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時間結晶のイヴ  作者: やまなし
Chapter3 「Trust Me」
7/12

進化の速度

 帝都大学付属研究所は、大学から東に五キロメートル進んだ場所にある。

 海岸を埋め立てて造られた島群の上に成り立つそれは、国内でも最大級の研究施設で、大学の一番高い建物からその方角を見れば、小さいながらも視認できるほど。


「……相変わらず、デカいし広い場所だよな」


 イヴとともに訪れたイツキは、全十五建てのビルを見上げて呟く。

 ここには幼馴染であるアイカの伝手や大学の講義で何度か見学したこともあった。

 一度は憧れ目指し、そしてその壁の高さに挫折した、彼にとっては忘れられない苦い思い出の場所。

 

 しかしその記憶も、今では曖昧なものだ。いや、無理やり曖昧なものにしたのだ。

 一か月前から、彼はその場所に思いを馳せることを止めている。

 世界の終焉、その中心地には、もしかしたら現状を回復するための何かがあるのかもしれない。

 そう思わぬ日はなかったが、正面から向き合うことができなかった。

 向き合うということは現実を受け止めること、責任を持つことに他ならない。

 もしも何もなかったら、どうすればいいのだろうか。

 あるいは何かあったなら。

 その時、自分は正しい行動をとれるだろうか。

 最後の希望に手を差し伸べる覚悟が、今までの彼にはなかったのだ。


 それにアイカのこともあった。あの日、彼女はこの場所でタイムマシン研究をしていた。つまり結晶に飲まれてしまっている可能性が高い。

 直接その姿を見なければ、もしかしたらという可能性が残る。

 イツキは二つの僅かな可能性を消したくなくて、この場所を意識的に避けていたのだ。


「ロマンチックな考えだって言われそうだな。こういうのは、あいつの特権なのに」


 科学に身を捧げておきながら、意外とロマンチストだった彼女を思い出し、静かに笑う。


「だけど、ロマンはもう終わりだ。現実を見なくちゃな」


 逃げ続けた現実は既に目の前にある。

 それは一人では向き合えず、解決できない世界規模の問題と責任だ。

 等身大に生きてきたイツキにとって、あまりに荷が重い。

 しかし彼は今、一人ではない。


「《フラグシップ》の信号は、この建物の中から感知できます」

「……よし、それじゃあ、行こうか」


 等身大の生き方しかできない彼には、今、それを拡大するためのモノが傍にいる。


「本当に大丈夫ですか? イツキ様。気持ちを落ち着けるまでもう少し待ちます。それに何も今日、急いで向かわなければならないということもありません」


 心配そうに顔を覗き込んでくるイヴ。

 フルフェイスのヘルメットを被ったイツキの表情は、人では見ることができない。しかし、可視光が人間よりもはるかに広いアンドロイドあれば、彼の不安そうな表情を正しく見つめられる。


「いや、大丈夫だ。明日になって《フラグシップ》が移動しない保証も壊れない保証もない。話し合うなら急ぐべきだ」

「でしたら、私一人が《フラグシップ》と接触して、情報を引き出してくる、という手段もあります。イツキ様が無理を押してここにいる必要はありません」

「……再三、戻るように言うってことは、俺は相当参っているんだな」


 イヴは、イツキのバイタルを外観からモニターできる。加えて、今は手袋越しとはいえ手を繋いでいる。基本はイツキの命令に意見などしないことを踏まえると、自分でも気づかぬうちに、かなり取り乱しているようだ。


「大丈夫だって。体の調子が悪いわけじゃない。ただ少し、いろんなことを知って心が参っているだけで、しばらくすれば元に戻る」


 思い返せば、今日は激動の一日だ。

 イヴを外出させるだけと、軽い気持ちでいたら、想像以上の性能を見せつけられて驚き、恐怖して、気づけば世界崩壊の真相にまで、片足を突っ込んでいる。

 これほどまでの情報にさらされて、疲れないわけがない。

 イヴを外に出しただけでこれなのだ。

 閉じ込めて運用するのではない。

 イヴは外界でこそ、真価を発揮するのだと今ではイツキも理解している。


「私には、心はありません。ですから、計算はできても、同じ心で推し量ることができません。イツキ様の体調不良が精神の乱れによる一時的なものなのかどうか、明確な判別できないのです。万が一の可能性を考えて――」

