をつむんだ。
「教室行こう!光」
「あ、あぁ」
菊菜に腕をつかまれ、引っ張られゆく廊下で、もう見えなくなった香の小さな後ろ姿に、どうしようもなく惹かれた光は、これから、どんな風に香を好きになって行くのか、自分でも予測出来なかった。
「あ、菊菜、おはよ!…って何?ミスとミスター、もう付き合ってるの?お似合いだもんねー」
教室に入るなり、菊菜の取り巻きの女子の一人が二人を冷やかした。と言うより、菊菜にゴマをすった。
「やっだー!そんなんじゃないよ。下駄箱でたまたま一緒になっただけ。ね?光!」
「あぁ…」
「噓ー!だって腕組んでるじゃん」
「あ、それ、マジやめて。美崎」
「え…」
盛り上げるのに必死な取り巻きと、菊菜を一気にしらけさせるトーンの声で光は菊菜の腕を振りほどいた。
「あ…ごめん。光…」
「あ、それとそれ。下の名前で呼ぶのもやめてくんない?馴れ馴れしい」
「え?あ…うん。ごめん…」
立場を失う菊菜。その菊菜をかばうように、
「なんだよ、夜与、そんな言い方しなくても良いじゃん。菊菜ちゃん悪気はないんだし。なぁ?」
「お、おう」
今度は男子の取り巻きが苦言を呈した。
「別に。俺、美崎にだけそうしてる訳じゃないし。他の女子とおんなじに接してるつもりだけど?それが悪いの?」
「そ、そうだよね。ごめんね、夜与」
菊菜が、居心地悪そうな顔をして、光に謝り、その場はしらけたまま、授業が始まってしまった。
菊菜の中で、嫌な予感がした。朝、光と香が親し気に話していたのに、自分には容赦なく冷たい。
(まさか…夜与、香のこと…。ううん!ないって!あんな暗い子、相手にされるわけないじゃない!)
心の中でブンブンと頭を振って、香の顔を頭から追い出した。
その日の放課後、いつものように、ごみ捨て係を言い渡され、ごみ捨て場にやって来た香。そこで、光にばったり出くわした。
「あ、葉月!何、お前いつもごみ捨てしてんの?」
「あ…夜与さん。これはもう日課のみたいなものなので」
「そーなんだ。葉月らしいな。嫌がってる感じしねーし」
「別に、本当に嫌じゃないので。四月に高校に入った時は桜が咲いて、花が散った後の葉桜も綺麗で、二学期に入ったら、陽が一学期より短くて…。夕焼けも綺麗です。外に出るのは好きなので。景色が変わっていくの見るのは楽しいですよ」
と、ニコニコしながら、ごみ置き場にごみを置いた。
「やっぱ、美崎とは違うな。あいつ、葉月に対してなんであんな偉そうなの?俺のことも下の名前で呼び捨てにするし…。つい馴れ馴れしいとか言っちまった」
「え?!そんなこと言ったんですか?!」
「え?何?悪い?」
「悪いですよ!菊菜ちゃんに呼び捨てにされるのは、認めてもらえてる証拠じゃないですか!」
「え?でも、葉月だって呼び捨てにされてるじゃん」
「私は”ちゃん”が取れるまで、十年かかりました。でも、夜与さん、学園祭の後すぐにもう呼び捨てでしたよね?それってありがたいことです!」
「…」
数秒、沈黙が生まれた。その次の瞬間、
「あはははは!!」
光は、一人、大笑いした。
「な…なんですか?」
きょとんとする香。
「葉月、お前本当に美崎のこと好きなのな。俺から見たら、美崎の奴隷みたいにみえるのに」
「奴隷…。良いですね!それ!菊菜ちゃんの奴隷なら、喜んでします!」
「はぁ?なんで?」
意味不明な言葉を連発する香に、笑いながら、光は尋ねた。
「だって!菊菜ちゃんですよ?綺麗で、明るくて、リーダーシップだって申し分ないですし、モデルだって大活躍してるじゃないですか!それに、泣いた顔を誰にも見せない強い人ですし!その菊菜ちゃんの奴隷なら、喜んでします!」
「あはははははははは!!!」
もう、笑いのツボを押された光を止められるものはいなかった。
「…?なんですか?私、そんなにおかしいこと言いましたか?」
「言った!いっぱい言った!あー腹いてー!」
奴隷を喜んでしたい、と言った香に、笑いとともに、疑問が浮かんできた。
「葉月って、なんでそんなに美崎のこと好きなの?」
「言ったっじゃないですか。菊菜ちゃんは私の憧れなんです。私も菊菜ちゃんみたいに自分を大切に出来るような人間だったら、人生、もっと楽しいと思います」
「…」
突然、光は笑うのをやめた。
「そうだな。”自分を大切にする”か…。それは確かに葉月には出来てないよな。お前はもっと自信を持つべきだよ。人をそんなに大切に出来るなら、自分のことももっと大切に出来ると思うぜ?」
