倉橋 裕太
文化祭一週間前。今日が部誌に載せる小説の期日だった。倉橋は以前から書いていたものを部誌掲載用に少し手を加えたものを用意していた。
佐賀は、掟破りな推理小説。掟破りとはいえ完成度は倉橋の目からしても相当なものだった。これをたった二、三日で書いたのかと訊いたら以前から書いていたものを完成させただけだという。やはり彼女も小説を書いていたらしい。
稲葉は普段から小説を書いている様子が全く見られなかったし、部誌作成の催促が来た後もしばらくは書けずにいたが、三日前にようやく書き上げていた。佐賀にこっぴどく批評されたショックで書けずにいたらしいが、吹っ切れたらしい。
鈴木は、ついさっきようやくそれらしいものを完成させた。剣道部と掛け持ちなので忙しいだろうし文を書くのも苦手らしいので無理に書かなくてもいいと稲葉が言ったのだが、自分も何かしらは出すと言って聞かなかったらしい。結局鈴木は普通の小説やエッセイなどは無理なので、普段からつけている剣道日誌を載せる事になった。
他の部員も何とか部誌に載せる形になり、全員の作品が完成した。文芸部のみんなと小説を書くのは倉橋の入部当初からの夢といってもよかったかもしれない。倉橋は小説を書くのも好きだったが、人が書いた小説を読むのだって、もちろん好きだ。文を通して、書いた人の人間性が伝わってくる気がした。みんなで小説を読ませ合って、今まで以上にわかりあえた気さえした。文体もストーリーも人それぞれだが、どれも書いた人の個性がにじみ出ていて、素晴らしいものだと倉橋は思った。最高の部誌が出来たではないか、と。
稲葉は鈴木から原稿(剣道日誌だが)を受け取った。そして全員分の原稿をまとめて持つと言った。
「じゃあ、今からこれ、須貝先生に見せに行くから。まあ、あの人は事なかれ主義みたいだし、十中八九通るだろうから安心していいぞ」
稲葉の顔は倉橋が入部した頃とは比較にならない程にいきいきしていた。スランプに陥っていただけでこれがこの人本来の顔なのかもしれない。稲葉が原稿を手に持ち、部室のドアに手をかけたところで、ちょうど須貝が部室に入ってきた。タイミングがいいのか悪いのか判断に迷う所だが、おかげで稲葉を待つ時間が短縮できると思った。
「お、できたんだ。どれ、読ませてみ」
稲葉が原稿を手渡す。須貝がそれを読む。稲葉は通ると言っていたが、本当に大丈夫だろうか。随分と長い時間がかかった。全員分チェックするのだから当たり前といえば当たり前だが、それにしても長い時間がかかっているように感じるのは倉橋の気のせいだろうか。須貝はやる気のない顧問だと聞いていたが、今の須貝を見る限りはそうは思えない。本当にじっくりと読んでいた。しっかり読んでくれているという事だろうか。倉橋には作品の粗を必死に探しているようにも、見えた。
*
「ま……所詮は学生、こんなもんなのかね」
二時間ほどたった頃、須貝は原稿を置いてそう言った。
「どうでしょうか」
稲葉がやや困惑気味に訊く。
「正直な感想言っていい?」
「だめです」と言うはずがないとわかっているのに、こういう質問はどうなのか。
「稲葉くん、君の小説は前々から思ってたけど、安直だわ」
「……そうですか」
「君、文章力はそこそこあるみたいだけどさあ、キャラクターに魅力が全然感じられない上に展開が笑っちゃう程御都合主義だよね」
その後も、須貝は稲葉の小説を酷評した。語彙が少ないとか、表現方法が陳腐だとか、細かい点をちくちくとつついていた。この顧問はこれほど批評家だっただろうか。批評家といえば佐賀だが、何故か倉橋は須貝には佐賀とは違うものを感じていた。悪意にも似た、何かを。
「こんな出来で小説を書こうだなんて十年早いわ」
須貝の目には明らかに悪意がこもっていた。言われている当の稲葉は倉橋が見る限り平然としていた。まるで、「だから何ですか?」とも言いたげな無表情さだった。以前の佐賀を思わせる雰囲気だと倉橋は感じていた。佐賀はというと稲葉と同じく無表情だったが、倉橋の気のせいだろうか。
佐賀の周りで何かが渦巻いていた。倉橋にはそれが、怒りや憤りに近いものの様に感じられた。
「稲葉くんのなんて、まだマシな方よ。倉橋くんなんて、これでよく小説にしようと思ったか不思議でしょうがない」
いつの間にか、酷評の矛先が自分に変わっていた。稲葉以上に批評はされているが、気にはならない。この顧問にどう思われようが知った事ではない。稲葉だってそう思ったはずだ。それなのに、関係のない佐賀のこの怒りはいったい何なのか。まさか倉橋や稲葉のために怒っているのだろうか。かつては佐賀自身も酷評していたはずなのに。佐賀は相変わらず頬ひとつ動かさない無表情さだったが、それでも佐賀が怒り狂っている事は倉橋にもわかった。
