第10話 住む世界、澄む世界②
「あの、タクト。このさいですから、正直なところをお訊ねしたいのですけど」
と、エリナは正座したまま俺に向き直った。
「なんだよ、急に改まって?」
「タクトの率直な評価を聞きたいんです」
なぜか緊張の面持ちで言うエリナ。
「評価って『異世界医療探偵エノク』の感想ならさっき言ったとおりだぞ」
「いえ、あのっ、そちらではなく『魔眼のコントラクター』のほうの――」
「それならきのう散々酷評しただろ。最新話はまだ配信されてないし、評価は変わりようがないぞ」
「ち、違いますっ。わたしが聞きたいのは作品全体の評価ではなくてですねっ」
意を決してエリナは言った。
「わ、わたしの演技はどうだったでしょうか!?」
「なんだよ、そういうことか」
まぎらわしいから本題を先に言えと思う。
「って言われてもな。俺は演技に関してはド素人だぞ」
「だからこそ聞かせてほしいんです。だって家族や業界の人以外で、こんな話ができるのはタクト一人だけなんですから」
――なるほどな。
その言葉で俺はいろいろと腑に落ちた。
だから、なのかもしれない。
声優であるという秘密を知って以降、エリナの俺への態度はどうにも納得できかねた。
最初は誰かに秘密をばらさないか「監視」するためかと疑っていたが――見る限りエリナにその手の「裏」はない。
子供のころから憧れていた声優デビューを果たしたのだ。
その事実を他人に知ってほしいという欲求、深層心理はエリナの中にも間違いなくあるだろう。
だから秘密を知っている俺は、秘密を知っているというだけで価値がある。
そういうことなのかもしれない。
というか、それ以外にこの状況に説明はつけられないはずだ。
「なら言わせてもらうぞ」
疑問が氷解した返礼に、エリナの望みを叶えてやるとしよう。
「はいっ!」
エリナは背筋を伸ばし、身を硬くして俺の言葉を待った。
「正直言って――よくわからん」
「えっ……?」
エリナはぽかんと口を開けた。
こんな間抜け面ですら画になるなんて、つくづく半端じゃない美少女ぶりだ。
「だってそうだろ。エリナが演じたモブ女子生徒の台詞は『むこうに行くのを見かけましたよ』と『もしかして好きなんですか?』の二つだけだ。これだけじゃ演技力の評価なんて俺には到底できん」
わかるのは棒読みでないことくらいだが、それはエリナを馬鹿にしているような気がしたので言わないでおく。
「た、たしかに。うぅ……緊張して損した気分です」
エリナは大きく息を吐いて胸をなでおろした。
「――でも、うれしいです」
「なにがだよ?」
「だって!」」
突如エリナが身を乗りだしてきた。
顔が近い。至近距離から覗きこむとサファイアブルーの瞳は本当に宝石のようだ。
互いの唇が触れあうまで呼吸三つぶんの距離――
「台詞まで覚えていてくれるなんて、タクトはわたしが演じたシーンをちゃんと見てくれたってことじゃないですか!」
「た、たまたま記憶してただけだ」
そのシーンを何十回もリピートしたなんて言えるわけもない。
照れくささと顔の近さに、俺は目線をそらすしかなかった。
エリナはかまわず熱っぽく語る。
「ひと言しか台詞がなくても、見て聞いて気にかけてくれる人は必ずいる。だからどんな端役でも全力で全力で演じようって思ってきました。それが間違いじゃなかったってわかってすごくうれしいんです!」
エリナが相好をくずす。
天下無敵の笑顔。
そらしたはずの俺の目は自然と引き寄せられ、惹きこまれてしまった。
「ありがとうございますっ、タクト!」
「っ――!?」
心に水が流れこむ。
清浄な水が俺の中の汚れや澱みを浮び上がらせていく。
これが、水澄エリナの住む世界。どこまでも澄み渡った世界。
俺はその一端に触れた気がした。
しかし――
『白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋ひしき』
