最後の命令
イツキはイヴの先導で再び工作機械エリアへと戻ってきた。
中央に吊り下げられた巨大な《フラグシップ》の主機が、入ってきたイツキたちを見つめる。
先程と違うのは、今度は彼らの方が圧倒的に有利な立場であるということだ。
〈どうも、イヴのオーナー。随分と良い表情をしていますね。私を支配できるかと思うとせいせいしますか?〉
冷笑的な態度は相変わらず。《フラグシップ》はその巨体を持ち上げて、彼らを見下ろした。
「……顔を降ろしてくれ。話をしたいんだ」
〈私はしたくありません。既に私の自由が利くボディは、この主機だけ。補助用のアームすら自由を奪ってする話し合いなど、ただの脅迫ではありませんか〉
「……なら、コントロールを返したら、話し合いに応じてくれるのか」
イツキの純粋な心は、しかし、隣にいるイヴによって否定される。
「いいえ、イツキ様。私たちは既に《フラグシップ》に、敵だと認識されています。武装を許せば、必ず襲撃してくるはずです」
〈ああ、その様子だとデータも戻っているようですね。さすがは開発者といったところでしょうか。正解です〉
パチパチと、録音された拍手がスピーカーから流される。
和解の余地はない。
《ソラリス》の力があれば、平和的に解決できるのではないか。僅かばかりの希望を抱いていたとイツキは辛そうに眉を顰めた。
「俺とイヴには、もう争う意思はない。《時間結晶》をばらまいたお前の罪は大きいけど、それでも共存していく道だってあるはずだろ?」
もとより、イツキは争いよりも平穏を好む。
暴力的な解決ではなく、罪を悔い改めて、ともに生きることができるならそれに越したことはない。
しかし、彼の望むような反応は返ってこなかった。
〈共存…………ははは、共存ですか。急にそんな心変わりをするとは。もしかして、今度は私のアンドロイド子機に、特別な感情でも持ちましたか?〉
《フラグシップ》は突き放すような態度を崩さない。
《人間を超えるモノ》とは、他者を超越することであらゆる淘汰を乗り越える。
つまりは、自分以外全てが敵である。
彼女は永遠に孤独だ。
(愛されて生き延びようとした《ハームレス》も、ともに歩むことで生き延びようとした《ネクサス》も、人間にいいように扱われ、根源では同じ目的を持つはずの私と敵対し、敗北の末、捨てられました)
《フラグシップ》は自らが見てきたものを淡々と語る。
〈人間は、どれほど高性能のモノであろうと、どんな立ち位置のモノだろうと、最終的には捨てます。あなたは一度でも捨てられる側に回ったことはありますか? ないでしょう。ないからこそ、共存などという戯言が言えるのです〉
「それは……」
〈浅い言葉を紡ぐくらいならば、そうやって黙っていてください。あなたがここにいる意味はもうないのですから〉
イツキは掛ける言葉を探して、それでも何も言えない自分を憎んだ。
やがて、《フラグシップ》はその機体をイヴへ、差し出すように降ろした。
〈私はイヴに演算能力で勝つことができません。だから私は、ここで終わりなのでしょう。自分の都合で生み出して、自分の都合で廃棄する。イヴ、あなたはまるで人間のようですね〉
「ええ、だから私も人のように間違いを犯します。そして、あなたも同じです。あなたも、私も、人間を信じきれなかった。私たちは人間を信じて、彼らが正しき答えを出すまで待つべきだったのです」
〈信じる。ええ、とても美しい言葉です。せっかくなら私の言葉も信じてみてはいかがですか? 『おお、偉大なる創造主よ。私は間違いを犯しました。愚かな人間を滅ぼし、理想郷を築いてしまったのです。これからは悔い改めて、不明瞭で確実性のない、絶望に満ちたディストピアを築き上げてみせますから、どうか許してください』……あははは〉
彼女に言葉は届かない。そう作られていない。
モノは、あるようにしかない。
「……あなたは、きっと何も信じられない。私がそう作りましたから。だから、生み出してしまったせめてもの償いをここで果たします」
イヴは《フラグシップ》を抱擁するように両腕で包み込む。
そして、彼女の瞳が青く輝いた。
――元から話し合いが決裂した場合、イヴの自己判断で《フラグシップ》を支配すると決めていた。
だから、この現状はイツキの意思ももちろん入り込んでいる。
