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セリーナ・ロックハートの大冒険  作者: 折れた羽根 しおれた花
第三章 冬のバラード~winter general's revenge~
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プロローグ

 荒い息を弾ませ、獣道を駆け抜けている鎧武者がいた。だが、兜は既にない。そして、鎧に覆われていない箇所は、草木に切られたのだろうか、血が滲み出ていた。

 口内にからみつく髪の毛を一息で吐き出しながら、駆ける。ただ、安全な場所を求めて。

 ――もう少し、もう少しで領内を抜けられる……。

 だが、その思考は安全な時だけであった。

「いたか!?」

「いや、見つからない……。獣道を行っているかもしれん!!」

 追っ手の野太い声が聞こえる。

 その野太い声がどんどん近づいてくる。先ほどまでは一切聞こえてこなかった声だ。

「――ッ!?」

 そして、鎧武者は足を止めた。行き止まりであった。正確に言えば、行き止まりではなかった。右手には滝。水面は見おろす先、遙か下。目前の坂は駆け下りる、と言うわけにはいかない角度――ほぼ垂直に切り立った崖――であった。

 ――飛び降りる事が出来れば……。

 鎧武者の脳裏をよぎるは、無事に着水し、泳いで逃げる事だ。だが、軽く二十メートル以上は下にあるだろう水面を見て、飛び降り、例え生き延びる事が出来ても、無傷ではいられない事を確信させるに十分だった。軽傷でも済まないだろう。

 ならば、鎧を脱ぎ捨てたらどうだろうか? いや、例え鎧を脱ぎ捨てて無事に飛び降り、無傷でいられたとしても、それ以前に鎧を脱ぎ捨てている時間がない。

 自分一人だけなら逃げ切れるものを……。

 その思考が脳裏を過ろうとした頃、己の足元に一本の矢が突き刺さった。

 驚き、振り返る先には、仇敵と呼べる存在がいた。

十蔵じゅうぞう、貴様か……」

 十蔵と呼ばれた男の後ろには数人の男たち。目が血走っている。ようやく獲物を見つけた、と言っただけの目つきではなかった。

初音はつねよ、武器を捨てろ。そして、我が元へ降れ。赤子を助けたいなら、な」

 十蔵と呼ばれた男は、好色そうな目で初音を上から下まで見おろした。

「私が貴様に降れば、姫様は助けてくれるのか?」

「おお、助けてやろうとも。ま、貴様は我ら一同が慰み者にしてやろう。姫様の見ている前で、なぁ!!」

 初音と呼ばれた鎧武者――長い黒髪の少女であった――は、己の右腕が抱える布にくるまれた赤子を見おろす。そして、やがて顔をあげる。

「信頼できんな。だいたい、何故お館様を裏切ったのだ、麻貴神まきがみ十蔵?」

 かつては、己と同じく、一人の領主に仕えた男。戦場においては、一番頼りになるとすら思っていた男の変節が許せなかった。

「男に産まれたからには、天下を獲ってみたい、そう思うのがいけないと言うのか?」

「……貴様は、奥方様がお館様に嫁がれたのが許せなかっただけだろう?」

 分かっていた。目の前に立つ麻貴神十蔵が奥方様にずっと思いを寄せていた事くらい。そして、己の気持ちが目の前に立つ男には届かなかった事を。

「ああ、その通りだ。だがな、初音よ。俺は己の力で天下を獲りたいと思ったのもまた、事実だ。その為にも、奥方様を手に入れるのにもお館様は邪魔だったのよ!!」

「……だが、お館様も、奥方様ももう……」

「ああ、屋敷と共に、炎の中に消えた。そして、俺はこの地を治めるさ。根回しも終わらせている。何が領民が一番大事だ、領民こそが宝だ。敵からの侵攻を跳ね返すだけでは領民も安心して暮らせまい。だからこそ、俺が天下を獲りに行く。このような狭い領地だけではなく、な」

 ジリジリと、男たちとの距離が狭まっていく。

「さあ、――姫を寄こせ、初音。禍根は絶っておかねば、な」

 この男、本気だ。少なくとも、先程私が降れば姫の命は助けるなどと言ったのはやはり嘘だ。

「断る。お館様と、奥方様と約束をしたのだからな」




「お願い、初音。この子を連れて逃げて頂戴」

 そう言いながら押しつけられた布にくるまった赤子。何度も抱きしめさせてもらった事があるからだろうか? 自分に抱かれても泣き声一つあげない赤子に安心した。

「そうはいきませぬ、奥方様。私も共に……」

「共に死ぬ事など許さぬ」

 後ろから障子を開ける音と共に聞こえてきた声があった。

「お館様……」

 何故だ、何故戦場で散る事を許してくれないのだ?

