驚愕の事実ってやつは最後に聞かされるものです。
馬車をアイテムボックスに収納した時になって初めて気付いた。
「蜥蜴丸がいない」
「アレ、本当だね」
蜥蜴丸は「今日のワガハイは詩人になれる気がする」トカ言いながら屋根の上で旅路を過ごしていた筈だ。しかし、何処にも彼の姿はなかった。詩人ではなく、ポエマーになったのかもしれないな。
「まあ、暫くしたら帰って来るでしょう。私はクリスをお風呂に入れてくるからね」
そんな事はどうでもいいと言わんばかりにアリスはクリスを連れて“スペースリザー堂”の中にあるお風呂場に入って行った。
ゲーサンはさっさと“スペースリザー堂”の中に入っている。相棒である筈の蜥蜴丸の事などどうでもいいと言わんばかりだ。実際、どうでもいいと思っているのだろう。ゲーサンの心など、読めるはずもない。
まあ、でも寂しがり屋の蜥蜴丸なので、帰ってきた時に僕らがいないと怒るので、勝手に帰るわけにもいかない。おかげで、留守番させられるわけだ。もっとも、留守番などしなくても誰も来ないのだけれど、この“スペースリザー堂”には。ここに来るには特殊な条件が必要なのだから。
僕とアリスの付き合いは長い。この世界に飛ばされて初めて出会った人間がアリスの家族だ。拾われるような形でアリスの家で世話になっている。そして、約一か月後にはクリスを拾った。やけに懐いてくる白猫だとは思ったけれど、僕をこの世界に送った少女(実年齢は知らない。見た目が少女なのだ)が僕にプレゼントしてくれた魔法生命体の白猫だ。でも、気が付けばアリスやエミリアさんに懐いていた。おかしい、飼い主は僕の筈なのに。
そして、この世界に来て一年後、蜥蜴丸たちと出会った。僕が元いた世界にいた筈なのだが……、蜥蜴丸曰く「ワガハイは色々な世界、様々な次元、ありとあらゆる時間にいる」との事。全然わからん。
ゲーサンのセリフは今も昔も「げっげー」ばかりで、何を言っているのか、未だにわからない。
そして、クリスや蜥蜴丸、ゲーサンに魔力の制御方法やら武術やらを学び、僕はこの世界で生きていく事を決めたんだ。
つい、昔の事を思い出してしまったなあ。しっかりしないと。まだ、思い出にひたる歳じゃあない。まだ、十五歳くらいなんだから。誕生日なんて、知らないけれど。だいたい十五歳くらいだろ、僕は。
そんな事を考えていた時、“スペースリザー堂”の扉が開いた。蜥蜴丸が返ってきたかと思い、声をかけながら顔をあげる。
「ああ、お帰り蜥蜴ま……」
そこにいたのは、蜥蜴丸とは全然違う、銀髪の美しい騎士服姿の女性だった。
腰まで伸びた銀色の髪は、陽光を受けて光り輝いていた、ように見えた。本当に光っていたかどうかは分からない。
年齢は僕の二つ三つくらい上だろうか? 騎士服がこれ以上ないというくらい似合っているスラリとした体躯。スタイルはかなりのモノだと思う。よく分からないが大人の女性だ、と感じてしまった。
「え、あ、あの、どなたでしょう?」
ドモってしまった。僕の顔はもしかしたら赤くなっているかもしれない。もっとも、よく惚れ易い性格をしているとは言われるのだけれど。
銀髪の女性は後ろから片眼鏡の男性に押されながら店内に入ってきた。その言葉を信用するなら、銀髪の女性はセリーナという名前らしい。
その後から僕を「エロガッパめ!!」などと言いながら蜥蜴丸が店内に入ってきた。エロガッパと呼ばれるのは気に入らないが、セリーナさんに見惚れていたのは事実だ。セリーナさんは何か勘違いしているようだけど。
その後はセリーナさんたちに飲み物を出したりしながら、会話をした。コーラを飲んでむせるセリーナさん、ああ、なんて可愛いんだ。
けれど、まだ自分を“俺”と呼ぶのは早いと言われてしまった。確かにそう思うのだけれど、カッコつけたい年頃なんだよね。流石に「片手がうずくぜ」トカ「魔眼がどうこう」トカ言うのには憧れないけどね。僕が元いた世界は、日本という世界にはそう言ったちょっとおかしな言動をする(十代半ばくらいの)人間が結構いたらしい。らしいというのは、僕は十歳になる頃にはこの世界に来ていたし、その位の年代の友だちはいなかったから分からないのだ。