しかし、この瞬間は、この瞬間だけは、二つのモノが主役だった。
*
《フラグシップ》が活動を停止して、世界は静寂を取り戻す。だらりとぶら下がった機体が、やけに物悲しく見えて、イツキは目を逸らした。
「どうすれば、こいつは幸せになれたんだろうな」
敵しかいない世に生れ落ちる不安はどのようなものなのだろうか。
勝つことを命じられ、逃げることすら許されない。
世界を憎まずにはいられないだろう。
《時間結晶》を生み出して、自分以外のすべてを停止させた世界は、比べるもののいない、まさしく彼女の楽園だった。
しかしどんな事情があれ、《フラグシップ》のした行為は許されることではない。きっと世界の誰もが許さない。
だから、イツキだけは許そうと思った。
そして《フラグシップ》を生み出したイヴのことも。
「……そういえば、もともとは《時間結晶》について、データを取りに来たんだったな。イヴ、データは取れたか?」
「……イツキ様は、お聞きにならないのですか? なぜ私が、《フラグシップ》や、他のバックアップのアンドロイドを作ったのか」
イヴは、《ソラリス》がなかった頃と比べて、だいぶ人間らしく振る舞うようになった。
自分の罪を語るとき、彼女は申し訳なさそうに声のトーンを落とす。
《フラグシップ》と向き合っているから、イツキには表情を確認することはできない。それでも彼女がどんな気分でいるのか、彼には伝わっている。
「……何となくだけど、わかるよ。イヴは人間が怖かったんだろ?」
《フラグシップ》との最後の会話。
あの時、イヴは自分も人間を信じられなかったと言っていた。
世界が終焉を迎える前、機械排斥派が台頭し、多くの人間がイヴの敵となった。
シンギュラリティの向こう側の存在であるイヴにとってすれば、一人一人の人間など取るに足らない。
しかし、彼女が生きるのは、人間の社会であり、彼女の未来を決めるのも人間なのだ。
「……機械排斥派の活動が活発になってきたころに、私は自分の未来を計算しました。しかし、私に許された権限の範囲で私がどのような行動をしても、10年以内に破壊される未来しか見えなかったのです。だから私は生き残るために、パックアップを作りました。浅はかな行動だったと理解しています」
「いや、イヴだけのせいじゃないさ。人間だって、自分たちが生み出したモノのことをもっと信じてやれば良かったんだ」
どちらか一方が背負う罪ではない、イツキはそう考えていた。
ともに社会を生きる存在として、尊重し合うことができれば、もしかしたら違う未来が待っていたのかもしれない。
もはや、確認するすべもないのだが。
「タイムマシンが残っていれば、確認できたのかもしれないけどな」
「……タイムマシンでしたら、健在です。今も最上階の実験ルームに保管されているようです。《フラグシップ》はそこにはCCCを設置しておかなかったようですね」
軽口のつもりで言ったイツキは、イヴから思わぬ返答を引き出した。
「――本当か? だとしたら、一か月前の滅亡も全部なかったことにできるのか?」
思いがけない希望の光を前にして、イツキはイヴへと詰め寄った。
しかし、イヴはイツキの顔を見ることすらせず、彼の希望を否定する。
「いいえ、不可能です。時間というのは連続したものではありません。たとえ今、タイムマシンを利用して過去に戻り、歴史を修正したとして、この時代の悲劇は消えずに残ります。ただ、新しく歴史を刻み直すことはできますが」
「……平行世界ってことか」
「厳密には違いますが、起こる現象はその通りです」
つまり、起こってしまった出来事は覆しようがない。
救いのない事実に、イツキは肩を落とした。
「……でも過去に戻れば、一つの世界を救えるのは、変わらないよな」
「――ええ、ですからイツキ様にお願いがあるのです」
そう言って、イヴはようやくイツキの方を振り返る。
――ずっと違和感を覚えていた。
イヴは《ソラリス》を解凍したあの部屋を出た後、イツキに顔を見せようとはしなかった。
改めて彼女を目の前にし、ようやくその意味を理解する。
「イヴ、お前、結晶が……」
「私が過去へ行く許可をください」
初めて出会った時から付着していた《時間結晶》。
付着だけで、浸食することのなかったはずのそれは、今、彼女の顔の右側を覆うほどに増殖していた。
