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第9話 住む世界、澄む世界

「ほら、エリナも一つ取ってくれ」


 俺が自分の弁当箱を寄せてやると、気落ちしていたエリナはパッと明るい顔になった。

 まったく、せわしないやつだ。

 たかが食い物一つでコロコロ表情を変えて疲れないのだろうか。


「どれでもいいんですか?」

「ああ」

「一番大きいのを取ったら怒りませんか……?」

「怒らない。ってかどれも大差ないだろ」

「では失礼して、と」


 エリナが箸を伸ばす。

 食い意地が張っていると思われなくなかったのか、一番大きい唐揚げは選ばなかった。


 こうしてトレードは成立した。

 エリナはいったん箸を置くと、両手を合わせて言った。


「――いただきます」


 俺はいつも一人飯だから、食前の挨拶なんていちいちしているわけもない。


「……いただきます」


 が、見事につられてしまった。

 さすがに箸を置いて合掌はしなかったが。


「さっそくタクトの唐揚げから食べてもいいですか?」

「いいけど、あまり期待されても困るぞ」


 エリナが唐揚げを口に運ぶ。

 べつに俺が作ったわけでもないのに、なぜか妙に緊張してしまった。

 ぱくり。マナー講座のお手本になるような綺麗な食べ方だった。


「うんっ! 下味がしっかり効いていて美味しいです! これはショウガとニンニクですねっ」


 お世辞でないことはエリナの幸せそうな顔を見れば一目瞭然だ。


「うちの母親が聞いたら喜ぶだろうな」

「はいっ、とても美味しかったとぜひお伝えください」


 さすがにそれは安請け合いしかねる。

 俺が女子と弁当のおかずを交換したなんて知ったら……母親は上へ下への大騒ぎになるだろうからな。


「タクトもどうぞ召し上がってください」

「ん、それじゃ――」


 ハンバーグを箸で二つに割る。

 上にはデミグラスソースと、粉チーズらしきものがかかっていた。

 口に放りこんで咀嚼する。


「どうですかっ?」

「やたらと美味いな。なんていうか、俺の知ってるハンバーグとは肉質が違う気がする」

「そうなんです! お姉ちゃんのハンバーグは牛肉一〇〇パーセントなんですよ。そして味の決め手が上にふりかけてあるパルミジャーノ・レッジャーノです」

「パルミ……なんだって?」

「イタリア産のハードチーズです。ピザやパスタやサラダにかけても美味しいんですよ」


 エリナは自分のハンバーグを口に運んだ。


「んんーっ! やっぱり最高です!」


 片手で頬を押さえる。

 本当に幸せそうな顔で、思わず俺は目を奪われてしまった。


「タクト、どうかしました?」


 エリナがきょとんとする。


「あ、いや、箸の使い方が上手いと思って」

「もうっ、当たり前じゃないですか。わたしは生まれも育ちも日本なんですよ?」

「日本人でも持ち方が変なやつはいるだろ」

「そうかもしれませんけど……」


 エリナは少なからず不満そうだった。

 容姿に対するコンプレックスなど皆無だと思っていたが、外国人あつかいされることがひそかな悩みなのかもしれない。


「ところで、そろそろ動画流してもいいか」

「もちろんです。今日はなにを観るんですか?」

「これだ」


 俺は机に立てかけたスマホを操作した。

 動画アプリを起動し、目当てのアニメの再生を開始する。


「『異世界医療探偵エノク』ですか! わたしも一話からずっと観ています!」


 いま流行りの――というか、すでに定番のジャンルとなりつつある「異世界転生もの」だ。

 タイトルが示すように、主人公エノク・ゲオルギウスは医者。

 ただし外科医ではなく内科医、それも総合診療医という点が異色だ。

 主人公は神業的な手術で患者を直接治すのではない。

 原因不明の病気に診断をつけ、治療方法を確定させるというのが大まかな筋立てだ。

 医療ものでありながらミステリー要素の強い作品、ゆえに「医療探偵」の名を冠している。


 食事をつづけながらアニメを観る。

 いざ本編が始まると、エリナはじっと画面に集中した。

 ただし静かになったわけじゃない。


「おおっ!」「なるほど……!」「それは予想外でしたっ!」「そんな、ひどいですっ……!」


 等々、ストーリーに動きがあるたび相槌を打つ。

 それでもうるさいとは感じないのは、エリナの声が相変わらず透き通っているからだろう。

 当然ながら行儀も良く、口に物を入れているときは決して喋らなかった。


 ひと足先に弁当を食べ終え、ほどなくしてアニメもエンディングを迎えた。


「エリナ、アニメ観るときはいつもそんな感じなのか?」

「そうですけど……も、もしかしてうるさかったですかっ?」

「いや、べつに気にはならなかった。ただまあ、俺とはだいぶ視聴のスタイルが違うから驚いたな、最初は」

「タクトはずっと黙って観ていましたよね。面白かったですか?」

「ああ。俺のこの作品の評価はかなり高いぞ。今回の話も出来が良かった」


 せっかくなので語ることにする。


「医学の知識がなくても問題なく楽しめるし、毎回必ず意外なオチが用意してあって感心する。今回の話も、まさか患者があんな秘密を隠し持ってるなんて思いもしなかった。あとはなんと言っても主人公のキャラが最高にいいな」

