月夜の待ち人
想像以上の時間と想定以上の文字数にてお送りします最終回前編です。
後編は短くなるといいなあって。
ー1ー
私は一人。静かな公園の真ん中で空を見上げていた。夜風が少し肌寒くなってきた。夏の終わりを告げているのだろう。
私は空を見上げた。雲ひとつない夜空に私は安堵した。目的の『それ』も堂々と夜空の中央に腰を下ろして、その姿を露わにしている。
私は待っていた。友人を信じて。彼女を信じて。私はただ待ち続けた。
今宵の私は月夜の待ち人。今はただ…それだけである。
ー2ー
教室の窓から外を眺めた。もう季節は秋である。未だ夏の暑さが残っているが、校門の木々は足早に秋の装いを纏っていた。着替えには性急な気もするが、より華やかになった景色に帰宅の途につく学生たちから黄色い声が上がっている。変化とは必ず起こるものなのだ。
しかし、その変化に私だけが取り残されていた。私だけが変化を肯定できなかった。彼との時間を手放したくなかった。
右手に握っていた手紙をもう一度握りしめる。この手紙は私が登校してきた時に靴箱の中に入っていたものだ。今時、靴箱の中に手紙を入れるなんてどうかと思うだろうが、私にはその古めかしさがかえって彼を想像させてくれるように感じ、嬉しく思った。
時計を見る。下校の時間はとっくに過ぎており、教室には私しか残っていない。秒針のチクタクという音が部屋に響いていた。
そんな静寂に包まれた空間だったからだろうか。それとも私がそれを待っていたからだろうか。扉を開く音が耳にはっきりと届いた。
私はすぐにそちらに目線を移した。もう久しく会っていない、彼の顔を早くこの目に焼きつけたかった。
だが、そこにいたのは彼ではなかった。
「おお、ちゃんと待ってたようだな。」
教室の向こう側から、彼の友人は私に手招きした。
ー3ー
誘われるままに私は彼の友人に連れられて廊下を歩いた。しかし、彼と違って歩調を私に合わせようとしない。
仕方ないので話しかけて足を緩めてくれるのに期待することにした。
「それにしても、あなたにしては随分古風なやり方ね。」
ついでに皮肉をこめて、私は彼に問いかけた。
「…ああ、手紙の件か。仕方ないだろ。あれしか方法がなかった。」
「LINEで送ればいいじゃない。」
「そんなことお前に関係な…」
と言いかけたところで彼が意地の悪い笑みを浮かべた。
「なるほど、あんな手紙の出し方したからあいつが来ると勘違いしたんだな。なら逆恨みもいいとこだぜ。」
「…っ!」
彼の言葉に思わず肩を震わせる。
「図星のようだな。」
得意げに彼がそう聞いてくる。
誤魔化そうかという考えが頭をよぎる。しかし、そうすれば彼は更に私をからかうだろう。
「…ええ、そうよ。」
とりあえず素直に答えることにした。
すると、私のそんな態度が彼の良心の呵責を生んだのだろうか。バツの悪そうな顔で彼は言った。
「そうか…なら安心しろ。それを書いたのはあいつだ。LINEにしなかったのはただ頼まれた通りにしただけさ。」
さっきの返しは正解だったようだ。彼の口から出たのは軽い慰めの言葉であった。
そして、彼の言葉に安堵する。私が待ち望む人は間違いなくこの件に関係しているのだ。
「そう…それで?彼は何処にいるの?」
「そう焦るな。ついてくれば分かるさ。」
流石にこれ以上は答えてくれないようだ。
やがて私たちは下駄箱で靴を履き替え、正門に出た。
ー4ー
外に出た私の目に真っ先に飛び込んできたのは、タキシード姿の妙齢の男。そして…
…黒塗りのリムジンだった。
私はその光景を前にただ立ち尽くした。
「遅いぞ。早く来い。」
声のする方へ視線を向ける。彼は既に私を置いて車の方へと歩いていた。
「…乗るの?それに?」
「これ以外に何に乗るんだ?いいから来い。」
それっきり彼は立ち尽くす私を背に一人で、リムジンに乗り込んでしまった。
彼は普段、徒歩通学である。放課後に彼らが遊びに行くのを何度も目撃しているため、それは間違いない事実だ。故にこの大富豪がリムジンを所有しているかどうかは度々噂になっていた。私も冗談半分に聞いていたが、まさか本当に持っているとは。
「乗らないのか?乗るのか?早く決めろ。」
車の中から荒げた声が飛んでくる。タイムリミットは近いようだ。
私は先程から持ち場をぴくりとも動かない男に助けを求めた。私の目線を感じとったその男はにこやかに笑い、手ぶりで私を車の方へ誘導した。違うそうじゃない。
しかし…と私は考える。ここで乗車を断っては、今日中に彼に会うことはできないだろう。この件に彼が関わっているのは既に分かっていることだ。ならば私のとるべき選択肢は…
「…乗るんなら早く乗れ。」
ドアを開け、車に乗り込む私に彼は小言をぶつけた。
