「あれは、ジ⚫⚫ト・ア⚫パーですか?」「いいえ、あれは、ウ⚫⚫⚫グ・ザ・レ⚫⚫ボーです」
セリーナ隊長……、じゃなかったセリーナ組長が今日レムリア辺境領へ旅立つ。副組長として、挨拶しておかねばなるまい。しかし、いつになっても慣れない。何故隊のトップが組長なのだ? やたらとセリーナ組長の事を隊長と呼んでしまう。まあ、組長も俺の事をよく副隊長と呼ぶ事があるのでお互い様だろう。
「ああ、セリーナちゃんなら、昨日は団長の家に泊まるって言ってたわねえ。こっちには戻らないで直接任務先に向かうって言っていたわね」
挨拶をしようと向かった騎士団の女性用宿舎で告げられたのは無情な言葉であった。もちろん、管理人のおばさん、ではなくお姉さんが悪意を持って言ったわけではないのだろう。だが、どうにも悪意丸出しな感じを受け取ってしまった。しかしおかしい、おばさんって脳裏によぎった瞬間お姉さんの視線から殺意を感じた。何故分かった? 俺は恐ろしくなり、頭の中でもお姉さんと考えてしまった。そう、小心者の俺は保身に走ったのだ。誰が俺を責められようか? いいや、きっと誰も俺を責める事など出来ないだろう。
俺は管理人のお姉さんに礼を言い、帝都の城門へ向かった。まだセリーナ隊長もこの時間なら出発していないだろう。きっと、帝都の城門で会えるはずだ。帝都は巨大な城壁で囲まれた街だ。城壁の中に外側から内側に向かって工業区画、商業区画、平民区画、貴族区画があり、中心に王城がある。騎士団宿舎は一応貴族区画にある。騎士階級の皆で持ち家がある者は平民区画であったり貴族区画に住居を構えている者も多い。団長の家は貴族区画にあるが、平民区画に近い。
隊長が朝早くレムリア辺境領へ向かっていれば会う事は出来ないだろうが、朝早くから遠出をしようとする隊長ではない。ゆっくり行っても城門で会えるだろう。
残念なことに、城門へ向かう事は出来なかった。
商業区画へと向かう途中、フローラに捕まってしまった。旅に出る隊長に挨拶をする為に城門へ向かっているとは言えなかったので、彼女に誘われるまま、喫茶店へと入ってしまった。
フローラは花屋の娘で二十一歳だ。以前ならず者にからまれていたところを巡回中の俺が助けた事があり、それ以来の付き合いだ。彼女が俺に対して気がある事は重々承知しているが、もう三十手前の俺よりいい相手がいると思うのだが。
向かい合わせでテーブル席に座り、他愛ない話をしていたが、フローラが雰囲気を変えた。何か重大な話があるのだろうか?
「アレックスさん、大事な話があります」
「何でしょうか?」
嫌な予感がする。いや、フローラは美人だ。金色の腰まで伸びるウェーブのかかった髪も、帝都の花屋で働いているだけあってファッションセンスもいい。彼女を狙っている男も多い。つまりは、敵も多い。
「私と、結婚を前提にしたお付き合いをしていただけないでしょうか?」
返答に困るな。田舎に住む両親からは早く孫の顔が見たいとせっつかれているのは事実だが、俺はどう答えるべきなのだろう?
「俺なんかでいいのかい?」
「はい」
むむ、どうしよう? だが、ここまで俺の事を想っていてくれるんだ。真面目に答えないといけないだろう。
「フローラ、君への返答をする前に、俺の事を聞いて欲しい」
「はい、何でしょうか?」
「俺は、ドMだ」
「は?」
おいおい、可愛い女の子がハトが豆鉄砲くらったような顔をするのはやめてくれないか? 豆鉄砲くらったハトなんて見た事もないが。それ以前に、豆鉄砲ってなんだろうか?
まあいい、話を続けよう。
「俺は、どうしようもないドMだ。美少女に怒られる事が大好きなんだ。どうも、そういう性癖らしい。もし、俺と結婚を前提として付き合いたいというなら、俺の性癖を満足させられなければダメだ。その覚悟が君にあるかい?」
目の前に座る女性は顔を蒼褪めさせている。
「あ、あの、ほ、本当ですか? ソレ……」
冗談を言っていると思っているのだろうか?
