1
「なぁ、香先生のお話、どう思う?」
学校の帰り道。
直人は、声をひそめて博昭にたずねた。
小学校1年生にしては体格のいい直人は、そんな博昭を馬鹿にしたように、鼻で笑う。
「ばかばかしい。作り話だろ、あんなの」
「だ、だよな。話しだって、ありがちだし……」
落ち着いた態度で直人に否定されて、博昭はほっと息をついだ。
そんな博昭を横目で見て、直人はそっと自分の手を握りしめる。
そう、あんなのただの作り話だ。
この年齢の子どもによくあるように、直人も博昭もいわゆる「こわい話」が好きだった。
小学校の低学年の教室では、授業の合間やレクリエーションの時間に、担任の先生による「こわい話」の会が時折、突発的に行われる。
けれど直人たちのクラスである1年2組では今まで「こわい話」の会は行われなかった。
4月から担任だった橋本先生は快活な女性教師だったが、直人たちが小学校に慣れ始めた5月のはじめにお腹に赤ちゃんができていることがわかり、学校をお休みしている。
かわりに担任の先生になったのが、香先生。
まだ若い、はんなりした綺麗なお姉さん先生だ。
綺麗でおだやかな香先生は、女子にはとても人気がある。
直人たち男子だって、香先生のことは嫌いではない。
けれどあまりにおだやかすぎて、ちょっとつまらないところもある。
クラスの大人しい女子と同じような雰囲気で、ドッジボールをしていてもボールをあてたらいけないような、か弱い雰囲気の先生なのだ。
いつもおっとり笑っていて、直人たちと一緒に遊ぶ女子に対するように、からかったりしづらい相手だ。
だから、直人たちはこれまで他のクラスのように先生に「こわい話」をねだったりしなかった。
香先生に「こわい話」なんてさせたら、泣いてしまいそうだから。
けれど昨日、1組の生徒にさんざん1組の担任の先生の「こわい話」を自慢されて、ついねだってしまった。
香先生は、「こわい話」をねだられても泣いたりはしなかった。
大人なんだから当たり前だと思いつつ、香先生がすこし困ったような表情でその話を語り始めた時、直人はなんだか居心地が悪かった。
いつものおだやかな笑顔の香先生が、どこか困っているようで、それでいてどこか嬉しそうに見えたのが、なにか不気味だったからかもしれない。
香先生は、たんたんと「ぴぴぴのぴちょんさん」について話をした。
それはどこかで聞いた怪談を灰汁抜きしたような、さほど怖くもない話だった。
おばけの名前だって、どこか間の抜けたものだ。
小さな子ども向けの絵本に描かれた真っ白いシーツのおばけの名前みたいだ。
あんな話が怖いはずない。
クラスの中で背がいちばん高いせいか、近くに住む従弟の面倒をみなれているせいか、直人はクラスの中で「お兄ちゃん」ポジションにいた。
強い、落ち着いている、というのが周囲からの評価だ。
直人もそんな自分に対する評価を誇らしく受け取っていた。
だからあんな繊細そうな香先生がした「こわい話」を怖がるわけにはいかない。
例え、あの話を聞いた時から、背中の奥から本能的な「警戒しろ」というサインを受け取っていたとしても。
博昭は、直人の「ばかばかしい」という言葉に力を得たようにすっかり落ち着きを取り戻していた。
そんな単純さを、直人はうらやましいと思ってしまう。
「じゃーな」
「おぅ。また明日なー」
家の近くで、直人は博昭と手をふって別れた。
博昭の家は、この道を曲がってすぐのところにある。
直人は博昭の姿が角を曲がるまでなんとなく見ていた。
そして、母の待つ家に入っていった。
それが博昭との最後の瞬間になるとは、思っても見なかった。