笑うのをやめて、真顔で自分にも自分を大切に出来ると思う、と言われた香は、何かが喉まで込み上げてきた。
そんなこと、言われたことはなかった。自信を持て、と言われたならまだしも、自分を大切に出来る、と言われたのは、生まれて初めてだったからだ。
「…私、もう行きます。菊菜ちゃんがこんなところ見たら、不快に思うと思うので」
「なんでそうなの?美崎のことばっか…」
「良いんです!…私は、一生菊菜ちゃんの奴隷で良いんです。菊菜ちゃんに嫌われるくらいなら、夜与さんに嫌われる方がずっとましですから」
「美崎ってそんないい奴なの?俺は苦手…」
と、言いかけた時、
「何を言ってるんですか!菊菜ちゃんはすごく良い人です!菊菜ちゃんがいてくれたから、私は今ここにいるんです!」
そう言うと、香は空になったゴミ箱を抱えて、教室へ走って戻って行ってしまった。
その後ろ姿に、小さな”ヒカリ”が光には見えた。
光が教室に戻ると、一人、菊菜が光を待っていた。
「あれ?美崎。お前、今日掃除当番じゃないだろ?なんでいんの?」
「あ…うん…その…」
気まずそうに、菊菜は後ろを向いた。
「ごめんね、夜与。急に呼び捨てにして。せめて”君”つけるべきだったよね。みんなにも誤解させちゃったし。迷惑だったよね。ごめんなさい。それだけ言いたくて…。じゃあね」
机の上の鞄を持つと、菊菜は素早く光の入って来た逆のドアから出て行こうとした。すると、菊菜の腕を光がつかんだ。びっくりした菊菜は思わず振り返った。その顔は涙で歪んでいた。その涙に、香の言葉が蘇った。
”菊菜ちゃんは人に涙を見せない強い人”
その菊菜が泣いている。
「…何泣いてんの?」
「…」
「って…俺のせいか…。朝は悪かった。みんなの前で馴れ馴れしいとか言って…。傷つけたよな」
「夜与…」
「…良いよ。光で。じゃあな」
それだけ言うと、光は帰って行った。
ポカンとする菊菜だったが、その顔はすぐ笑顔に変わった。
「…良かった…」
そう言ったすぐ後、菊菜はパンパン!と頬を叩き、涙を止めた。
「らしくない!何よ!あれくらいで泣くなんてあたしらしくない!」
最初は只の見栄だった。自分には夜与くらいのレベルの男しか似合わない。そう思っていた。それが…この恋が見栄で始まったものだとしたら、見栄はもう何処にもなかった。
菊菜は、皮肉にも、香に接する光を見るたび、光に惹かれて行った。呼び捨てにしたことを断られた…たったそれだけのことで涙が出るくらい。
一方、香は、歪につなぎ合わされた写真を見て、涙が止まらなかった。
「…自分を大切に…。夜与さん…私が大切にできるものは、菊菜ちゃんにもらった”あの”言葉だけです…」
誰もいなくなった教室で、ぼそっと呟いた。
―次の日-
香は、昨日より十五分程早く学校へ来た。そうすれば、光に会わなくても済むかも、と思ったからだ。
”自分を大切に出来る”
そう言われて、抑えていた何かが心からはみ出してきそうでならなかったからだ。
「おっす!葉月!」
「うわっ!夜与さん!」
突然肩をつかみ、光が香の背後に現れた。それに驚いた香は思わず。夜与の後ろを見た。
「何?誰かいんの?」
「いたら困るから見てるんです!」
「何、誰がいたら困るの?」
「菊菜ちゃんですよ!こんなところ見られたら、また、菊菜ちゃんを不快な想いにさせてしまいます!」
「葉月ってそんなに美崎に嫌われたくないの?」
「当たり前じゃないですか!じゃあ、私もう行くので!」
そう言い終えると、香はさっさと自分の教室へ行ってしまった。
「なんなの?あいつ」
ボソっと呟き、疑問をきつつも、笑いが込み上げる光だった。
「あ、光!おはよう!」
にやけがやっとおさまった瞬間に、後ろから菊菜の声が背中に覆いかぶさって来た。
「あ、おう」
(あいつ⦅香⦆勘良いな)
香でもないのに、一瞬、”良かった”と光は思った。
「なぁ、美崎と葉月っていつからの知り合いなの?」
「え?そんなこと聞いてどうするの?」
「いや、別に大した理由はないけど」
「フーン…。ま、いっか。幼稚園からの幼馴染だけど?それがどうしたの?」
「そんな前から?!」
廊下中に光の声が響いた。
(あいつ、よくそんな昔からの付き合いで、美崎に毒されなかったな…)