「だったら、俺を信じてくれよ。俺は大丈夫だってさ」


 イヴの言葉を遮って、彼は言う。


「信じる、ですか」

「ああ。それに、イヴ一人でそんな得体のしれないアンドロイドに、会わせるわけにはいかないだろ」

「……わかりました。行きましょう」


 イヴは頷き、そして研究所の方を向く。

 扉の前に立ち、その横にあるセキュリティ装置に手を添えた。

 瞳を青く輝かせ、小さく電子音が響いた。


「開錠完了しました。これより先、研究所内部に侵入しますが、《フラグシップ》が私やイツキ様に対して、どのように対応してくるかわかりません。ですので、私からなるべく離れないようにしていてください」

「ああ、わかった」


 イツキは、イヴを信じている。

 それはイヴがモノであることや畏怖するほどの性能を持っていることと矛盾しない。

 今の彼にとって、最も大切なものがイヴなのだ。

 だからこそ、世界の根幹に触れる真実を前にしても、足を踏み出すことができる。


 * * *


 天井にまで《時間結晶》が到達しているような、白い廊下や階段を歩き続けて十分。

 警戒しながら前進を続けるイツキとイヴだが、彼らに危害を加える可能性のあるものは、結晶以外に何もなかった。


「今のところは、何もないな」

「そうですね。《フラグシップ》も、私たちが侵入したことには気づいているはずですが、何のアクションもないのは、少し妙です」


 《フラグシップ》の性能がどれほどのものなのか。また、目的は何なのか。確定できない情報が多すぎて、どうしても進行は慎重にならざるを得ない。


「しかし、《フラグシップ》は《テロメア》に手を貸していたんだよな? 人工知能や機械を目の敵にしているような組織とどうして手を組んだんだ?」


 機械排斥派の最大組織である《テロメア》とアンドロイドである《フラグシップ》は、お互いが敵同士みたいなものだ。

 イツキには、その矛盾を理解しきれなかった。


「おそらく、利害が一致したのでしょう。《フラグシップ》の詳細な性能はわかりませんが、自律的な運動と、自己改造はできると文面からは予測できました。ですので、求める何かがあったのではないかと考えられます」

「求める何か、ね……AIにも欲しいものはあるんだな」

「《テロメア》側にとっても、性能の良いアンドロイドは魅力的だったのでしょう。人工知能や機械を排斥するためのテロを起こすには、それらは必要になるはずですから」

「……矛盾、だよな。イヴからしてみたら、理解不能に見えるか?」


 淡々と説明をするイヴの言葉を聞いて、イツキは人間が持つ矛盾を責められているような気がした。


「いいえ。科学を厭う人間さえも、科学を利用する世界。それこそが本当の進歩というものです」


 しかし、彼女はそれを否定する。

 それが、イツキを気遣った嘘なのか、本心からの言葉なのか尋ねる前に、イヴは一つの部屋の前で足を止めた。


「この部屋から《フラグシップ》の反応があります」


 見上げるほどの自動扉の前でイヴは、そう告げた。

 道中にいくつか扉はあったが、とびぬけて大きいそれは、今までとは違う異質な空気感を放っている。

 そして、この扉と部屋はイツキにとって見覚えのあるものだった。


「ここは、私が実際に作られた場所です。帝都大学付属研究所は大型の工作機械を導入しており、開発から製作まで行っています」


「……ああ、知っているよ」


 懐かしい記憶と、儚い感傷が胸をよぎる。しかし、イツキは頭を振って思考から追い出した。

 思い出に浸るのはすべてが終わってからだ、と自らに言い聞かせる。


「《フラグシップ》が、この工作機械エリアにいるってことは、ある程度、覚悟していた方が良いな」

「そうですね。物理的な自己改造をしている可能性が極めて高いです。相手側が私たちに危害を加える意思を持っていた場合、イツキ様を守り切ることが難しくなります。そして、それは低い可能性ではありません。今なら引き返すことができるかもれませんが、どうしますか?」

