ようやく貴方の隣に立てる女性になれたので、迎えにきました。
目の前には感情が見えない目を大きく見開いてマヌケな顔をしている男。抱かれたい40代男性俳優ランキング1位が台無しな顔だな、と内心笑ってやった。ていうかなんだこのランキング。
***
昔、あまりにも無謀な恋をした。
街中で偶然出会った親戚のお兄ちゃん、の、隣にいた男。名前を嶺二さんといった。ぎらぎらな名前だな、と思いながら、視線を嶺二さんから離すことができなかった。セットされた黒髪に、キリッとした瞳。形の良い少し太めの眉。こんな美形見たことない、それくらいの衝撃だった。そんな私を見て、にこりと笑って手を差し出す彼。
「名前、なんていうの?」
「…とおる。平澤透です。」
とおるちゃんかぁ、漢字は?へぇ、透明のとおるかぁ。良い名前だね。
これまた形の良い唇の口角を上げて笑う。その笑顔は飄々としていて、脳裏に色濃く残った。握手をした手のひらは大きくて厚くて、少しびっくりした。翌日、テレビで嶺二さんを見てもっと驚いた。
野田嶺二、32歳。大手事務所所属の俳優。
甘いマスクに低い声、高い演技力を持つ男にめろめろになる女性は数知れずだそうだ。色々な顔を演じるそうだが、基本は物腰が柔らかく笑顔が標準装備とのこと。へぇ、物腰が柔らかい。へぇ、笑顔が標準装備と。持っていたスマホに影がかかり、上を向いた。
「おまたせ、透ちゃん。待った?」
「…いえ。お疲れ様です。」
そこには黒いダウンを着た嶺二さんが立っていた。
「何見てんのー?スマホ?」
「貴方の記事、見てました。」
「ええ、なに。恥ずかしいなぁ。」
嘘つけ、そんなこと一切思ってないくせに。内心そう思いながらスマホをしまった。待ち合わせの人は来た、目的地は決まってる。もはや行きつけになってきた個室の店がある方向へ足を向けた。「ちょっと待ってよ〜。」と嶺二さんの声が背後で聞こえる。長いコンパス持ってるんだから、すぐに追いつけるでしょ。
「へぇ、大学生活は順調そうだね。」
「まぁそれなりに。」
目の前の男がよそっただし巻き卵を口に入れる。じゅわっと溢れ出すお出汁に顔が思わず緩む。ああ、本当に美味しい。もぐもぐと食べていると視線を感じた。
「…なんですか。」
「いやぁ毎回美味しそうに食べるなぁって。」
なんだそれ。怪訝そうな顔をした私に、「ごめんごめん。」と笑った嶺二さんは取り皿に新しい食事をよそった。この男はなぜか私に餌付けをする。自分は減量しているとかなんとかで、あまり手をつけずに私を薄い笑顔で見ているだけなのだ。
初めて会った日、せっかくだからと親戚の兄を含めてそのまま3人で食事に行った。もりもりと中華を頬張る私が何やら良かったのか、それ以降彼からお呼び出しがかかるようになったのだ。不定期でメッセージが来て、ご飯へ行き、解散。不思議な関係性が生まれてそろそろ一年になる。
「…嶺二さんは最近どうなんですか。」
「俺?」
「舞台、決まったんでしょ。おめでとうございます。」
先ほど手に入れたニュースに書いてあった。次の仕事もトップニュースになるなんて、本当に人気なんだなこの人。あ〜と言いながら焼酎の水割りを飲む。ごくん、と動いた喉仏はなんだか扇情的に感じた。この人、首、太いな。骨格がしっかりしてるもんな。
「有難いことにね。」
「忙しくなるんですか。」
「まぁぼちぼち。また連絡するよ〜。」
だから安心して、そう微笑まれる。まるで妹に笑いかけるようなその笑顔になんだか腹立たしくなって、べえっとあっかんべーをした。
嶺二さんと何事もなく別れ、自宅に着いてシャワーを浴びた。スマホを見ると、メッセージ件数に1と表示されている。それはさっきまで会っていた男で、《家ついた?》ときていた。これにつきました、と返信することも恒例となっていた。すぐに送られてきたスタンプに既読をし、スマホを閉じる。
あの人と関わり始めてから、毎回思うのだ。あの男にとって私はどんな存在なのだろうと。
嶺二さんに出会ってから、私の頭はあの黒い髪と瞳で一色だった。寝ても覚めても、講義中もバイト中も。そんな中で彼から逃れられる時間がひとつある。
『ちょっとトール。この前の歌、最高。』
「そうでしょ。」
電話越しに聞こえた声に自尊心が満たされた。相手はまだ興奮が冷めずに上擦った声で話している。それを聞きながら、動画配信サイトのマイページをクリックした。そこにはいくつかの曲を歌ってみたものや、オリジナルソングを載せている。まずまず増えてきた再生回数に、ほっと息を吐く。
『まさか本当に動画をアップするとは思わなかったよ。』
「まぁ…暇だったし。」
『ふぅん。まぁ身バレは気をつけなよ?視聴者も増えてきてるんだから。』
昨年から始めた動画配信サイト。完全に顔を隠して歌い始めた。最初は伸びなかった再生回数も、投稿を増やすにつれて少しずつ増えていった。暇という理由で始めたけど、今では活動に力を入れている。電話の相手は唯一活動を知っている友人だ。ありがと、と連絡を切ったスマホを置いて、新規で上げた投稿を見る。この曲、嶺二さんがドラマで出てたやつだ。
「ごめんな、透ちゃん。待たせちゃって。」
「…いえ。先に店入れたんで。」
少し汗をかいて個室に入った男を見る。はー走ったら体が暑いな、と手で仰ぐ彼に、メニューが載っているタブレットを渡す。
