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時間結晶のイヴ  作者: やまなし
Chapter2 「More Than」
6/12

その手を掠めた真実の欠片

 イヴの完璧な先導の元、訪れたストアを探索している時にそれは起こった。


「イツキ様。こちらに来てください」

「どうした? 何かあったか?」


 呼ばれるがまま近寄ってみると、イヴが何もない床を指差していた。


「ここから微弱な信号を受信したので、叩いて確認してみたのですが、どうやらこの下に部屋のような空洞があるようです」


 彼女は屈み、拳で軽く床を叩く。比べるように少し離れた場所も何度か叩いて、イツキの方を向いた。


「わかりますか?」

「いや、すまん。音の違いがまったくわからない。倉庫でもあるのか?」

「倉庫というには狭すぎるように感じます。発せられている信号も、このストアが利用しているものと周波数が全く違います。開けて中を確かめますか?」

「……大丈夫なのか?」


 未知のものに胸をときめかすには、イツキは現実を見すぎていた。


「確実なことは言えませんが、おそらく大丈夫です。動的反応はありませんし、電子的トラップも感知できません。危害が及ぶ可能性は低いかと」

「……なら行ってみるか。鍵は開いているのか?」

「電子キーが故障しているので開錠は不可能になっています」

「じゃあ、どうするんだ」

「力尽くで開けます」

「え?」


 確認する暇もなくイヴは地面に手を添える。そして、その手を勢いよく振り上げた。

 瞬間、大地が持ち上がる。

 轟音とともに地面は捲られて、彼女は手に張り付いた床の一部をそっと横に置いた。

 できた穴の向こうには人一人分が通れる下り階段があった。


「手のひらに電磁石を作り、磁気で床と張り付けました。さあ行きましょう」


 驚くイツキに手招きをしてイヴは階段を下りゆく。

 おいていかれぬように慌てて追いかけた。

 下る途中に結晶が浸食している部位があり、それを避けて歩こうとするとバランスを崩しかけるが、彼女はそんな様子すら見せない。

 照明のない通路は、暗視ゴーグル付きのヘルメットを装着していなければ先が見えないほど暗い。

 無明の奥へと足を踏み入れてから十メートルほど下ると、ようやく階段が終わって鈍色のシャッターが目の前に現れた。


「開けますか?」


 イヴの言葉の少なさが、静かに緊張感を高めていく。

 ここに来るまでの設備を見て、この場所が上のストアとは関係のないものだとわかる。

 イツキが下りること決意したのは、イヴが明らかにここを気にしていたからだった。

 単純に食料を探すだけなら表のストアを探索するだけでいい。

 しかし、もしもこの場所に来なかったのなら、後日、イヴ一人で来てしまうかもしれない。

 道具が自分の認知しないところで行動するということを知ってしまった彼には、その可能性が耐え切れなかったのだ。


 とはいえ、それはきっかけに過ぎない。

 目の前にある巨大なシャッターは明らかに異質で、イツキ自身も興味を惹かれていた。

 イヴと出会う前だったなら、生きるのに必死でそんな興味など沸く暇もなかっただろう。

 環境さえも変えうる道具を得たことによって、生存とは関係ない部分を気にする余裕が産まれたということにイツキはまだ気づいていない。

 道具は手にしたものを良くも悪くも変える。


「……ここまで来たんだ。開けてくれ」


 命令を聞いたイヴは、シャッター横のセキュリティ端末に触れる。

 虹彩が一瞬青く輝いたかと思うと、シャッターが開いた。

 その内部はテニスコートの半分ほどの空間を有していた。

 天井は三メートルほどの高さにある。

 壁面に沿うようにして、据え置き型のコンピュータと記憶装置と思わしきユニットが大量に配線されている。そしてそのすべてが《時間結晶》に浸食されていた。

 的確にマシンを狙い打ったような不自然さがその空間にはあったのだが、しかしイツキの視線は別のものに釘付けだった。

 中央のテーブルの周囲に結晶の浸食から逃れようとして、そのままのカタチで飲み込まれた三人の人間の姿があった。

 苦悶と恐怖の表情。

 何度も見てきたものだったが、何度見ても慣れることはない。

 悲劇の瞬間が切り取られ、そこにある。


「……何なんだよ、ここは」


 人間の彫像に釘付けにされながら、独り言のように問う。

 その問いに答えたのは、唯一結晶の浸食を免れた紙状端末を拾い上げ、見つめていたイヴだった。


「ここはどうやら、機械排斥派が形成していたテロ組織、《テロメア》の仮拠点だったようです」

「《テロメア》……聞いたことがあるな、それ」


 機械排斥派の中でも最大規模で、イヴを含めた人工知能およびそれの研究に携わる人間にすら襲撃対象としていた過激な非合法組織だ。

 人間による自立と自然への回帰を理念とし活動しており、最先端の技術だけを狙い、無関係な人間には手を出さないという義賊的なテロ活動は、多くの機械排斥派に支持されていた。