心の中で菊菜に毒づきながら、いよいよわからなくなってきた。菊菜のいじめともとれる言動に、十五年以上も晒されてなお、あの素朴さを保つ香に、光は明らかに惹かれ始めていた。
「何?なんなの?」
「あ、いや、二人全然性格違そうだけど、そんな昔から一緒にいたんだって、それに驚いただけ」
「…?そう」
シンとした空気が流れた。
「どうした?美崎」
「あたしは打ち上げ花火で、香は線香花火ってだけの話よ」
こそっと菊菜は言った。
「え?花?」
思わず本音を零した菊菜の言葉は、危うく光に聞き取られてしまうところだった。
「あ!ううん!別に!でも、なんで朝から香の話しなきゃいけないの?」
「いや、マジなんでもねぇから。気にすんな。行こうぜ」
そう言うと、足早に教室へ向かう光だった。
「ねぇ!光!なんで”光”って呼ぶの許してくれたの?」
光の早足に必死でくっつきながら、菊菜は尋ねた。
「…んー、お前が葉月の言う通りの人間だったから…かな?」
『泣いた顔を誰にも見せない強い人』
そう言った香の言葉を信じた光は、昨日見た菊菜の涙に、”悪いことをした”と思っていたのだ。
「香の言う通りの人間?何それ。香、あたしのことなんか言ってたの?何言ったの?」
ちょっと目くじらを立てて、菊菜は聞き迫った。
「誉め言葉だよ。安心しろって」
続きを聞きたかった菊菜だが、一足先に、今日つに着いてしまった。
放課後、香はいつも通り、ごみ捨てを押し付けられ、ごみ捨て場にやって来た。すると、後ろから、香にとって、一番聞きたくない声がした。
「葉月!」
「や…夜与さん…」
「何、今日もごみ捨てやらされてんの?」
「か、関係ないじゃないですか!夜与さんこそなんで今日もごみ捨てなんですか?」
「や、葉月に会えるかな?と思って」
「え?私ですか?何か用事ですか?」
「ちょっと、美崎のことで聞きたいことがあってさ」
「え、菊菜ちゃんのことですか?!」
香の顔が一気に華やいだ。
「任せてください!菊菜ちゃんのことなら誰より詳しいと言う自負があります!誕生日ですか?好きな食べ物ですか?憧れている女優さんですか?」
怒涛のように迫る香。すると、光はまた笑いが込み上げて来た。
「あはははは!なんだよ!俺といるところ見られたらやばいんじゃなかったの?」
「だって、今日、菊菜ちゃんはモデルの撮影で午後からいませんから。その心配はありません!」
「は?そうなの?同じクラスでもないのに、そんなことよく葉月が知ってるな」
「菊菜ちゃんに言われてるんです。撮影のある日は、調子整えて置きたいから、顔見せるな、って。なので、撮影日は全部把握しています!だから、今日は大丈夫です!」
「何、そんなひどいこと言われてんの?」
「ひどい?何処がですか?撮影の日に、私みたいな地味な顔見せられたら、誰だってテンション下がります。なるべく菊菜ちゃんの邪魔はしたくありませんから」
「お前、本当に変わってるな!」
光は、また笑いが止まらなくなった。香は、何がそんなにおかしいのか、何がそんなに変わっているのか、全く理解できず、ポカーンとするばかりだった。
一通り笑い終えると、光は、
「なんでお前はそんなに美崎のこと好きなわけ?俺、それがそれが全っ然理解出来ないんだけど」
「夜与さんこそわからないです。なんで菊菜ちゃんを嫌いにならなきゃいけないんですか?」
「え?だって写真破られたりしてたじゃん。他にも、聴こえた限りでは、ナルシストとか、気持ち悪い…とか?色々言われてたじゃん」
「それは、私なんかがあんな写真いつまでも持ってたんでですから、当たり前です」
「そうか?あんな可愛く撮れてる写真、持っておきたくなるのは、当然だと思うぜ?」
「可愛く…撮れてる…?」
「あぁ。俺が見て来た女の子の中で一番可愛いと思うけど」
「…!」
香の心臓が跳ね上がった。
”私も菊菜ちゃんみたいに可愛かったら、私にもっと意気地があれば…頑張っていれば…、夜与さんにも相手にされたのかな?”
そう。それは、初めて異性に、ミスターS高に、夜与 光に、”美人”と言われたあの日を彷彿とさせる言葉だった。
「じょ…冗談はやめてください!一番はいつだって菊菜ちゃんです!」
と言うと、乱暴にごみを置くと、香は教室へ猛ダッシュした。
「や、おい!」
引き留めようとする、光の声を必死で振り切って、ポロポロ涙を零しながら。
(ダメ!これ以上好きなっちゃダメ!夜与さんは菊菜ちゃんの好きな人なんだから!)
