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第5話 有り難い御神託

 その日は帰宅してからも俺の調子はおかしいままだった。


 飯を食っても風呂に入っても直らない。

 気分を一新しようとほかのアニメを何本か観てみたが、内容が頭に入ってこなかった。


 なにをしていても、脳裏にうかぶのは涙にうるんだサファイアブルーの瞳。

 そして、澄みわたる水のごとき声音だ。


 気がつくと俺は、三〇分に一度くらいのペースで『魔眼のコントラクター』のELINA出演シーンのみをリピートするという、度し難い奇行に走っていた。


「ああもう、なにやってんだ俺は……!」


 これはマズい。本格的にマズいぞ。

 だいいち、なぜこんなにも気になるのか?

 水澄エリナが新人声優のELINAだったとして、俺にはなんら関係ない。

 そう結論づけたはずだった。

 しかし、心の中はいっこうに晴れない。ずっとモヤモヤしつづけている。


 こうなったらもう一度考察するしかない。

 俺は疲れた脳に鞭打って無理やり働かせた。


 それから小一時間。

 散々考えた結果、ようやく答えらしきものが出た。

 

 つまるところ問題は単純。

 確定していないからモヤモヤするのだ。

 俺の深層心理は、水澄エリナ=新人声優のELINAであると確かめたがっている。


 これでいい。答えがわかれば解決方法はおのずと導きだせる。

 明日、水澄本人に直接訊いてみればいい。

 仮に否定されたりはぐらかされたとしても、そのリアクションから確証を得ることはできるはず。


「よし、それでいくか」


 方針は決まった。

 さて、なにをしても集中できないのだし、さっさと寝るとしよう。

 俺はいつもより一時間以上早くベット入って電気を消した。

 しかし――


『もしかして好きなんですか?』


 ……違う。断じて違う。

 俺は気になっているだけだ。

 そんなこんなで、眠気が訪れたのはいつもより二時間近くも遅かった。


   ◇◇◇


 翌日、教室に一歩足を踏み入れた瞬間から俺は針のむしろだった。


「あいつでしょ、きのう転校生泣かしたのって」

「最っ低。よく平気な顔して学校に来れるよね」

「いつも一人でアニメとか見てるし、キモすぎ」


 カースト上位の女どもを中心に言いたい放題だ。

 だが「針のむしろ」とは言ったももの、べつだん俺は心中いたたまれない気持ちになどなっていなかった。

 くだらないノイズは無視して自分の席につく。

 他人の悪口や陰口にいちいち傷つくという感覚が俺には理解できない。

 実害はないのだから黙って聞き流せばいい。

 そんな連中に意識を割くのは、この上ない脳の容量の無駄遣いだ。


 俺は顔ごと視線を窓側にむける。

 隣の席は無人。

 水澄はまだ来ていないようだ。

 

 まさか今日休みじゃないだろうなと思った矢先、ふいに教室の喧騒がボリュームダウンした。

 見なくてもわかる。女神様の降臨だ。

 

「水澄さん! よかった、ウチら心配してたんだよー」


 カースト最上位グループが我先にと駆け寄っていく。


「なんつーか、転校そうそう災難だったね。あんなのが隣の席なんてさ」

「すぐに席変えてもらえるようにウチらも先生に頼んどくよ」

「困ったことがあったらすぐに言って。みんな水澄さんの味方だから!」


 どいつもこいつも、俺をだしにして水澄に取り入る気まんまんだ。

 口先では俺を非難しつつ、内心では感謝しているのかもしれない。

 ――ありがとう、お前が馬鹿をやってくれたおかげで助かったよ、という感じだ。

 しかし――


「はい? なんのことでしょうか?」


 水澄のこの言葉は、誰もが想定外だったに違いない。

 俺だってもちろんそうだ。

 思わず首をふり向けて教室の出入り口を見る。

 水澄は女子にしては長身なので、囲まれていてもその顔はよく見えた。

 