 しかし、《テロメア》の上層部は政治や国防の中枢にまで食い込んでいて、人々の機械への憎悪や不安を煽り、利用することで生み出される利益を獲得することに、躍起になっているという話も聞く。

 そんなマネーゲームこそが最優先で、本気で機械への抵抗運動をしているつもりなのは下層部の人間だけだ、とも。


 見渡す限りマシンに埋め尽くされたこの部屋を見る限り、事実がどちらなのかは明白かもしれないが、今のイツキにとってそんなことはどうでもよかった。

《テロメア》。

 その名前を聞いて彼は、まことしやかに語られていた一つの噂を思い出す。


「《テロメア》が、タイムマシン実験を襲撃するっていう話。まさか本当だったのか?」


 実験の行われた帝都大学付属研究所から、この地下施設まで距離にして五キロも離れていない。

 彼にはただの偶然とは思えなかった。


「デバイスのパスワードを解除しました。ディスク領域の削除済みデータを可能な限り復旧します」


 最大規模のテロ組織が扱うデバイスのセキュリティさえ、彼女の前では抵抗すら許されない。

 一秒の時間すらかけずにパスワードは解除され、そのデータを丸裸にしていく。


「復旧完了しました。取得したデータから有意の文字列を抽出すると、実験襲撃の計画らしきものが確認されます。イツキ様の推測は、おそらく当たっているかと」

「それじゃあ、こいつらは……こいつらのせいで実験は失敗して、この世界が滅んだってことなのかよ」


 血液が煮立ち、脳が揺れるようだった。

 世界が滅んだということについて、イツキは実験自体を恨んだことは一度もなかった。

 科学の発展、技術の進歩に失敗や犠牲はつきものだし、それが許容できないのならば未来を生きる資格はないと彼は考えている。

 しかし、それが愚かなマネーゲームの果てのような、意図してされた妨害による結果ならば話は違う。

 イツキ自身が納得できないというだけじゃない。

 幼馴染のアイカがこんな連中のせいで人類を滅ぼしたという汚名を被る羽目になったのというのなら、到底許せる話ではない。


「……ふざけんなよ。お前らが邪魔したせいで、こんな、結晶が……」

「いいえ、イツキ様。それは違います」


 憤りのない思いが体の内側で弾けかけた瞬間に、どこまでも平淡なイヴの言葉が冷や水を浴びせた。


「違うって……どういうことだよ。こいつらが妨害したせいで、実験は失敗したんだろ」

「それはおそらく間違いありません。しかし、《時間結晶》が世界に出現したのは、実験失敗とは関係ない可能性が高いです」

「実験と結晶が、無関係……?」


 理解が追いつかなかった。

 この一か月、イツキはずっとこの《時間結晶》はタイムマシンの実験が失敗したことによって生み出されたものだと思っていた。彼にとっての常識がまたもやイヴによって覆される。

 そんな衝撃の事実を淡々と口にするイヴの姿はどこか現実感がない。

 途方に暮れるイツキを前に、イヴは手にした紙状端末の画面にいくつかのテキストを表示した。

 彼女が画面上のいくつかの単語をなぞると、文中の共通単語が色付け強調される。


「復旧可能だったデータの内、頻出している単語を確認したところ、固有名詞と思われる四つの単語が、含意も含め重要視されているようでした」

 言いながら、彼女は端末に、《フラグシップ》、《ネクサス》、《ハームレス》、《Crystal Clear Computer》の、四つの文字を表示させた。


「解析結果を順番に説明します。《フラグシップ》《ネクサス》《ハームレス》は、私と同じアンドロイドで、その機体の名前です」


 順序立ててではなく、自分の言葉を否定した真意をまず話してほしいとも思ったが、とりあえずそれを要求することはせずに話を聞き続ける。


「アンドロイドって、イヴしかいないんじゃなかったのか? どうして急に三体も出てくるんだよ」

「取得したデータにそこまでの情報はありませんでした。しかし、私がこうして存在しているという時点で、アンドロイドの開発は技術的には不可能ではありません。もっとも、性能まで同じかどうかはわかりませんが」


 イヴは同族の話になろうとも、夜空のような黒い瞳を揺らがせることはない。


「《ネクサス》、《ハームレス》は組織に敵対する存在としての文脈で使われていることが多い単語です。《フラグシップ》に関しては曖昧な表記が多いですが、おそらく《テロメア》に手を貸していたのではないかと思われます」


