幼馴染はガイノイド
走る。走る。
少女はただ、走る。
闇夜の中を、何かから逃げるかのように。
実際、彼女は迫りくる追手から逃げていた。
彼女を追うのは常人を遙かに超えたスピードで駆ける機械の人型。
だが、彼女自身も、それ以上の速度で夜の街を駆けていた。
時刻はもう22時をまわるだろうか?
俺は大した当てもなく、夜の街をぶらついていた。
ふと夜風の心地よさに惹かれただけで、本当にただの気紛れ。
近所のレンタルショップで適当なアニメを借りる。
「もうそろそろ帰るか……」
誰に言うでもなく呟き、近所の公園に差し掛かった時だった。
公園で一人、ブランコに腰掛ける少女。
俺は彼女の姿に見覚えがあった。
「ライム――?」
彼女は俺の声にピクリと身を震わせ、顔を上げた。
しばらくジーっと俺の顔を見ていたが、そっと口を開いた。
「ヤス――?」
「おう」
頷いた刹那、強烈な衝撃が俺の体を伝う。
「うおっ!?」
「ヤスっ!!」
気付けば、ライムの顔が眼前まで迫ってきていた。
強く締めるライムの両手に、熱く伝わる体温。
「見つけた――私の王子様……」
ライムは安心したようにそう呟くと、体から力が抜けたように倒れこんだ。
「ライム――!?」
驚きに声を上げてしまったが、ライムの表情は穏やかで、ただ眠っているだけのようだった。
その寝顔を見ていると、起こすのも躊躇われ仕方なく俺は自分の部屋まで連れて行く事にした。
俺は一人暮らしをしているから、親の心配は無い。
いくら顔見知りとは言え、夜中に倒れた女の子を連れて親のいる家には帰れないし幸いだった。
異様に重い彼女の体を背負い、家に着いたころにはもう0時になっていた。
「おはよう、ライム」
翌日、目を覚ましたライムに声を掛ける。
「うん、おはよーヤスっ」
眠そうに目を擦りながらも、元気に返事をするライム。
その姿はまるで、子どものようで昔を思い出す。
ライムと初めて出会ったのは6歳くらいの頃、昔住んでいた街の公園でだ。
一人、砂場で遊んでいたライムに俺から声をかけたのが仲良くなった切欠だったんだ。
10歳になる頃にライムが引っ越しでその街から居なくなるまで、毎日のように遊んでいた。
「此処――ヤスの部屋なの?」
ライムが部屋を見回しながらそう訊ねる。
「そうだよ」
「あれ、ヤスの家ってこの辺じゃ……ないよね」
「おう、ちょっと一人暮らしをしてるんだ」
「そうなんだぁ……」
感心したような眼差しを向けてくるライム。
その眼差しに思わずドキリとして、顔をそむけてしまう。
「そ、そういえば――何で昨日、あんな所にいたんだ?」
誤魔化すように逸らした話題。
だが、ライムはその問い掛けに暗い表情を見せた。
「ライム――?」
「言わないと……ダメ、かな?」
「…………いや、別にいいよ」
深くは訊けない雰囲気に、俺はライムにこれ以上訊ねるのをやめる。
「ライム、家は何処だ? 帰らなくていいのか?」
「ねえ、ヤス――」
「どうした」
「しばらく、ヤスの部屋に泊まっても――良いかな……?」
突然の申し出に俺は思わず動転する。
「な、どうしたんだライム!? お、お父さんとケンカとか……」
「パパは――もう居ないの」
「え?」
「いなく、なっちゃったの……だから……」
ライムは急に悲しそう――いや、もう本当に号泣する子どものような表情を見せ、俺へと抱き付いてきた。
「だから――ヤスしか頼れる人が居ないの…………」
泣きじゃくる子どものように、ライムは暫く声を上げ続ける。
ライムの身体は心無しか冷たく感じた。
「心配するなよライム。俺が……」
不意に頭に浮かんだ過去の場景。
「おれがライムを守る! おれがライムの王子様になるんだ」
「ライムの……王子様?」
「ああ、おれがライムの王子様になる!」
「――! 約束だよ、ヤス!!」
幼い頃の約束。
思い出したその思い出に、気恥ずかしくなる。
そんな俺を知ってか知らずか、ライムが言った。
「ヤスが私の王子様になってくれるよね」
その言葉にドキリとする。
「いや、まぁ、こんな歳になってそういう事を言うのはちょっと……」
「どうして?」
「どうしてってお前さ……」
ライムの眼差しは真っ直ぐで、本当にあの頃のライムがそのまま大きくなったように感じる。
俺は内心、溜息をつきながらも言った。
「いや……まぁ、王子様って柄じゃないけど、出来る限りライムの力にはなれるようにするよ」
「ありがとう……」
ライムは静かな笑みを浮かべ、小さく頭を下げた。
