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『消えたはずの温度』

掲載日:2025/11/30

──Opening Scene──**


夜勤の静けさには、いくつかの“段階”がある。

一番深いところは、音よりも先に温度が消える。

自動ドアのセンサーが眠り、冷蔵ケースの振動が

呼吸みたいに弱くなる頃、

このコンビニはようやく“夜”になる。


ぼくは、その瞬間が好きだった。

誰もいないのに、誰かがいた痕跡だけが

棚の間に残っている時間。

あと一歩、世界が黙り込む直前の温度。


その夜も、そうだった。


──なのに。


閉店間際にまとめ買いした客はひとりもいないのに、

レジ画面には「ホットスナック × 1」の履歴があった。

いつの間に? 誰が?

トングも動いてない。

揚げ置きライトもずっと同じ光だ。

監視カメラを巻き戻しても、

該当時間の映像だけが“薄く”なっていた。


ノイズじゃない。

映っているのに、輪郭だけが

水に落とした絵の具みたいにほどけていく。


まるで “そこにいた人間の温度だけ”

最初から存在しなかったみたいに。


ぼくは一度、深く息を吸った。

息が胸で引っかかる瞬間、

違和感は確信に変わった。


──この店に、誰かがいた。

でも “記録上はいない”。


夜のコンビニで、一番やってはいけない矛盾だ。


スマホが震えた。

便利屋の友人・つるぎからだった。


〈お前の店の前で変なの見た。

 すぐ外に出ろ。

 できれば、誰にも触るな〉


意味が分からなかった。

でも、直感が言っていた。


これは消えた“客”じゃない。

 消された“痕跡”だ。


ぼくはコンビニを出る。

ドアが閉まる直前、

店内の温度が一瞬だけ沈んだ。


まるで、

誰かがそこで“呼吸”していた跡みたいに。


──Scene 2:つるぎの視た“ズレ”──**


外に一歩出た瞬間、

夜気が、店内よりわずかに“暖かい”ことに気付いた。

冬なのに。

照明の熱でも排気でもない。

もっと別の──

誰かの体温だけが外に流れ出したような温度差。


つるぎは、街灯の下にいた。

パーカーのフードを目深にかぶり、

耳につけたワイヤレスイヤホンを外すと、

その表情だけで“ただ事じゃない”のが分かった。


「……お前、

 店の中で“音が途切れる瞬間”とかあった?」


つるぎの聞き方は、いつも変だ。

質問の内容より、質問の“角度”で

すでに答えが半分出ているタイプ。


「途切れるって……レジの音?」


首を横に振る。


「違う、温度のほうの音。

 息が一瞬だけ“途切れた”みたいな。」


ぼくは、無意識に胸の奥の違和感を撫でた。

…確かに、あった。

でも、それを「音」って言われると妙に納得してしまう。

つるぎは、昔から“ズレ”を感じる人間だ。

人の言葉の裏や、風の流れの方向とか、

関係なさそうなものの間にある

**“ノイズみたいな本質”**を拾ってしまう。


「さっき歩いてたら、

 お前の店の前だけ空気が揺れてた。

 人通りもないのに。

 気配だけ先に通っていく感じで。」


つるぎは息を吸う。

冷たさが肺に刺さったみたいに顔をしかめた。


「でな、

 すげえイヤな“前兆”見えたわ。」


「前兆?」


「人が“消える”ときの空気。」


ぼくは言葉を失った。

店内で感じた不自然な温度。

ノイズのような映像。

触れた形跡のないホットスナック。


でも──

つるぎの言った“前兆”は、

そのどれよりもはっきりしていた。


「音が、減ってんねん。」


「……減る?」


