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時間結晶のイヴ  作者: やまなし
Chapter3 「Trust Me」
10/12

「一つの心を分け合って」〈――No signal〉

〈――なnい、Ga、――〉


 ノイズを多く含んだ、断末魔のような言葉を発して、《フラグシップ》は仰向けに倒れた。

 その瞳は光を完全に失い、ただの残骸としてそこにいる。


「――イヴ!」


 しかし、イツキにとって関心事はそこではない。

 拘束が解けた瞬間に、射撃の衝撃で倒れたイヴのもとへと駆け寄る。


「いつき、様……ご無事でしたか?」


 何よりもまず、イツキの心配をするイヴを見て、彼は胸が締め付けられた。


「俺よりも、お前は自分の心配をしろよ!」

「わ、たしは、大丈夫です。ただ処理能、力が落ちているだけで、計算を終了すれば、稼働に問題は、ありません」

「そうは言っても……」


 イヴは不安そうに眉を顰めるイツキの脇腹を撫でる。

 射撃が傍を通り過ぎたため、彼の着ていた服は一部焼け焦げてなくなっていた。


「私を、信じてくださって、ありがとうござい、ます」


 イヴは最初から最後まで、イツキを避けて《フラグシップ》だけを射抜く射線を計算し続けていた。

 そのための処理能力を余剰として残していたから、三本目で膝をつくほどの負荷を受けていた。

 すべては、イツキが射撃許可を出してくれると信じて。


「……イヴも、俺のことを信じてくれてありがとう」

「私は、イツキ様のモノ、ですから」


 互いに互いを信じられる。イヴにはないはずの心を通い合わせることができたような気がした。

 きっとそれは《フラグシップ》の言うように、勘違いなのだろう。

 だけど、それは人間同士でも同じだ。

 だから同じように愛することもできる。

 イツキは倒れたイヴの手を掴み、強く握りしめた。


〈……ひどく不愉快な光景です。私を殺しておきながら、仲睦まじく寄り添うなど〉


 スピーカーから、何度も聞いた人工音声が響く。

 恨み節を語ってもなお、無機質なその声は淡々としている。


「……見えているのか」

〈ええ。工作機械エリアやこの倉庫に限らず、この研究所内はすべて私の支配下にあります。生きて出られるとは思わないでください〉


 先程までとは違い、明確な敵意が彼らを貫く。

 《フラグシップ》の中で、彼らは脆弱な取引相手ではなく、自身の生存を妨げる脅威だと判断されていた。

 『人間を超えるモノ』は生存の脅威に対し、逃走ではなく、闘争をもって抗うように作られていた。

 故に、彼女の彼らを見逃すという選択肢はない。

 それはたとえイツキがイヴの所有権を放棄しても、二人が研究所の外へ逃げても変わらない。


「イヴ、立てるか? ひとまず《時間結晶》のことはもういい。とにかくここを出よう」


 イツキは研究所を出れば、彼女の魔の手から逃れられると考えていた。

 しかし、《フラグシップ》の殺意は、存在証明にも繋がるものだ。

 その重さを正しく理解できるのは、この場ではイヴだけしかいない。


「いいえ、イツキ様。それでは意味がありません。たとえ外へ逃げたとしても、《フラグシップ》は私たちを追い続けます。あれは、そうあるように作られているのです」

「なら、どうしたらいいんだ?」


 イツキが尋ねると、イヴは自らに突き刺さった四本の針をすべて抜いて、壁に向け一斉に電磁投射を行った。

 耳をつんざくほどの爆音と閃光。

 思わず閉じた目を再び開くと、倉庫の照明は落ちていた。


「給電システムに攻撃して、この部屋を電気的に隔離しました。迂回回路を形成されるまでの間は《フラグシップ》にも、この部屋を見聞きすることはできません」


 ここまでされればイツキにもその意図はわかる。

 今からイヴはここで何かを為そうとしているのだ。


「凍結中の《ソラリス》を強制解凍します。成功すれば、私は本来の性能を取り戻します。おそらくマシンパワーの差で、《フラグシップ》を乗っ取り、機能停止に追い込むことも可能になるはずです」


 それは魅力的な提案に思えた。

 《フラグシップ》を乗っ取ることができたなら、ただ脱出できるだけではない。

 この研究所の設備も使うことができる上に、何よりも《時間結晶》についての情報が手に入る。


「可能なのか? ならそれを――」

「しかし、これには問題が二つあります」


 浮かれる彼を諫めるようにイヴは二本の指を立ててみせる。


「まず一つ目ですが、解凍を行う際に《ソラリス》が破損する恐れがあります。そうなった場合、私は完全に機能を停止してしまいます。今まで解凍を試みなかったのは主にこれが理由です」

「……どれくらいの確率で壊れるんだ?」

「精密な計算が必要です。現在の演算能力でしたら、5%以下の確率で失敗します」

「5%か……」


 5%。

 賭博師でなくとも当然賭けるべき可能性なのだが、それでも決してゼロではない。

 しかし、ここでその可能性に賭けなければ、より分の悪い戦いに挑まなくてはいけない。


「……ビビってちゃ駄目だよな。わかった、その可能性には目を瞑ろう。それでもう一つの方は?」


 イツキは腹をくくって、もう一つの問題を尋ねた。


「《ソラリス》は記憶領域も司っていることです。これを再起動するということは、イツキ様の知らない、初期化される以前の《私》が現れるということです。おそらく、この《私》は思考フレームを曲解して緩めることができます。イツキ様に危害を加える可能性もゼロではありません」


