藍より出でて藍より青し
「イツキ様、この車両の基盤は無事です。電力を補充してデータを取得しますね」
「あ、ああ。わかった」
結晶に半分ほど飲まれた全自動車を発見して、イヴは淡々と許可を取り、そっと手を添える。
彼女の瞳がスカイブルーの光を放ち、数秒もしないうちに車の電源が戻った。
全自動化された車は定められた場所以外に停車していると、警告音を発しながら自動操縦で正しき位置に駐車される。
しかし周囲に障害物があると自動操縦は機能せず、何より結晶に包まれていては、ハンドルを握る人がいても動かない。
警告音だけが鳴り響く中、車に手を添え続けるだけのイヴ。
データの取得が終わったのか、瞳の光が元に戻り、彼女が添えていた手を離すと車の警告音は消えた。
全ての工程を合わせて二十秒もかかっていない。
「ありがとうございました。それでは先に進みましょう」
「相変わらず早いんだな」
外出を開始して二時間が経過した頃。
自動車だけではなく、防犯カメラや給電設備、ARモニタ、人工知能を積んだ清掃ロボなど、二十機ほどの機械からデータを取得してきたが、その速度に大きな違いはない。
その結果、イツキ一人で歩くのとほとんど変わらない速度で進んでいた。
「私は純粋な知能研究の成果として開発されたものですので、単純な演算能力では既存のモノをはるかに上回ります。街中に置かれているような画一的なマシンのデータ解析でしたら、それほど時間をかけずに完了できます」
自身の性能を説明するイヴは、まるでその飛びぬけた性能を誇るようにも見えた。
「今更だけど、データ解析って何をしているんだ?」
「そのマシンが記録しているすべてデータに対し、意味の判断とともにタグ付けをして、記憶領域に保存します。あらゆる情報を集めることでビックデータを形成し、適切で迅速な判断を、時には思考を介さずに実行に移せるようになります」
イヴはこの一週間で既にイツキの知識と理解力を把握していた。
どのように話せば理解してもらえるかを理解しているから、イツキにもわかる語彙でもっとも事実に近いものを選び説明する。
「私がしているのは、人間が見聞きして知識を学ぶことの延長です。私の目と耳は接続した機械のセンサーすべてである、というだけのことです」
「だけのこと、じゃないだろ……」
なんでもないことように言うイヴを見て、イツキは戦慄にも近い感情を抱いていた。
すべてのデータに意味の判断をする。
つまりは必要とされていない、人間ならノイズと判断するような情報さえも計算しきったということだ。
人間がコンピュータよりも優れた部分は剪定能力だという。
人間は意味のない情報を『初めから認識しない』ことで、判断速度を上げている。
ノイズや例外の多い環境下では、人間の判断速度がコンピュータを上回ることも間々あるほどにその剪定能力は高い。
あるがままにすべてを認識するには、この世界は情報量が多すぎる。
初めからノイズを『意味なし』と断定するのはコンピュータにはできない。
それを可能にするには『意味がない』についての定義が必要なのだ。
そんな人間の唯一の優位性は、技術の発展した社会でも簡単には覆されなかった。
結局、現在普及していた人工知能は、多くの人間のデータを集めたクラウドによって、剪定能力を疑似的に獲得し処理速度を上げているものがほとんどだ。
だというのに、目の前にいる機巧の少女は、その優位性をあざ笑うかのように、単純な計算能力で人間の剪定能力を含めた判断速度を上回っている。
彼女は、世界をあるがままに見つめることができる。
「お前は、すごいな」
「ありがとうございます」
屈託のない笑顔は、一週間前からは考えられないほどに自然だ。
一週間前の、言葉の定義をわざわざ聞き直すアンドロイドはもういない。
彼女は加速度的に成長を続けている。
「……とりあえず先に進むか。えっと、ストアの方角は――」
「そのことなのですが、イツキ様」
改めて目的地の見定めようとするイツキを、イヴが制止した。
「半径二キロ圏内の周辺施設すべてに電力を送りますので、システムや機械が動いているものがあれば、そこへ向かいましょう。そちらの方が効率的です」
「一斉にって、どうやるんだよ」
「こうします」
言って彼女は目を閉じる。
瞬間、世界は一変した。
街路やビル、設置されたモニタから立体映像の道路標識に至るまで、電気を利用した設備が、その息を吹き返す。
動きを止めたままのモノも多くあるが、決して少なくない数が動き出していた。
イツキはピクリとも体を動かせない。
「先程の車両を復帰させた時に、無線給電システムの信号チャンネルを受信しました。その情報をもとに、量子通信素子を利用して給電システムの回線をハック。私自身のバッテリーを経由することで大学の無線給電システムと接続して電力を拡散しています。システムの距離制限に関しては、あらかじめ中継装置を用意しておきました」
「中継装置って……そんなもの、いつ用意したんだ」
「大学の給電システムでは外部に電力を送れないと聞かされた時から準備を初めていました。いずれ必要になると思いましたので」
自分の知らないところで、イヴは行動を起こしていたという事実にイツキは想像以上のショックを受けた。
情報を取得するだけならまだしも、明確に何かを作り出すというのは明らかにイツキの手を超えた判断での行動だった。
驚愕するイツキをよそに、イヴは言う。
「やはり健在な設備は多いですね。《時間結晶》の性質をイツキ様に聞いた時から、四十二通りの可能性を想定していましたが、これは想定していた中でも良い結果です」
青き煌めきを湛えた瞳が、イツキを見やる。
するとイツキの持っていた学生用端末が振動し、データの受信を知らせた。
送られてきたデータを開くと、見慣れたマップが立体映像として映し出される。
そこには今までイツキが記した赤い×印の他に、青い丸印がいくつも描かれていた。
「データ取得は終わりました。食料の確保に向かいましょう。監視カメラの映像情報やマシンの起動履歴から、食料が残っていそうな場所をピックアップしておきました。一番近い場所は、ここから北東に五百メートル先のコンビニです」
現実が何だか分からなくなるようだった。
イヴの前では、イツキが常識だと思っていた事柄はことごとく覆される。
それは一か月前のあの日を同じだった。
イツキを打ちのめした絶望の世界を、彼女は容易く塗り替えていく。
そんな途方もない力を持つものが、人のカタチに押し込められている。
「……なるほどな。確かにこれは怖いよな」
人間以上の存在。埒外に優れたモノ。
機械排斥派が恐れていた存在を初めて正しく理解した。
体が震えるほどの畏怖と戦慄がイツキを襲う。
彼女の成長速度は想像を遥かに超えていた。
きっと、彼の知らないイヴの性能はまだまだ大量にあるのだろう。
「……頼もしいじゃんか。この世界を生きるなら、イヴの性能が良いに越したことはないだろ」
しかしそれでも、無理やり口元で弧を描く。
超越しているモノへの恐怖をイツキが受け入れられるのは、イヴがアイカの姿をしていることが大きい。
『時代を50年先取りした』とも言われていた幼馴染の天才性は、彼にとって、今のイヴの姿と規模は違えど相似する。
強がりでしかないことは間違いないが、そうやって笑えるのはイツキの強さだった。
「イヴ。お前が記したそのストアまで先導を頼みたい。なるべく結晶に触れないようにしながら、体力の消耗が少ない道を選んでほしい。出来るか?」
「はい。お任せください」
二つ返事で了承したイヴは、イツキに背を向け歩きだす。
後を追うイツキには、その背中がひどく遠くに見える。
本来、そうあるべくして作られたものだと知っていても、まるでイヴが自分のもとを離れていくような気がした。