「正直言ってね、シナリオなんて二の次なの。大事なのは文章力や表現力なの。たとえ同じシナリオでも倉橋くんが書くのと、私が書くのでは雲泥の差になるでしょうよ。そんな事すら知らずによく小説が書けるわね。神経を疑うわ」
どうでもいい。いつになったらこの駄目だしは終わるのか、そこくらいにしか倉橋の関心はなくなっていた。承認さえしてくれればどうでもいいんだけどな、とそんな事さえ思っていた。
「まともに文章も書けない馬鹿や、世間知らずで陳腐なストーリーしか思い浮かばないような人間に、まともな小説を書けるわけないのよ。小説を書く資格なんてないのよ。顔洗って出直してきなさい」
そんな事も言われても気にするような部員はここにはいない。倉橋も、稲葉も、鈴木も。
「何様ですか? あんたは」
そう思っていた倉橋だったが、一人だけ例外がいた。本当に意外だった。まさか佐賀がこんなところで反応するとはこの部室の誰が想像しただろうか。「言いたい奴には言わせとけ」とか、そういうスタンスで小説を書いていたのではなかったのか。少なくとも、倉橋はそう思っていた。
「はっ?」と須貝が素っ頓狂な声を出す。
「何、上から見下してるんだよ。殿様にでもなったつもりなのか、って言ってんの」
倉橋は初めて佐賀の人間らしい部分を垣間見たかもしれなかった。それほど今の彼女は怒りに怒っていた。
「何言ってるの? 同じ立場だと思ってるわけ?」
「逆にききますけど、あんたはどうしてそんなに偉そうなんですか? たまたま早く生まれてきたから? それとも顧問だから?」
「そんなわけないでしょう」
てっきり年上だから、とか教師だから、という答えを想像していた倉橋は面食らった。違うのか? と。
「じゃあ、どうしてですか?」
「それは――」
「プロの小説家だったから?」
「えっ……」
部員がざわつき、誰もが声をあげて驚いている。倉橋もそのひとりだった。須貝が元小説家だったなんていう事実は全くの初耳だったし、佐賀がそれを知っていたという事にも驚きを隠せなかった。
「私これでも小説なら死ぬほど読んでるんで、顧問の名前きいたときから知ってました。先生の小説なら全部読んだ事ありますよ」
「……そうよ。なら、わかるでしょう。あんたらみたいな小説家かぶれとは違うの。格が違うの!」
「本を出した事ある小説家だったら偉いと? そうでない人を見下す権利があると?」
「当たり前でしょうが。言ってるでしょ、格が違うのよ」
倉橋は、佐賀が須貝を見る目がいっそう鋭くなったような気がした。睨まれているのが自分でなくて心底よかったと思う程の、侮蔑と怒りのこもった目だ。
「文才がないのに小説を書こうと思う時点でシビアな小説の世界をなめきった甘ったれなの。人生経験もないくせに良いストーリーが書けると思ってる時点で自惚れなの。語彙が少ないのにまともに描写をしようと思う時点で、思い上がりなのよ!」
はっと短くため息をついて佐賀は言った。
「……それは、あんたの考え方でしょ?」
「はあ?」
「文章力がなくて何が悪い? 人生経験が少なくて何が悪い? 御都合主義で何が悪い? ストーリーが陳腐で何が悪い? あんたに皆の小説の何がわかるってのよ」
「……」
「あんたが小説にどんな美学を持ってたって私の知った事じゃない。けど……」
「……な。何よ……」
「一生懸命頑張ってる小説家を馬鹿にするな!」
部室が、痛い程の沈黙に支配された。どうしたんだ、佐賀。誰に何と言われようとも、気にしないんじゃなかったのか。そう思った倉橋だったが、心の中ではガッツポーズを決めている自分もいた。おそらく他の部員も皆同じだろうと思っていた。
須貝は沈黙に耐え切れずになったのか、「はあっ」と強くため息をつくと、部室から出て行ってしまった。
*
三日後。結局あれから、須貝からは何の連絡もなかったし、部誌に載せるものとして承認されたかどうかさえもわからない。佐賀と須貝の大喧嘩(?)によって、全ては有耶無耶になってしまった。
それでも文芸部の部員は誰一人として、佐賀を恨んではいなかった。それどころかあの日以来、佐賀は以前よりも格段と部に打ち解けている気がした。
倉橋は今、部室で小説を書いていた。倉橋だけではない。部員全員が、小説を書いていた。それは、文化祭に向けて三日前のものに代わるシロモノを急いで取り繕っているわけではなかった。ただ単純に、皆が書きたいと思ったから書いているだけだ。そして、それを読み合い、感想を交換して、皆が笑い合っていた。佐賀のおかげかもしれないと倉橋は思った。
結局、文化祭の部誌がどうなるかはわからないままだった。それでもいい。それなら、今みんなが書いている小説を読ませてやればいい。
こういう文化祭がたまにはあってもいいと倉橋は思った。
相変わらずの文才の無さですが最後まで読んでくれた人はありがとうございました。よかったら感想お願いします。