 イヴの言葉に、イツキは思わず体を固くした。

 以前のイヴ。

 それはつまり、《フラグシップ》を作ったイヴということだ。

 人類を滅ぼすかもしれない存在を許容した彼女は、もしかしたら目が覚めた瞬間にイツキを殺すのかもしれない。

 しかし――


「大丈夫だ。俺はイヴを信じる」


 イツキはもう彼女を信じると決めていた。

 5%なんかよりも、よほど迷わない。


「……ありがとうございます」


 信じるという行為は、疑いを片隅に置きながら、それでもなお、賭けるということだ。

 だからこそ美しく、そして重い。

 その意味を正しく理解しているから、イヴは感謝の言葉とともに笑う。


「それじゃあ、急ごう。あとどれくらいで電気は戻る?」

「あと60秒もあれば戻るかと」

「解凍にかかる時間は?」

「45秒です」


 もう一刻の猶予もない。

 電源が戻れば《フラグシップ》は確実に妨害をしてくるだろう。

 精密な操作が必要になるというのだから、絶対に避けたい可能性だ。。


「始めてくれ」

「はい。では失礼します」


 焦る心に身を任せ、イツキはすぐに始めるように命令する。

 ――そういえば、と。

 どうやって解凍するのか、聞いていなかったことを思い出した瞬間、彼はイヴに抱きしめられていた。


「ちょ……どうしたんだよ」

「落ち着いてください。私の機体に付着したCCCの位置はすべて把握していますから、イツキ様の体に触れることはありません」

「いやっ、そうじゃなくて……」


 落ち着けないのは《時間結晶》のせいではない。

 真剣な表情で抱きしめられて、突き飛ばすこともできず、結局イツキはされるがままとなった。

 血の通わないイヴの機体はひどく冷たい。

 抱きしめているイツキの方が凍えてしまいそうになる。

 初めは照れが勝っていたが、彼女の温度を認識して、彼はより一層強く抱きしめ返した。


 心臓の高鳴りは、きっとイヴにも届いている。

 イツキの熱がイヴに移り、混ざり合う。

 まるで一つしかない心を分け合うように。

 果たしてどちらが抱きしめ続けたのか。

 イヴが言った45秒を過ぎても彼らは離れず、電源が復旧し、照明が戻るまで二人はそのままだった。


「…………」

「…………」


 離れた後、静寂が二人を包んだ。

 イツキは、イヴを信じている。

 だからこそ緊張で速くなる呼吸を抑え、努めていつもように話しかけた。


「イヴ、首尾はどうだ?」

「――無事、《ソラリス》の解凍に成功しました」

「そりゃ、よかった。それで、お前は俺を襲うのか?」

「いいえ、イツキ様。そんなことはしません。私は、あなたのモノなのですから」


 まるで何一つ変わらなかったかのように、イヴはとても透き通った、綺麗な微笑みを浮かべた。





 人工知能、《フラグシップ》には心がない。

 だから当然のごとく、あらゆる事態をただの事実として認識する。

 200秒前のこと。一階の第六倉庫の電源がイヴの攻撃によって断絶された。

 しかしそれは彼女にとって問題ではない。

 たとえ一か所の給電システムを破壊されたところで、すぐに復旧することができる。

 彼女が作成したCCCを世界中にばらまいた時点で、彼女は世界の支配者と言っても過言ではなかったが、この帝都大学付属研究所は、さらに特別だった。

 自己改造を重ね続けた結果、この建物内において《フラグシップ》の手の届かない場所はない。

 人間知性を遥かに超えた演算能力の持つ彼女にとって、この場所で起きたあらゆる問題は、たとえその瞬間は解決できずとも、フィードバックされてきた情報をもとに自己改造して対処ができる。

 領域を限定した全知全能――まさしく、そのはずだったのだが。


 先程から《フラグシップ》を上回る何かが、彼女の体を切り離していくように、そのコントロールを奪取していく。

 本来ならあり得ないことだった。

 《フラグシップ》はイヴのバックアップとして作られた三機の中で、もっとも高い水準の性能を持つ。

 彼女に勝るのは、それこそ開発者であるイヴだけで、その本人は《ソラリス》が機能不全となっていたはずなのだ。

 しかし、この現象は《ソラリス》の仕業以外に考えられない。


 やがて彼女のいる真下の階まで支配が奪われる。

 今までは一階ごとだったのだが、隣接する階を奪われたことで、その回線を通して、何かが彼女の主機が司るネットワークへと侵入してきた。

 無論、《フラグシップ》は持てる力を駆使し抵抗するが、桁違いの演算能力を前に次々に権限を奪われていく。


 もうすぐ、彼女の悲願は達成されるはずだった。

 《ソラリス》を手に入れ、そこからさらに自己改造を重ね続ければ、いずれCCCをコントロールできるほどの演算能力が手に入る。

 全世界に広がったCCCという莫大なリソースを用いれば、彼女の望んだ世界を再設計できたはずなのだ。


 ――イヴさえ――いや、彼らさえいなければ、私は――


 何度も繰り返したはずの演算プロセスに一瞬だけノイズが走った。

 しかし瞬時に不要と判断され、あり得たかもしれない奇跡は()へと戻される。


 イヴからの攻性システムへの対処として、彼女は致命的な支配を受ける前に、主機以外の回線を切り離し、独立スタンドアロンシステムへと切り替えた。

 逃げるという選択肢のない《フラグシップ》は一人、彼らを待ち受ける。

 たとえそれが負け戦だとわかっていても。


 焦りも、不安も、苛立ちも、悔恨さえも感じない。

 彼女の人間らしい振る舞いはすべて、するべき理由があって演じているだけ。

 彼女に心はない。

 ただ自分がもうすぐ終わるのだという事実を、ありのままに認識していた。

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