「私を振るためにそんな事を言っているんですか? セリーナ・ロックハートって三番隊の組長の事を好きだっていう噂は本当なんですか?」
ああ、そう考えているのか。勘違いも甚だしいな。
「いや、セリーナ隊長の事は尊敬している。あの若さで帝都騎士団の隊のトップを任されているし、剣も魔法も腕は若手では最強だ。だが、彼女の事は別に好きじゃない。彼女に怒られたり、罵倒されるのは好きだが。そう、どうしようもなく怒られたり罵倒されたりするのが好きなんだ。涙目で怒っているのを見るともう、天にも昇る気持ちになると言ってもいい。しかし、そんな事はどうでもいい、俺は君の事は好きだよ。出来るなら恋人になってもらいたいくらいだ。でも、どうしようもないんだ。俺はドMだ。女性に怒られたり罵倒されたりするのがどうしようもなく好きなんだ。俺の性癖を満足させられるような相手じゃないと、真剣に交際は出来ないんだ。フローラ、君は若いし、美人だ。君を好きだと言ってくれる男も沢山いるだろう。君が真剣に俺と交際したいというのなら、俺の性癖を満足させてくれ。それが出来ないのなら、俺の事は諦めてくれ。俺たちは単なる友人で、まだ恋人として付き合っているわけじゃない。君に変な噂がついて、君の将来がダメになるなんて事もない。今のうちに俺の事を諦めるのが君にとってもいい事だ」
言ってやったぞ、俺は。彼女が俺の事を真剣に思っていてくれるからこそ、真剣に答えなくてはな。
「わ、私の事をバカにしているんですか? これくらいの嘘や冗談で、諦めると……?」
もしかして、まだ隊長との事を疑っているのだろうか?
「いや、嘘や冗談ではない。君が俺の性癖を満足させる事が出来る女性なら、俺は文句はない。君は俺の性癖を満足させられるのか? どうなんだ?」
話し終わった瞬間、俺の左頬が心地いい音を立てた。
フローラの右手が放ったビンタが当たったのだ。
「いい、実にいいビンタだ。もしや鞭打という技法で放たれたビンタかと錯覚するほどのビンタだ。ああ、もう一度、もう一度ビンタしてくれ!!」
手首のスナップといい、角度といいあまりにいいビンタだった。俺の性癖を満足させかねない程素晴らしいビンタだったので、つい再度叩いてくれと懇願してしまった。病みつきになりそうだよ。このビンタに俺は心奪われた!!
しかし、残念な事にフローラは悲鳴をあげて恐ろしいモノを見る顔つきで喫茶店を出て行った。ああ、さよなら俺の性癖を満足させかねないビンタよ。
仕方ない。追いかける事なんて出来ない。彼女がただ一つ残していったもの――伝票だ――を持って喫茶店を出よう。金は俺が払うさ。
だがその時、俺はその時気付いてしまった。まるで汚物を見るような目で店内の人間が俺を見ている事に。
流石の俺も店の雰囲気に耐えられなくなり、テーブルに三千Gを叩き付け、喫茶店を後にした。釣りなんざ要らねえよ!!
喫茶店を後にした俺を出迎えたのはフローラの悲鳴だった。俺を見て逃げ出した時の悲鳴とは違う。
彼女の首にナイフを突きつけた、以前彼女に付きまとっていたならず者たち。
「アレックス・アクロイドだな? この女と付き合っているんだろ? 俺たちはてめえに復讐がしてえだけだ。この女を傷付けられたくなかったら、武器を捨てて、土下座しなよ。優しい俺たちはそれで許してやるからよ」
「やってみろよ」
「は?」
「彼女に傷一つでもつければお前たちは殺す。傷付けなければ、半殺しで終わらせてやる、どうする?」
ならず者たちは戸惑っているようだ。それも当然かも知れないが。だいたい、ちょっとした切り傷くらいなら回復魔法が使える魔道士に頼めばいいだけの事だ。この手のやつらは俺が無抵抗でいた場合、俺をボコボコにしてから彼女をひどい目にあわせる。そう、相場が決まっているのだ。だから、俺が無抵抗で殴られたりしたら、殴られ損だ。
奴らが戸惑っている間に一番手近にいたならず者Aの顔面を殴りつける。壁に叩き付けられたAは、追い打ちをかけた顎への掌底の一撃で気絶した。
「て、テメエ」
「帝都騎士団三番隊副組長の実力を侮ってもらっては困るな」
ならず者数人如き、素手で相手できるのだよ。
乱闘が始まったが、モノの一、二分で片が付いた。後はフローラにナイフを突きつけていた男だけだな。
そう思って男を半殺しにしようと振り返った俺の目の前にはセリーナ隊長が立っていた。セリーナ隊長の足元では、フローラにナイフを突きつけていた男が胃液を吐きながら蹲っていた。
「何をしているのですか、アクロイド副組長? 今日は騎士団の組長の集会があり、貴方には私の代理での出席をお願いしていたはずですが」
声が怒りに染まっている。いつもの俺を怒る時よりも、迫力が桁違いだ。恐怖すら感じる。
「隊長に罵倒されたくてですね」
隊長に挨拶をしておきたくてですね。……、おいおい、本音と建前が逆になっているよ、俺!?
