私を守る騎士になる……? それよりも、スケベ本を渡しなさい。
地上に辿り着いた時間はもうじき夕方という時間帯だった。
地上に辿り着くまでには、数体のモンスターと遭遇しただけだった。ノスフェラトゥが呼び出した亡者たちとは出会わなかった。どうやら“死者の都”ブリュージュであるならば、何処でも呼び出せる、そのような類の存在ではないらしい。
ジンや冒険者達がモンスターを倒し、地上を目指している間、私はアキヒコ少年にお姫様抱っこされたままだった。古代遺跡や盗賊の根城などで、これ程楽な移動は今までなかったかもしれない。恥ずかしさよりも楽さの方が大きく感じられた。これからもお願いしようかな? そんな事を頭の片隅で考えていたら、アリスに睨まれた。読心術? やめて、お願いだから私の左腕、地面に叩き付けようとしないで。
地上に辿り着き、キャンプ地を目指した。歩いて十数分のところだったので、案外早く着いた。
しかし、アレだな。古代遺跡、否、“死者の都”ブリュージュの中であればまだ、何とも思わなかったが、こうして太陽の下に出てくると恥ずかしさの方が大きいな。
「少年、降ろせ」
アキヒコ少年は渋々と言った感じで降ろしてくれた。何故渋々なんだ? だいたい、あれから何度か私の胸やお尻を触ってきたな。やはり、この年頃の少年というものは、スケベ心溢れているのだろうか? まあ、じゃなければスケベ本なんて買わないか。
「とと……」
左腕がないのが、思った以上に私の平衡感覚を損ねていたらしい。ふらついてしまった。
右側にいたアリスが私を支えてくれた。ありがたい。ありがたいのだが、斬りおとされた左腕を見せつけるように支えるのは出来ればやめて欲しかったな。ああ、見える、私にも切断面が見える。案外綺麗に斬りおとされたようだ。それだけが救いだな。だが、くっつくだろうか?
「皆、大丈夫か?」
ダーレス卿がエミリアさんと一緒に駆けつけてきてくれたようだ。二人とも、まだ呼吸が整っていない。
流石に立っているのがしんどくなってきたな。ダーレス卿とエミリアさんの二人が来てくれたのなら、気を張り詰めておく必要もない、か?
私は斬りおとされた左腕をアリスから受け取り、切断面同士をくっつけてみる。うん、もうくっつけるのは無理そうだ。やれやれ、これから片腕生活かなあ。私は回復魔法も使えるが、斬りおとされてからかなりの時間が経過したモノをくっつける事が出来る程、万能ではない。
「セリーナ、貴女左腕を……!?」
驚き、口に手を当てた状態でエミリアさんが私に声をかけてきた。その視線は私の左腕に注がれていた。ダーレス卿もエミリアさんの声を聞き、こちらに近付いてきた。
「エミリア、くっつける事は可能かい?」
ダーレス卿の問いかけにエミリアさんは首を横に振った。
「回復魔法に特化した魔道士なら、出来るかもしれないけど、私は攻撃魔法がメインだから……。ゴメンなさい、セリーナ、私では無理だわ」
心底申し訳なさそうに私に声をかけるエミリアさん。こちらの方が申し訳なく感じるよ。
「痛くないのか?」
「回復魔法をかけていますから、痛みはないです。でも、流石に片腕だとキツイですね。平衡感覚も怪しいし、それ以前に何より、血が足りない。結構な量を失いましたからね」
案外軽く答える事が出来たな。
「横になっていたまえ。私たちはこれからどうするかを話し合おう」
そう言ってジンの方へと歩き出したダーレス卿。冷たい人なのだろうか、そう思って見てみたら、握った右拳から少量の血が溢れていた。それは、私たちだけを古代遺跡調査に向かわせて、私に大怪我を負わせた事への悔恨の情の現れだろうか? その後を追うエミリアさん。彼女もダーレス卿の拳に気付いているようだが、彼に特別何か語りかける事はなかった。二人の絆の深さを垣間見た気がした。
私の左腕の事なら気にする必要などないのに。何故なら私は騎士なのだから。任務の途中で傷を負ったり、命を落とす事など当然なのだから。
ダーレス卿を追いかけ、気にする必要などない、そう声をかけようとしたが実行に移す事は出来なかった。アリスに引き倒され、彼女の膝枕のお世話になったからだ。相変わらず柔らかくていい膝枕だ。このまま眠りたいところだが、そうもいかない。
「蜥蜴丸はまだ帰ってこないのかな?」
「道に迷っていたりしてな」
アリスにアキヒコ少年、何で君たちはそんなにのんびりしているの?
「コラ、二人がかりで私をおさえつけるな!! 早くノスフェラトゥ対策を講じなければ、夜になってしまうだろうが。だいたいあの手の連中は夜に力を発揮するようになっているんだぞ」
確証はないけどね、そういうものだろう?