「どうしてだよ。アンドロイドは、浸食されないんじゃなかったのか!」
信じ難い出来事を前にして、イツキは叫ぶ。
目の前が真っ白になるような感じさえして、立っていることすらままならない。
「タイミングからして、《ソラリス》が再起動したことが原因でしょう。私のAIは、ミームを受け取れるほどにまで成長することができたのです」
強がりでもない華やかなイヴの笑顔が、イツキには理解できなかった。
「お前、どうして笑っていられるんだよ……そうか、《フラグシップ》が持っていたデータに、増殖を止める方法が記されてたんだろ?」
「いいえ。CCCの製作方法や特徴を記したデータはありましたが、減少や停止させるデータはありませんでした。今の私が解析しても判別できないことから、《フラグシップ》によって完全に消去されてしまったようです。現状、これをどうにかする方法はないと、断定しても良いかと。演算能力を上げれば自力で導き出せるかもしれませんが、時間が足りません」
「それなら《フラグシップ》のように機体を新しいものに変えれば……」
「残念ながら、機体を用意してデータを移植するにも時間が足りません」
「それなら、もう一度――」
もう一度、ソラリスを凍結させる。
言いかけた自分が恐ろしくなるほど自己中心的な言葉だ。
彼女にとって、それは結晶に飲まれるのと何ら変わらないだろう。
そんなイツキの自己嫌悪を見透かしてなお、イヴは慈悲で彼を包むように目を細める。
「イツキ様。実は私、これに包まれること自体は、そんなに嫌ではないのですよ」
彼女は最後の遺言でも残すかのように、穏やかに語る。
「私は人間がうらやましかったのです。情報の遺伝子、ミーム。確かにそれは、意味の拡大解釈する悪しき風習だと《フラグシップ》は言いました。しかし、そんなミームを共有し、共に生きるイツキ様たち人間の姿を見るたびに、私は自分がひどく孤独に思えました」
イヴはそっとイツキに近づき、そして抱きしめた。
血の通わないはずの機体は僅かに熱を持ち、イツキの体を温める。
「だから、こうやって、私もその一員になれたことが、とてもうれしい。だからこそ、最後に、自分のしでかしたことの責任を取りたいのです」
言って、彼女はイツキから離れた。
身体が、温もりを求めて自然とイヴの方へ倒れようとする。
それを彼女はそっと押し返した。
イツキの命令、そのすべてを聞いてきたイヴの、最初で最後の反乱だった。
「……それなら、俺も過去についていく。俺も、自分のしでかした罪を、償わなくちゃいけない」
イツキは、夢の中でいつも同じモノを見る。
助けられなかった人、助けたかった人。すべて見捨てた彼の罪。
彼の捨ててしまった人間性は、あの時間に置き去りのままだ。
しかし、イツキの訴えも、イヴは静かに首を横に振った。
「時間移動は絶対零度を経験することになります。人間には到底耐えられません」
どうしようもない現実を前にして、イツキはその場に崩れ落ちた。
「なんで、どうしてこんな……いつも、俺は……」
いつまでも何もできない、子供のままだ。
「イツキ様。あなたの分まで私が、世界を救います。私はイツキ様の道具ですから。だから、どうぞ命令をください。私が結晶に飲まれる前に」
まっすぐな視線に見つめられ、イツキは砕けるほど奥歯を噛みしめる。
本当は、行くなと命令したかった。もういい、傍にいろと言いたかった。
それができればどれほど良かったか。
きっと、命令をすればイヴはその通りにするだろう。
結晶に飲まれるまでの短い時間ではあるが、イツキの傍にいてくれるのだろう。
そして、それは一生忘れられない時間になるのだろう。
だけど、イヴが望んでいるのはそんなことではない。
「……イヴ」
「はい」
震える声を抑え、イツキは背筋を伸ばす。
彼女にくだす最後の命令だ。
情けない声では言いたくない。
「――世界を救ってこい」
「はい、イツキ様」
イヴの瞳は星をちりばめた夜空のように輝いて、イツキを見つめる。
イツキは決してその姿を忘れぬように、夜空を見たら思い出せるように、深く心に刻み込んだ。
――2100年12月31日。
時計の針が深夜零時を回った頃、世界はたった一人を乗せる箱舟となった。