そう頭で言った瞬間、ピタリと足と涙は止まった。
「何言ってるの?相手は菊菜ちゃんんだよ?ダメも何も、好きになろうがなるまいがおんなじ。菊菜ちゃんに敵うはずないんだから。…好きでいても…良いかな?密かに…想ってるだけなら、許されるかな?邪魔…しなければ…良いかな?」
初めてだった。香が菊菜の手の中にあるものに手を伸ばそうとしたのは。と言っても、それを手中にしようと思ったわけでは決してなかった。唯、本当に唯、破れた写真の代わりに、心の真ん中に飾っておきたい言葉だった。
”俺が見て来た女の子の中で一番可愛いと思う”
その言葉と、そう言ってくれた夜与 光を、心の真ん中に飾って、落ち込んだ時や、悲しい時に、こっそり開いて見ていたかった。
香は決めた。
光を想うことをやめないと。
それは、消極的な香が、初めて自分の意志で、自分の気持ちを大切にしよう、そう思った瞬間だった。
―次の日ー
香は、いつものように、下駄箱で靴を履き替えていた。すると、お決まりになったみたいに、
「葉月!はよっ!」
と光が背中をポンと叩いた。
「お、おはようございます。夜与さん」
「…」
「…」
二人に、不思議な空気が流れた。
「な…なんですか?」
不気味な空気に、気まずそうに香は光に尋ねた。
「イヤ、いつもおはようの後、美崎のことばっか言うのに、今日は言わないからさ。ちょっと驚いただけ」
「あ、そっそれは…挨拶をしてくださる方に対して、今まで失礼な態度を取っていたと、反省しまして…」
「おぉ!それ、良い考え方じゃん!偉いな、葉月!じゃあな」
そう言うと、光は教室へ行ってしまった。
ボーっとその後ろ姿を見つめていると、
「あ、香」
「!」
もうすでに不機嫌、と言った感じの声が香を襲った。
「あ、菊菜ちゃん!すすすすみません!夜与さんと挨拶などしてしまって…」
「なんで謝んの?挨拶以外になんかした?」
さすが、幼稚園から幼馴染。勘が鋭い。
「あ、いえ。なな何も…」
「ま、良いや。とりあえず、そのぶっさいくな顔、早くどっか行ってくんない?」
「あ!はい!すみません!今行きます!」
上履きを、踵踏んずけたまんま、急いで教室に向かった香。
(や…やっぱり好きでいるだけでも、菊菜ちゃんに申し訳ないな…)
と、昨日の今日で、また心が揺れる香。そしてまた、
(私…本当にダメだな…)
と、自己嫌悪が襲った。
そして、放課後がやって来た。ごみ捨ての時間だ。もしかして、また光が来るかも知れない。でも、今日は、菊菜の撮影日ではない。一緒にいて、話しているところを見られでもしたら、菊菜をまた怒らせてしまう。
でも、初めて好きなった人と、少しで良い、話がしたい。自分なんて相手にされるはずないとしても、こんな自分を二回も誉めてくれた人だ。本当に、少しで良い。話しがしたい。
そんな不自由な二択に、香は悩まされていた。普通の人ならば、悩むまでもなく、ウキウキしてごみ捨て場に向かうであろう行動を、香は一大決心をして、重ーいような、スキップでもしてしまいそうな、全く正反対の気持ちを抱え、ごみ捨て場に向かった。
すると、やはり、光の姿を見つけた。つい、にやけた顔で、側に行こうとした時、香の目に映ったのは、光の横でキャッキャッと笑う菊菜と、それに合わせて笑う光の姿だった。
ズン…。
と、重力に従うように、地球の裏側まで落ちて行ってしまいそうに心が沈んだ。
慌てて、木の陰に身を隠した。二人が教室に戻るまで木にもたれ、下を向いたら視界が歪んだ。
(ん?メガネ、汚れた?)
と、メガネを取ると、そこには大きな涙の雫が自分でも気付かないうちに、メガネを汚していた。
「んー?来ないな…」
「え?誰が?」
光が呟くと、すかさず菊菜は聞き返した。
「あいつだよ。葉月」
「え?香?さっきからごみ捨てようとしないから何してるのかと思ったら、もしかして香待ってたの?」
菊菜が、誰もがわかる怪訝な顔で、怖ーい声を出した。
「あ、あぁ…いや、そういう訳じゃ…。行くか」
(やべ…。葉月が被害被ることになるわ…)
と、心の中で香の身を案じ、瞬殺でごみを捨てると、二人は教室に戻った。その後ろ姿を木の陰で見ていた香は、
「やっぱり絵になるな。ミスとミスター…。私なんて入る余地ないや…」
すん…。
と鼻をすすり、涙をメガネを拭き、重い足取りで、ごみ捨て場に向かった。
ごみを捨て終わると同時に、後ろから、思いがけない声が飛んできた。
「葉月!」
ブンッ!
