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第3話 次元交差

 六限目の英語の授業。

 はじめて教師に指名され、教科書の例文を音読するよう言われた水澄は、帰国子女らしいネイティブな英語を披露した。


「すっごーい。さっすがハーフ!」

「先生より全然上手くない?」


 水澄が読み終えると喝采の声があがった。

 若い女の英語教師は引きつったような笑みをうかべて、


「エクセレント。とっても上手よ。でも、水澄さんはフィンランドからの帰国子女だったはずよね?」

「むこうで通っていた学校では、英語が必修科目でしたので」


 水澄はてらいのない笑顔で答えた。


「そ、そうだったのね」


 規格外の美少女に気後れしてしまうのは、大人の女でも同じらしい。

 おそらくこの教師は今後、水澄を積極的に当てることはしない気がした。


 ――え? 他人のことばかり語っているが、そういうお前はどうなのかって?

 もちろん俺は最初の会話でやらかして以降、水澄とは一語たりとも言葉を交わしていない。


 話したい、なんとかお近づきになりたいという欲求がそもそも皆無だ。

 だいたい、異次元の美少女相手になにを話せばいいというのか。

 無理に会話したところで気まずいだけで、面白くもなんともないだろう。

 

 だったらアニメでも観ていたほうがよほど有意義だ。

 そう、いま俺は水澄ことよりもアニメのことに意識がむいていた。


 おりしも水澄が英語の例文を音読していたときのことだ。

 ふと俺は、昨晩視聴したアニメのことが気になった。

 より具体的に言うと、新たなツッコミどころに思い当たったのだ。

 すぐにでも動画を見直して確認したいところだが、さすがに授業中は無理。

 というわけで俺は、いつになく時計の針が早く進むことを望んでいた。


 ようやく六限目の授業が終わり、帰りのホームルームを経て念願の放課後になる。

 俺はさっそくスマホを取りだし、愛用のノイズキャンセリングイヤホンを耳にはめた。

 動画再生アプリを起動。

 目当ての作品を選び、該当のエピソードを選んでタップする。


 俺が観ようとしているのは『魔眼のコントラクター』という作品。その第三話だ。

 マイナー系出版社のさほど売れているわけでもないライトノベルが原作。

 この情報だけでも、察しの良いやつならクオリティの予想がつくだろう。

 

 とにかく視聴を開始する。

 俺のノイズキャンセリングイヤホンは一万円以下のモデルだが、値段のわりには音質も遮音性も良く気に入っていた。

 これさえつけていれば、ノイズに満ちた放課後の教室でも鑑賞に支障はない。


 動画の再生が始まる。

 ここから先は俺一人の世界だ。

 ただでさえ教室で孤立している俺が自分の世界に入ったなら、それはもう結界を張ったに等しい。

 誰にも邪魔されないし、誰とも共有することはない。

 そのはずだった。

 

「あ――! それって『魔眼のコントラクター』ですよねっ」


 背後で突如として響いた声。

 澄みわたる水のごとき調べ。

 俺の愛用イヤホンは、その声をノイズとは認識しなかったらしい。

 動画を一時停止し、左耳のイヤホンを外しながら首だけでふり返る。

 

「っ……!?」


 視界に飛びこんできた、水澄エリナの美しい顔。

 思った以上に近い位置にあり、不覚にも俺はドキリとしてしまった。

 やや前かがみになって覗きこむ姿勢。

 垂れた横髪を片手で撫でつける仕草にあわせ、とてつもなくいい匂いがふわりとただよってきた。


 これは――一体なにが起きているんだ?

 待て、落ち着け。考察だ、考察をしなくては。

 脳をフル稼働させて意識を集中すると、自然と俺の動揺は収まっていった。


 水澄は鞄を手に下げて席を立っている。

 下校しようと俺の後ろを通り過ぎた際、偶然スマホの画面が目に入って足を止めたようだ。

 

 それにしたって意外すぎる。こんな展開は誰もが予想しえなかったはずだ。

 同じアニメでも、俺が観ていたのが「スタジオシロッコ」やアメリカの「ディスティニー」が作った劇場用の超大作だったらな、まあ納得はできなくもない。

 しかし『魔眼のコントラクター』は男性向けライトノベルが原作の深夜アニメだ。

 どうしてもそぐわない。どうやっても結びつかない。

 水澄エリナとマイナー深夜アニメのあいだに横たわる距離にくらべたら、地球から二〇〇万光年離れたアンドロメダ銀河のほうがまだ近いような気さえした。


 それでも、目の前の現実には対処しなくては。

 次元は交差し、水澄は結界の内部へと侵入してきた。

 瑞々しい唇が動き、澄明な声が紡ぎだされる。


「もしかして好きなんですか?」


 言って、俺に微笑みかける水澄。

 はてさて、まったくもって奇妙な事態になってしまった。

 ごく普通なモテないアニメ好きの男子なら、ここでどのような反応をするか?

