猫はかわいい、猫はかわいい、猫はかわいい……。
私たちの前方を歩くは、二足歩行をする蜥蜴。黒いマントを着ている。そして、彼の首に巻きついている赤いマフラー。世界観も違うが季節感も違っていた。
ぶつぶつと何事かを呟いている。そして、時々こちらをチラチラと振り返っている。どうやら、私たちに気付いているようだ。
「あいつ、蜥蜴丸じゃねえか、何でこんな所にいるんだ?」
「知り合いか?」
「去年の夏、冒険者として一緒に臨時パーティーを組んだんだ。まあ、面白いやつではあったが、レムリアを本拠地にしているとは聞いた事がなかったな。まあいいか、声をかけてみよう」
大丈夫かな? まあ、見守ってみよう。
私たちは、蜥蜴丸とジンが呼んでいる男(あの声で女はないだろう、たぶん)に近付いた。
「よう、蜥蜴丸、お前こんな所で何しているんだ?」
声をかけられた蜥蜴丸は私達の方を振り向いた。
「ほう、貴様ワガハイにいかにもフレンドリーに声をかけるとは、何モノかね?」
アレ、蜥蜴丸の方はジンを知らないようだぞ?
「何言ってんだ、お前? 去年の夏短期間とは言え、臨時の冒険者パーティー組んでいたじゃねえかよ。忘れたのか?」
フム、と顎に手を当てて考え出す茶色の蜥蜴。さて、何処から何処までが顎なのだろうか? 私はどうでもいい事を考えていた。
記憶を辿って、そして辿り着いたのか、拳を掌に叩き付けた蜥蜴丸。ポン、と小気味いい音がした。
「確かに、去年の夏貴様と一緒に旅をしていたな。だが、それはワガハイであってワガハイではない、別のワガハイよ。まあいい、ワガハイに気安く喋りかける権利を貴様に与えようではないか。トゥッ!!」
そして、いきなり高くジャンプし、ジンに飛び後ろ回し蹴りをお見舞いした。
吹き飛ぶジン。
「何しやがる!!」
「クカカカ、貴様は肉体労働担当。そして、ワガハイは頭脳労働担当。ワガハイが汗水垂らして家まで帰るなど、あってはならないのだよ。よって、貴様の乗っていたこの馬公はワガハイが乗らせてもらう。貴様は地べたを這いずりたまえよ」
なんとよく分からない論理を並べ立てる蜥蜴であろうか。だが、馬から落とされたジンは、溜息一つで諦めたようだ。
「てめえに正論ぶつけたってどうにもならねえ。お前の家とやらは、近くにあるのか?」
「クカカカ、ワガハイ変温動物。もちろん、優しさだって持ち合わせておるよ。我が家まで来るというのなら、冷たい飲み物くらい奢ろうではないか。そう、ワガハイ心優しい科学の子」
蜥蜴は変温動物だっただろうか、それとも、恒温動物だっただろうか?
「では、行くか、変態片眼鏡よ。銀髪、貴様も来るかね? ワガハイ、女尊男卑大好きだから、貴様を蹴り落とさなかったのだよ。ありがたく思えよ?」
何故蹴り落とされなかった事をありがたく思わなければならないのだろうか? 全然わからない。なんだ、この世界観の違う蜥蜴は?
ジンはジンで不満を言う事もなく、蜥蜴丸が乗った馬の後をついていき出した。
「おい、何も言ってやらないのか?」
「お前も慣れるよ。こいつには何を言っても無駄だ。煙に巻かれるだけだ」
本当に諦めている表情をしているな、ジンよ。
しかし、馬の扱い上手いな、この蜥蜴は。まあいい、少し会話を試みてみるか。
「馬の扱いが上手いじゃないか。どこで習ったんだ?」
「それは、ツッコミ待ちかね? ワガハイ、笑いのセンスはそこそこあると自負している。その程度のボケに突っ込みはしないのだよ」
ボケ? おいおい、今の私のセリフの何処にボケの要素があったと言うのだ? 馬の扱い上手い……、馬の扱いウマい……。うん、ゴメン。全然気づかなかったよ。
「クカカカ、まあいい、心優しいワガハイが教えてやろうではないか。ワガハイであってワガハイではない、何処か遠い世界のワガハイが三日間程かけて乗りこなしたそうだよ。その記憶を共有したのだよ。だから、ワガハイなど初見で馬など乗りこなす。これぞ、科学者」
ゴメン、全然わからない。私の頭が悪いのだろうか? 不安になってジンを見てみた。ジンは首を横に振っただけだった。お前は何一つ悪くないよ、そう言われた気がした。ああ、私がおかしいんじゃないんだ。そう思おう。
領主の館が町はずれにあるらしい。そして、この町はいわばお膝元のような町だと言う。蜥蜴丸と話をしながら馬を操る事十数分。ようやく着いた。ジンは汗ダラダラだ。
そして、商店街の外れにやって来た。
「ここよ、ワガハイの家は」
そう言って、蜥蜴丸が指し示したのはどう見ても店と店の間の路地。奥には何もない。幅にしても一メートルもない路地だ。
「ついてきたまえ」
そう言いながら体を横にしながら路地に入って行く蜥蜴丸。ジンは疑いもせずにその後をついていき、路地に消えた。仕方ない、女は度胸だ。私もついていこう。
路地に入ると、何故か広い空間に出た。おかしい、一メートルもない幅の路地だった筈なのに、人が数人横に並んで、しかも、両手を広げても横に余裕があるぞ? 何なんだ、ここは?
