第6話 プラチナの触媒作用
……こいつ。この女は。
この期に及んでまだしらを切るつもりか。
呆れてものが言えない、と言いたいところだが、これはもう徹底的に論破してやるしかない。
俺は開戦の口火を切った。
「水澄よ。お前の演技力はたいしたもんだ。そこは俺も感心する」
「本当ですか? ありがとうございます」
笑みをくずさずに応じる水澄。
女神の微笑で幻惑されそうになるが、この反応も実は妙だ。
「演技力がある」と言われて褒め言葉として受け取るやつはまずいない。
女であればなおさら。「腹黒」とか「猫かぶり」と揶揄されているに等しいからだ。
もっとも、演技を生業としている人種なら話は違ってくるが。
「だが、嘘をつくのはどうしようもなく下手だな」
「えっ? あの、嘘と言うのは一体……?」
水澄の口元がわずかに引きつる。
そういうところも「下手」なのだが、枝葉末節にツッコむのは後回しだ。
まずは嘘の大樹を切り倒す。
「俺をここまで引っ張ってきておいて『なんのことでしょうか?』はないだろ。お前の行動がなによりの答えだ。隣の席のやつが声優だなんて正直半信半疑だったが、いま俺は自分の考えが正しかったと確信しているぞ」
「そ、それはっ……」
「だいたい、きのうの時点でお前の行動はおかしかった。アニメを観ていた俺に話しかけたのも奇妙なら、そのアニメを貶されたくらいで泣きだすのは輪をかけて意味不明だ」
「わ、わたしは泣いてなんか……」
水澄の顔はじょじょにうつむいていき、声は弱くか細くなっていく。
「だが、声優として出演していたなら説明がつく。しかも端役とはいえデビュー作とくれば思い入れが強くて当然だよな」
「ぅ……」
「実を言うと、最初からお前の声には聞き覚えがある気がしてたんだ。もちろんその時点じゃ『魔眼のコントラクター』のことなんかまったく頭になかったがな。気がついたのはお前と話した直後だ。それがなかったら、一カットしか出てこないモブキャラのセリフなんか気にも留めなかったと思うぞ」
「うぅ……」
「で、もう一度訊く。水澄エリナと声優のELINAは同一人物なのか?」
「うぅぅっ……」
結局のところ俺が持っているのは状況証拠のみ。
事実を確定させるには水澄本人の証言を引き出すしかない。
ここまで外堀を埋めればさすがに観念して認めるはず。
まさかこんな場所まで連行されるはめになるとは思わなかったが、当初の目的を果たせるなら良しとしよう。
「誰にも――」
水澄が口を開く。
と同時に、彼女は思いもよらぬ行動にでた。
「誰にも言わないでくださいっ! なんでもしますからっ!」
俺の片腕を両手で掴み、上目づかいに見つめてくる。
リフレイン。またしてもサファイアブルーの瞳は涙をたたえていた。
「な、なんでもって……」
危険極まりないセリフに心臓の鼓動が加速する。
反射的に制服の下の大きな胸に目がいってしまい、あわてて俺は視線をそらした。
「誰にも言うつもりはないから安心しろ。俺はただ自分の推理が合ってるか確認したかっただけだ」
「ほ、本当ですかっ?」
「ああ。だいいち俺には話す相手がいない。自慢じゃないが友達ってものには縁がないからな」
「ネットの掲示板やSNSには……?」
「それこそ杞憂だ。仮に『声優のELINAは実は俺のクラスメイト』って書いたところで誰が信じる?」
「それは……そうかもしれないですけど」
「ところで水澄。そろそろ腕を離してくれるとありがたいんだが」
「えっ? あッ――!?」
パッと手を離し、俺から距離をとる。
「す、すみませんっ!」
いまさら赤面して恥ずかしがる水澄。
なんだか俺も急に照れくさくなってくる。
そのせいか、ふだんはまず口にしないたぐいの言葉が自然とでてきた。
「あと、お節介は承知で言わせてもらうが『なんでもする』なんて軽々しく口にしないほうがいいぞ」
「だって……声優のELINAの正体はまだ秘密にしておかなければならないんです」
「いまどき顔出しNGってめずらしくないか?」
「両親の意向と事務所の方針なので」
「――ああ、なるほど。もしかしてこういうことか?」
なんとなく察しがついて、俺は言った。