おおう、隊長の迫力が恐ろしいことになって来ている。
「だいたい、女性が捕まっているのに、何事もなくならず者たちを叩きのめすのはどうかと思いますよ? こういう時は男気を見せるべきです」
「無抵抗で殴られる男を演じるつもりはありません。俺は美少女に叩かれたり罵倒されるのは好きですが、男に殴られるのは御免です」
「そうですか、ところで私が見ている前でだけ仕事でよくミスをするのは、貴方の性癖のせいですか?」
何を言っているのだろうか?
「先ほど、喫茶店に向かう貴方達を見かけたものですからね。魔法で髪の色を変えて後ろのテーブルで話を聞いていましたよ。私に怒られたり、罵倒されたりするのがたまらなく好きだそうですね」
なんて事だ。とっくにばれているとは思っていたが、直接理由を聞かれていたとは!!
「貴方の大好きな罰を与えてあげましょう」
今まで感じていた迫力に加えて、殺気を感じる事が出来た。
「舞い上がれ!!」
顎に衝撃を受けたと思った瞬間、俺の体は舞い上がった。上空高く。
「ふむ、よく上がりますね」
魔法で強化している拳でアッパーカットを決めたからと言って、あそこまで上がるとは思わなかったな。ティンダロス正教会の帝都本部の塔よりも高く上がっているではないか。
落下地点はここらへんだろう。だいたいの見当をつけ、地面に十字を踵で描く。
「あと十秒でここにアクロイド副組長の体は落下します。ここが彼の死に場所です」
私はフローラさんにそう告げ、その場から離れた。もっとも、本当に殺しはしませんがね。
十、九、八、七、六、五、四、『ドゴォッ!!』 三、アレ?
どうやら、私のタイミングの取り方は間違えていたようだ。残り四秒のところでアクロイド副組長の体は私が描いた十字に叩き付けられていた。そこらへんに亀裂が走っていたが、気にしない事にした。
「この技を『フリーフォール・グランドクロス』とでも名付けましょう」
うん、厨二病臭い技の名をつけてしまった。私は無神論者だがね。ちなみに、厨二病というのは帝都を中心とした十代半ばの若者に特有の病気らしい。四字熟語に変てこなルビを振りたくなるとか、右手がうずくとか言いだしたり、他人には見えないモノが見えるとか言いだしたり、片目に眼帯をつけたり、片腕だけ包帯を巻いたりする病気らしい。らしいと続けたのはそんな若者私は見た事がないからだ。他の誰に聞いてもそんな若者いないよ、と言われた。はて、誰だ、私にそんな事を吹き込んだのは?
もっとも、団長ならこの技をくらっても二度目には「俺に同じ技は二度通用しないのだよ」などと言って無傷で立っていそうだ。一発では仕留められそうにない。もしかしたら、彼こそ厨二病患者なのかもしれないな。
「ところで、男性は病気にかかった時や大怪我をした時に看病をしてくれる女性に弱いそうですよ」
フローラさんにそう告げ、駆けつけた三番隊のメンバーにアクロイド副組長やならず者たちの処理と処置をお願いし、アクロイド副組長が叩き付けられた地面を魔法を使って修復する。まあ、アクロイド副組長も地上数十メートルから叩き付けられたとは言っても、私が防御力強化魔法をかけておいたので、死ぬ事はないだろう。肋骨の数本は折れただろうが。アクロイド副隊長……じゃなくて副組長がフローラさんと仲直りしてくれて私の罵倒を期待しなくなることを祈ろう。
病気にかかった時や怪我をした時、看病してくれる男性は私にまだ現れないなあ。
アクロイド副組長以外のメンバーに旅立ちの挨拶を告げ、私はロッキーと共に城門に向けて歩き出した。やれやれ、出発前に要らぬ時間を食ってしまったなあ。
俺は騎士団の医務室で目が覚めた。医務官が告げたのは肋骨数本の骨折と、鼻骨の骨折であった。痛いわけだよ。
「大丈夫ですか?」
「物凄く痛い」
見舞いに来ていたフローラに弱音を吐いたのではない。事実だ。ああ、こういう時看病してくれる女性はいいなあ。性癖を無視して付き合いたくなる。
「それにしても、凄い女性でしたね、セリーナさん。彼女、いったいどんな女性なんですか? 私、噂でしか知らないんです」
なんで、セリーナ組長の事を聞いている時の表情はやたらと熱っぽいんですか?
その後、二日間にわたって見舞いに来てくれたフローラであったが、俺からこれ以上セリーナ組長の情報を知る事が出来ないと分かった段階で見舞いに来なくなった。
ヤバイ。これは、男ではなくセリーナ組長に持っていかれたようだ。あの組長、どこか女を惹きつけるからなあ。たまにそこら辺の男より男前なところがあるから。
そして、回復魔法が使える魔道士は休暇をとっていたり、手があいていないとの理由で俺の治療は一週間以上後回しにされた。嘘だな、俺の治療を担当したいという魔道士がいなかったのだろう。回復魔法を使える魔道士は女性が多いからな。
もちろん、その間見舞いに来てくれた女性はいなかった。