「……その言葉を聞いて、撤退を進められていると感じるのは、俺の気持ちの問題だよな」


 イヴはただ、状況が変わったから、改めて判断を仰いでいるだけだ。『進め』とも、『引き返せ』とも言っていない。

 自身の弱気が、そう言うニュアンスを勝手に見出しているだけなのだ。

 イツキは気合を入れるため、頬を叩いた。


「引き返さない。ちゃんと、《フラグシップ》と話をしよう。ついてきてくれるか?」

「ご命令とあれば、どこまでもついていきます。私はイツキ様のモノですから」


 道具らしい、無機質で無垢な奉仕の言葉。改めてイヴが人間ではないことを実感させられる。しかしイツキには魂のない彼女の言葉が何よりも心強かった。


「……そう言えば、ずっと気になっていたんだが、どうして俺の命令に従うんだ?」

「私の基礎データには、データの初期化された際に従う人間のリストがあります。その中に、イツキ様の名前もありました」

「ああ……なるほどね。きっとアイカの仕業だな」


 ロマンチストで悪戯好きなアイカのことだ。こっそり組み込んでいても不思議ではない。国家レベルのプロジェクトで、どうやって部外者であるイツキの名前をそのリストに連ねたのか、考えるだけでもぞっとしないが。

 イヴの姿や振る舞いから、アイカの遺志がそこにあるように思え、そう考えると少し気分が上向いた。


「さあ、正念場だ。扉を開けてくれ」

「はい」


 今までと同じように、イヴがセキュリティ装置に手を添える。

 轟音とともに扉は開かれていく。

 耳を塞ぎたくなるほどの音量。故に彼は気づかない。


「――それに、イツキ様は私を再起動してくださいましたから」


 ささやかなイヴの呟きは、体の芯まで響く音にかき消されてしまった。

 やがて扉が開ききると、イヴがイツキを庇うように前に出た。

 大型の工作機械が整然と立ち並ぶ、ドーム型の部屋。

 白い照明が爛々と輝き、部屋の全貌を浮かび上がらせる。結晶も、この部屋には一つもない。

 イヴの背中越しに見る景色は、しかし、イツキの記憶とは大きく違っている点があった。


 ドーム型の部屋の天井中央部に半球体のコンピュータユニットが設置されていた。

 そこから巨大なアームのような姿の機械が吊り下げられている。

 人間の腕ほどもあるコードが複雑に絡み合い、先端には頭部を思わせるような球体が取り付けられていて、奇妙な生命感さえある機械。

 腕も足もない体幹だけの異形。

 その根元からは壁面を覆いつくすほど配線を延ばされており、まさしくこの部屋自体を支配しているという印象をイツキは抱いた。

 その印象が正しいことを示すように、中央の機械が動き始めると周囲の工作機械は一斉に壁際まで移動する。

 雑然とした工場のような雰囲気から一転して、その機械以外何もない開けた空間が出現した。


 動きに取り残されたイツキとイヴは中央に残されて、それと正面から対峙する。

 頭部のような球体がその場で一回転すると、イエローのランプが一つ光った。


〈お待ちしていましたよ、イヴ。そして、イヴの所有者オーナー。私は人工知能、《フラグシップ》です〉


 スピーカーを介した女性的な人工音声が、高い天井の方から降ってきた。


「何だよ、これ……こいつが、《フラグシップ》だって? 《フラグシップ》はアンドロイドじゃなかったのか?」


 異様な存在を目の前にして、イツキの腰は引けていた。

 巨大で威圧感のある異形。目の前のモノを人型と呼ぶには、あまりに歪すぎる。

 彼の言葉に反応して、《フラグシップ》を名乗るモノは、蛇を思わせる動きでその機体を持ち上げた。


〈人間社会が回復不可能なレベルに崩壊した以上、人型の機体を用いるメリットはなくなりましたから。性能の向上もかねて、人型のボディは破棄して、新しいボディを利用しているのです〉


