【短編】城砦の炎術士~おじさん魔法使いはコーヒー好き~
暗闇が上下に開き、散らかった部屋が視界にはいる。
床には書類が広がっていて、フラスコが口から緑の煙をはきだす。ああ、自分の部屋だ。
外を見る、やや薄暗い。窓枠から独特のさわやかな冷気がながれこみ、私はぶるりと身をふるわせた。
どうやら早起きしてしまったらしい、そろそろ歳か。
三十路の体に防寒着をはおると、朝の町へ繰り出す。
市場の商人があいさつをしてくる、私も丁寧な言葉で返した。
さて、城門に向かおうか。警備の衛兵なら起きているだろう。
「こ、これは、おはようございます」
詰め所の椅子から、あわてて立ち上がろうとする新人。それを片手で制して、奥にいるベテランと会釈をかわす。
「今日はたまたま、早くに目がさめてしまってね。城壁の外でも見ようかと」
そういいながら視線を動かすと、詰め所のテーブルの上ではティーカップが湯気を立てていた。中には茶色い液体が入っている。
「おや、コーヒーか。いい趣味をしているな」
この町でコーヒーは貴重品だが、まったく手に入らないわけでもない。ましてや、この町の衛兵は、二番目に過酷な職業である。
「はい、炎術士さまもお飲みになられますか?」
いただく、と返事をして席に座る。
そう、私の職業は炎術士、この町の炎をとりしきる者だ。
コーヒーをすすりながら、衛兵二人となにげない話しをする。時間の区切りをつげる鐘が何回かなったころ、それはやってきた。
「おら、開けろ!」
怒声が朝の空気をつらぬく、木製の城門が荒々しくたたかれる。
扉のむこうで鉄の鎧がこすれあう音、衛兵にも緊張が走る。
きたか。
私はコーヒーのカップを置くと、詰め所の横に設置された窓へ歩み寄り、ひらく。
子供でも潜り抜けることは難しい、そういう大きさの小窓。会話用の窓だというのに、相手は槍を突き入れてきた。
「おら、食料を出せ。こちとら騎士団様だ!」
酒の飲みすぎでなったであろうガラガラ声に、げびた笑い声が追従する。
数年前、王が倒れ、この国は疲弊した。年単位の計画が立たないために穀物はとれず、疫病は、対応する人材を育てきれずに、そのすきまから村々へと流れ出していった。
それにさいたる影響をうけたのは、この国の騎士団である。
給料で生活している身であり、それも一部は現物支給をうけていた、さらに肉体派であり……つまるところ、一部の親衛隊以外は盗賊になったのだ。
今いる町も、私が着任してすぐに騎士団の襲撃をうけた。
その時の光景は凄惨きわまりなく、応戦した衛兵たちも、ほとんどが足や指を失う結果になった。
私も応戦したのだが、町の方々で火の手が上がり始めたために、炎術士として消火活動をするしかなかった。
味をしめたのか、騎士団たちは時々この町にやってくるようになった。
それを追い返すのが私、炎術士の役目である
炎術士とは。中級以上の火属性魔法をおさめ、国からの正式な認可を受けた魔術師をさす。
町に最低一人配属され、平時には祭りで使う火のいっさいをとりしきる。
魔術をわからない人間にいうならば。どのような新米でも、一地区の火事を完全に、そして一瞬にして消火できる、そんな魔術師だ。
「おらどうした、さっさと食料をよこせ」
木の板をうつ重い音、金属の特有の音がかすかにまじっている。鎧をつけた手で小窓をなぐったのだろうか。
町に対して食料を要求できる集団だ、武器を持っている者も多いだろう。
では、きっぱりと返答しよう。
「だめだ。お前たちに渡す食料など、一つもない」
言葉のひびきが消えないうちに、小窓のむこうでは武器と防具のこすれる音がひびきはじめる。
「てめぇ、本気でいってるのか」
「ああ、本気だ」
地鳴りのような声に返事を返すと、壁をへだてた向こう側では怒気がふくれあがる。
しかし魔術師を相手にそんなことをするとは、騎士団も地におちたらしい。可能性も考えない時点で、頭の中身がにごっているのだろう。
意識するより早く私の指が円をえがき、唇がうごきだす。
「我らを統べ、恩恵を与える火の神よ。我炎術士がサラマンダーと火精霊の盟約において懇願せん、その地よりも大きな手からわずかばかりの助力を、願い申しあげる」
手でえがく円は敵の場所を指定するもの、唇が詠唱を完了する。
「示した場所であかあかと燃えよ」
敵のすさまじい悲鳴が、いっせいに鳴り響いた。
「我らの友、名のある森の精霊よ、その熱された雫を奴らの頭上で豪雨と化せ」
次いでもう一撃。向こう側では、先ほどよりも苦痛に満ちた絶叫が空気をふるわす。熱した油にかぎりなく近い雫だ、鎧と火傷へのおいうちには適しているだろう。
便利な物が増え、遠距離は弓が主流となったこの王国だが、魔法はおとろえる気配をみせない。
なぜならば。見える範囲でさえあれば、魔法はどこまでもとどくのだ。さらに、常人ではけっしてなしえないその威力。弓が主流になったのは、詠唱が必須でなく、訓練しだいで誰でも使えるという立ち位置によるものだ。
完全に一方的な攻撃。敵はこちらの顔を見ることもなく、壁の向こうで逃げまどう。はからずも、今回は魔術の強みを引き出すことになった。
「撤退! 撤退だ! 逃げろ!」
発動した術が十をこえたころ、狂乱のさけびからひとかけらの理性が持ち上がり、足音がそれにつづく。
敵は動揺しきって、足並みがそろうことはない。
その足音が消え去ったところで、ようやく私は息をついた。
少々ぎょうぎが悪いが、椅子にたおれこむ。
「おつかれさまです」
若い方の衛兵が声をかけてくる、それにうなずいて、私はカップを手に取る。
“元騎士団”はしばらくやってこないだろう、それだけが救いだ。
しかし、遠くないうちにまたやってくる。そのときは、私がまた魔法を使うことになるだろう。
今飲んでいるコーヒーよりも苦々しい事実をかみしめ、ため息をつく。やれやれ。
私の職業は炎術士、この町で一番に過酷な職業だ。