第7話 女神のいる日常
予鈴が鳴る。
さすがにもう教室に引き上げなければならない時間だ。
「とにかく、きのうのことはもう終わりにしましょう。わたしも以後は取り乱さないように気をつけますから」
これ幸いにと、話を切り上げようとする水澄。
だが俺は待ったをかけた。
「いや、もう一つだけ言わせてくれ。『魔眼のコントラクター』に対する俺の感想なんだが……」
言いにくことだが、言わなければいつまで経っても胸のモヤモヤは消えないままだ。
実は水澄が声優であるという仮説を立ててから、ずっと小骨のように引っかかっていたことだった。
「出演してる声優が宝の持ち腐れだとか、こんな内容じゃ演技のしようがないとか言ったことは撤回する。……その、なんだ、詳しいわけでもないのに知ったかぶりして悪かった」
「――意外です」
水澄は大きな瞳をぱちくりさせて言った。
「無門さんは自分の意見は絶対に曲げない人だと思っていました」
「あのなぁ。ってか、きのう会ったばかりなのに俺の人物像はもう固まってたのかよ」
「それはもう。なにしろ最初があれでしたから」
でも、と水澄は言う。
「今日こうして話せて良かったです。おかげで無門さんのことがいろいろとわかりました」
ちょうどそのとき、雲の隙間から陽光が射しこみ、水澄のプラチナブロンドの髪がキラキラと輝いた。
顔には屈託のない笑み。こちらも光を浴びて輝いているように見えた。
……まったくもって不可解だ。
これほどの美少女が俺のクラスメイトで、隣の席に座っていて、そのうえ――
「無門さん。わたしと友達になってくれませんか?」
こんなことを言ってくるなんて。
「友達って、なんで――?」
「なりたいからですけど……ダメ、ですか?」
必殺の上目づかい。
これを無意識にやってくるのだからつくづく末恐ろしい。
なぜ水澄がこんな申し出をしてきたのかはわからない。
女神の気まぐれとでも考えるしかないだろう。
問題は俺だ。俺自身はどうなのか?
友達が絶対に必要だとは思わない。が、無用の長物と考えているわけでもない。
となれば答えは一つ。
「まあ、べつにいいけど――」
「やった! あらためてよろしくお願いしますね、タクト!」
「っ……!?」
不意打ちを喰らって、とっさに俺は言葉を返せなかった。
「それじゃ教室に戻りましょうか。――どうしました、タクト? 急がないと朝のホームルームに遅れちゃいますよ?」
「お、おう」
どうやら水澄エリナの公式では、友達=名前で呼ぶ間柄、となっているらしい。
ひとまず納得し、遅れて俺も歩きだす。
なにがそんなにうれしいのか、少し前を行くプラチナブロンドの髪はかろやかに揺れていた。
◇◇◇
あらかじめ言っておくが、俺は事前に諫言した。
二人で連れ立って教室に戻るのは避けたほうがいい、と。
ところが当の女神様は、
「どうしてです? そんなことしてたら本当に遅刻しちゃいますよ」
と言って聞き入れてくれなかった。
そんなわけで俺たちは二人で堂々と教室に入った。
逢引してきたカップルよろしく。
当然、クラス中から好奇と懐疑の視線を一身に集める結果となった。
なにしろ俺たちが教室を出て行ったときの状況が状況だ。
それなのに水澄は嘘のようにニコニコしていて、俺はといえばばつの悪そうな顔をしている。
なにがあったのか知りたい、と思うのは不可避の欲求だろう。
静まり返った教室の中、周囲の視線などどこ吹く風で水澄が着席する。
その段になって、ようやく俺の前の席の女子が口を開いた。
「ね、ねえ水澄さん。なにがあったの……?」
「なにって、タクトと友達になっただけですよ。ねえタクト?」
俺は自分の机の椅子を引きながら答えた。
「ああ、まあ」
答えながら着席する。
それが合図になったかのごとく教室がざわめきだした。
「えっ、なに、どういうこと……?」
「友達って……嘘だろ?」
「ぜんぜん意味わかんないんだけど……」
「いやでも、水澄さんがああ言ってるんだし……」
誰も彼も、狐につままれたような、もしくは白昼夢でも見ているような心地でいる。
ま、せいぜい無駄に知恵を振りしぼるといい。
だが望む答えが出ないからって抗議は受けつけないぞ。