「そう。消えるじゃなくて、“減る”。

 音の量が誰かに吸われていく。

 あれが起きた場所は、

 そこにいた人の“痕跡”が消える。」


つるぎの声が、街灯の光より静かに沈む。


「それ……犯人とかじゃないの?」


つるぎは首を振る。


「違う。

 あれは“現象”。

 でも起きる条件だけは、

 “人間の行動”にくっついてる。」


そのとき、自動ドアが背後で勝手に開いた。


誰もいないのに。


つるぎが小さくつぶやいた。


「はじまったな。

 “消える温度”を持つ奴が、

 まだお前の店にいる。」


ぼくは振り返る。

店内はさっきまでと変わらない──ように見えた。


ただ一つだけ違う。


ホットスナックのケース。

 揚げ置きライトの光が、

 まるで“誰かの影を照らしている”みたいに歪んだ。


──Scene 3:温度の抜け落ちた店──**


自動ドアがまた開いた。

誰も通っていない。

でも──どこかが“減った”感覚だけが残る。


つるぎは、フードの影で目をすがめた。


「……温度、抜かれてるな。」


「温度を……抜く?」


「人が“存在してた痕跡”のほうをや。」


その言い方に背筋がざわりとした。

でも、つるぎは続ける。


「犯人はもう店内にいない。

 でも、犯人の“やったこと”だけは残ってる。

 お前、レジ横のホットスナック……

 最後に触ったの誰や?」


ぼくは無意識に視線を向けた。

ホットスナックのケース。

光がなぜか少しだけ弱まっている。


「あれ……さっき、

 誰かが一個取ったはずなんだけど……」


「レジ通ってへんやろ?」


「うん。アラームも鳴ってない。

 でもケースの“温度”が確かに落ちたんよ。」


つるぎの眉がぴくりと動く。


「ほらな。

 “異常行動”はいつも温度から出る。」


「……じゃあ、万引き?」


つるぎは首を横にゆっくり振る。


「普通の万引きなら、

 痕跡は逆に増えるねん。

 動きのズレ、視線の逃げ、呼吸の乱れ……

 痕跡は“増える”。

 でも今回は“減った”んや。」


そのとき、ぼくは気づいた。


レジ横の、

割り箸のケース。

ストローの並び。

雑誌コーナーの影。


ひとつだけ、影が薄い。


「……そこ。

 雑誌の棚の前。

 影がおかしい。」


つるぎはゆっくりうなずいた。


「そこや。

 “そこに居たはずの人”の痕跡だけ、

 きれいに抜かれてる。」


「じゃあ……その人はどこに?」


つるぎの声が低く落ちる。


「ここにおらん。

 いや、おらんようになったんや。」


ぼくは息を呑んだ。


「……死んだの?」


「ちゃう。

 “消えた”んや。」


つるぎは店内をひと巡りし、

ホットスナックの前でしゃがむ。


「これ、温度が落ちてるのに、

 油の匂いだけ残ってるやろ。」


「……うん。」


「普通は逆や。

 匂いは飛んで、温度だけ残る。

 でも今回は、温度だけ消えとる。」


その瞬間、

ぼくの脳が繋がった。


「つるぎ……

 これ、誰かが取ったんじゃなくて──

 “そこにあった温度だけ盗られた”ってこと?」


つるぎがにやりと笑う。


「そう。

 “温度の万引き” や。」


「……人間が?

 そんなこと……」


「できる。

 冷蔵庫で働いてる人に多いんや。

 温度を感じなくなる職業病。

 “温度に対して麻痺する”代わりに、

 触れたものの温度を奪ってしまう。」


思い出した。

数年前、この店に来ていた常連。

深夜に働く倉庫スタッフで、

いつも手が冷え切っていた。


「……あの人、名前……」


「覚えてるやろ?

