Crystal Clear World
縄本樹は夢の中で、いつも同じモノを見る。
海岸を埋め立てて造られた島群の一角。広大な敷地を持つ帝都大付属研究所の一棟のビルから、油の切れた自転車が軋むような音が響く。本来であれば住宅街から離れた位置にある研究所からの異音など、ほとんどの人間が気づかない。
しかしその日、その場所は、人類すべてが注目する実験が行われていた。
《時空間移動装置》
人類が夢見てやまない時間跳躍がその日、なされようとしていたのだ。
人類の栄光と発展の瞬間を見逃さないよう、マスメディアやネットワークで映像は流され、科学に興味のある者や近くに住まいを持つものは研究所の傍まで直接足を運ぶ。
世界中の人間が実験に注目していた。故に本来であればごく少数の人間しか気づかなかったはずの異音は、まるで世界中に響いたかのごとく多くの人々に認識される。
そして認識した音の意味を人々が斟酌しようとした直後、勢いよく窓ガラスが割れ、ビルの中から大量の〝なにか〟が溢れ出た。
〝なにか〟は六角柱をベースとし、先端が三角形の錐面でできた結晶だった。氷のように無色透明で、それを見た誰もが、初めはただの水晶だと思っていた。
しかし、窓から飛び出したその〝なにか〟が、ビルの壁面を浸食するように増殖し続けるさまを見て、人々はすぐに自分たちの考えが間違っていたことに気づく。そして、その頃にはもう遅い。
――人々は理解する。実験は失敗したのだと。
大小様々、無限に増殖するそれは互いに擦れ、ぎちぎちと音を立てながらすべてを飲み込んでいった。
初めはビル。やがて零れた結晶が地面に到達すると、瞬く間に大地を浸食し始めた。
そして被害は周囲の人間にまで及んでいく。恐怖で逃げ惑う人々をあざ笑うように結晶は飲み込んでいった。
のちに《時間結晶》と呼ばれるようになるそれは、研究所に現れたのと時を同じくして地球上のあらゆる地域に発生し、すべてを浸食していった。
これがイツキの見た夢、あるいは非情な現実だった。
無論、これらすべての光景を実際には見ていたわけではない。彼がその時に見たものと言えば、ビルが時間結晶に包まれていく姿と、結晶が逃げる自分に迫ってくる姿くらいである。
それ以外は、自身の周囲で起こったことからの類推でしかない。
しかしあえて答えを言うのなら、イツキの夢に現れるものはすべて現実を忠実に縁取っている。
惨劇の断片は確実に世界のどこかで起こっていたことだった。
悪夢は光る色を変え、イツキ自身の視点へと移る。
逃げ惑う群衆の中、彼もまた生きるために駆けていた。
一人、また一人と周囲の人間が減っていく。
気にしている暇はない。
叫び声にも耳を貸さない。
正気を失うほどの恐怖にかられ、それでも自分が生き残るため走り続ける。
無限に感じるほどの時間が経過して、気づけばイツキの周りには誰もいなかった。
追いかけられ、追い立てられ、到達したのは一体どこだったのだろう。
辺りは暗く、何もない。
瞼を閉じたような暗闇の中、しかし結晶だけが凄惨な美しさをもって迫りくる。
終焉の世界から逃げ切れないことを悟り、イツキはやがて足を止めた。
全てを諦め、結晶に飲まれる瞬間、彼はようやく目を覚ます。
――2100年11月23日。
大きな飛躍を遂げるはずだった人類は、二十二世紀を迎えることなく、その歴史を終えた。