「クカカカ、驚いたかね、銀髪? ようこそ、“スペースリザー堂”本店へ。歓迎するよ、“銀髪の魔女”セリーナ・ロックハートに“豪剣”のジン・トリスタン。さあ、扉を開けたまえ」
おかしいな、私は名前を教えていない筈だぞ?
「何故、私の名前を知っている?」
「何をおかしな事を。貴様、ワガハイが経営する“スペースリザー堂”の常連客ではないかね。貴様が購入した武器や防具もしっかりと理解しておるぞ。貴様はお得意様だからなあ。防具を揃える際にスリーサイズだって測ってあるのだよ。どうだね、ここでそこの変態片眼鏡に教えてやろうか?」
日本刀に光属性魔法を纏わせて斬りかかった私は悪くない筈だ。しかし、あっさりとかわされてしまった。
「ウホッ、怖い怖い。なかなかの剣速。しかし、ゲーサンに普段からボコボコにされているワガハイにとって、帝都騎士団三番隊組長といえども恥ずかしさ混じりの剣の速度など、楽々かわせるというモノ。伊達にほぼ毎日殴られていないのだよ。クカカカ、ワガハイ回避に関してはなかなかの定評を得ておる。もっともまだまだ、ワガハイは防御に関してはイケガミさんの足元にも及んでいないがね」
コイツ、出来る。帝都騎士団三番隊の誰よりも回避能力は高いかもしれない。そして、誰だよ、イケガミさん。気になるじゃないか。
ダメだ、完全にかわされる。もういい、諦めた。少し汗をかいてしまったな。何か冷たい飲み物でも貰おう。
溜息を一つ吐いて、二階建てと思われる店舗の扉を開けた。ふむ、ドキドキするな。よき出会いでもないかな。
扉を開けた私は、少年の声に出迎えられた。
「ああ、お帰り蜥蜴ま……、え、あの、ど、どなたでしょう?」
おいおい、いくらなんでも二足歩行と言うカテゴリーで蜥蜴丸と間違えられるというのは、ショックがでかいぞ?
しかし、少年よ、顔が真っ赤だぞ? そんなに私と蜥蜴丸を見間違えたのがショックだったのだろうか? 本当に見間違えたのなら、眼医者に行くのをオススメするよ。
「ええと、あの、お、お客様ですか……? すみません、中へどうぞ。ご自由に見て行ってください」
店員か? 十五歳くらいの少年だな。“スペースリザー堂”の店員で初めてまともな人間に会った気がするな。アレ、それ以前に他の“スペースリザー堂”の店員って、そう言えば人間だったかな?
「おい、いつまで店の入り口の前で突っ立っているんだ、セリーナ? 俺は涼みたいんだ。早く中に入ってくれ」
「ああ、すまない」
肩を押されるような感じで店内に入る。店の中はこれまた広かった。外観からは想像も出来ない広さだ。
正面にはカウンター席。カウンターの後ろには少年が何かコップみたいなモノを洗いながら、私の方を見ている。まだ顔が赤いな。何かあったのか?
「クカカカ、おい、ワガハイを置いてきぼりかました癖に、謝罪もなしかね? だいたい、いつまで女に見惚れているんだ? このエロガッパめ!!」
少年は蜥蜴丸に声をかけられて正気に戻ったのか、慌てだした。
「お、俺をエロガッパなどと言うんじゃない!! 俺には……」
「少年」
「な、何ですか?」
少年は何を言おうとしたのだろう。だが、私は気になった事を先に言ってしまった。
「少年、君には“俺”など、まだ似合わないぞ。無理して背伸びするんじゃない」
ポカンとする少年。何だ、正直に思うところを言ったのが悪かったのだろうか?