と思わず大袈裟に振り返ると、
「明日はもっと早く来いよ!」
光だけで、菊菜の姿はなかった。そして光が、香の恋心など気付くわけもなく、優しく傷つけるように、香に手を振って教室へ戻って行った。
「夜与さん…」
もう誰もいなくなったごみ捨て場で、小さく手を振り返して、涙があふれた。
「菊菜ちゃん…ごめんなさい。やっぱり、好きでいさせてください…」
心の声がぽつんと地面に突き刺さった。
―次の日-
香の足は何処か軽かった。
昇降口で、靴をいつものように履き替え、そうっと振り返った。
「おわっ!」
と、光が驚いて、香から一歩後ずさった。
「え?!」
と香も驚いて、一歩後退した。
「お前、俺来るのわかったの?びっくりさせようと思って抜き足差し足出来たのに…」
「あ、いらしてくれたらありがたいな…と思いまして、降り勝って次第です」
「え?俺?」
「え?!あ!い、いえ!き、菊菜ちゃんです!」
「あぁ…なんだ。驚いた」
「…」
二人に、少しの間が出来た。
「あ、じゃあ…。二度も驚かせてすみませんでした。では」
そう言うと、香は、真っ赤になった顔を、光に見つからないように、下を向いて隠しながら、去って行った。
「美崎ね…。あぁ、驚いた。でも、あいつやっぱ可愛いわ」
「可愛い?誰のこと?」
「おわっ!!」
光は、さっきの三倍驚いた。
「み、美崎…。や、別に。はよ」
「ん。おはよう。光。教室行こう!」
そう言うと、菊菜は光の腕を引っ張って教室へいざなった。
ガラガラと元気よく教室の扉を開けると、
「みんなおはよう!」
「あ、菊菜。夜与。おはよ」
腕を組んで入ってきた二人に、
「なんか、二人、本当にお似合いだよねー。羨ましいー。美男美女!」
「あはは!やめてよ!また光に怒られちゃうじゃん!ねぇ、光?」
「あぁ。だな。誤解を招くのは良くないな」
と、スッと菊菜の腕を解き、自分の席にササっと着く光。
腕のやり場がなくなった菊菜は、少し下を向いて、誰にも気付かれないように、深呼吸した。
菊菜は、自分で思うよりずっと光が好きなっていた。最初は顔だけだった。でも、今は違った。
”泣かせてごめん”
そう言われたあの日から、菊菜は、真剣に光を想い始めていたのだ。
そして、昨日、
「ごみ捨ては俺が行く」
と、みんなが嫌がる作業を自分から買って出た光に直感的に疑問を抱き、一緒に付いていき、
「なんで、ごみ捨て、自分が行くなんて言ったの?」
と菊菜は率直に聞いた。
「あぁ。外の空気、良いじゃん。景色とか、毎日どっか変わってて、見てると、意外と面白いから」
ほとんど、香からの受け売りだった。しかし、光は、自然と、本当にそう思うようになっていた。そんな光に、また、菊菜は惹かれたのだ。
皮肉だ。香の受け売りの行動を、香がしているとダサく思え、光がしていると素敵に思え、好きになって行っているのだから。
「光ってそんな風に思う人だったんだね。意外だったかも」
そう言うと、素直に、
「良い人なんだね、光って」
と言った。光は、思わず、
「それ、葉月が好きだ。って、言ってるようなもんだぜ?」
「え?どいうこと?」
「俺も、葉月に言われて気付いたんだ。外の景色は毎日変わる。それが良いって」
「そう…なんだ。それで光もごみ捨て、好きなったの?」
「ん?まぁ…そんなところかな?教室、戻ろうぜ?」
そう言い、教室に戻ろうとした時、ふと校庭の大きな木に目をやると、木の裏っ側にヒラッとスカートの裾が揺れたのを見た。
(いやがった…)
ふっと笑うと、教室への帰り道の途中、光が、
「あ、ごみ、まだ残ってる!わりぃ!ちょっと捨てて来るわ!」
「あ、じゃあ、あたしも…」
その声はもう届かないほど、光は遠くに走って行ってしまっていた。
急いでごみ捨て場に戻ると、誰もいなくなった時間に、香がごみを捨てていた。その姿に、また吹き出しそうになりながら、大きな声で、
「葉月!明日はもっと早く来いよ!」
と、叫ぶと、大きく手を振った。
その光景を、菊菜は見てしまった。そして、気付いてしまった。
”光は香に惹かれている”
と。
どうしようもない敗北感に、怒りを通り越して、悲しくなった。
(あたしが…香に…負ける?)