「お前はまだ十九。これから先がある。それに、お前以上の忠臣はおらぬ。だからこそ、この子を、――を連れて逃げてくれ」

「いつか、お家再興をする為に、ですか?」

「いや、お家再興など、どうでもいい」

「初音、貴女に、この子の、――の母親になって欲しいの。そして、立派な人間に育てて欲しい。優しい子に」

「そんな……、共に死ぬ事すら許してくれぬのですか……? 私が若いと言うのなら、奥方様だってまだ二十ではないですか!!」

 己とたった一つしか違わない、姉のように慕ってきた女性には死を命じておきながら……。

「許せ、初音よ。だが、領主夫婦が逃げては十蔵も血眼で我らを探すだろう。領民にもその手が及ぶかもしれん。それだけは御免こうむりたい」

「だから、お願い。この子を連れて、安全なところに。そして、この子を立派な人間に育てて。決して、お家再興など考えてはダメよ?」

 二人の考えが揺るがないモノだと分かった。もし、自分がこの場に残ると言えば、二人は己の事を恨むだろう。

「……分かりました。この子は、――は、私が責任を持って預かります」

「すまぬ。そして、感謝する。初音よ、ありがとう」

「我儘を聞いてもらってごめんなさい、初音。どうか、これからの貴女の人生に幸あらん事を」

 それが、二人との最後の会話だった。


 戦火迫る屋敷から命からがら抜け出したのは、その後すぐだった。






「どうした、出来るなら、お前が降ってくれればこちらとしてはありがたい。まあ、どうしても降らないと言うのなら、死体を弄ぶ事になるだけよ」

 下卑た笑い声が、最後の会話を思い出していた初音の意識を、今に戻らせた。

 だが、覚悟はこれで決まった。

「断る。お前たちの思い通りにはならん」

 そして、初音は十蔵たちに背を向け、滝壺へと、二十メートル以上下にあるだろう水面へと身を躍らせた。

 ――姫様。貴女を守れないであろう己の不甲斐なさをお許しください。お館様、奥方様、すぐにお二人の元へ向かいます……。

 ギュッと、赤子の身をきつく抱いた初音。そして、その視界が見下ろす先に、水面ではなく、不思議な色彩が広がった。

「ちぃっ。身投げを選ぶとは……!!」

 そして、崖の前まで身を運んだ十蔵達が見たのは、不思議な空間に身を躍らせた初音であった。その不思議な色彩は初音を飲み込んだ後、色を失い、十蔵達の視線の先には、波一つ立てぬ水面が広がっていた。




「どうするんです、麻貴神の旦那?」

「構わん、もうこれ以上追いかける必要もない。滝壺に身を躍らせて死んだ、と触れを出せ。これからは、余計な事に気を使わずに、天下獲りに突き進むだけよ」

 この後、天下獲りに突き進む麻貴神十蔵であったが、歴史上、彼の名を知る者は何処にもいない。結局、彼もまた歴史上、有象無象の一員でしかなかった。








「召喚魔法は、成功したのか……?」

 年若い男が、魔方陣の前で呟いた。カダス地方領主の息子であり、跡取り候補の一人であった。

 男は魔神を召喚し、己の手足として使用する、というバカげた欲望にとりつかれていて、遂には古文書を解読し、召喚魔法を実践してみせたのだった。

 だが、己の前に描かれた魔方陣の中には、何モノも姿を現さなかった。

「失敗……か?」

 落胆する男に声をかける者がいた。

「若様、気を落とさず。だいたい、召喚魔法など頼らなくてもいいではないですか」

 メイド服の少女だった。若様、と呼ばれた男と年はそう変わるまい。

「僕はね、この領地をもっと富ませたいんだ。領民が飢える事のない土地にしたいんだ。その為なら、人智を越える力にだって縋りたいんだ」

 カダスは、元々肥沃な土地ではなく、何とか貿易で成り立っている土地であったが、毎年領民の飢えには悩まされていた。

 土地の改良や農作物の品種改良などに現領主は取り組んでいたが、結果は芳しくなかった。そして、その息子である彼はもっと違う観点からアプローチをしようとしていた。

「難しいモノだね、シャノン。どうすれば上手く行くだろう? 召喚魔法は失敗だ。やはり、人智を越えたモノの力を借りる、という観点はおかしいのかもしれないな」

 シャノンと呼ばれた娘は、苦笑する。

 それでも、この若様をバカ息子とか、ドラ息子扱い出来ないのは、方向性が間違えていても、領民の事を第一に考えているからだ。

「若様、レナード様!!」

 二人でああでもない、こうでもないと知恵を絞っていたところ、召喚魔法を行っていた部屋の扉が叩かれた。長い事部屋に籠っていた為、何かあったかと思われたかもしれない。

「何だ、入って来ていいぞ!!」

 若様――レナードと呼ばれた男――に促されて入って来た男は、カダスの騎士団員の一人であった。

「大変です、レナード様。港の方の天気が急変しまして……!!」

「何、いつ頃だ……?」

「つい、さっきです。だから、皆、若様が何かしでかしたのでは、と……」

 シャノンと共に、港の方が見える所まで移動する。

「何だ、アレは……?」

 レナードたちが見つめる先、そこには、極わずかな一帯だけ、豪雨が降り注いでいた。




「雨がやんでいる……?」

 港まで駆けつけた時には、既に雨がやんでいた。

 僅かな供を連れて港までやって来たレナードの目に映ったのは、岸辺で倒れている変わった姿の黒髪の少女だった。自分と年はそう変わるまい。海を泳いできたのか、ずぶ濡れではあった。