「クカカカ、ハトが豆鉄砲くらった様な顔しておるわ。流石のワガハイも実は豆鉄砲くらったハトは見た事ないよ。想像ではあるが、きっとこのような顔なのだろうな」
そうなのかもしれないな。
ジンが何事も言わずカウンター席に腰かけたので、私もカウンター席に腰かけた。ジンの右隣りに蜥蜴丸、左隣に私。正面には少年の顔。私よりもまだ、背は低いか?
「おいエロガッパ、こやつらはワガハイを置いてきぼりにしたお前らとは違い、ここまで馬に乗せてくれた心優しい連中よ。何か冷たい飲み物でも出してやれ」
「エロガッパと呼ぶな!! 俺には……」
「少年、君に“俺”はまだ早い。それよりも、何か冷たい飲み物を頼む」
少年は何か言いたげにしていたが、諦めたのか、後ろの物体の扉を開けて、そこからいくつかの物体をとりだして、カウンター上に並べていった。
「お好きなモノをどうぞ」
お好きなモノをって言われても……、何が何だか。
「なんだ、コレは?」
私は疑問に思ったが、ジンは蜥蜴丸と付き合いがあったからか驚いていないようだ。
「少年、麦茶はあるか?」
「これっす」
少年が指差したのを取り、蓋を外して直接口をつけ中の液体を飲みだした。
「どれにします?」
美味そうに飲み干すジンを見て、毒はない事を確認した。
「フム、少年、オススメはドレだ?」
色々字が書かれているが、何が何だか読めん。
「俺が好きなのは、コーラです」
少年が指差したのをジンの見様見真似で蓋を開け、中の液体に口をつけた。そして、むせた。
「ゲホッ、な、何だこれ?」
「初めて飲む人はだいたいそんな反応です。おしぼりどうぞ」
少年からおしぼりを受け取り、口元を拭いた。少し笑われている。ムカッと来たぞ。飲み干してやろうじゃないか。
数回に分けて飲み干した私は、店内を改めて見渡してみた。
右奥には巨大な姿見があり、その前では緑色の二足歩行をするマッチョな蜥蜴が先ほどから何やらポージングをとっている。何か意味があるのだろうが、私には分からない。何故陣羽織など羽織っているのだろう?
いくつかの商品が綺麗に陳列されている。もっとも、客はいなかった。いつもいないのかどうか、それは分からない。
左手の奥には扉があり、先程までその奥から水音が聞こえていたが、それもやんだ。
「ああ、待ってクリス、まだ体を拭いていないよ!!」
可愛い声が聞こえた後、扉を押し開けて白猫が飛び出してきた。そして、続いて扉から誰かが飛び出して来ようとした。手が見えた。女の子だろう。
「待ってアリス、お客さんが来ているよ」
少年が声をかけたと同時に引っ込む手。
そして、何故かカウンター席に飛び乗った白猫。両足先と尻尾の先だけが黒い。私達を見て固まってしまったようだ。
白猫に手を伸ばす。良かった、逃げられなかった。魔法を軽く使い、濡れたままの白猫の毛を乾かしていく。
ああ、可愛いなあ。猫、飼いたいなあ。騎士団の宿舎じゃ飼えないし。団長に頼んでみようかなあ。でも、毎日会いたいしなあ。
喉元を撫でてやると、嬉しそうに目を細めてくれた。柔らかい毛並みは、触っていて飽きない。
「セリーナ、お前確かに猫好きだったな。今のお前、凄く緩んだ顔をしているぞ」
ジンに声をかけられても特に気にしない。何故なら目の前の白猫が可愛いからだ。
「少年、名前はなんだ?」
「アキヒコです」
「少年、この子は女の子だろう? そんな名前を付けたのは、君か? 後でぶん殴ってやろう」
「いや、俺の名前です。その猫はクリスって言います」
少年の名前はアキヒコか。まあ、少年でいいだろう。
「クリスか、いい名前だなあ。どうだ、私の飼い猫にならないか?」
首を横に振られた。ダメだという事か?
「クリスは俺の猫ですよ」
少年の猫か。
「じゃあ、少年、クリスを私にくれ」
「ダメです」
押し問答をしていると、扉を開けて一人の少女が現れた。十五歳くらいだろうか?
「お客様? 珍しいね、このお店に」
クリスを拭くためにだろう、タオルを抱えていた。腰のあたりまで伸びたストレートの金髪の可愛い少女だった。
「天使だ」
私は彼女を見た瞬間、意識が飛んだ。