なにせ当の俺自身、なぜこうなったのかよくわかっていないんだからな。
◇◇◇
学校生活における「友達」の定義。
それは「休み時間ごとに話をする相手」と言い切っていいだろう。
水澄エリナも俺と同じ考えだったらしく、
「それにしても、タクトは背が高いですね。何センチあるんですか」
友達宣言してからというもの、休み時間になるたび俺に話しかけてきた。
「前に測ったときは一八五だったな」
「わたしより二〇センチも大きいんですか。タクト、ちょっと立ってみてください」
「なんでだよ面倒くさい」
「立つだけなんだから面倒くさくないですよ。ほらっ」
「お、おいっ、わかったから引っ張るな!」
腕を引かれて立たされる。
「ほら、立ったぞ」
「猫背になってるじゃないですか。背筋をちゃんと伸ばしてください」
こうなっては従うしかない。
俺は言われるがまま背を伸ばした。
「これでいいか?」
「おおー、やっぱり大きいですねえ」
水澄は俺の頭の高さまで手を伸ばす。
「無駄にでかくても得なことなんか一つもないぞ。ドアの上に頭をぶつけそうになるし、冬は布団から足がはみ出て寒い」
「そうですか? わたしは高いほうがいいと思いますけど」
それは自分の身長に関する希望なのか、それとも彼氏に求める条件なのか。
いずれにしても俺には関係ないことだが。
……あらためて言うまでもないが、この寸劇の観客はクラスの全員だ。
どいつもこいつも、信じがたいものを見るような目つき。
女子たちは「理解不能」の一色だが、男どもはその上に「嫉妬」のトッピングが山盛りだった。
正直言って奇妙な気分だ。
他人の陰口や悪口には慣れている俺でも、これにはちょっと面食らってしまった。
「もういいか。座るぞ」
「はい。ありがとうございました」
しかし、笑顔で礼まで口にされては、水澄に恨み言をぶつけるわけにもいかなかった。
◇◇◇
昼休み。
水澄は教科書をしまうとさっそく訊いてきた。
「タクト、お昼はお弁当ですか?」
「そうだけど、水澄は?」
俺は何気なく聞き返した。
……そのつもりだった。
ところが、あにはからんや、女神様は急に不機嫌な顔になってしまった。
「タクト。わたしたちは友達ですよね? だったらそんな他人行儀な呼び方はないんじゃないですか?」
友達は他人だろ、なんてツッコミが許されるような雰囲気ではなかった。
「……べつに呼び方なんてどうだっていいだろ」
「どうでもよくありませんっ」
ついには拗ねたようにそっぽをむいてしまう。
「お、お前なぁ」
「わたしは『お前』なんて名前ではありませんけど」
ツーン、という擬音が聞こえそうな態度。
俺とは目も合わせようとしない。
これは……彼女が望む言葉を口にしない限り、てこでも動かなそうだ。
仕方ない。やれやれと嘆息して、俺は言った。
「なあ、エリナ」
かくして言の葉は天に届いた。
「はいっ! なんですか、タクト」
極上の笑みでふり向くエリナ。
こいつは――なんというか、本当に反則級だとあらためて思う。
「いや……なんですかって、エリナが昼は弁当かどうかを訊いて、俺がそうだと答えて聞き返したとこだったはずだぞ」
「そうでした。わたしもお弁当なので一緒に食べましょう」
今日一日で俺はだいたいわかってきた。
わかってきたというか、思い知らされていた。
なんだかんだいって、俺もクラスのほかの連中と大差ない。
人である以上、結局のところ女神の意向には逆らえないのだ。
「俺は教室では食わんぞ」
「いいですよ。タクトに合わせますから」
「やめておいたほうがいい。間違いなく後悔する」
「後悔だなんて、そんな大げさな」
さっそくエリナは鞄を手にして席を立っている。
俺と一緒に昼飯を食うことは、彼女の中でもう決定事項のようだ。
「さあタクト、早くいきましょう」
「物好きなやつだな」
「なにがです?」
まあいいか。
実際に行けば俺の忠告の意味が嫌でもわかる。
俺も鞄を取って席を立った。
エリナをエスコートして教室を出る。
相変わらず俺たちはクラス中の注目の的だが、はやくも気にならなくなってきた。
人間の環境適応能力はまことに素晴らしいな。