6 答え合わせ! (前編)
一時間後、しびれを切らした双子の前に、兄の直樹さんが現れた。ちなみに、彼はリナとルナの五つ上のお兄さんで、H大医学部の四年生だ。
ナオキさんが部屋に現れるまでの関係者の様子は、多種多様だった。
マキさんは事件現場以外の部屋の片づけ。浅村さんは、また毛布にくるまれた元の姿に戻り、ひたすら黙りこくっていた。藻岩警部はリビングのテーブルでじっと佇んでいた。
「やあ、ナオキ君。久しぶりだね」
と云ったときの警部の口元のヨダレの跡を、見逃さなかった私たち。
「あれ、絶対居眠りしてたわよね」
という私の囁きに、にやけながら、双子は頷いた。
「ちぇっ! お前ら、か弱い『お兄さん』をこき使い過ぎだぞ。まさか妹たちに呼び出されて、バイト先を途中で抜け出すことになるとは、夢にも思わなかった」
真っ白で丸まった模造紙を小脇に抱えたナオキさんが、ひとしきりぼやく。バイト先はたまたま近所のお宅での「家庭教師」だったらしく、いつものジーンズの恰好に比べ、茶のスラックスと黒のジャケットと、落ち着いた感じの恰好のナオキさんだ。
「あ、どうも。ナオキさんをパシリに使うなんて……申し訳ないです」
とりあえずナオキさんに気を使った、私。
「いや、レオナちゃんはいいんですよ。レオナちゃんは。問題はコイツら! コイツらは本当、兄貴を何だと……」
ルナが、ナオキさんの言葉を遮り、彼の後頭部を一発引っ叩いた。ナオキさんから、彼の腕にあった模造紙をひったくる。
「ゴチャゴチャ云ってないで、とっととあれを話すっ!」
「ひぃー。イッテエな……空手部なんだから、こういうとき、もう少し手加減したらどうなんだい」
目尻に涙をためたナオキさんが、胸のポケットから小さめの手帳を取り出した。
「では、これからウチの愚兄が、今回の爆発ガスである『ブタンガス』の性状について説明します……はい、さっき頼んだヤツ、よろしくね」
リナのにこやかな笑顔から繰り出された、ありがたい指示を受けたナオキさんが、「誰が愚兄だよ」と呟きながら、手帳のページをめくり出す。
「えーそれでは、我が愚妹の片割れに頼まれましたので、拙いながら、私からガスの性状について、ご説明させていただきます。
カセットコンロ用のボンベに含まれているのは、今説明があったとおり、ブタンガスです。圧縮することにより容易に液化するため、広く燃料として使われています。
化学式は、C4H10。引火性が極めて高く、空気との混合体は爆発性を持ちます。空気中での爆発限界は、1.9%から8.5%で――」
「何その、バクハツゲンカイって?」
ナオキさんの説明に、少しイラつきながら口を挟んだのは、マキさんだった。しかし実は私も、その意味が解らない。思わず、マキさんに相槌を入れる。
「ああ……。すみません。説明不足でしたね。ブタンは酸素があって初めて燃える助燃性のガスです。そして、先ほど言った1.9〜8.5%の空気中濃度の時に、爆発的燃焼――つまりは爆発をしやすい、という性質持つわけです。
ちなみに、爆発限界の上限が10%未満であるようなガスは、少し漏れただけで大変なことになる可能性が高いので、防災上、要注意なガスと云われています。まさにブタンは、それに当てはまります」
「へえ、そうなんだ……」
そう発言したのは、まさかの浅村さんだった。
(知らなかったの?)と、思ったらしく、双子の女子高生が驚きを隠せない表情で、顔を見合わせた。
「結構濃度が低くても、意外と爆発するものなんだな――あ、いや、勿論知っておったがね」
頻りと汗をぬぐう、警部。「あんたもかい」と、ルナが警部に鋭い視線を送る。
そんな、澱んだ雰囲気を崩したのは、双子の姉、リナだった。
「それでは、『答え合わせ』をしたいと思います! マキさん、この模造紙をリビングの壁に貼っていいですか?」