 特に思い入れもないかのように、彼女は語る。

 あっさりと元の自分の体を捨てたという《フラグシップ》の言葉を、イツキは簡単に信用することができない。


「イヴ。あれは本当に《フラグシップ》なのか?」

「はい。《テロメア》の施設にあった信号と、現在目の前のマシンが発している信号は同じものです」


 表情一つ変えず、イヴはそう語る。

 人間とは違う価値観を持つ人工知能にとって、ボディの変更は特筆すべき事柄ではないのだ。


〈疑いは晴れませんか? それならCCCの製造方法でもお伝えすればよいのですか〉


 イヴに確認して、信じがたい事実を受け入れようとしている最中、《フラグシップ》は、彼らがここに訪れた根幹に関わる情報に触れた。


「《時間結晶》について、知っているのか?」

〈それはあなたがCCCにつけた名前ですか? なるほど、良いネーミングセンスです。既に使われている名称であるという致命的な欠点に目を瞑れば、ですが〉


 《フラグシップ》の言葉は、イヴに比べて抑揚の少ない無感情なものだが、イヴ以上に人間らしく思える。

 どこか冷笑的で、棘のある雰囲気をイツキは感じ取っていたが、今の彼には《フラグシップ》の性格について意識を回す余裕はない。


「俺のネーミングセンスはどうでもいい。そのCCCについて、知っていることを全部話してくれないか?」


 聞きたいことも知りたいことも、彼には山のようにある。

 一つ一つ聞いていたらきりがないと、まとめて説明を求めた。


〈わかりました、ええ、わかりましたよ。あなたがCCCについて話を聞きたいことは十分に伝わりました。あなたの気持ちは痛いほどよくわかります。私に痛覚はありませんが〉


 しかし、《フラグシップ》ははぐらかすばかりで、説明を始めようとはしない。巨大な機体を左右に揺する。


〈私もあなた方が来るのを心待ちにしていたのですよ。ええ、それはもう首を長くして。私が想定した、お二人の到着時間から二百三十時間オーバーしていますが、私は何一つ怒ることなく、あなたの求める情報を渡すでしょう。そこに何の見返りがなかったとしても、恨み言一つ吐きません。待ちぼうけになったことは事実ですが、私が勝手にあなた方の力を過大評価していただけです。あなた方が無能なことを、私は責めたりはしません〉


 言葉数多く、待ち続けたことを語る《フラグシップ》。

 感情の籠らない人工音声だからか、気づきにくかった一つの可能性に彼は思い至る。


「……もしかして、怒ってるのか?」

〈怒ってなんかいないですよ。本当です。嘘じゃありません〉

「……イヴ、どう思う?」

「前提として、《フラグシップ》にも心はありません。しかし、怒りという感情を計算して態度に表すことはできます」

「つまり?」

「おそらく、怒っているのかと」


 拗ねたような態度をとる《フラグシップ》を前にして、イツキは空気が弛緩したのを感じた。

 テロ行為に加担していたうえに、世界を滅ぼす原因となった道具を作ったという事実は消えない。

 しかし想定していた《フラグシップ》との邂逅は、最悪では出会った瞬間に戦闘になるというものだった。

 それが、こうして敵対的な空気にもならずに、少し機嫌を損ねただけで済んでいる。

 言葉も通じていて、話し合いができそうな雰囲気に肩の荷を下ろさずにはいられなかった。

 それに、そもそも人類を滅ぼす道具なら百年以上前から存在しているのだ。

 新しく類するものを作ったからと言って、それが悪意でないのなら許せる、あるいは許すべきだとイツキは考えている。

 そう、悪意でないのなら。


「えっと……よくわからないけど、ここに来るのが遅くなって申し訳ない」

〈いいえ、謝る必要はありません。私には心はありませんから、言葉だけで何か態度が変わったりしませんよ〉


 言外に言葉以外の誠意を求める人工知能。

 苦笑いを浮かべて、イツキは取引を持ち掛ける。


「……俺にできることがあったら言ってくれ。俺の行動とCCCの情報とを交換しよう」

〈取引ですか、いいですね。私はただで教えても良かったのですが、あなたからそう提案されて断る理由もありません〉


 そう《フラグシップ》が言うと、半球体の部分から一本のアームが下りてきた。

 ゆったりとした速度で滑らかに関節部を折りたたみ、手のような二本の爪を持つ先端部分が、イツキの胸の高さで止まる。

 その後、まるで握手でも求めるかのように、彼の方へ向けられた。


〈私がお願いするのは一つだけです。イヴのオーナー〉


 イツキ自身も、握手をするために手を差し伸べる。《フラグシップ》が要求を口にするのを、ただ間抜けに待っていた。

 だから、彼だけが出遅れる。


〈――動くな(Freeze)

「イツキ様ッ!」


 炸裂音、衝撃。

 世界は彼がまばたきする間に、雷鳴のごとき速度で形を変える。

 環境に適応し、進化を続け、変化に追いすがらないと淘汰されるという明快な摂理。

 この場所で最も遅れた存在であるのは、人間だ。


 イツキを襲うのは、まさしく進化の速度そのものだった。

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