第4話 涙のあと
「なんなんだ、あいつ……?」
俺としては呆気にとられるしかない。
水澄エリナはつくづく予想外というか、規格外だ。
高校二年生にもなって、好きなアニメを叩かれたくらいで泣くか、普通?
というか、泣くほど好きならもっと必死になって擁護しよろと言いたい。
思い返せばあいつの反論は逐一ズレていた気がする。
そもそもなぜ『魔眼のコントラクター』なんだろうか。
男性向けライトノベル原作に限定しても、もっと人気も評価も高い作品が山ほどあると思うのだが。
シーンと静まり返っていた教室が、にわかにざわつきだす。
「え、なに、どういうこと?」
「いや、俺にもよくわかんなかったけど」
「でも怒ってたし、泣いてたよな……?」
「無門が泣かしたってこと?」
「そもそも無門なんかとなに話してたんだよ?」
「なんかアニメの話っぽかったけど……?」
「嘘でしょ。だってあの水澄さんだよ?」
まずは疑問、次いで水澄への同情、そして最後は俺への非難が巻き起こる。
くだらないノイズだ。
どいつもこいつも陰口を叩いて冷たい視線をよこすだけで、俺の席まで来て真偽を正そうとはしなかった。
つまり実害はない。したがって相手にする必要もない。
俺は外していたイヤホンを左耳に押しこみ、周囲のノイズに対して再び結界を張った。
俺の中に罪悪感はない。あるのは疑問と違和感だけだった。
だってそうだろう。俺は水澄自身に対してはなにも言っていない。
彼女を侮辱したわけでもなければ、人格を否定したわけでもない。
仮に『こんなアニメを楽しんで観てるやつは真正の馬鹿』などと口にしていたら問題だろうが、その手の発言はすまいと心に固く誓っている。
作品の評価は、個々の受け手が自分の感性のみにしたがって下すべきだ。
他人の評価なんて参考にするべきじゃないし、究極的には聞く必要すらない。
だから水澄も、泣く前にこう突っぱねればよかったのだ。
――『それでも自分はこの作品が好きだ』と。
ともかく、いろいろとイレギュラーな事態が起きてしまったが、そろそろ本筋に戻るとしよう。
俺はスマホの画面をタッチし『魔眼のコントラクター』の視聴を再開した。
観るのは三話の頭からだ。
まずはアバンタイトル。オープニングを飛ばしてAパートへ。
冒頭のシーン。ヒロインを探し回る主人公が、モブの女子生徒に「彼女を見なかったか?」と訊く。
名前のないモブキャラは心当たりをつげ、主人公にこう尋ねる。
『もしかして好きなんですか?』
瞬間、俺の心臓が跳ねた。
――待て。ちょっと待て。
反射的に一時停止し、俺は画面を凝視した。
奇しくもその台詞は、ついさっき水澄エリナが口にした言葉と同じだった。
だが待て。待ってくれ。こんなことがありえるのか?
現実の女とアニメのキャラが、たまたま同じ台詞を口にする。
これならわかる。そんな偶然が起きるのは極めて低い確率だろうが、ありえないとは言い切れない。
だが――
現実の女とアニメのキャラが、たまたま同じ「声」で喋るなんてことがありえるのか?
ありえるとしたら、可能性は一つしかない。
俺は動画を一〇秒巻き戻し、目をつぶってもう一度同じセリフを聞いた。
『もしかして好きなんですか?』
――やはり、同じ声だ。
俺の耳にはそうとしか聞こえなかった。
画面のシークバーを操作し、三話のエンディングまで飛ばす。
スタッフロールの「声の出演」に載っている名前を確認していく。
主役級のキャラに声をあてているのは、深夜アニメでおなじみの人気声優たち。
しかし、俺が確認したいのは主役ではなく端役。あのモブキャラの声優だ。
エンディングの進行にあわせて表示が切り替わる。
果たして俺の目には、このような文字列が飛びこんできた。
『女子生徒 ELINA』
はじめて見る名前の声優だった。
十中八九デビューしたての新人だろう。
端役の出演者まではいちいちチェックしないから、最初に視聴したときは見逃していた。
ELINA。エリナ。水澄エリナ。
いよいよもって俺の仮説は真実味を帯びてきた。
頭の中が熱を帯びる。俺はめずらしく興奮していた。
スマホの動画アプリを閉じ、すぐさまブラウザを起動。
「ELINA 声優」で検索してみた。
やはり新人声優であるらしく、めぼしい情報はヒットせず。
SNS上でもまったく話題になっていない。
所属している声優事務所の紹介ページを発見したが、顔写真はもちろんプロフィールさえ記載されていなかった。
出演作品のリストには「『魔眼のコントラクター』女子生徒役」とだけ書かれている。
つまり正真正銘のデビュー作、声優としての初仕事だったというわけだ。
水澄エリナと新人声優のELINA。
この仮説が正しいとするなら、これまでのことがいろいろと腑に落ちる。
なぜ俺は初対面の水澄の声に聞き覚えがあったのか。
なぜ水澄は俺が声を褒めたとき笑顔を見せたのか。
なぜ水澄はアニメを観ていた俺に声をかけたのか。
なぜ水澄は製作者側の視点から作品を擁護したのか。
なぜ水澄は作品を貶されて涙するほど『魔眼のコントラクター』に強い思い入れがあったのか。
水澄エリナと新人声優のELINAが同一人物だったとしたら、すべてに説明がつきそうだ。
「おいおい、マジかよ……!」
小さくつぶやいて、細く長く息を吐き出す。
転校生がハーフの帰国子女で、アイドルやモデルでも余裕で通用する美少女で、しかもそいつが俺の観ているアニメに出演していた声優だなんてな!
こいつはすごいことになってきた。
まったくもって予想もつかない展開だ。
俺は「事実は小説よりも奇なり」なんてしたり顔で言うやつが大嫌いだが、はじめてその言葉を使ってもいいような気分だった。
こんなことが現実に起きるなら、リアルもなかなかどうして捨てたもんじゃ――
……馬鹿か。
ふいに俺は自分自身に冷水を浴びせた。
心の熱を冷やし、興奮を醒ます。強制的に。
……馬鹿か、俺は。
一体なにを舞い上がっているんだ、恥ずかしいやつめ。
水澄が声優だったとして、それがなんだっていうんだ。
アニオタと声優に接点なんかない。
当然だ。相手は雲の上の存在どころか、それよりはるか高みにある月世界の住人なんだからな。
そうだ、俺は水澄エリナをひと目見た瞬間、直感的に悟っていたはずだ。
こいつは住む世界が違う、と。
外見だけでなく中身までそのとおりだとは、さすがに恐れ入ったが。
くだらない。馬鹿馬鹿しい。
水澄のことを考えるのはもうやめだ。
たしかに俺は重度のアニオタだが、こと声優に関しては声と演技にしか興味がない。
ライブやイベントに行ったこともなければ、グッズを買ったこともない。
ましてや女性声優と付き合うとか結婚するなんていう、底抜けに頭の悪い妄想をしたことは一瞬たりともなかった。
そうとも、俺には関係ない。
惑わされるな。心を乱すな。他人のことなんか気にするな。
これまでずっと俺はそうしてきたし、これからだって俺はそうする。
だから、俺がいま成すべきことはアニメの視聴を再開する。
それ以外になかった。
しかし――
どうしたことか、『魔眼のコントラクター』の視聴を再開してもまったく集中できなかった。
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