このままでは、本当に光が香のものになってしまう。そう思った菊菜は、次の日の昼休み、裏庭に香を呼び出した。
「菊菜ちゃん。どうしたの?」
「…」
長い沈黙が、香に言い知れぬ不安感を覚えさせた。
「香…、お願いがあるの」
「え?あ、うん!菊菜ちゃんのお願いなら何でも聞くよ!なんでも言って!」
菊菜に頼りにされたと思い込んだ香は、嬉しそうに、喜んでそう言った。
「光を…光を諦めて」
「え…?」
唐突な菊菜の言葉に、香は言葉を失った。
「あたし、光が好き。光と付き合いたい。光の一番近くにいたい。だから、光を…光をあたしに頂戴」
「…菊菜ちゃん…」
「お願いします」
戸惑う香を置いてけぼりにするように、怒涛のように自分の気持ちを吐き出したかと思うと、次の瞬間には、深々と菊菜は香に頭を下げた。
「…菊菜ちゃん…」
今まで、、菊菜が香に頼み事…いや、命令は何度もしてきた。けれど、こんな風に頭を下げたり、敬語を使うのは初めてだった。
そんな、菊菜の、真剣さを痛いほど感じた香に、残された道は一つしかなかった。
「あ…当たり前だよ!ヤダ!菊菜ちゃん。夜与さんが私なんて相手にするはずないじゃないですか!それに、諦めるも何も、私、夜与さんのこと、好きなんかじゃないですよ?本当だよ?もしも…万が一好きになったとしても、どちらかが告白して、選ばれるとしたら、菊菜ちゃんに決まってるじゃないですか!」
「…本当?」
「うん!本当!」
「ありがとう…。香。それだけ。呼び出してごめん。じゃあね」
そう言うと、菊菜はそっと裏庭からいなくなった。
「…」
一人、裏庭に残された香は、呆然と足元が揺らいで、埋もれてゆくような感覚を感じていた。
「そうか…。そうだね。好きでいるだけでも…ダメだよね…。菊菜ちゃんの目障りだよね…。馬鹿だなぁ…私…」
笑顔のままで香は泣いていた。
「”好きでいさせてください”…か…。そんなの…ダメに決まってるよね。ごめんね、菊菜ちゃん…。もう、諦めるから。苦しめて、ごめんなさい…」
そう呟くと、香は、ごみ捨て場に向かい、まだ誰もいないごみ捨て場に、七五三の、光が歪につなぎ合わせてくれた写真を、涙いっぱいにして、捨てた…。
その日の放課後、光は一人。、ごみ捨て場で、香が来るのを待っていた。しかし、待てど暮らせど、香が来る気配はない。サッカー部に入っていた光は、ギリギリまで粘ったが、諦め、ごみを捨てると、寂し気に教室に戻った。
その光の姿を、そっと校舎の陰から見ていた香は、大きく積み上げられたごみの山の上に、自分のクラスのごみを置いた。そして、もう何処に行ったか、わからない写真をそっとごみの山に探した。
香は、次の朝から、学校に来る時間も変えた。いつも、何故サッカー部の光と同じ時間に香が来ていたかと言うと、香は図書室が好きで、毎日、図書室で本を読んだり、復習や予習をしていた。それもやめ、唯、ひたすら光に会わないように、今まで以上に地味に過ごしていた。
しかし、日々を重ねるほど、香の瞼には、光の笑顔が浮かんで来た。耳には、『葉月!』と、この学校で唯、一人、自分の名前を呼ぶ、低い男の子の声が聴こえた。ごみ捨て場で、部活が始まるのを待つ間『明日はもっと早く来いよ!』と言った光の言葉が蘇った。普通の時間に登校するようになっても、カタン…と後ろで音がすると、振り返った。
笑顔が、声が、気配が、香のすべてだったことに、香はやり場のない想いを、どんなご捨て場に捨てれば良いのか、どうしても、わからなかった。
諦めるどころか、会えなければ会えないほど、香の光への想いは、募るばかりだった。
「なぁ!美崎!」
朝のホームルームが始まる前に、光が菊菜に話しかけた。
「何?光」
「葉月ってちゃんと学校来てんの?」
「え?なんで?」
「イヤ、ここ一、二週間全然会わないからさ。ごみ捨てにも来ねーし」
「来てるよ。ちゃんと。それより光!秋祭り、一緒に行かない?ここの秋祭り、秋のくせに花火すごいじゃん?!」
「あ…あぁ…でも…」
「他の友達も一緒だしさ、良いよね?約束だよ?」
「あ、おう…」
少し強引に約束を取り付けた菊菜。しかし、香の方はこれ以上何かしてくることはなくても、光がどう思っているのか、それがわからなかった。…と言うより、知りたくなかった。聞いたら、一番聞きたくない言葉が返ってきそうで怖かった。
言葉を変えれば、菊菜はわかっていた。光が香のことをどう思っているのか。自分と香がもし告白したら、どちらが選ばれるのか、光はどっちが好きなのか、本当は知っていた。それでも、香が、菊菜の”お願い”通り、これ以上光に触れないでいてくれれば、距離を取ってくれれば、自分が近くにいれば、光の気持ちも変わるかも知れない…。そんなわずかな希望にこの恋の行方を委ねるしかなかった。それは、もうお姫様でも、人気モデルでも、ミスS高でもなかった。たった一人の恋をする女の子として、好きな人に好きになってもらいたい…唯それだけだった。
しかし、たった一人の女の子は菊菜だけではなかった。香も、約二週間、光と会っていないだけで、心はひび割れ、喉が干からび、瞳が生気を失い、まるで廃人のように、地味がより地味に、つまらない子がよりつまらない子になっていた。
あんなに外の景色に敏感で、感受性の高い香が、校庭に敷き詰められた枯葉の絨毯にも気付かないくらいだった。