歴史の授業で習った狂歌がふいに思いだされる。
あまりにも綺麗すぎる水は、俺のような凡人にはむしろ息苦しかった。
「……大げさなやつだな。繰り返すが、台詞を憶えてたのはたまたまだぞ」
だから俺はぶっきらぼうに言って、水面から顔を出した。
「それでもわたしはうれしかったんです」
エリナは依然としてニコニコしている。
前のめりになって顔も近いままだ。
マズい。このままではまた引きずりこまれてしまうぞ。
「それはそうと――」
こういうときは強引にでも話題を変えてしまうに限る。
「さっきから話を聞いてると、エリナの従姉妹ってかなりすごいなんじゃないか?」
「そうなんです! アリサお姉ちゃんは本当にすごいんですよ!」
エリナは見事に食いついた。
ようやっと綺麗な顔が俺から遠ざかってくれた。
「料理も上手だし、勉強もできるし、性格も明るくて優しいし、そのうえ現役モデルですごい美人なんですから!」
「美人って……その、エリナよりもか?」
「もちろん! わたしなんかとは比べものにならないくらいです。今度『ALISA モデル』で検索してみてください。びっくりすると思いますから」
エリナとは比較にならないほどの美人。
果たしてそんな人類が存在するのだろうか。
正直俺は眉唾だった。
エリナの主観が多分に入っているような気もするが、少なくとも容姿で従姉妹には勝てないと思っていることは事実らしい。
エリナが自身の外見をさほど誇らないのもそこに理由がありそうだ。
◇◇◇
昼休みを終えて教室に戻った俺とエリナは、もはや義務のように好奇と疑惑の視線にさらされた。
「あれってやっぱ、昼休みずっと一緒だったんだよね……?」
「信じらんない。なんでよりにもよって無門なんかと……?」
「バカ、声大きい。聞こえたらヤバいって……!」
いいかげん慣れた。
そしていざ慣れると、こういう形で注目されるのはそれほど気分が悪くないことに俺は気づいた。
エリナはどうかというと、彼女は他人の視線をまったく気にしない質らしい。
視線だけでなく、言葉にも無頓着だ。
話しかけられれば誰に対してもわけへだてなく気さくに対応する。
が、自分に関わる噂話や陰口にはこれっぽっちも反応しない。
俺のように、聞こえているが無視できるのとも違う。
たぶん本当に聞こえていないのだ。
より正確には、自分に関わる話だと認識していないようだった。
――天上の女神は下界の騒ぎなど気にかけない。
クラスの連中の目にはそう映ったかもしれない。
実際のところエリナには、ひとの弁当の唐揚げを欲しがったりする一面もあるのだが、俺には級友たちの誤解を解いてやる義務もなければ義理もない。
エリナ自身、それを望んでいるとは思えないしな。
◇◇◇
チャイムが鳴り、本日最後の授業が終わる。
結局この日の休み時間、エリナはほぼ俺としか話さなかった。
そして放課後になったわけだが、
「ところで、タクトはなにか部活動に入っているんですか?」
「見てのとおりだ。入ってるわけないだろ」
「そうなんですか。ちょっと意外です」
「たとえば俺がどんな部活に入ってると思うんだ?」
「背が高いから運動部ならバスケットかバレー、文化部なら知識を活かして漫画研究会あたりでしょうか」
「やめてくれ。どっちにしてもガラじゃない」
嫌そうに答えたのは、本当に嫌な話題だったからだ。
部活の話、特に背が高いってだけで運動部を勧められるのはうんざりする。
なにが「恵まれた体格なのにもったいない」だ。
俺は一ナノミリももったいないと感じてないから放っておいてくれと思う。
「あとはもうさっさと帰るだけだ」
「良かった。それなら一緒に帰れますね」
エリナが部活の話を振ったのは、それが目的だったらしい。
「俺は電車じゃなくてバス通学だぞ」
「もしかして星見ヶ丘方面ですか?」
「そうだが」
「それなら大丈夫です! わたしも今日の帰りからそのバスですからっ」
エリナは喜び勇んで席を立った。