「ちゃんと会えるんでしょうね?」
「その点については安心しろ。必ず送り届けてやる。」
彼の言葉を聞いてから、私は椅子に腰をおろした。目の前の男が何を企んでいるのか分からないが、約束を破るような男ではないのだけは知っている。彼に会うためなら多少の苦難は乗り越えなければならない。
だから勘違いしないでほしい。私は決して人生で1度ぐらいリムジンに乗ってみたいなんて理由で乗り込んだわけではない。
ー5ー
俺は心の中でため息をついた。原因は目の前の女だ。乗り込む時はあくまで「彼」のためと言っていたが、乗り込んでからは車内のあちこちに意識を散らしている。完全に浮かれているのだ。少しからかってやろうと「お前が踏んでいるカーペットでお前の家が買えるぞ」と言ってみたら、足を3ミリほど浮かし始めた。
「なんだ?青狸の真似事か?」
「馬鹿にしないで。彼は猫よ。」
この様である。もはや手遅れだったようだ。
「ねえ?ドリンクを入れておく冷蔵庫はないの?」
今度は目を輝かせながら、こんなことを聞いてきた。
「なんだ緊張で喉でも渇いたか?生憎だが、このリムジンにはないな。」
「あら、そう。でもこういう車って中でお酒とか楽しむためのものでしょう?」
「ああ。だから、酒のボトルは各自であそこのクーラーボックスに入れておくんだ。」
そう言って奥に置いてある青い箱を指差す。
すると、彼女は不服そうに俺に突っかかった。
「そんなのつまらないわ。」
「なら自分で買えば良いだろ。」
俺はため息と共に椅子に身を預けた。酔っ払いの相手をしている気分だ。疲れが溜まる一方だ。
「なあ…お前は今、あいつと会って大丈夫なのか?」
だからつい口から出たこの疑問は本心だったのだろう。
そして、この言葉に対して彼女は見るからに狼狽えた。
「そうね…大丈夫といえば嘘になるわ。」
「なら…」
延期にしておくか、という言葉は彼女の声にかき消された。
「それでも私は謝りたい。1日でも早く彼に誠意をみせたい。」
俺は黙った。いや、黙らされた。彼女は間違いなく相応の覚悟を持ってここへ来ていたのだ。
「…そうか。なら良い。」
「あなたとしては、私が彼と寄りを戻しても良いのかしら?」
「当たり前だろ。何のためにここまでしてやったと思っている。」
少し強めの語調で言い放った。しかし、その一方で俺は安堵していた。彼女ならきっと俺の望み通りに成し遂げてくれるだろう。もしくはそれ以上の成果すらも…。
「ねえ、このぶどうジュース美味しそうだわ。栓抜きはどこかしら?」
「はあ…栓抜き?…おい馬鹿やめろ!それはワインだ!」
慌てて酔っ払いから栓抜きを奪い取りながら改めて思った。やはり俺は人選を間違えたのではないだろうか。
ー6ー
着いたのは町の外れの公園だった。町が一望できるとのことで子供の頃に一度だけ来たことがある。一度だけしか来なかった理由はその公園が狭く、遊具もちんけだったから。そして、公園に着くまでの階段が異常に長いからだ。
「着いたぞ、早く降りろ。」
彼が降車を急かしてくる。
「別にそんなに急かさなくてもいいじゃない。」
「今まで車内で起きた出来事を思い出せ。もう二度とお前と同じ車に乗るのは御免だ。」
そう言う彼の顔は青ざめていた。そう考えると悪いことをしたかもしれない。
「…彼はここにいるの?」
「ああ、いる。俺を信じろ。だから早く降りろ。」
今にも足で蹴ってきそうな勢いだ。
私は車から降りようとして、公園に目を向けた。彼の言う通りならこの先に彼がいる。なんだか感慨深く思った。
「ありがとう。」
「突然どうした?ここまで連れてきてやったことにようやく感謝の念が湧いてきたのか?」
「別にあなたが運転したわけじゃないでしょう。あなたと話していて緊張がとけたわ。ありがとう。」
私は彼に手を振って、カーペットに足がつかないように外へ出た。
「おい、待て。」
呼び止められたのはその時である。
「どうかしたの?」
「一言お前に言ってやろうと思ってな。」
なんだろうか。何か私に励ましの言葉でもあったりするのか。彼にも人間らしい部分があるようだ。
「そう、何かしら?」
試練の前に聞いておこう。私は彼の方へ振り返った。
「カーペットの話は嘘だ。買おうと思えばニトリで買えるぞ。」
「あなたって励ますセンスが皆無ね。」
ー7ー
憎っくき仇敵の視線を背中に感じながら私は一段一段登っていった。ある程度登ると彼の視線も感じなくなり、せめて登り切るまで見ていったらどうだとも思えてきたが、よく考えれば彼にそんな義理はない。しかし、無駄に長い階段である。もう日も暮れて暗くなっているとはいえ一人ともすれ違うことがない。なぜこんな場所に公園を作ってしまったのだろう?