 三体のアンドロイドが二対一の構造で対立していた。しかも片方は、自身を目の敵にする組織のもとで。

 その事実に目を丸くするイツキだが、しかしそれ以上に驚くべきことが告げられる。


「そして《Crystal Clear Computer》――CCCと記されることの多かったこの単語は、おそらくイツキ様の言う《時間結晶》と同じものです」

「――――え?」

「こちらも詳細な情報を取得できませんでしたが、大枠は掴めています。CCCはミームに接触することで増殖し、演算能力を増す結晶型のコンピュータです。その性質上、ミームを受け取れるもの、すなわち人間を始めとする生物にのみ反応します」


 驚愕で、しばらく呼吸すら忘れていた。

 ようやく自我を取り戻したイツキは、情報を整理するように口を開く。


「えっと、ミームに接触することで増殖するコンピュータ……ってことは、これは、この結晶は、人工物なのか?」

「はい」

「つまり、実験が失敗したことが原因なんじゃなくて、誰かが作った結晶が増殖したことが、この惨状を引き起こしたわけだ」


 もはやイツキは失笑を禁じ得なかった。

 人類は偶然ですらなく、自らの手で人類の歴史を終わらせるスイッチを押したのだ。


「データを確認する限り、《フラグシップ》が開発に少なからず関与していたそうです。確証はできませんが、《フラグシップ》一機で製造した可能性すらあります」

「自然にできたものじゃないなら、どうにか消したりとか、壊したりできるだろ」


 微かな希望を込めて確認するが、イヴは首を横に振る。


「この結晶はダイヤモンド以上の硬度と靭性を持っているので、物理的な方法で破壊することは現実的ではありません。また、内部への干渉、つまりCCC自体への電子的介入に関してですが、演算能力に差がありすぎてセキュリティを突破できません」


 申し訳なさそうに眉を落とすイヴは見て、イツキは少なくない衝撃を受けた。


「そんな機械がこの世にあるのか?」

「イツキ様。勘違いされているようですが、私は一度初期化されていて、またすべての機能が十全に稼働しているわけではないのです。最盛期ならまだしも、現状の私以上の性能を持つモノは決して存在しないわけではありません」

「ああ、そうか。そうだったよな」


 成長度が凄まじいから勘違いしていたが、イヴは多くを失っている。イツキと同じか、あるいはそれ以上に。

 しかしそれでもイヴは、唯一シンギュラリティを突破したと言われていた人工知能だ。

 生まれたばかりですらなお、既に人間の知性を超越している。

 その存在が不可能というのなら、人間にできるはずもない。


「……どうしようもない、か」


 見えた希望が、瞬時に掻き消える様にイツキは肩を落とした。

 そんな彼の傍らに、寄り添うようにイヴが立つ。


「イツキ様、報告することがあります」

「……どうした?」


 俯くイツキに、優しく声がかけられる。


「現在、《フラグシップ》が発する信号を受信しました」


 絶望をもたらすのが彼女なら、未来を照らす希望となるのも、また彼女なのだ。

 がばっと顔をあげて、機巧の少女を見つめる。


「場所は帝都大学付属研究所。他の二体の信号は検知できませんが、少なくとも《フラグシップ》は健在です。私には不可能でも、開発したものであれば何かしらの対処方法を知っているかもしれません」


 迷いのない澄んだ瞳は、一筋の日差しのようにイツキを貫いていた。


「いかがなさいますか?」

「会いに行くに決まってるだろ」


 間髪入れないイツキの答えを、イヴは微笑んで受け止めた。

 先程まで、目の前の存在に恐怖を抱いていたことなど忘れて、その美しい笑顔に寄り添いたくなった。


「わかりました。帝都大学付属研究所まで先導します」


 イヴが差し伸べた手を、少しだけ躊躇って掴む。

 その手はひどく冷たくて、しかし、機械とは思えぬほど柔らかかった。



 不意に手に入れた真実の欠片。

 イツキ一人では到達できなかったそれは、イヴという道具が彼を拡張して、その手を届かせる。

 たとえ《時間結晶》をどうにかできたとして、人類が終焉を迎えた事実は変わらない。

 先に進んでも彼が得られるものと言えば、真実と、あるいは罪悪感に対する慰めくらいだ。

 ただ生きるだけならば、真実も罪悪感も必要ない。知らずに生きて知らずに死ぬ。

 しかしイツキは人間だった。

 善悪の知識の実。楽園を追放されてもなお、果実を求める強欲こそが人間の本質だ。

 故に、並び歩く彼らの姿はまさしく聖書のアダムとイヴ。

 人間と人間以上のモノは、真実を目指し、進む、進む。

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