夕陽が沈む海で恋人と追いかけっこ、それは浪漫です。
古代遺跡には馬車で向かう事になった。とは言っても、馬車に乗り込むのは私とアリスだけだ。冒険者達が馬車に乗り込むことは許されなかった。ダーレス卿が許さなかったからだ。もちろん、冒険者達は馬車に乗り込もうとはしなかった。何故なら彼らはレムリア辺境領の住人だったからだ。
そのおかげで、馬車はゆっくり走る。仕方ないんだよ。だって、全員が馬に乗れるわけではないから、徒歩でいく連中に速度を合わせなければならないからな。
馬車に乗り込む前、アキヒコ少年がぶつぶつ呟いているのを見かけた。
「何故、俺には挨拶の機会が与えられなかったのだろう……」
そんなに挨拶をしたかったのだろうか? 私と交代してくれればよかったのに……。それにしても、自分を俺と呼ぶのはまだ早いと何度も言っているのに、改めようとしないな。
背伸びしたい年頃なんだろうか? 私が十五歳の頃はどうだったかな? 今と変わらないような気もするが、実は背伸びしまくっていたかもしれんな。ジンに聞いてみたい気もするが、背伸びしまくっていたぞ、なんて言われるのは怖いので、聞かないでおこう。
御者席にはジンとアキヒコ少年。
馬車の中には私とアリス。馬車と言っても、中には何もない。荷台に幌をかけただけのような質素なモノだ。外から見れば三、四人が座れたらいいくらいの広さしかない。しかし、何故か中に入ると数人が横になって眠れるだけのスペースがある。魔法?
「クカカカ、ワガハイの科学力に不可能はないよ。とある世界で知り合った猫娘に協力してもらい、魔法と科学の融合をしてあるのよ、この馬車。もっとも世界中にこの技術を売り込んだりはしないがね。パラダイム・シフト的な感じの何かが起こってしまうかもしれんからねえ」
馬車に乗り込む前に蜥蜴丸が何か語っていた。内容は全く理解できなかった。蜥蜴丸もおそらく、パラダイム・シフトとやらが何なのか分からないのだろう。たぶん、それっぽい言葉を使ったのだろう。もちろん、私も分からないがね。だいたい、私は科学者じゃないんだ。知らなくてもいいだろう。
そして、馬車の中。
蜥蜴丸曰く「ショック吸収素材」とやらが作動して、何の振動もない。おお、快適な旅よ。
私は馬車の中で、アリスに膝枕をしてもらい、横になっていた。ああ、頭の下は素晴らしい感覚だ。いい、凄くイイ。
「あの、私はいつまで膝枕をしなければならないのでしょうか?」
「私を水風呂に放り込んだ罰ゲームだよ。もちろん、目的地に着くまでに決まっているじゃないか」
今日は、まず夕刻に古代遺跡近くの村の宿屋でお風呂を借りる事になっている。その後は古代遺跡近くで野宿だ。女の子としては野宿はいただけないのだが、これだけ大人数を急遽泊めるだけの施設はレムリア辺境領にはないそうだ。仕方ないだろう。
アリスがついて来るのを、良く認めたよな、あのダーレス卿が。
私は、お腹の上で丸くなって眠っているクリスの喉を撫でてやる。心なしか、眠っているクリスの眼が細まった気がした。ああ、可愛いなあ。
「幸せだなあ……」
「どうしたんですか、急に」
私が幸せだなんて言った事に驚いたのだろうか。
「幸せだなあ。私はね、アリスに膝枕してもらってクリスをお腹の上に乗せて横になるのが一番幸せなんだ」
しみじみと呟く。うん、幸せだ。
「まだ出会ったばかりの人間に膝枕をさせて、それが一番幸せなんですか?」
心底疑問に思っているような声だな。まあ、確かにそうかもしれないなあ。
「幸せなんてね、アリス、その時その時によって変わるモノなんだよ。今この瞬間の幸せはアリスに膝枕してもらっている事、これこそが最高の幸せなんだよ」
アイリーンを抱きしめながら寝ている瞬間も、それはそれで、その瞬間最高の幸せなんだよねえ。
「ああ、でも、何であんな挨拶しちゃったかなあ?」
「アハハ、あんなノリのいい女性だったんですね、セリーナさん。親近感がわきましたよ」
「ホントに?」
ちょっとジト目でアリスを見上げる。むむ、微笑みながら見下ろしてくるとは、やるな。恥ずかしいじゃないか。
「ホントですよ。今回の古代遺跡調査、セリーナさんが担当で良かったです。私も参加するにあたって、周りが男性しかいないのは嫌だったですからね」
まあ、集まった冒険者の中に女性はいなかったからな、今回。
「楽しい旅になりそうです」
同感だね。
それにしても、眠いな。ああ、まだ二日酔いも残っているからかもしれないな。
蜥蜴丸から酔い覚ましを貰ったが、何だか毒々しい色をした錠剤だったので、怖くて飲めない。何で、錠剤が七色なんだ? 効き目はグンバツ、らしい。何故正直に抜群と言わないのだろう? 何か、意味があるのかな?
