黒の舞姫~悲愴の契り~
黒の舞姫
悲愴の契り
「おめでとうございます。ご懐妊ですよ」
産婆の声に依子は遠い目を外へ向けた。
あの人はもうここへは来ない。
まだいるのか分からないお腹に手を当て依子は静かに涙を流した。
幼いころから母の舞がとても好きだった。
凛とした姿。何でも負けない挑むような瞳。
私もあんな風に舞いたい。
ここは帝様の住むお屋敷。帝のお召しがあれば母は舞をしにきていた。私は三つくらいから一緒に来ていたらしい。
十二歳になった依子は慣れた足どりで内裏を歩いて回っていた。
「依子」
普通は東宮が話しかけたりすることはない。しかし、依子と東宮は三つのころから遊び相手だった。同い年なのもあり、依子が都へくると必ず遊んでいたものだ。
「東宮様」
依子はふり向き微笑む。
「母上の舞は終わったのか?」
「はい。無事に」
今回は本当に何事もなく無事に終わった。前回は母の体調がすぐれず、一週間も都で寝込んでいたのだ。何が原因であんなことになるのかそのころの依子は知らなかったが。
「だから明日には村へ帰ることになりました」
「明日?」
「はい」
東宮は今まで見たことのない顔をされた。何故?と思った時には手を繋がれ二人は駆け出していた。着いた場所はなんと帝の御前。
東宮は急に私を妃にしたいと言い出した。帝は驚いた顔で、今まで前例がないからだめだとおっしゃった。
私は真剣な東宮の横顔を見て思っていた。駄目に決まっている。災厄を祓う舞の子とは。
穢れを嫌う都の人々が納得するはずがない。
依子は幼いながらにもそのことだけは分かっていた。
消沈する東宮と別れた後、依子は誰かに攫われる。
次に目を覚ましたときには村の自分の部屋だった。
母は何も話してくれなかったが、とても心配してくれていた。
都では東宮が祓い巫女を妃にしたいと言う言葉に自分の娘を妃にしたいと考えていた大臣の仕業だと噂が流れていたという。
そのことがあってから依子を都へ連れて行かなくなった母。
男を家に近づけさせないようにしてしまったりと、母の心配は度を越すばかりだった。
十六歳になり、自分の体のこと。祓い巫女の役目などをすべて教わった。
どうりでこの体つきだと思った。私は恋を知らないのね。
男と会わないから恋をすることもない。
そんなとき舞の修練をしていると母と話す男の声が聞こえた。物陰からこっそりと様子を伺う。何か食料の話しをしているようだが詳しくは聞こえない。男性が少し向きを変えて話し出したので顔がよく見えた。上背があり、がっしりとした体つき。ととのった顔立ちに、農作業のためか日焼けした姿も男らしさを醸し出していた。
依子の胸がいきなり高鳴った。
その日の夜からだ。急な体の変化についていけず、熱を出した。
女の体になるために急激に成長する。今も覚えている。朝、急な成長を遂げた依子の姿に目を見開いた顔を。
体調が落ち着いたころにはもう色香漂う娘になっていた。
驚いたが依子はようやく恋を知ったのだなと嬉しかった。しかしこの嬉しさはすぐに悲しみに変わることとなった。
母に相手は誰だと聞かれても名も知らない人だし、この間母と話しをしていた人だと話すと母は青ざめた顔になった。
若くして村長になった三十二歳の男性だった。もちろん妻子がある。
しかし依子は好いた人の子しか産めない身体だ。
もちろん祓い巫女の後継は残さねばならない。とても揉めたらしい。
そうだろうけれどその時の私はあの人に会いたい一心だった。
母や帝からの手紙によって、村長と依子は契りを交わすことに決まった。
週に一度。赤子が宿るまで。
そのころ東宮は妃を迎え、結婚したと後で聞いた。私のことを心配してくれていたらしい。
村長は隼人という名だと母から聞き胸が高鳴った。体を清め、白の着物に着替え、隼人の訪れを待ち焦がれた。白い着物を着た隼人は依子を見て目を大きくした。
顔に何かついているかと心配したが、祓い巫女の家系はとても美人だ。一目で心を奪われたようだった。とても優しく抱いてくれた。毎週会うのが楽しみだった。肌のぬくもりが恋しく、毎日のように会いたかった。
そして半年後、ついに依子は身籠る。
隼人はもうこない。そのことに依子は苦しんだ。依子の恋は終わったのだ。
嵐の夜、女の子を産む。
結子を名づけた。この子には苦しい恋をしてほしくない。しかしどうしたらよいのかとまだ乳飲み子のわが子を抱いて涙した。