第1話 澄みわたる水のごとき調べ
人間の顔には興味がないが、人間の声には人並み以上に興味がある。
この俺、無門タクトが思うに、声というのは人体にとって一番の個性だ。
髪はいくらでもいじれるし、理想の体型も努力しだいで手に入る。
顔にいたっては、金さえあれば整形という奥の手がある。
だが、声は基本的に変えられない。
手術で高くしたり低くしたりはできるらしいが、顔と違って理想の声はいくら金を積んでも手に入らない。
つまり「いい声」は後天的に獲得できない生来のもの。
べつの言い方をすれば「神からの贈り物」だ。
「――はじめまして」
だからその声が聞こえたとたん、俺ははっと顔を上げてしまった。
喩えるなら、深い山奥で雪解け水の最初の一滴がこぼれ落ちたようなイメージ。
混じり気のない、透明感に満ちた、どこまでも澄み切った音色だった。
――正直言って興味はなかった。
転校生が来ると聞いても、そいつがハーフの女子で帰国子女だと耳にしても、クラスの連中と違ってなにも期待はしていなかった。
どんなやつが来ようと俺と関わることはない。
しょせんは別世界のできごとだと確信していた。
だから俺は転校生が教室に入ってきたときも、あえてそちらを見ないようにした。
机の下でスマホを操作して、昼休みに観るアニメを見繕っていた。
しかし――俺はその声に惹かれてしまった。
「水澄エリナです。よろしくお願いします」
単に綺麗でいい声というだけでなく――奇妙なことに俺は聞き覚えがあるような気がした。
だが、そんなはずはない。確認するまでもなく彼女とは初対面だ。
だからこそ奇妙だった。なぜなら俺は、他人の声を記憶し聞き分ける能力に自信があったからだ。
一礼していた彼女が顔を上げる。その美貌があらわになる。
ある意味で俺の予想は正鵠を射ていた。
たしかに転校生は、水澄エリナは別世界の住人だった。
透き通るような色白の肌、プラチナブロンドの長い髪、サファイアブルーの大きな瞳。
目鼻立ちは白人よろしくクッキリパッチリだが、全体的な印象は日本人らしい親しみやすさがある。
スタイルも当然のごとく抜群。
冬の制服の上からでも、脚の長さと腰の細さ、そして胸の大きさがよくわかった。
身長も一六五センチはあり、高校一年生の女子にしてはかなり高い方だった。
とまあ、控えめに言って完璧な美少女だ。
議論の余地はひとかけらもない。
「おいおい、マジかよ……!」
「やっべ、超可愛くね?」
「大当たりじゃん。誰だよハーフだからって期待すんなとか言ったやつは!」
クラスの男どもは早くも水澄に首ったけの様子だ。
普段は女子には目もくれないオタクグループの連中すらも熱い視線を送っていた。
「水澄さん、とりあえず最後列の窓際の席に座って」
「はい」
担任の声にうなずき、水澄が歩きだす。
移動に合わせて、教室中の視線の焦点も移動する。
水澄が歩く。一歩ずつ俺との距離が縮まる。
なぜなら彼女がめざす「最後列の窓際の席」とは、俺の左隣の机だったからだ。
水澄が椅子をひいて着席する。
なんの因果か、この日たまたま彼女の前の席のやつは病欠だった。
前述の通り左は窓、最後列だから後ろは無人。
「よろしくお願いしますね」
であるからして、水澄が俺に声をかけたことは消去法的な必然だ。
それはどうでもいい。重要なのは、彼女の声を至近距離で聞いたことにつきる。
不覚にも、とっさに俺は言葉を返せなかった。
女子もふくめたほかの連中のように、水澄の外見の美しさに目を奪われていたわけじゃない。
ただ一人俺だけは、水澄の声の綺麗さに耳を奪われていた。
それに、やはり聞き覚えがある気がする。
だが、何時、何処で――?
先に言っておくが、アニメや漫画でよくある「子供のころに実は会っていた」というパターンは一〇〇パーセントないと断言できる。
そんじょそこらの女ならいざ知らず、この水澄エリナを忘れるはずがない。
たとえ幼少期から顔は変わっても、プラチナブロンドの髪とサファイアブルーの瞳の鮮烈さは忘れたくても忘れられないはずだ。
だからこそ謎だった。
勘違い。聞き間違い。
そう認めてしまうのは癪だが――
「あの、どうかしました?」
水澄が小首をかしげる。
「あ、いや……」
――その声、どっかで聞いたことある気がするんだけど。
危うく口走ってしまうところだった。
馬鹿か。どんな挨拶だ。ナンパの口説き文句だとしてもありえなさすぎるぞ。
「声、綺麗だよな」
なんとか俺は言い繕った。
……いや待て。馬鹿すぎるぞ。一体どこが繕えているんだ?
案の定、水澄はきょとんとした。
めずらしく俺はやっちまったと後悔する。
『ハァ? なにそれ? キモいんだけど!』
普通の女子なら顔をしかめて罵倒すること必至な大失言。
ところが、水澄エリナは外見だけでなく中身も普通ではなかったらしく、
「本当ですか? ありがとうございます」
笑みをうかべてそう言った。
完璧な美少女の、極上の笑顔。
仮に俺が健全な男子高校生であったなら、心を蕩けさせられて一発で恋に落ちていたことだろう。
だが、あいにくと俺は不健全極まりない男子だった。
失言を誤魔化すように顔をそむけ、会話を打ち切る。
ともすれば、水澄と交わすまともな会話はこれが最初で最後になるかもしれない。
そうなったとしても、俺はいっこうに構わなかったが。
――そもそも住む世界が違う。次元が違う。
俺は自分の領分をしっかり弁えているつもりだった。
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