その頃、奥のお風呂場からクリスが飛び出してきた。僕はアリスに声をかけ、客が来ている事を伝えた。
クリスはカウンター席に飛びのり、僕の近くまで来たが、その時になってようやく他人がいた事に気付いたようだ。固まっていた。セリーナさんはクリスに微笑みながら手を伸ばした。猫好きのようだ。クリスが固まったままで逃げなかった事に気をよくしたようだ。魔法を使って濡れたままのクリスを乾かしていく。凄いな、強いというのは見ただけで分かったけれど、魔法をこんな使い方する人は初めて見た。僕ですらクリスを乾かすなんて事に魔法を使ったことはない。
でも、凄く嬉しそうな顔をしている。笑顔が似合うなあ、セリーナさんは。
「セリーナ、お前確かに猫好きだったな。今のお前、凄く緩んだ顔をしているぞ」
ジンさんがセリーナさんに声をかける。うん、猫好きというのがよく分かる。本当に緩んだ顔をしている。
「少年、名前はなんだ?」
もちろん、セリーナさんが僕の名前を聞いているのではなく、クリスの名前を聞いているのは分かるのだけれど、さっきから自分の名前を言えずにいた僕は、自分の名前を言った。僕は悪くない筈だ。
「アキヒコです」
「少年、この子は女の子だろう? そんな名前を付けたのは、君か? 後でぶん殴ってやろう」
僕に向けられた殺気を感じてしまった。マジだ、マジで僕を殺す気だ。ただ僕は、自分の名前を覚えてもらいたかっただけなのに……。
「いや、俺の名前です。その猫はクリスって言います」
ヘタレた僕は悪くないだろう。うん、悪くない。僕に向けられていた殺気が消えた。助かった。
その後はクリスをくれ、あげないですの問答が続いた。僕としてもクリスはあげたくないし、クリスをあげたらアリスやエミリアさん、レティに殺されてしまうかもしれない。あの三人は僕よりクリスを大事にしている可能性がある。
そして、クリスを洗っている時に濡れた自分をタオルで拭いていたのだろう。アリスがお風呂場から出てきた。
そのアリスを見た途端、「天使だ」と呟いたセリーナさんの姿がカウンター席から消えた。
カウンター席に残されたクリスがポカンとしている。クリスがこんな表情をしているのは、初めてみたかも知れない。もっとも、実際ポカンとしていたかどうかは良く分からない。猫の表情を完全に読み取れる人間っているのだろうか?
そして、一瞬だけ姿を消していたセリーナさんはアリスを後ろから抱きしめる形でカウンター席に戻ってきた。膝の上にアリスを抱えているのに、何故あれだけのスピードが出せたのか、謎だ。
そして、カウンター席にポカンとしていたクリスも姿を消した。いつの間にかセリーナさんの腕の中にいる。
セリーナさんは後ろから抱きかかえているアリスに頬ずりをして、アリスの胸元でクリスの喉を撫でていた。
アリスは何故後ろから抱きかかえられているのか、全然わからないようで、僕に助けを求めてきた。視線だけで。僕は、速攻で断った。もちろん、視線だけで。
「ああ、セリーナはそう言えば可愛い女の子にも目がなかったな。世話になっている団長の娘のアイリーンの素晴らしさを旅の間聞かされたっけ」
ジンさんのボヤキが聞こえた。
「そうなんですか? うーん、猫好きで可愛い女の子好きか。俺と話が合うかもしれないなあ」
「あの、そんなこと言っていないで、助けてください」
急に抱きしめられたのが怖かったのか、僕に助けを求めるアリスの声が敬語になっていた。
「いや、断る。何故なら眼福だから」
というより、助けに入ったところでセリーナさんに何をされるかわかったモノじゃない。
「ああ、いいな。物凄くイイ。この抱き心地、最高だ。レムリアなんて辺境領くんだりまで仕事に来たのも、この為に来たに違いない。そう、天使に会う為だ。きっと、そうだ。いるかも分からない神様が可哀相な私にプレゼントを用意してくれたに違いない。そう思おう。無神論者だがな、私は!!」
無神論者を自称するセリーナさんが神を認めた瞬間だった。どの神を認めたのだろうか?