「それなら、万全の態勢をとらないといけないでしょう?」
「だからこそ、蜥蜴丸を待つんですよ」
意味が分からん。
「ここで、寝ていられるか!! 私は騎士だ!! 国と民を守る義務があるんだ!! 離せ、アリス、少年!! 今からもう一度ノスフェラトゥを倒しに行く!!」
そうだ、私は騎士なんだ。こんな所で呑気に寝てなどいられない。
何とか起き上がった。柔らかい膝枕とはお別れだ。
蜥蜴丸とゲーサンだってこの国の住人だろう。私には彼らだって守る義務があるんだ。……守る必要、あるかな?
「じゃあ、セリーナさんは誰が守ってくれるんですか?」
アキヒコ少年が冷たい声で私に問いかけてきた。
「少年?」
「今ここで無理してノスフェラトゥに立ち向かっても、殺されるか花嫁にされるかのどっちかしかないですよ。命を便所に捨てるようなもんです」
便所に捨てる? 面白い表現をするな。
「騎士は見返りなど求めない。少なくとも私は……」
小気味いい音が響いた。私の左頬から。
「セリーナさんは自分の命を何だと思っているんですか!! そんな軽々しく扱っていいモノじゃないですよ!!」
何を怒っているんだ、少年……? 叩かれた左頬が熱い。
「セリーナさんは俺にとってもう、大事な人です。セリーナさんが国や民を守る、そう言うなら俺がセリーナさんを守ります。俺が、セリーナさんを守る騎士になります!!」
私を守る騎士になる……?
アキヒコ少年の眼は真剣だった。
それから十数分後、蜥蜴丸とゲーサンが私たちのところへやって来た。どうやら、その間ボーッとしていたらしい。結局気が付けばアリスの膝枕のお世話になっていた。
ジンとダーレス卿、エミリアさんが念の為“死者の都”ブリュージュの入り口近くで待機している。
「ワガハイの活躍に、ノストラダムスも驚いたのだろうよ。亡者どもを途中で召喚しなくなった故、こうして楽々地上に舞い戻ってきたのよ」
ノストラダムス? 誰?
「まあ、そんな事はどうでもいい。銀髪、左腕、くっつけたいかね?」
「流石にもうくっつかないさ。何度か試したんだからな」
往生際が悪いと言われそうだが、何度か試した。ノスフェラトゥの魔剣が傷付けたのが悪いのか、それともただ単に時間が経ち過ぎたのが悪いのか、私の左腕はくっつくことはなかった。
「ワガハイならくっつけられる、そう言ったら?」
「本当か?」
「だからこそ、銀髪、貴様がくっつけたいと言うのなら、ワガハイが治してやろう。何、無料で構わんよ。ワガハイ、大出血サービスしてやろう」
大出血サービス? 出血するのは、私か? それとも蜥蜴丸か?
「さあ、治したいのか、治したくないのか。どっちだね?」
「治したいに決まっているだろう!!」
即答してしまった。後悔は後でするものだ。
ニンマリと笑う蜥蜴丸。おお、なんという邪悪な笑みであろうか。取り消していいかな?
「では、エロガッパ、アリス、銀髪をおさえておけよ」
「エロガッパって言うな!!」
「りょーかい」
私をおさえつける二人の力が強まった。おい、何をする?
そして、私の眼前で巨大な注射器を振りかぶる蜥蜴丸。中には、緑色の毒々しい液体。あれは、確か――。
「クカカカ、宇宙ナノマシン“スグナオール”、貴様にぶち込んでやろう。何、治したいと望んだのは銀髪、貴様よ。そしてワガハイ、医者ではなく科学者。科学者は、体を治すのだけが商売だ」
「ま、待て、待ってくれ!! いや、待って下さい!!」
どんな盗賊やモンスターを相手にしても今までこんな情けない声は出さなかった気がするぞ。命乞いに近いかもしれない。
「おいおい、今更何かね? 結構このポーズを取り続けているのも実は辛いのよ。ワガハイ、頭脳労働者。貴様らのような脳筋と一緒にしないでくれんか? プルプル震えちゃう」
私は脳筋じゃないぞ!! いや、今はそんな事はどうでもいい。
「まさか、その注射器、私の尻に射すつもりじゃないだろうな!?」
気にするべきところはそこだ。尻に射されたりしたら、お嫁に行けなくなってしまう。
「クカカカ、貴様がそれを望むならしてやらんでもないがね。だが、ワガハイ女尊男卑思想の持ち主。男はどう扱ってもいいが、女性は優しく扱うと決めておる。何より、女性を簡単に扱うと今頃、セクハラだ何だとすぐ訴えられる時代。女の尻に注射器などブッ射してみろ、クレームの嵐よ」
よく喋るな。きっと、セクハラで訴えられた事があるに違いない。
「まあ、肩に射してやる。そこでいいだろう? 尻か、肩か。どちらかを選ばせてやろうではないか」
「それもあるが、それで本当に私の左腕はくっつくのだろうな?」
「くっつくに決まっているだろう? リザード星の科学力は宇宙一なのだからな!!」
リザード星ってなんだよ?
「リザード星は蜥蜴丸とゲーサンの出身地ですよ。違う次元の異なる時代にあるトカないトカ」
解説ありがとう、アリス。信じるしかないのか?
