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第8話 地上の神域

「こ、ここですか?」


 階段をのぼった先で、エリナは思ったとおりの反応を示した。


「ここで毎日お昼を?」

「そうだ」


 こともなげに俺は答えた。

 ……断っておくが男子トイレじゃないぞ。

 俺たちがいまいる場所は、教室棟の屋上へとつづくドアの前だった。

 もちろんここには小洒落たテーブルもなければ、座り心地のいい椅子もない。

 となれば当然、壁に背をあずけて床に直接座るしかない。

 男の俺は気にならないが、女子の、それも間違いなく育ちのいいエリナにはかなり抵抗があるようだった。


「どうしてこんな場所で?」

「周りに誰もいなくて学校の中じゃ比較的静かだからな。ここでスマホでアニメ観ながら飯を食うんだよ。一人でな」


 最後のひと言を強調する。

 悪いことは言わないから教室に引き返せと、言外に伝えたつもりだった。

 が、ここでもエリナは俺の予想の上をいった。


「つまり、周りに誰もいなくて静かな場所ならいいんですよね?」

「そうだが……」


 そんな場所は校内のどこにもない。

 教室はもちろん、中庭のテラスもベンチもつねに混み合っている。

 それがこの学校に一ヶ月通った俺の結論だ。

 転校してきて二日目のエリナが、未知のスイートスポットを発見できる道理はないはずだが、


「でしたら、もっといい場所がありますよ。ついてきてください」


 エリナは自信満々に言って階段を下り始めた。


   ◇◇◇


 エリナが足をむけたのは、今朝俺を連行した礼拝堂だった。

 ところで、ここ私立パナギア学院は全面的にハイテク化された学校だ。

 校内には多数の防犯カメラが設置され、特別教室や部室はすべて電子ロックで管理されている。

 学生証はIDカードを兼ねていて、たとえば野球部員なら野球部の部室に自由に出入りできる仕組みだ。

 礼拝堂もふだんはもちろんロックがかかっている。


「エリナ、言っておくが礼拝堂は無理だぞ。中には入れない」

「大丈夫です。ええと、通用口は裏のほうですよね」


 通用口のドア。その横のカードリーダーに学生証を触れさせる。

 ――ピッ。ガチャッ。

 ドアはあっさりと開いてしまった。


「……嘘だろ。なんで入れるんだ」


 ――人のみならず機械までもが女神の威光の前には屈してしまうのか。

 もちろん実際にはそんなわけがあるはずもなく、


「実は父方の叔母がこの学校の教頭先生なんです。わたしが転校してきたのもそのつてでして」

「そういう事情か。でもなんで礼拝堂なんだ?」

「叔母が気を利かせてくれたんです。昼休みにボイストレーニングや台本を読む練習がしたい時は、礼拝堂の一室を自由に使っていいと」


 エリナが足を止めたのは「談話室」と書かれたドアの前だった。

 同じように学生証でロックを解除。

 ドアを開けて中に入る。

 センサーが入室を検知し、照明と空調が作動した。


「上履きはここで脱ぐみたいですね」


 意外なことに、中は畳敷きの和室だった。

 広さは十畳ほどで窓はない。中央には座卓が置かれ、壁際には本棚。

 四三インチの液晶テレビも設置されていた。


「教頭も太っ腹だな」


 職権濫用とまではいかなくても、身内びいきのそしりは免れまい。

 まあ、エリナみたいな飛び抜けて可愛い姪っ子がいたなら、可能な限り便宜を図りたくなるのが親心ならぬ叔母心なのかもしれないが。


「にしても、なんで礼拝堂の中に和室なんだ?」

「日本の教会にはけっこうあるみたいですよ。それよりもタクト、どうです、気に入ってくれましたか?」

「そりゃまあ――」


 あらためて室内を見まわす。

 礼拝堂内には俺とエリナしかおらず、校内の喧騒は完全に遮断されている。

 前述のとおり座卓はあるし、座布団と背もたれのついた和座椅子も用意されいる。


「いつもの場所にくらべたら天国みたいだが」

「良かった! それじゃここで食べましょう」


 エリナがドアを閉める。

 ガチッ。オートロックが作動し、談話室は完全な密室となった。

 