私は特にそれ以降会話をする事もなく、軽く目を閉じた。ああ、優しい雰囲気の中で眠ることの出来る幸せよ。
周りに気を使う必要がない。アキヒコ少年もジンもいる。蜥蜴丸とゲーサンもいる。最低でもこの四人は敵にまわる事はないだろう。もちろん、馬車内のアリスも。そして、盗賊などの敵が現れても、敵におくれをとる事もないだろう。ジン以外のメンバーの実力は昨日会ったばかりなのに、何故か信用できる。周りの冒険者どもが敵になったところでどうにでも出来る。
なので、安心して眠りにつけるのだ。
「ごめんね、アリス。少し眠るよ。目的地に着く前には起こしてくれないか?」
「ふふ、いいですよ、おやすみなさい」
「おやすみ」
ああ、いい夢を見る事が出来そうだ。
数分後、私は安らかな寝息を立てていた。もっとも、眠ると言っても、完全に意識を絶つわけではない。騎士たるモノ、急変時にはすぐさま行動に移れるように、完全に意識を手放すわけにはいかないのだ。つまり、ある程度は嗅覚、聴覚だけはこうして、稼働している。よっぽど安心していたり、酒に負けたりしなければ、私だってこの程度は出来るのだ。
私の髪を撫でるアリスの優しい手。いいねえ。やっぱりアリスを貰って帰りたいねえ。
「うーん、眠ったのかな? 可愛い寝顔しているよねえ。年上に向かって可愛いなんて言うのは失礼かな?」
綺麗とか、美人とか言って欲しい年頃です。
キュポッ。
うん? 何か変な音がするなあ。でも、敵意を全然感じない。気にする事もないかな?
おでこに何か当たる感触。うーん、アリスがお休みのキスなりなんなりしているのかな? アリスの唇にしたら固い気がするなあ。
「ふふ、これでよし」
何がいいんだろう、気になるな。
でも、起きて確認するほどじゃないな。敵意を感じなかったし。まあ、いいか。
ノックをしてから、馬車内に入ってきた人間がいるな。ジンだな、この気配は。
「マジか」
なんだか、私を見下ろして笑っている感じがする。
どういう事だろうか?
ああ、私が無防備にアリスの膝枕で眠っているからか。こんなに無防備に眠っている状態を見せるのはもしかしたら初めてかもしれんな。でも、これもお前たちを信頼しているからだぞ、ジン?