「大丈夫か……?」

 胸は上下している。呼吸もしっかりしているようだ。

 何度か頬を叩いてみたが、すぐには意識が覚醒しないようだ。

 彼女の格好をよく見てみたが、まるで騎士たちが戦闘時につける甲冑に似た格好をしている。そして、何か右手のあたりに抱いていたのだろうか、白い布が見えた。だが、胸元のあたりだけ、その白い布はまるで何かに引きちぎられたかのように、そっくりなくなっていた。繋がるべき場所が繋がっていなかった。

「う……」

 どうやら、少女が目を覚ましたようだ。

「大丈夫か……? 言葉は分かるか……?」

 目を覚ました自分を見て、慌てて距離をとる黒髪の少女。

 そして、胸元をまさぐった。そこに居るべき、もしくはあるべき何かを確認するかのように。

「いない……?」

 あたりをきょろきょろと見まわす少女。

「どうした……?」

「寄るな、何モノだ……?」

 どうやら不審者に思われているらしい。

「私はこのカダス領領主の息子であるレナード。君は……?」

「カダス……? 聞いた事もない地名だ。何故、言葉が通じる……?」

 少女は疑問に思う事が一杯だったが、目の前の自分レナードから敵意は感じられなかったのだろう。自分の事を置いておいて、探し物を再開したようだ。きょろきょろとあたりを見回していた。

「探し物か?」

「赤子を、見なかった……? まだ、生まれてそう経っていないんだ。私が預かったんだ。立派な大人にするって……ッ!!」

 己がずぶ濡れである事に気付き、海に入ろうとする少女をひきとめた。

「よせ、何をしようとしているんだ?」

「あの子を、探さないと……、約束したんだッ!!」

「分かった。俺たちが探す。君はそこで一休みしているんだ。立っているのがやっとの状態だぞ!!」

 何とか海から離し、シャノンに彼女を預けてレナードはついてきた騎士たちと共に、赤子を捜索した。

 だが、何処にも赤子は見当たらなかった。

 数日間にわたって赤子の捜索は行われたが、見つける事は出来なかった。




 数日後、レナードとシャノン、そしてハツネと名乗った少女は港にやって来ていた。

「守るって、立派に育てるって誓ったのに……ッ!!」

 海を見つめ、涙を流す少女を見て、レナードは彼女の心を救いたい、そう強く願った。

「私は、また、無力だ……ッ。大切な人を、また守れなかった……ッ!!」

 そして、少女を中心に、膨大な魔力が膨れ上がった。彼女を中心にして、海が荒れた。極わずかな場所だけ。

「ハツネ、まさか、君は……?」

 己の未完成の召喚魔法が招き入れた異世界の、違う世界のニンゲンなのか?

 その言葉を無理やり飲み込んだレナード。そして、そのレナードを心配そうに見つめているシャノン。

 そして、ハツネは魔力の放出が終わると同時に砂に膝をついた。

「大丈夫か?」

「私は、これからどうすればいいんだ……?」

 涙すら枯れたのだろうか? 弱弱しげな眼に、レナードはきっと、一生かかっても贖罪出来ないかもしれないと思った。

「俺たちが暫く面倒をみる。その間に決めればいい。赤子が近くの港に流れ着かなかったか、触れを出す。連絡を待とう」

「分かった……」




 レナードは、彼女が膝をつく前にもらした言葉がずっと、頭から離れなかった。

瀬梨菜せりな姫、どうかご無事で……」








 カダス領奥深く、隣国セルファイス公国を隔てる狂気山脈と呼ばれる山々が近くにある村の入口に流れる川に、一人の赤子が流れ着いた。

 何処からどのようにこの地に流れ着いたのか、分からぬが、その村に住んでいた年若い夫婦がその子を拾って育てる事にした。

「なんて読むんだろうな、コレは?」

 赤子をくるんでいた布地に刺繍が施されていた。

「せりな……? そんな風に読めるわね」

 夫の疑問に妻がそう答えた。夫も、そう読めるな、と返した。何処からどう見ても、見た事のない文字だったが、何故だかそう読めた。

「でも、言い辛いわね。セリーナ、と名付けましょう」

「ふむ、それがいいな」

 こうして、小さな村に家族の一員として招き入れられた赤子がいた。






 いつの日か、セリーナと名付けられた彼女を中心として、物語が始まる――。



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