「ああ……まあ、いいわよ」
マキさんの了解を得たリナが、壁に模造紙を横方向にセロテープで貼る。
ルナが、黒マジックで三等分するように縦に二本線を引き、右の欄に『必然』、真中に『偶然』、そして左の欄に『当然』を、きゅっきゅと音を立てながら、書き込んでいく。
(始まった! やっぱりこの謎解き、何度見てもカワイイわねっ)
私は、湧き上がるワクワクの気持ちを噛み締めながら、かっぴぃストラップを、ぎゅっと握り締めた。
浅村さんが毛布に包まりながら、のそのそ、とリビングに移動してきた。これで、関係者は全員、リビングに集まったことになる。ただ、彼だけは椅子に座らず、毛布の塊のようになって、床の上に座ったのだった。
双子から何を命令されたのか、大倉山刑事だけは未だ出かけて行ったまま、戻って来てはいなかった。
「では、まずこの事件の『必然』から、あげてみましょう」
ルナの掛け声で、リナがマジックペンを動かす。静寂の中、ペンの音だけが部屋に響き渡る。
「えーっと、ちょっと説明しますと、ここで必然とは、事件が『起きる』ために、若しくは『起きた』ために発生した、現在までに明らかになっている現象のことです」
リナが、後ろ向きで、補足説明をする。
「まずは、前提条件としての必然ね。これは、簡単。浅村さんとマキさん、お二人がお二人とも、亡くなった卓さんを忌み嫌っていたということ」
リナがこちらを振り返り少し横にずれると、壁に貼られた模造紙の上に、縦書きで「二人とも卓さんを嫌っていた」という黒マジックの文字が見えた。
マキさんと浅村さんも、これには異存がないらしい。二人揃って、大きく頷く。
「では次に、事件により必然的に現れた、現場からわかる『証拠』としての必然をあげてみるわね。まず、一つ目は……」
リナが、ペンをきゅきゅっと走らし、模造紙の文字を付け足していく。模造紙には、『ガムテープの跡』と付け足されていた。
「残った窓枠に、粘着質のネバネバが付着していたこと――これについては、マキさんに先ほど確認しました。マキさんは、窓を開けっぱなしにする卓さんに嫌がらせをするため、簡単には窓を開けられないよう、ガムテープで部屋の内側の窓と窓枠をあちこち目張りするような感じで張り付けていたんですよね?」
「そ、そうよ。何か悪い? 真冬に窓を開けっぱなしにしたりする、変な癖のあるアイツの方が悪いのよ」
警部の目元が、悲しげに翳りを帯びた。
ルナが、続ける。
「次に、二つ目。ベランダにあった、壁のひっかき傷――これは、浅村さん、あなたが鉤手の付いたロープ梯子のようなもので、ベランダに外側から侵入した証拠ってことで良いのよね?」
『ベランダのひっかき傷』と書いたリナが振り向き、浅村さんを睨みつけた。
「ああ、そう。そのとおりだよ……最初から事故だと思い込んでる警察は、そんな簡単な証拠すら、見逃してるのさ」
「え? アンタ、根性あるわね! 少し見直したわ。ウチは三階だし、結構大変だったんじゃない?」
「ああ? ナンノ、コレシキだ! 課長を亡き者にするためなら、この高さを登るくらい、へっちゃらだったよ」
意外な部分で、浅村さんとマキさんの話が盛り上がる。警部の眼の陰りが、益々濃くなっていく。
(本当この二人、相性がいいというよりは、同類?)
私には、そう思えてならなかった。
と、そのとき大倉山刑事が、息を切らしてリビングに帰還。
「この忌々しい双子に頼まれ、仕方なくこちらのマンションの防犯カメラの画像を確認したところ……確かに爆発事件のあった日の未明、ロープを使ってマンションの壁をよじ登る浅村氏らしき人物が確認されました! 残念です」
頻りと悔しがる大倉山の報告に、警部が大きく頷いた。
「そうか……わかった。では、浅村さんが現場に来ていたことは、間違いない訳だ」