「もう少ししたら、風呂を借りる村に着くからな。もう少ししたら、起こせよ」
「了解です」
少しだけ私を見下ろして、ジンは御者席へと戻って行った。
もう少しで着くのか。ああ、この膝枕をもっと堪能していたいのに……。
「もう少しで着きますよ。セリーナさん、起きてください」
「あと五分……」
「何処の学生ですか……」
ミスカトニック騎士養成校です。
ふむ、もう着くのか。十分とは言えないが、アリスの膝枕を堪能したのだ。いいだろう。
数分後、馬車は目的の村の少し前で止まった。
私は馬車を下りた。腕の中にはクリス。まだ眠っている。いいなあ、私もクリスと一緒に一日中日向ぼっこしていたい。
さあ、宿屋にお風呂を借りに行こう。
「ぶふっ」
そう思っていると、アキヒコ少年が私を見て噴き出した。
「少年、女性の顔を見て笑い出すとはいったいどういう了見かな? 返答次第によっては許さないよ?」
「殴った後で言わないでください」
道理で私の右腕が急に痛くなったわけだ。
「額にマジックで落書きされてますよ」
差し出された手鏡で自分の額を確認してみる。ふむ、見慣れない何かが書かれているな。
「少年、コレは何て書いてあるか分かるか?」
「“肉”です」
「“肉”、か?」
「“肉”、です」
ふむ、犯人は一人しかいないな。あの時のキュポッという音。あの時だな。
私はクリスをアキヒコ少年に預け、この場を立ち去ろうとする犯人に声をかけた。
「何処へ行こうというのかな、アリス?」
「ちょっとそこまで」
そんな言い訳が通用すると思っているのかな? しかも、冷や汗まみれで。
「ほう、銀髪貴様面白い顔になっているではないかね。クカカか、後で撮影してやろう」
ちょうど通りがかった蜥蜴丸にも顔を笑われた。これは、許せんな。撮影とは、何だろうか? そんな事はどうでもいいのだ。
「蜥蜴丸、マジックとやらを貸せ」
「ほい」
渡されたのは黒色のマジック、らしい。
「いや、アリスが肉欲にまみれていたとは知らなかったよ」
「は、恥ずかしいセリフ禁止ですよ!!」
何処が恥ずかしいのだろうか? しかし、どうしてくれようか、この肉(という字を人の額に書きたくなるという)欲にまみれた天使を? ふふふ、考えられる事は一つしかないな。
「アリスの額にも肉と書いてやろうじゃないか」
私も肉(という字を人の額に書きたくなる)欲にまみれてやろうじゃないか!!
「御免こうむります」
「だが逃がさん」
私は寝起きでしかも、二日酔いが抜けきらないというのに、瞬時にアリスの眼前まで迫った。これでは逃げられまい!!
しかし、私はアリスを侮っていたようだ。
「額に肉など、書かれるわけにはいきません!!」
紙一重で私のマジックをかわしたアリスは、数メートル後ろに振り返りながら逃げる。
「甘い!!」
もう一度アリスの眼前に……!!
「無駄です!!」
またも逃げるアリス。
「甘い!!」
逃がすわけにはいかない私。
「無駄です!!」
「甘い!!」
ああ、なんだか、青春の一ページって感じがする。
本当はこういうのを恋人と一緒に夏の海でやりたいなあ。昼間ではなく、夕暮れの海で。そう、夕陽が沈みかけの海なんて最高じゃないか。もちろん、追いかけるのは私ではなく、恋人だ。そう、私は追いかけられる方だ。なんか、こう、「待て待てー!!」「うふふ、捕まえてごらーん」「待てぇ、こぉいつぅーー!!」というのを、してみたくなる。そうは思わないかい? ああ、夕暮れの海、最高のシチュエーションじゃないか!!
…………………………オェッ、キモイ。何だろう、リアルに想像して、それはないわーって思った。あまりのキモさに吐き気が襲ってきた。二日酔いとダブルパンチだ。
「あの二人、いつまでやるんですかね?」
「あきたら、やめるだろう」
冷静、いや、呆れているアキヒコ少年とジンの声が聞こえてきた。
最終的に十分以上追いかけっこをして、アリスの額に肉と書いてやった。追いつくまでに十分以上かかるとは思わなかったな。まあ、仕方ないだろう。二日酔いが抜けきっていからな。そう、私はまだ本気出してないだけ。
お風呂場を借りた宿屋のおばさんにまで驚いた顔をされた。
それはそうだろう。女の子が二人、額に肉なんて書いた状態でお風呂を借りに来るのだから。
ああ、いい運動をしたな。夕食が楽しみだ。