「そうでしょうか……?」


 そこでエリナが疑問を投げかけた。


「わたしもお話はとても面白いと思います。けど、主人公エノクの性格だけはどうしても好きになれません」

「たしかに王道とはかけ離れてるし、はっきり言ってクズだと俺も思うが、異世界ものにありがちな無個性テンプレ主人公にくらべたらはるかに魅力的じゃないか?」

「患者さんを見下すし最初から嘘をついていると決めてかかる。人の命がかかっているのに診断はいつもゲーム感覚。誰に対しても傲慢なのに『天才だから』という理由だけで結局最後は許されて反省もしない。やっぱりわたしには魅力的には思えません……」

「ふむ。俺としてはそのあたりが逆に痛快なんだがな」


 俺とエリナの評価はまったくの正反対。

 その理由もなんとなくわかるような気がした。

 ――飛び抜けて優れた人間はなにをしても許される。

 どれだけ傲慢に振る舞おうと周囲がそれを許してしまう。

 俺のような凡人が同じことをすれば社会的な死はまぬがれない。

 だがエリナなら――もし傲慢に振る舞ったとしても許されてしまうのではないか?

 そのあたりの立ち位置の差が「痛快」に感じるか「嫌悪」を抱くかの違いになるのかもしれない。

 いずれにせよ、俺としては主人公の評価でこれ以上の論争をする気はなかったが、


「でも……。タクトの言うことがやっぱり正しいんでしょうか」


 これは聞き捨てならない台詞だった。


「アホか。作画やストーリーの良し悪しならともかく、キャラの好き嫌いでひとの意見に流される必要はないだろ」

「そ、そうなんですか?」

「そうだ。そもそもエリナは声優なんだし、自分の感覚に自信を持ったほうがいいんじゃないか」

「と言われましても、わたしはまだまだ勉強中の身ですから……」


 エリナは自信なさげに笑った。

 ふと思う。せっかくだから聞いてみるのも悪くないか。

 俺は弁当箱を片づけながら、さりげなさを装って訊ねた。


「そういや、エリナはどうして声優になったんだ?」

「それはですね、もちろん子供のころからアニメが好きだったからです!」


 エリナは明るさを取り戻して答えた。


「特にわたしはキャラクターの真似をして遊ぶのが大好きでした。だから実際には人が声をあてていると知ったとき、自分もそうなりたいなって漠然と思ったんです。将来の職業として本気で声優になりたいと考えるようになったのは中学一年生のころですね」

「それで高一でデビューしちまうんだから、まあ凄いよな」


 全国に声優志望の女子高生がどれほどいて、そのうち何人が実際に夢を叶えるのかという話だ。

 しかし、どうしてかエリナの顔には気まずそうな色が見て取れた。


「いえ、わたしなんて運が良かっただけで、実力でデビューできたわけじゃありませんから」

「というと?」

「実はですね、アリサお姉ちゃん――あ、実際にはわたしの姉ではなく従姉妹なんですけど、身内が

芸能関係の仕事をしているんです。タクトは英字表記でALISAという名前の現役女子高生モデルを知りませんか?」

「全然まったく聞いたこともない」

「そ、そうですか。けっこう人気があるはずなんですけど……。とにかくですね、そのお姉ちゃんの人脈で声優事務所を紹介してもらったんです」

「なるほどな。でも、べつに気にする必要はないんじゃないか。そういう運の良さや周りの環境をぜんぶ引っくるめたのが『実力』だろ」

「けど、やっぱり声優の実力は『声』と『演技力』です。わたしはそこで評価されたいんです……!」


 思っていたよりもはるかに、エリナは声優の仕事に対して真剣なようだ。

 現状にあぐらをかくことなく、高い理想を追い求めている。

 その姿は俺には少々まぶしく見えた。

 なぜなら俺は、自分がなにもない、何者でもないことを自覚していたからだ。


 あらためて思う。

 前より強く深く実感する。

 ――水澄エリナは、やはり別世界の住人だ。

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