「やっぱりヤスは私の王子様だよ」
その時不意にピンポーンとチャイムの音が部屋に鳴り響く。
「何だ?」
怪訝に思いながらもドアへと向かう俺の傍で、ライムがポツリと呟くように言った。
「ヤス……開けないで」
「え?」
「開けないで……っ」
俺はそっと覗き穴から外の様子を伺う。
そこに立っていたのはスーツを着こんだ中年の渋いおじさんだった。
おじさんは暫く、ドアをノックしたり、チャイムを鳴らしたりしていたが、留守だと思ったのだろうかこの部屋の前から立ち去って行った。
「知り合い、なのか?」
俺の言葉にライムは思いっきり首を横に振る。
それは「知らない」と言うよりは「これ以上訊かれたくない」と言ってるように感じられた。
それから暫く、ヒマな時間を借りてきたビデオを見たりして潰してた。
時刻が18時に差し掛かった頃、もうそろそろ夕飯の準備をしようと冷蔵庫を覗いてみたが、中には何も入っておらず、俺は買出しに行く事にしたのだ。
「ライム、買い物行くけど――一緒に行くか?」
「ごめん、ヤス――私、外には出たく無い…………」
「わかった……」
謎の男の来訪から、目に見えて調子の悪そうなライム。
そんな彼女を無理矢理連れ出すわけにも行かず、俺は一人で外へと出た。
俺が住んでいるのはワンルームのアパートの4階だ。
階段を降り、アパートから出た時、スーツ姿の奇妙な男性の姿が目に留まった。
「さっきウチに来た男――」
そう、その男性はさっき俺の部屋へと訪れた男性だった。
俺はその男性に気付かないふりをしながら、そそくさと近所のお店へと向かおうと――
「ちょっと、君」
俺に掛けられた男性の声。
声の主は間違いない、あのスーツ姿の男性からだ。
「何ですか――?」
「君はこのアパートで暮らしてるのかな?」
「そうですけど」
面倒な事にならなければ良いけど。
そう思いながら、適当に言葉を返す。
「オレは日本自治区保安警備隊の音峰昂刀と言うものだが」
「日警隊――!?」
日警隊とはその言葉の通りこの日本と呼ばれる自治区の治安維持と防衛を行う機関だ。
そのルーツは陽光時代と呼ばれる太古まで遡るとか何とか。
「何かあったんですか?」
「いや、この付近で17、18くらいの女の子を見なかったかと思ってね」
「女の子――?」
そう聞いて真っ先に思い出すのはライムだ。
ライムは俺と同い年だ。
年齢はもう20にはなるだろうが17、18くらいに見えなくも無い。
そもそも、ライムはこの男性が訪れた時に怯えているようだった。
と言う事はやっぱり――
「ちょっとわからないです」
俺は事も無げに簡潔に返事をする。
「そうか――わかった。ありがとな」
内心、もっと色々探られるんじゃないかとは思っていたが、それだけだった。
俺は静かに安堵しながら、夕飯の買出しへと向かったのだった。
「匂坂泰博くんか……」
立ち去る少年の背を見送りながら、音峰昂刀は彼の名を呟いた。
『彼の部屋にタイプ:デビルが居るのは間違い無い筈です。もっと問い詰めるべきだったのでは?』
不意に昂刀の背後からやや機械がかった声がかけられる。
「何でってエンジェル……あの少年が居ない方が簡単にデビルを回収出来るだろ?」
『ネガティブ』
昂刀の言葉に、エンジェルと呼ばれたモノは否定の意を表す。
『確かに匂坂泰博は邪魔です。しかし、此処までエンジェルが音峰昂刀に付き合ってきて分かる事があります』
「なんだ?」
『音峰昂刀はそんな作戦を取りません。取るわけありません』
「……よく解ってるじゃねえか」
『それに、匂坂泰博が居ないスキを狙うのであれば、あのタイミングで声をかける必要はありません。逆に彼の不信感を煽るでけですから』
エンジェルの言葉に昂刀は苦笑する。
「エンジェル――今日は出直すぞ」
『何故ですか?』
「今日の仕事は終わりだ――さっさと退却するぞ」
『――――アファーマティブ』
そう告げるとエンジェルは足早にその場から離脱したようだった。
「全く……エンジェルと言いデビルと言い、どうしてこう勾繰製AGはクセ者揃いなんだ……」
溜息をつきながら、チラリとアパートの4階を一瞥する。
「さて、どうしたものか……」
昂刀は静かに呟くと、アパートから立ち去った。
アパートの前に居た男性、音峰昂刀の事が気になったと言う事もあり、手早く買い物を済ませてアパートへと帰る。
チラッと自室のベランダへと目を向けた瞬間だった。
バリン! と凄まじい音が鳴り響き、俺の部屋のガラスが――割れた!?