光を避け始め、ちょうど二週間が経った頃、いつものように、部活が始まった後に登校した香。…の背中から、もう何十年も聞いていなかったかのような、懐かしさと、愛おしさであふれる声が聴こえた。
「葉月!」
その声に振り返ると、
「…夜与さん…」
「久しぶりだな!何?いつもこんな遅い時間に来るよういしたのかよ?なんで?」
「…」
久しぶりの光の顔と声に、この二週間ため込んで来た想いが爆発して今にも”好きです”と言いそうになった。
「なんだ?どした?」
光の真っ直ぐな瞳を目の前に、震える頬と目に溜まる涙。”大丈夫”も”話しかけないでください”も言えなかった。一言でも何か発したら、菊菜から頼まれたことも、本当は自分も光が好きだと言うことも、全部防波堤を飛び越え、流れ出してきそうだったからだ。
それでも、無言でこの場を立ち去ることも出来なかった。何処にも逃げ場がなくなった香はつい、
「ごめんなさ―――い!!」
と、大声で泣き出してしまった。そして、場所を裏庭に移すと、菊菜が自分に言ったことをすべて話してしまった。プライドの高い菊菜が頭を下げ、敬語まで使ったことも、包み隠さず。
「そっか…美崎が…」
光も、菊菜の気持ちに気付いていなかった訳ではなかった。けれど、何処か、本気じゃないんじゃないか…と思っていた。
「き…菊菜ちゃんのこと、悪く思わないでくださいね」
「わかってる。美崎を追い詰めたのは俺だよ」
「…はい。菊菜ちゃんは、本当に夜与さんのことが好きなだけなんです。あ、後、菊菜ちゃんは誤解してたみたいですけど、私が夜与さんを…好き…と言うのは、えっと…つまり、と、友達としてでして…それでも、菊菜ちゃんには不快な存在なんです、私。すみません…」
「なぁ、本当に前から気になってたんだけど、葉月ってなんでそんなに美崎のこと好きなの?なんか深い恩でもあんの?」
それは、光が菊菜と香の関係を見ていて、ずーっと纏わりついていた疑問だった。
前に、”菊菜ちゃんの奴隷なら喜んでします!”と言ったり、”菊菜ちゃんは完璧な人だ”的なことを言ったりしていたのを聞いてから、ずっとずっとわからない難問だった。
「菊菜ちゃん…私たちが幼稚園の時、お姫様ごっこをしてて、お姫様が菊菜ちゃんで、召使が私だったんですが、夜与さんがつなぎ合わせてくれた写真を見て言ってくれたんです。『やっぱり、最後には召使がシンデレラになれるんだよね』って。私には最大の賛辞でした。私があの写真を持ち歩いていたのは、菊菜ちゃんがそう言ってくれたからなんです。とても…とても嬉しかった…」
「へー…。そうだったんだ。なるほどな」
光は、やっと二人の関係が見えた気がした。
「あ…後、これは私にもわからないんですが、前に、菊菜ちゃんが言ってくれました。『香は花火で言うなら線香花火だ』って」
「なんで?それも誉め言葉?」
「わかりません。でも、菊菜ちゃんはそんなに皆さんが思う程お嬢様気質でもありませんし、繊細で、優しい人なので、きっとこれも誉め言葉をもらったんだ、と思っています」
「じゃあ、その謎、今度の秋祭りでわかるかもな」
「へ?」
「祭り、行く約束したんだよ。もちろん二人きりじゃなくて、クラスの奴誘って行くけど」
「そう…ですか。あ…の…このこと、菊菜ちゃんには… 」
「言わねーよ。美崎が俺のことそんなに想っててくれてたなんて思ってなかったし。傷つけるようなことしたしな。でも、葉月、ごみ捨ては来い!」
「はい…。ありがとうございます」
そう言うと、二人はそれぞれの教室に戻った。
教室に入るなり、光は菊菜に話しかけた。
「なぁ、秋祭り、誰と誰誘う?」
「え?行く気になった?」
嬉しそうに、菊菜が高い声を上げた。
「あぁ。でさ、ちょっとその時、聞きたいことがあんだけど、良い?」
「今でも良いよ?」
「イヤ、祭りで聞きたいんだ」
「フーン…そう。ま、良いや。気乗りしてなさそうだったから、心配してたんだけど、行く気になってくれて嬉しい!」
その屈託のない笑顔を見て、香の言ってた”良い人”と言う言葉が少し理解出来た光だった。
中間テストを終え、後は中間休みを待つばかりとなった。
「あー秋祭り、楽しみだね!光!」
「あぁ。井田と河合、行くって」
「うん。こっちも加奈子と明日佳誘っといたよ。じゃあ、七時に御神木の前でね」
「おう。じゃあ、俺ごみ捨てて帰るわ」
「あ…」
「ん?」
「あ、ううん。あたしたちはもう帰ろうか、加奈子、明日佳」
「うん!菊菜、帰ろう!」
ぞろぞろと二人を引き連れ、菊菜は教室を後にした。
「お、来たな!」
「あ、夜与さん。お久しぶりです」
「今朝会ったばっかじゃん」
「いえ、ごみ捨て場で…と言う意味でして…」
「そうだな。…なぁ」
「はい?」
「俺のこと、嫌ってないよな?」
「き…嫌いなわけないじゃないですか。夜与さんは男版菊菜ちゃんですから」
「ふっ。了解!」
「?」
二人はしばらく二週間を埋めるように語らうと、教室に戻った。
その光景を、菊菜は、遠く遠くから見ていた…。
―秋祭り当日―
「おう!全員揃ったな!じゃあ、出店でなんか食おうぜ」
「うん!私たこ焼き食べたい!」
光の隣には菊菜が陣取り、腕を離さなかった。ワイワイとしばらく出店を楽しんだ。つつがなく出店を見終えると、いよいよ花火の時間が来た。
「ここ!ここ特等席なの!穴場なんだよ!」
御神木がある林を少し上った小高い丘の上。穴場だと言うだけあって、菊菜と光のグループ以外、誰もいなかった。そして、打ち上げ花火が始まった。
ヒュ―――……ド――――ン!!