 今日、店の外の監視カメラに映っとったで。」


ぼくの呼吸が止まる。


「でも──

 その人が“消えたのはなんで”?」


つるぎは表情を変えずに、

雑誌棚に視線を向けた。


「簡単や。

 自分で“自分の温度”も奪ってもうたんや。

 自分の痕跡を全部“消して”もうた。

 いるはずの場所から、

 存在の“温度”だけ抜けて、

 世界から“消えた”んや。」


ぼくは震えた。


まるで心霊現象のようなのに、

全部“人間の行動”で説明がつく。

怖さが圧倒的にリアルだ。


つるぎは立ち上がり、

ぼくの肩を軽く叩く。


「この街な、

 こういう“減り方の死に方”がある。

 残らんで消える死に方や。」


「……この先どうするの?」


「決まってるやろ。

 “どこで消えたか”を辿る。

 痕跡が減ったってことは、

 逆に“残った部分”がある。」


街灯の下で、

つるぎの影だけがくっきりと伸びていた。


「お前の店はな……

 “最後の暖かさ”だけ残っとる。

 それが、あいつの“遺体”や。」


ぼくは呼吸を飲んだ。


遺体は──

もう形を持たず、

ただ“残った温度”だけになっていた。


──Scene 4:残った温度と、答えの場所──**


店の外に出ると、

乾いた深夜の空気が、

なぜかほんの少しだけ、“温かかった”。


つるぎが歩きながらぽつりと言う。


「消えた人間はな、

 “最後に触れた場所にだけ、

  生の名残が残るねん。”」


「……さっきのホットスナック?」


「ちゃう。

 もっと“長く触ってた場所”や。」


ぼくは思い出そうとした。


――雑誌棚。

――飲料の扉。

――カウンター。


そのどれでもない。


つるぎが、指で示した。


店の外壁の、

ひときわ白い場所。


「ここや。」


そこは、コンビニに入るたび

ほとんどの人が無意識に触る場所だった。


“入店のとき、手を添える壁”。


つるぎはポケットから

小さな温度計を取り出した。

アナログ針が、ふるふる震えながら上がっていく。


「……なんでそこが温かいん?」


「死んだんちゃう。

 “消える直前まで生きてた場所”やからや。」


ぼくの心臓が跳ねた。


「じゃあ、その人は──」


つるぎは、ふっと笑って見せた。


「自分で“ここから消えた”っちゅうことや。」


その言葉が落ちてから、

静寂がゆっくり、街灯の下に沈んだ。


ぼくは震える声で訊く。


「……どうしてそんなことを?」


つるぎは壁に触れる。

まるで誰かの手を重ねるみたいに。


「温度に鈍くなる職業、言うたやろ。

 冷蔵倉庫で働きすぎてな、

 “温かさ”を感じる閾値が死んどるんや。」


「……それが理由で?」


「ちゃう。

 その人はな──

 『自分の温度だけが世界で邪魔』やと思ってもうてん。」


ぼくは息が止まった。


つるぎは淡々と続ける。


「冷たさに慣れすぎて、

 温かいもん触ると反射で“奪ってしまう”。

 人の肩も、飲み物も、子どもの手も。

 全部“冷やして”しまう。

 そのたびに、“存在の温度”だけ残る。」


胸の奥が痛くなった。


「それで……消えた?」


「そう。

 “自分がこれ以上、世界を冷やさんように”や。」


ぼくは言葉が出なかった。

この街の片隅で、

そんな死に方をする人間がいるなんて。


つるぎは壁から手を離す。


「この温度はな、

 “最後に誰かが触られた記憶”や。

 あの人が触ったんと、誰かが触られたんが、

 ここで同時に終わったんや。」


「……誰か?」


つるぎはゆっくりこちらを見た。


「お前や。」


頭が真っ白になった。


「お前、昨日ここを通った時、

 誰かと肩ぶつかったって言うてたやろ。

 思い出せへんって。」


思い出した。

深夜の帰り道。

ふっとよけそびれた肩。

ただの影みたいな感触。


「それ……あの人……?」


「せや。

 “君の温度”が最後の止めやったんや。」


ぼくは震えた。


「でも……なんで僕だけ覚えてない……?」


つるぎは目を伏せた。


「“奪われた温度”は、

 人間の“時間の感触”ごと抜け落ちるからや。

 記憶の端がざらつくのはそのせいや。」


そう言って、

つるぎはコンビニの方を振り向く。


「行こか。

 報告は俺がまとめといたる。

 お前は……

 “奪われへんように、自分の温度”守っとけ。」


その言葉に、

胸が妙に熱くなった。


つるぎは歩き出し、

ぼくもその背中を追う。


夜風が、すこしだけ温かい。


あの人が消えた理由は、

世界を嫌ったからじゃない。


世界の温度を守りたかったからだ。


それがわかった瞬間、

ぼくの中で“何か”が静かに戻ってきた。


最後に触れられたのがぼくだったなら、

あの温度は──

どこかで、まだ続いている。

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