ガラスを破ってベランダから飛び降りる人影が二つ。
一つはライム、もう一つは白いボディをした自動警備兵だった。
「ライムとAG!?」
4階から落下するライムと白いAG。
二人は同時に地面へと着地する。
「ライム――!!」
「ヤス!? ヤス、危ないよ、下がってて」
今の状況に着いていけない俺に、ライムがやや強張った声音で告げる。
『匂坂泰博……。エンジェルは少しばかり時間を掛け過ぎたと判断します』
「なっ、どうして俺の名前を――」
『エンジェルは言う。匂坂泰博には関係ありません』
あのAGの名前はエンジェルと言うのだろうか。
エンジェルは単調な声で俺の問い掛けをはねつける。
『エンジェルの使命は新世代AGタイプ:デビルの回収。デビル、大人しくエンジェルに捕まりなさい』
「新世代AG!? ライムは俺の幼馴染で――」
『ネガティブ。そんな嘘を言っても無駄です』
「嘘なんかじゃ――」
だが、俺の言葉に聞く耳持たず、エンジェルはライムへと襲いかかる。
ライムがAG!? そんな馬鹿な。
ライムは幼い頃からずっと一緒に遊んでいた友達だ、幼馴染だ。
彼女がAG――ロボットだなんて事はありえない。
そんな思いを打ち消すように、ライムは平然とエンジェルの攻撃をかわし、流す。
まるでプログラミングされたパターンに従うかのように機械的に対応する。
まさか本当にライムが――AG?
一見、互角に見えた戦いだったが、次第にライムが圧されてくる。
「タイプ:エンジェルの行動に対処出来ない――!?」
『エンジェルはデビルと違い、調整も受け万全の状態です。OSのアップデートすら出来てないデビルに負けるはずがありません』
ついには、エンジェルの攻撃を受けきれなくなるライム。
エンジェルの強烈な打撃がライムの体を襲う。
「ライム!!」
見ていられないその光景に思わず叫んでしまう俺。
「ヤス――――」
最早、一方的に弄られる展開となった二人の戦い。
俺は、どうすれば良い!?
こんな状況になって、俺には何が出来る――!?
(おれがライムの王子様になる!)
あの日の約束が俺の胸によみがえる。
(おれがライムを――)
「ライムを守る――――っ!!」
俺は走った。
エンジェルに向かって走った。
「ヤス――!?」
『匂坂泰博――!!』
「くたばれぇぇえええええええ!!!」
体を衝撃が襲う。
俺の体がエンジェルのボディを弾き飛ばした衝撃。
俺の体当たりでエンジェルが飛ばされ、ライムから引き剝がされる。
「大丈夫か、ライム――!」
「ヤス――!!」
ライムの満面の笑み。
その表情に俺も思わず笑い返す。
だが、こんな事をしてる場合でもなく、すぐに弾き飛ばしたエンジェルの様子を確認する。
『匂坂泰博――あまりに唐突だったので対処しきれませんでした。しかしこの程度の攻撃無駄です』
案の定、エンジェルは平然と立ち上がり、俺達の前に立ちはだかる。
『エンジェルは日本自治区保安警備隊の所有物です。エンジェルを損傷させた場合は器物損壊で匂坂泰博を逮捕する事も出来ます』
「だから、何だ――」
『今の件は不問にしても構いません。代わりに我々への介入はしないで頂きます』
「そんな――」
「ヤス――」
エンジェルへと反論しようとした俺を止めたのはライムだった。
「ヤス、有難う……でも、大丈夫だよ」
「ライム?」
「私、負けたりしない。ずっとずっとヤスと一緒に居たいんだもん!」
ライムの瞳に宿る、強い意志の力。
彼女がAGだなんて信じられないほど、人間的な意志力。
「わかった――ライム、信じてる」
「うん!」
『データ上のスペックではエンジェルの方が上です。デビルに勝ち目はありません。それでも――』
「それでも私は戦うよ! 私は――ライムだもん!!」
ライムの意志の強さが溢れ出した時、彼女の体に変化が現れた。
不意にライムの瞳が紅く染まる。
頬と、両腕と、両足の皮膚が裂け、紅い光の線が体に浮き上がった。
首の後ろから、長い髪の毛のような、エメラルドの糸が垂れ下がる。
「ライム――」
「大丈夫だよヤス――私は、私だから」
そう告げたライムは、まるで疾風のように地面を駆けた。
『――!? この速度、この姿、エンジェルのデータには存在しません』
エンジェルが驚きを露わにする間にライムはエンジェルの懐へと踏み込んでいた。