その後も黙々と私は登り続けた。足は鉛のように重くなり、一歩踏み出すのにも一苦労である。本当にこんな場所に彼はいるのだろうか、とさえ思ってしまっている。ついに近くの手すりに腰を当て、立ち止まってしまった。
そもそも彼の家とこの公園は逆の方向にあるのだ。そんな公園に果たして彼はどんな思惑があって来るというのだ。
だんだん自分がひどく惨めに思えた。そもそもの発端は自分のついた嘘なのだ。なのに今の私はどうだろう。彼の友人とはいえ信用できぬ者の言葉に一縷の望みを託し、自らの罪を棚に上げて彼に許しを請おうとしている。ああ私の罪とは彼についた嘘などではない。きっとそれはこの汚れた心なのだ。やがて私は地面に腰をおろしてしまった。もはやここから立ち上がる気力すらも私にはない。まだ残暑がキツイとはいえもう秋だ。このままここで過ごしていたら死んでしまうかもしれない。…いやそれでいい。いっそこのまま私を殺して欲しい。そんな思いと共に私は瞼を閉じた。
ふと顔に一陣の風を感じた。その風にくすぐられるままにそっと目を開けてみると一枚の落ち葉が風に乗って宙を舞っているのが見えた。もうそんな時期か。私はその情景に情趣を感じると同時にこの落ち葉の居所が気になり、そっと階段の隅に視線を移した。そしてその落ち葉を見て、私は心の中で歓喜の声を上げるのである。
刮目せよ。その落ち葉はへしゃげているではないか。踏んだのだ。誰かが間違いなくここへ来てその落ち葉を踏み、そのまま上へ上がっていったのだ。無論それが誰なのか特定することはできない。だが私には分かった。彼だ。もちろん証拠はない。説得できるほどの論証も持ち合わせていない。しかし、その必要もない。
自然と私は立ち上がっていた。ふらふらだった足は階段を登る気力で充足し、目はただ一点、この階段の辿り着く頂点にのみ向けられていた。走らねばならぬ。そこに間違いなく彼がいる。心がそう叫んだ。
そこに誰か他にいれば、冷静に物事を見つめる第三者がいればすぐにでもこの足は止まるだろう。だが現実は違う。ここにいるのは私だけであり、この足を止める者はいない。
一段一段と実直に踏みしめていた足は、いつの間にか一段飛ばしで駆けだしていた。そこらに落ちている枯葉を踏む音すらも耳には入ってこなかった。
会いたい。それだけが頭の中に響いた。
ある時、次の階段を踏みしめようと前に出した足が空を切った。思わず躓きそうになり、反射的に膝に手をつき足を止めた。唐突な出来事に一時混乱するが、やがてその事実が指し示す意味に私は気づいた。もはや登ってきた階段はなくなっている。階段を登りきったのだ。そして、今自分が見ている地面が公園の入り口の石畳であることを同時に認識した。
私はゆっくりと頭をあげた。
ー8ー
待ち人は来た。何故か尋常ではないほどに息を切らしてはいるが、彼女は間違いなくここへやって来た。信じた希望は現れた。
ならばもう終わりだ。私は今や月夜の待ち人などではない。かつて傍観者を気取り積極的な試みを避け続けてきた臆病者はもういない。私は今この時点をもって主役を演じる。
さて、何と言って話しかけようか。そんなことを考えながら、私は彼女の方へ近づいていった。そして語りかけるべき言葉を十分に咀嚼してからー
ー私はゆっくりと口を開いた。