 一番ありそうなケースを考察してみる。

 おそらくこうだ。

 舞い上がって、上擦った声で、異様な早口で、宝くじの一等に大当たりしたような心地で言うに違いない。


『き、君もこの作品が好きなの?』


 だが、俺はそうしなかった。

 なぜなら俺は、ごく普通のモテないアニメ好きの男子じゃないからだ。

 クラスのカースト番外は伊達じゃない。

 イケてないのは仕方ないとして、俺にはなぜ友達がいないのか?

 その理由を、水澄エリナはこれから身を以て知ることになる。

 

 しごく冷静に、普段どおりの口調で俺は言った。


「好きなわけあるか。今季ブッチギリの超クソアニメだぞ」

「え……?」


 水澄の笑顔が凍りつく。

 想像もしなかった返答にショックを受けた様子だ。


「ど、どうしてそんなこと言うんですか?」

「どうしてって」


 そう聞かれたなら、俺としては具体的かつ詳細に答えるしかない。

 ことアニメに関しては、いつ、どこで、誰に対してであろうと、真剣に語ると決めていた。


「作画の崩壊っぷりには目をつむるとしても、それに輪をかけてストーリーが酷すぎる。特に主人公のが最悪だな。フラフラ勝手な行動してピンチに巻きこまれてヒロインに助けられるっていう頭の悪いパターンを何回繰り返せば気がすむんだ?」


 ひとたび語りだせば俺の舌は止まらない。


「全体の構成もお粗末すぎる。一話と二話はろくに話が進まず、手垢のつきまくった一〇〇番煎じくらいのラブコメ描写で尺稼ぎ。で、三話の終盤で唐突に敵が登場してバトルパートに突入だからな。四話の展開も余裕で予想できる。主人公がなんの脈絡もなく覚醒して勝利するパターンだろ、どうせ」


 これが俺の『魔眼のコントラクター』評。

 嘘偽りのない感想だ。


 ――わかっている。こんなんだから俺は友達をなくすのだ。

 同好の士にすら疎まれ排斥される。

 このクラスにもアニメ好きのオタクグループはいて、俺も最初はそいつらと話をしていた。

 だが、早々に決裂した。

 原因はもちろん俺にある。彼らの好きなアニメを容赦なくクソミソに叩いた結果、一方的に絶縁状を叩きつけられたのだ。


 それでも後悔はしていない。

 友達に気を遣って自分の意見を殺すくらいなら、嫌われて孤立するほうがマシだと俺は本気で思っていた。

 たとえ相手が天上の女神であろうと、手心を加えてやる気はまったくなかった。


「……ひどいです」


 唇を噛み締めていた水澄が、ぽつりとこぼした。

 さあ、彼女の反論タイムだ。

 俺の経験上、好きな作品を貶された人間はたいてい次のような言葉を返す。


『重箱の隅をつつくな』

『フィクションにツッコむのは野暮』

『純粋に楽しめないなんてかわいそう』

『そんな細かいとこまで見てるなんてキモい』


 等々、言っている本人は伝家の宝刀を抜いたつもりだが、俺に言わせれば反論にもなっていない屁理屈のたぐいだ。

 さて、水澄はどうくるか?


「たくさんの人が関わって、数えきれないほどの苦労と努力が積み重なって、ようやく一つの作品は完成して世に出てくるんです。それなのに、そんな……!」


 なんというか、どこまでも水澄は俺の予想を超えてくる。

 そうくるとは思わなかった。

 思わなかったが、問題はない。

 論破してやることは造作もなかった。


「知るか。なんでいち視聴者にすぎない俺が、作り手側の事情をいちいち斟酌してやらなきゃならんのだ」


 水澄が言葉につまったのを見て、俺は一気にたたみかけた。


「とにかく一事が万事、適当だしやっつけだし行き当たりばったりすぎるんだよ、このアニメは。これが本気で面白いと思ってるなら監督と脚本家の頭が悪いし、原作通りなら原作者の頭が悪い。まとめると、作画は一話から崩壊しっぱなしだし、演出は見るべきところなし。ストーリーは論外だし、キャラはテンプレの域を一歩も出てない。唯一まともなのは無駄に豪華な声優陣くらいか。ま、俺に言わせれば宝の持ち腐れだな。こんな内容じゃ演技のしようがないだろ――」

「そんなことはありませんっ!」


 水澄が叫んだ。

 すわ何事かと、教室中の視線が集まるのを感じる。

 が、水澄は俺だけをキッとにらみつけて言った。


「ひどい、ひどすぎますっ! そこまで言われる筋合いはありませんっ!」


 俺はギョッとして息を呑んだ。

 なぜなら水澄エリナのサファイアブルーの瞳には、透明な涙がにじんでいたからだ。


「な、なんだよ。お前、まさか泣いてるのか……?」

「えっ……?」


 俺に言われてはじめて気づいたらしい。

 水澄はあわてて両目を指でぬぐうと、


「っ……!」


 そのまま逃げるように教室から出ていってしまった。

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