「ああ、お持ち帰りしたい、抱き枕にしたい!!」
頬ずりをしながら欲望全開のセリフを口にしていた。大丈夫かな、この女性?
「た~す~け~て~!!」
アリスが情けない声を出しているけれど、僕は、心を鬼にして助けない事に決めた。触らぬ神にタタリなし、だよ。もちろん、眼福だからでもある。
相変わらず店の奥では、ゲーサンが姿見に向かってポージングを決め続けていた。どのポージングでも、彼を納得させられるモノではないようだ。ゲーサンはゲーサンで何処に向かおうとしているのだろう?
「そうだ、少年、アキヒコだったな。領主の館、何処にあるか知らないか?」
領主の館? まあ、この町の住人なら誰に聞いても分かる場所だけれど。
「後で案内しましょうか?」
「悪いな、頼む。セリーナが復活したら向かうとしよう」
そう言えば、セリーナさんは先ほど仕事でレムリア辺境領までやって来た、トカ言っていたな。ジンさんもだろうか? ジンさんは騎士服を着てはいない。もっとも、それで騎士じゃないとは言えないけれど。どちらかと言えば、貴族っぽい。
「領主の館に何か用があるんですか?」
僕が世話になっているんだ。変な用事で来たのなら、ちょっと困るんだよね。
「ああ、知らないか? 古代遺跡の調査」
古代遺跡の調査? アレは僕たちが発見した遺跡だ。入り口部分の安全だけは確保したけれど、奥まではまだ入った事はない。
「ああ、話題になっていますね。冒険者たちが結構集まったそうで」
二、三十人は集まったのではないだろうか。
「セリーナがその古代遺跡調査の立会人だ。あいつ、あれでも帝都騎士団三番隊の組長だからな」
帝都騎士団? この国で騎士を目指す人間の憧れの職業だ。帝都騎士団と近衛騎士団。騎士の中でも一定以上の実力の持ち主じゃないと入る事すら出来ないと言われている。本当かな? 今のセリーナさん見ているとそうは思えないけれど。
「ジンさんも帝都騎士団のメンバーですか?」
「いや、俺はセリーナの騎士養成校時代の同級生。ちょうど、古代遺跡調査の仕事を受けてこっちに向かう時にばったり会ってな。一緒に来たってわけだよ。で、セリーナの奴は領主の館に泊めてもらえる事になっているって言うんでな。まあ、俺もついでに泊めてもらえないかとは思っているんだが」
ジンさんは別にセリーナさんの恋人とかじゃなさそうだ。うん、安心だ。何故安心したのか、全然わからないけれど。妹でも見るかのような優しい目でセリーナさんを見ているように感じた。
「じゃあ、俺からも頼んでみますよ。俺、領主の館で働いているんで」
「お、そうか、頼むよ」
「ついでに言えば、アリスが領主の娘ですよ。一人娘」
「マジで?」
「マジです」
何か思うところがあるのか、ジンさんはいきなりセリーナさんの頭をはたいた。何処かへトリップしていたセリーナさんの意識がこちらに戻ってきた。
「ジン、何をするんだ? 今、私は天にも昇る気持であったというのに。兄貴分と言ってもいいお前であっても許さないぞ」
目つきが怖い。
「その娘、領主の娘だそうだぞ」
セリーナさんの眼が限界まで見開かれたように感じる。何かあったのだろうか?
「ジン、それはマジか?」
「マジみたいだぞ」
セリーナさんの顔がみるみる蒼褪めていった。まるで、天国から地獄へ一直線に向かっている時のような表情だ。天国から地獄へ一直線だった奴なんて見た事ないけど、そう思った。何を考えているのだろう? 気になるなあ。