次々上がる打ち上げ花火は、なんとも言えず綺麗で、迫力満点だった。
「おぉ!すげー!!」
六人はその迫力に、圧倒された。
三十分続いた打ち上げ花火も終わり、
「じゃあ、帰ろうか」
と菊菜が言おうとした時、光が誘った河合が、
「ちょい待ち!俺、これ持って来たんだよね!」
と、トートバッグの中からナイロン袋を取り出した。
線香花火だ。
すると、菊菜の顔が変わった。その菊菜をよそに、河合だけではなく、加奈子たちも、
「やっぱこれだよねー」
「だね」
などと言いつつ、線香花火を楽しそうに光らせていた。
「やっぱり…最後は線香花火よね…」
ボソっと菊菜が呟いたのを、光は聞き逃さなかった。
みんなから少し離れて、
「なぁ、何?今の。最後は線香花火…って」
「昔からそうじゃない?いくら大きな打ち上げ花火が上がっても、最後にみんなの心に残るのは昔ながらの線香花火なのよ。打ち上げ花火がハートや星になっても、線香花火は昔のままなのに…。まるで、地味だけど、人の心をつかんで離さい香みたい…」
「…!」
「好き…なんでしょ?香のこと」
「美崎…」
「あぁあ!やっぱりあの子には敵わない!シンデレラになれるのも、最後にみんなの心をつかむのも、地味だけど、一生懸命な香みたいな子なんだよ!」
離れた線香花火だけの光で見えにくかったが、菊菜は泣いていた。
「美崎…。俺、お前のこと、見直したぜ?実は、美崎が葉月に頭下げたこと聞いたんだ。それくらい、俺みたいな奴、想ってくれてありがとうな。美崎には、もっ良い奴見つかると思うぜ?」
慰めになるかわからなかったが、そう言うのが、光には精一杯だった。
「香、頼んだからね」
「うん。でも。俺、菊の打ち上げ花火もやっぱり良いと思うよ」
「…。帰る。じゃあね」
「あれ?菊菜、帰っちゃうの?」
「ん?夜与、どうした?」
みんながざわつく中、菊菜はその声に何も返すことなく、後ろ姿だけ気丈に、涙いっぱいで秋祭りを終えた。
泣きながら、家路を辿っていると、菊菜の家の近くの街頭の下に、香が立っていた。
「…何?香。私の負け面でも見に来たの?」
「ううん。私、あの写真、捨てたよ。菊菜ちゃんが、シンデレラになれるって言ってくれたあの写真。あれ無くても、もう大丈夫だから」
「…」
「私、もう少し、頑張ってみるね。あの言葉が、あたしの中で一番大切に出来た言葉だったから。あの言葉に負けないくらい、今度は自分が自分を大切に出来るようになれるように」
「…あんた、本当むかつく。本当に…可愛くて…むかつく…」
泣きじゃくる菊菜を香が抱き締めた。
「ありがとう。菊菜ちゃん」
二人は最高の友達で、最高のライバルだったのかも知れない。
それを肌で感じながら、二人は泣きながら、お互いを認め合った。
「おっす!葉月!」
「おはようございます。夜与さん」
「”あれ”、本当に誉め言葉だったよ」
「へ?”あれ”?」
「線香花火!」
「あ…」
「秋祭りの日、美崎言ってた。最後に心に残るのは線香花火だって。人の心をつかんで離さないって言ってた」
「菊菜ちゃんが…」
「お前ら、お姫様や召使、通り越してたんだな!」
「はい!菊菜ちゃんにまた大切な言葉もらっちゃいましたね。私、頑張ります!」
「何を?」
「夜与さんにもその内わかっていただけるように…です!」
香は、屈託なく笑った。