 彼女は、実にさわやかに微笑んでいた。

 涙の跡などかけらもない。

 今日も今日とて水澄エリナは完璧な美少女だった。


 俺が唖然としているように、誰も彼もが呆気にとられていた。

 しかし、さすがに「はいそうですか」とうなずける状況ではない。


「や、やだなーもう。きのうの放課後のことだよー」

「水澄さん的には思いだしたくないかもしれないけどさ……」

「ほら、無門のやつになんか言われて泣いてたよね……?」


 口々に、お伺いを立てるように質問をくりだす。

 が、水澄はまったく動じない。


「きのうの放課後ですか? たしかに無門さんとは話をしましたし、用事があったのでそのあとすぐに帰りましたけど――」


 小首をかしげて言った。


「わたしが泣いただなんて、なにかの見間違いだと思いますよ」


 俺もきのう、身を持って体験したからよくわかる。

 水澄の小首をかしげる仕草はチート級の威力だ。

 一瞬で彼女のペースに呑まれてしまう。

 正しいことを言っているはずなのに、自分がどうしようもなく間違っているような心地になる。


「だいいち、泣く理由がわかりません」


 絶句してしまった連中にむけて、水澄が最後のダメ押しを投下する。

 これで勝敗は決した。


「そ、そっか、見間違いかぁ」

「てか、考えてみたらそれ以外ないよね」

「誰だよ泣いてるとか最初に言ったやつ!」


 渇いた笑いに空虚な言葉。

 水澄に異を唱える者は一人としていない。

 彼女の口から出た言葉は「神のお告げ」にも等しく、有無をいわせぬ強制力を持っていた。


「そ、それはそうとさ、無門とは一体なんの話をしてたの?」

「ごく普通の世間話です」


 ――この話はこれでおしまい。

 水澄は言外にそう宣言すると、小さく会釈してから歩きだした。

 サァーッと人垣が割れて彼女が通る道がひらける。

 引き止められる者は一人もいなかった。


 水澄が俺の背後を通って、自分の席へとたどり着く。

 椅子を引いて座ると、だしぬけに俺に笑顔をむけて言った。


「おはようございます、無門さん」

「――ああ、おはよう」


 答えつつ、なるほどなと俺は思う。

 水澄よ、お前の演技力はたいしたものだと認めよう。

 だが、嘘をつくのははっきり言ってド下手くそだ。

 そして、ほかのやつらと違って俺は「神のお告げ」にしたがう気などなかった。


「なあ水澄。訊きたいことがあるんだが」

「わたしに? なんでしょうか」


 体をよせ、口に手を当て、彼女にだけ聞こえる声で俺は訊ねた。


「お前は声優のELINAなのか?」


 瞬間、水澄は完全に停止した。

 まばたきも呼吸も止まる。

 ピシリと、彼女の笑顔にヒビが入ったように見えたのは、俺の目の錯覚ではないはずだ。


「ッッッ――!」


 そして、止まっていた時間が動きだす。

 劇的かつ、加速度的に。

 水澄はやおら椅子を蹴って立ち上がると、


「一緒に来てくださいっ!」


 俺の手をぐいっと掴んだ。


「なっ……!?」


 意外に強い力と切羽詰まった表情にあおられ、俺は抵抗することなく立たされてしまう。

 立ってしまったら最後、あとは連行されるのみだった。

 水澄はずんずん歩いて教室をあとにする。


「お、おいっ……」


 廊下に出てからもその勢いは止まらない。

 朝のホームルーム開始前、廊下には少なくない数の生徒がいる。

 ただでさえ人目を惹く水澄が、無駄に背が高くて目立つ俺を引っ張っていく構図。

 注目の的になるのは不可避だった。


「えっ、なにあれ?」

「二組の噂の転校生だよね?」

「てか、引っ張られてるデカいのは誰?」

「さあ……?」


 俺たちが通りすぎたのち、背後からはそんな声が聞こえてくる。

 が、水澄の耳にはまったく届いていない様子だ。

 俺はあえて引っ張られたまま足を動かしつづけた。

 というのも、廊下の真ん中で足を止めて腕を振りほどこうものなら、いっそう目立ってしまうことうけあいだからだ。


 階段を下って教室棟を出る。

 ここ私立パナギア学院はカトリック系の学校なので、敷地内にはかなり大掛かりな礼拝堂があった。

 水澄はその建物の陰へと俺を連れこんだ。

 昼休みならともかく、いまの時間帯なら周囲は完全に無人だ。


「なあ水澄! もうここでいいだろっ?」


 呼びかけて足を止めようとする。

 水澄も足を止め、ようやく俺の腕を解放してくれた。

 だがまだ、こちらにふり返ろうとはしない。

 俺はため息を一つこぼしてから、彼女の背中に言葉をぶつけた。


「あらためて訊くけど、お前は『魔眼のコントラクター』に端役で出演してた声優のELINAで間違いないんだよな?」


 一拍の間のあと――

 水澄はくるりとふり返り、満面の笑みをつくって言った。


「はい? なんのことでしょうか?」

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