逃げようとしたが、両膝から下はガッチリとエロガッパ、じゃないアキヒコ少年におさえつけられていて、力を入れられない。強化魔法で強化してもアキヒコ少年には通じないだろうな。逃げる事は諦めよう。
女は度胸!!
「か、肩でお願いします」
恐怖心が私の中で渦巻く。思考まで震えてしまう。だが、左腕がくっつくのなら、この恐怖心に負けるわけにはいかない。
「もういいかね? 実はワガハイ、もう限界」
ずっと振りかぶったままの体勢がよほどキツカッタのだろう。蜥蜴丸は注射器を突き刺すというよりは、まるで叩き落とすかのような勢いで動き出した。
「さあ、では、ブスッとな!!」
待て、勢いが良すぎる、や、やめろ、ショッ――。
ブスリという音とほぼ同時にズガッという音。私の左肩に突き刺さったそれは……。
「あ、勢い付きすぎちゃって貫通しちゃった。肩甲骨まで一気」
嘘だろ!? 骨まで貫通したって何? 凄すぎるんですけど。
「まあ、引っこ抜けばいいだけの事よ。気にする事など特になし」
ああ、ま、待て、ひ、引き抜くな。痛い痛いイタイ!! 骨がこすれる……!! あまりの痛さと気持ち悪さに涙が出ちゃうよ。女の子だもん、仕方ないよね? ……自分の思考にも涙が出ちゃう。オェッ。
「ふむ、貫通して穴が開いた場所に再度射しても“スグナオール”が効果を発揮しない。では、今度は少しヅラして、じゃなかったずらしてぶち込むとしよう」
針を拭う蜥蜴丸。あの、土とか色々付着しているんですけど、大丈夫ですよね?
「さて、気を取り直してもう一発。あ、それ、ブスッとな!!」
先ほど突き射した場所とは少し違うところに注射器が突き射された。
そして、私の体内に入って来る緑色の液体。
やめろ、私のナカにそんなモノ入れないでくれ……!! それは、ニンゲンのナカにあるべきモノじゃない。あるべき色じゃない。
“スグナオール”の注入を終えたのか、針が抜かれていくのを感じた。
ホッとしたのと同時に、左腕に異様な感覚。
左腕を見てみると、なんか、色々蠢いているんですけど。蝶、じゃなかった超キモいんですけど。
アリスの肩の上に乗っかっていたクリスが私のお腹の上に飛び乗って、興味深そうに私の左腕を見ていた。頼むから舐めたりしないでくれよ、クリス?
うーん、何だか眠くなってきた。ちょうどいい、アリスの膝枕で眠るとしよう。どちらにしろ、すぐ動けそうにないし、血も足りない。貫通した左肩も治ったようだ。
まあいい、お休み。セクハラするなよ、少年。否、私の騎士……、蝶恥ずかしい。
ようやく眠ってくれた。
「行くの、アキ?」
付き合いが長いだけあるな。アリスは僕の行動を読んでいる。
「行くよ。セリーナさんが命を張る必要なんかない。僕が、いや、俺が終わらせてくるよ」
すぐ、“僕”なんて地が出てくるな。セリーナさんに見破られた通りに、背伸びしているのがバレバレだ。
「だから、アリス、悪いけどセリーナさんをお願い。僕が戻るまで、守って」
「りょーかい。でも、すぐに戻ってこれる? どうせ、蜥蜴丸とゲーサンが一緒でしょ?」
あの二人と一緒に行けば、危険はないけれど、長引きそうだなあ。
「いや、一人で……」
「蜥蜴丸とゲーサンが一緒じゃないと、認めません」
勝てないなあ。
「分かった、二人を連れて行く」
「そう、行ってらっしゃい。早く終わらせないと、セリーナさんが起き上がって奥まで走っていくよ」
はは、そうなりそうで怖い。
「蜥蜴丸、行くよ」
「タダ働きは嫌いなんだがねえ」
今まで僕らを黙ってみていた蜥蜴丸がブツブツ言いながらもついて来てくれた。なんだかんだ言っても面倒見がいいのだ。
途中で一服しているゲーサンを回収し、入り口を目指す。
「行くのか、少年?」
ジンさんに声をかけられた。
「ええ」
「ま、お前さんがさっさと終わらせなければ、セリーナが出張るだろうよ。だから、出来るだけさっさと終わらせな。お前さんなら、それが出来るだろう?」
どうやら、ジンさんも僕の強さをある程度は見抜いているようだ。セリーナさんといい、ジンさんといい凄いな。
「じゃ、行ってこい」
「行ってきます」
ジンさんに優しく背中を叩かれた。気合が入るな。
オーガストさんからは特別声をかけられなかった。でも、大丈夫。軽く頷き合い、そして僕は“死者の都”ブリュージュを目指して歩き出す。
世界を救うなんて興味ない。だけど、セリーナさんが守りたいと願う世界だから、僕にとっては守る価値がある。救う意味がある。
世界を滅ぼしかねないとまで言われた僕がこっちの世界では世界を救う、か。皮肉なモノだ。
さあ、出陣だ!!




