須貝 明日香
なぜこの学校の生徒の国語力はこうも低いのだろうか。自分の担当するクラスの生徒の宿題プリントの添削作業をしていると、須貝明日香はいつもこう思う。須貝が出した宿題は、小説文の問題だった。小説の内容は教科書に載っているもので、その小説をさらに問題にしたい一部分だけをコピーして、須貝が考えた問題と一緒に印刷したものが宿題プリントという事になる。提出すら出来ていない生徒は論外として、まともに読めていない生徒が多すぎるのではないかと須貝は思う。須貝としてはそこまで難しい問題を出しているつもりは無い。登場人物の心情を問う問題や、その心情が読み取れる根拠となる部分の抜き出し問題がメインで、普通に読んでいれば誰でもわかると思っていた。それが登場人物の人間関係や肩書きすら理解していない生徒が一人や二人ではないのだから、驚きだ。
「あ、須貝先生。ちょっといいですか」
そう声をかけられて、須貝は添削作業の手をいったん休める。顔をあげてみると、声の主は漫画研究部の顧問の教師だった。
「なんでしょうか」
「いや、そろそろ文化祭の時期でしょう? 今年も文芸部と合同で、部誌をやろうと思いましてね。いや、嫌なら漫画研究部だけでやりますが、正直買ってくれる人は文芸部の作品目当ての人も多いんですよ。いや、だからと言って漫画研究部が手を抜くわけではないんですがね。漫画研究部としては今年も文芸部と合同で部誌を出したいと思ってるわけですよ」
「はあ」
相変わらず無駄な発言が多いと須貝は思う。もう少し簡潔に用件を言う事が出来るだろうに、なぜこうも長々と話す事しかできないのだろうか。この男の国語力も知れたものだと須貝は思う。要は「そろそろ部誌に載せるもんを作らせとけ」という事だ。
「わかりました。私から言っておきますね」
そう言って、職員室を出る。思えば文芸部に顔を出すのも久々かもしれないと須貝は思った。顧問になった当初は随分熱心に文芸部に行っていたが、最近はとんととご無沙汰だ。行く気などしなかった。文芸部に入部するくらいだからどんなものかと思えば、まともに国語力があるのは部長の稲葉くらいなもので、他の生徒はやはりないと言えた。その稲葉の小説も須貝は期待して読んでみたのにステレオ・タイプとしか言いようのない駄作だった。本人はあれで傑作だと思っているらしいので黙っていたが、正直レベルが低い。部長の彼があれなのだから他の部員の文才など知れているだろう。
部室に到着すると、倉橋が小説を書いて、佐賀がそれを読み、他の部員は読者という、いつもの光景が目に映る。鈴木は剣道部で来ていない様だった。部誌作成の旨を伝えると、特にする事があるわけでもないので、部室を後にした。
部誌作りをするという事なら、流石に文化祭までは部室に顔を出さなければならないだろうと須貝は想像した。正直憂鬱だった。部誌に載せる小説はいったん須貝のもとに寄せられ、チェックしなければならないからだ。去年はいちいち駄目だしをしていたら何年かかっても終わらない様な内容なものばかりで、面倒になった須貝は全ての原稿をまとめて承認した。正直、須貝にとっては読むだけでも苦痛になるほどのものばかりだった。
小説家の自分としては文芸部の連中など、シビアな小説の世界をなめきった甘ったれにしか見えない。あんな文章力で、小説が書けるなどと思い上がるのは自惚れというものだ。そもそも、文芸部に所属していながら小説家、須貝明日香の名前を誰も知らないという時点で問題外だ。
世の中、まともに国語力、読解力がある人間というのは驚くほどに少ないものだ。どうせ子供のときから漫画やアニメだけ見て育ってきたのだろう馬鹿は、あまりにも多い。学校に、だけではない。社会にも。ネットにも。そんな連中に、自分の小説を評価されなければならないのは、たまらなく苦痛だ。
今回は部誌に載せる小説のチェックの際は、しっかりと読んでやろうと思っていた。そして、一生立ち直れなくなるほどぼろぼろに批評してやろう。小説の世界をなめきっている連中に“現実”の厳しさを教えてやらなければならない。
私は、小説家だ。本を出した事があるのだ。あんな連中とは格が違う――――