「まずは顔出しNGの謎の新人声優として売り出す。で、あるていど人気が出たところ――両親の意向とも言ってたし、具体的には高校卒業くらいが目処か? 満を持してのビジュアル解禁で一気に話題を掻っさらうって戦略なわけだ」
「す、すごいです! どうしてわかったんですかっ?」
「事務所の方針っていったらその線しかないだろ。たいした考察じゃない」
「とにかく無門さんの言うとおりなんです。わたしの顔を公開したところで話題になるかどうかはわかりませんけど……」
謙遜するでもなく水澄は言う。
「お前、それは――」
その整いすぎてる顔と、プラチナブロンドの髪と、サファイアブルーの瞳で、なぜ話題にならないと思うのか。
いまの時代、顔の可愛さを売りにした声優はめずらしくもない。
だが、水澄ほど傑出した美貌の持ち主は依然として希少なはずだ。
――というのが俺の感想だったが、正直に話すのはなんだか癪だったので、
「まあ『あるていど人気が出る』かどうかだよな、まずは」
「そうなんです! 同年代でもわたしより上手な声優さんはたくさんいますからね」
力説する水澄。
それにしても、身バレしたから開き直っているのか、さっきからペラペラと内情をしゃべりすぎじゃなかろうか。
どうにも危なっかしい気がする。
「とりあえず事情はわかった。ただ、そういうことなら今後はアニメの話題には極力触れないほうがいいだろうな」
「わ、わかってます。きのうは軽率だったとこれでも反省してるんです。ごめんなさい……」
いや、俺に謝られても困るのだが。
……どうにも調子が狂うな。
もう用は済んだのだから、話を切り上げてさっさと教室に戻ればいい。
いつもの俺なら間違いなくそうしているはず。
だが、俺の足はいっこうに動かず、逆に俺の口は新たな言葉を紡ぎだしていた。
「気持ちはわからんでもないがな。転校してきた初日に自分のデビュー作を隣の席のやつが偶然観ていたら、そりゃまあ気になって話しかけたくもなるだろうよ」
「でも、無門さんじゃなかったら声はかけなかったと思いますよ」
「は……?」
言ってる意味がわからなかった。
「いや待て、どういうことだ? なんで俺だったら声をかける気になる?」
「――はじめてでしたから」
少し顔を赤らめて言う。
「わたしの声が綺麗だって言ってくれた人は」
なんだ、そういうことか。
なぜだか俺は胸をなでおろしていた。
声優である水澄にしてみれば、容姿を褒められるより声を褒められたほうが何倍もうれしいってわけだ。
わけてもハーフで日本人離れした美少女なのだ。
見た目の印象が鮮烈すぎて、誰も声には注意を払わなかったのだろう。
俺みたいな奇特なやつ以外は。
「その無門さんがデビュー作の『魔眼のコントラクター』、それもわたしが実際に出演した三話を観ていたんです。こんなの――ちょっと運命的なものを感じちゃうじゃないですか」
少しはにかんで水澄は言った。
「っ……!?」
なにを言ってるんだ、こいつは?
ああもう、まったく、本当に調子が狂うな。
「……ま、そこで俺が作品をボロクソに叩いたのが運の尽きだったな」
目をそらして意識的に憎まれ口を叩いた。
「言っておくが、お前が出演してるからって俺の評価は変わらないからな」
「はい。それは仕方ないと思います」
予想外の言葉。
水澄は俺に一歩近づいてつづけた。
「たしかにショックで頭の中が真っ白になって、思わず逃げてしまいましたけど――でも、あのあと家に帰ってからわたしも『魔眼のコントラクター』を一話から見直してみたんです。それで思いました。悔しいけど無門さんの指摘はそのとおりだなって」
複雑な表情。
思い入れのあるデビュー作を貶したくはないが、いっぽうで指摘された欠点は認めざるをえない。
そんな葛藤する心情が見てとれた。
「そう、わたしは悔しかったんです。声優として出演している自分より、いち視聴者にすぎない無門さんのほうがよっぽど真剣に作品とむきあっていることが」
「なるほどな。で、悔しくて思わず泣いたわけか」
「なっ――! だ、だから泣いていませんってば!」
水澄にとってそこは譲れないラインのようだった。