 ――エリナと密室で二人きり。

 いくらなんでも、さすがに意識してしまう。

 不健全を自称する俺だが、生物的には間違いなく男に分類される。

 そして、この状況を「据え膳」と捉えるほど致命的に頭が悪くはないつもりだった。


「いや、でも、本当にいいのか? マズいんじゃないか、その、いろいろと……」

「大丈夫ですよ、無断使用ではないですし。わたしも一人で使うのは気が引けましたが、二人でならいいんじゃないでしょうか」


 そういう話じゃないのだが。

 エリナはもう畳に上がって、和座椅子を座卓にセットしている。

 その背中に警戒感は微塵もない。

 ……ある意味、当然か。

 俺を少しでも男として意識しているなら、こんな場所まで連れてくるわけがない。

 つまり、一人で勝手にうろたえている俺が馬鹿みたいだということだ。

 そしてここで「俺に襲われたらどうするつもりだ」などと訊いたら最後、正真正銘の馬鹿になってしまう。

 なるようになれ、という気持ちで俺は畳の上にあがった。


「ところでエリナ、その座椅子の並べ方はおかしくないか」


 どういうわけか横に二つ並べてある。


「え? だって、アニメを観るって言ってましたよね」

「そうだが」

「この並びじゃないとわたしも一緒に観れません」


 一緒に観ることはすでに決定事項になっているらしい。

 まあ俺としてもふだんのルーチンを崩したくはないし、食事をしながら会話を盛り上げる自信はこれっぽっちもなかった。


 座椅子に座る。俺はあぐら、エリナはきっちり正座した。

 鞄から弁当袋と水筒を取りだす。

 横目で見ると、エリナは妙に上機嫌だった。


「なんだか楽しそうだな」

「それはもう。お昼ご飯は学校生活で一番の楽しみですからっ」

「…………」

「あっ! もしかしていま、子供みたいだって思いましたっ?」

「いや、思ってないぞ」

「嘘です。その目は絶対にそういう目です」


 見透かされてしまい、俺は正直に答えることにした。


「俺はこう思っただけだ。まるで男子小学生みたいだな、と」

「同じじゃないですか! それなら訊きますけど、タクトが学校生活で一番の楽しみにしていることはなんですかっ?」

「それは――」


 考えたこともなかったが、強いて挙げるとすれば、


「昼休みに一人でアニメ観ること、か?」

「ほら、タクトだってわたしと大差ありませんよ」


 なぜかエリナは勝ち誇った顔になった。

 そのまま弁当箱のフタを開ける。

 と、サファイアブルーの瞳が歓喜に輝いた。


「今日も美味しそう……! さすがはアリサお姉ちゃんですねっ!」


 金髪碧眼の帰国子女のランチ。

 小洒落たサンドイッチかなにかが出てくるだろうと勝手に思っていたが、意外にも米飯とおかずを組み合わせた日本式の弁当だった。

 しかも、ハンバーグ、卵焼き、炒めたソーセージにほうれん草の胡麻和えと、王道をいくラインナップだ。


「タクトのお弁当もいいですね。その唐揚げなんて特に美味しそうです」

「そうか? 昨夜の残り物のオンパレードだぞ」


 といっても、べつに不満があるわけじゃない。

 俺の食事に対するスタンスは単純にして明快。

 食えないほど不味くなくて、量が充分なら特にこだわりはなかった。


 と、エリナは俺の弁当をジーッと見つめて、


「タクト、ものは相談なのですけど――ここはお近づきのしるしに、おかずを一つずつ交換するというのはどうでしょうか?」

「べつに構わんが」


 つくづく物好きなやつだなと思いつつ、俺は安請け合いした。


「やった! では、わたしはその唐揚げをもらいますね。タクトはどうしますか?」

「なんでもいいが――ならそのハンバーグで」

「っ!」


 とたんにエリナは固まった。

 さてはこいつ……一番の好物を要求されて動揺しているのか?


「駄目ならべつのにするか?」

「い、いえっ! 大丈夫です、なにも問題はありませんっ」


 エリナが弁当箱を差し出してくる。


「さあどうぞ、ひと思いにやっちゃってください!」

「ひと思いにって……。まあ、いいならもらうぞ」


 俺は箸を伸ばして、小ぶりなハンバーグを一つ取った。

 エリナはその箸の動きを切なそうに見つめていた。

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