「ライム達の――邪魔をするなぁ!!!」
ライムの放った高速の拳が走り、エンジェルのボディを叩き壊した。
「へぇ……あれが激情態か」
不意に聞こえた男性の声に、俺は声の主を探す。
「AGの感情に連動して発揮されるリミッターの自動解除……火事場の馬鹿力ってとこか」
『音峰、昂刀』
まだシステムがダウンした訳ではないらしい。
エンジェルがその名を告げた。
「全く……本部に戻ったらお前がまだ帰ってきてないって言うもんだから探しに来たら――コレだよ」
『返り討ちにされてしまいました。全く、情けないです』
「全然元気そうだな」
エンジェルに笑みを見せると、すぐに俺とライムへと体を向ける。
「エンジェルが迷惑をかけたみたいだな」
「い、いえ――」
相手を探るように身を固くする俺とライム。
「匂坂くんと言ったか――」
「は、はい」
「君とタイプ:デビル――君はライムと呼んでいたか。彼女との関係を教えてくれないか?」
「どうしてですか――?」
「頼む――」
正直、昂刀に俺とライムの関係など言う必要は無い。
だが昂刀の表情があまりにも真摯過ぎて――俺は思わず口を開く。
「俺とライムは幼馴染です。10年前にライムが引越しして別れるまで毎日のように遊んでました」
「幼馴染――彼女と君が……?」
昂刀には何か思うことがあるらしい。
彼は自分の考えを整理するかのように、時折虚空へと目を向けながら、俺に質問を続ける。
「君の幼馴染のライムちゃん――彼女のフルネームを教えてくれないか?」
「フルネームは……確か、勾繰――勾繰ライムです」
「まさか、勾繰オタル博士の娘か!?」
その名前はまさにライムの父親の名前だった。
ライムに母親は居なく、父親と二人きりで暮らしていた。
ライムが俺の家に何度か来た事があるように、俺もライムの家へと何度か訪ねた事があり、ライムの父との関わりもあったからそういう事情も知っている。
「彼女は、本当にライムちゃんなのか――?」
昂刀の奇妙なその質問。
「俺とライムしか知らない事だって知っていたし、彼女はライムです――間違い、ありません」
「そう、か――」
昂刀さんはそう告げると、エンジェルを背負い言った。
「エンジェル――帰るぞ」
『アファーマティブ』
そのままこの場を後にする昂刀。
「あの、ライムは――」
「その子は暫く君に預けておく」
「良いんですか?」
「オレが許可する」
俺達は、昂刀とエンジェルの姿が見えなくなるまで見送った。
二人の姿が見えなくなった後、ライムが口を開いた。
「ねえ、ヤス――私、ヤスと一緒に居ても、良いの?」
「――ああ、ライム、夕飯にしよう」
「――うんっ!!」
「あれ――でもライムって夕飯要らないんじゃ……」
一週間後、昂刀に呼び出された俺はライムと一緒に近所の日警隊本部へと足を運んだ。
一週間前にあんな出来事があって、それから急の呼び出しだ。何があるのか内心ヒヤヒヤだった。
昂刀とエンジェルに迎えられた俺達は別々の部屋へと案内され、俺は今、昂刀と対面して腰掛けていた。
「実は先週、匂坂くんに言えなかった事があってな……君にとってショックな話かもしれないが、話しておいた方が良いと思ってな」
昂刀からされたのは、こんな話だった。
人間である勾繰ライムの事だ。
俺の幼馴染である人間の勾繰ライムは9年前に交通事故で死亡していた。
今のライムは、彼の父である勾繰博士が娘の記憶を移植したガイノイドなのでは無いかと言う。
彼女は、死亡以前の記憶をベースに人格形成が為されているため、その身体とのアンバランスさが彼女自身の不安定さとなっているらしい。
「君は、この事実をしっても彼女を受け入れてくれるか?」
本物のライムがもう死んでいると言うのは驚いた。
俺と別れて引っ越した先でだろう――父親である勾繰博士も1年前に死んでしまったと言う。
だが、だからと言って、俺のライムへ対する態度が――気持ちが変わるはずは無く。
「そうか――有難う」
何故、この人に礼を言われないといけないのか。
そう思いながらも、適当に相槌を打っておいた。
この音峰昂刀と言う人物が当時ライムの事故を担当しており、結局犯人を見つけられなかった事を今でも悔いていたと言う事を知ったのはまた後の話である。