「お、悪いね。気がきくなぁ。」
「渡しただけですけど。」
「何か頼んだー?」
まだです、と答えると「じゃあ適当に入れるね〜。」とタブレットを操作し出した。一年も共に食事をすれば、お互いの嗜好は把握する。とくに彼は私の好きなものをしっかりと押さえているんだろう。そして、暫くしてテーブルに並んだ食事は、私の好きなものばかりだった。
「なんだか久しぶりだなぁ。」
「1ヶ月ぶりです。」
「稽古やらでバタバタしてたからな。ごめんね。」
軽い声で謝られ、はぁと適当に返した。
「あれ、なんか痩せた?」
「…なんですか。急に。」
「いや、この辺がシュッてしてる。」
伸びてきた長い指が、私の顎のラインをなぞった。つつ、となぞった指が、そのまま首に降りてくる。固まった体と顔。瞳は嶺二さんを捉えたままだった。黒々とした瞳がこちらをじいっと眺めている。どんな感情が含んでいるか読めない、得体の知れないその瞳。時が止まったかのようなその瞬間。それを破ったのは、作り出した男だった。
「…髪がご飯にかかっちゃうよ〜。」
長い指が髪の毛を耳にかける。そして離れていく温もりに、ようやく酸素を吸い込むことができた。…え、何が起きたんだ?混乱する私に、目の前の男は。
「久しぶりに透ちゃんに会えて嬉しいなぁ。おにいさん楽しみにしてたわ。ほらどんどん食べな〜。」
そう薄く笑った嶺二さんに、どくどくと動いていた心臓が一気に静まった。まるで子ども扱いをする言葉。なによ、おにいさんって。お前みたいなやついないわ。ああ、腹が立つ。
【大人気俳優 野田嶺二、美女とホテルにて密会】
そのスクープは各メディアで大いに取り上げられ、みんながその話題で持ちきりになった。真偽を待ち侘びたファンたちの声が叫ばれる中、事務所はようやく声明を出した。それはいわゆる、本人にプライベートは任せてますーーという内容。荒れに荒れたSNSを見ながら、ため息をつく。ふぅん、腕なんか組んじゃって。私と歩く時は一歩後ろにいるくせに。随分と胸がデカくてナイスバディなお姉さんが好きなんですね。スクープが出てから暫くの間、いらいらとした気持ちでは弾くギターは最悪の音だった。ピコン、と音を立てたスマホを見る。2カ月ぶりに届いたメッセージ。それは渦中の人物だった。
「なんでこんなとこに居るんですか!」
「たまたま近くに用があってさ。久しぶりだね、透ちゃん。」
慌てて下に降りたマンションの裏口。壁に寄りかかって立つ大きな人物は、嶺二さんだった。ちょっと、今危険な時期でしょ。なのにこんな迂闊に外で待ってて大丈夫なんですか。そう言っても私の顔をにこにこと笑って見ている。そのいつも通りの姿に気が抜けてしまった。
「…久しぶりです、嶺二さん。」
会いたかったです、という言葉は飲み込んだ。
「ごめんな、ご飯誘いたかったんだけど。やっぱり暫くはマスコミがしつこくて。こんなに時間が経っちゃったよ。」
あ、これ一応変装ね〜。と指さしたのは、眼鏡とバケットハットだった。どちらも初めて見たけど、文句なしに似合っている。
「どう?似合ってる?」
「…まぁいいんじゃないですか。」
可愛くない言葉ならすらすらと出る口に、自己嫌悪する。もっと素直に言えないのだろうか。ちらりと嶺二さんを見ると、「え〜嬉しい〜!」と目尻を細めていた。
「…あれ、本当なんですか。」
「あれ?」
「あの…美女。」
すぐに合点がいった嶺二さんは、ああ、と形の良い唇に指を添えて空を見上げた。そして私を見て、言った。
「秘密。」
「…はぁ?」
「まだお子ちゃまな透ちゃんには早いよ。」
何を言ってるんだこの男は。お子ちゃま?もうアンタの前で酒を飲んでるだろうが。まだ学生だからそう言ってるのか?あと2年で卒業だボケ。こっちだって色恋は分かるんだ。男女がホテルに行く意味だって、もう分かる。カッとなった気持ちは、怒涛の勢いで流れ込んで脳内を支配した。抉られた傷が熱をもっていく。嶺二さんにこの想いを知られてしまったら、もう会えなくなるのだろうか。そう思って怯えていた気持ちも全てが吹っ飛んだ。頭がぱぁんとなった私は、目の前の男の胸ぐらを掴む。
そして、唇と唇を合わせた。
いつもの飄々とした表情はどこへ行ったの。目を少し開いて表情のないその顔。それに胸が少しスッとした。
「…言っておくけど、ファーストキスじゃないんで。」
え、という声が綺麗な唇から漏れた。手を離して、一歩、遠ざかる。そういえば今まで、あんまりこの人の前で笑ってなかったな。元々笑うことも少ない性格だし。すこし冷えた頭で、ひとつ思いついた。この男の頭に残る方法を。傷になれる方法。
「ーーー嶺二さんが好きでしたよ。」
我ながら綺麗に笑えたと思う。
元々、父親の転勤が決まりあのマンションを出る予定だった私は、この機会にと一人暮らしを始めた。そして勉強と活動とバイトに打ち込んだ。何も考えなくていいように。そしてひとつの決心と目標が鈍らないように。何かひとつ手放したときに、良いことが起こるというのはあながち迷信ではないらしい。それを知ったのは大学4年生の時。視聴回数が右肩上がりだった動画がきっかけで、スカウトが来たのだ。この日が来ると信じて、寝る暇も削って作詞作曲をしてきたし、就活もしなかった。二つ返事をして、新しい世界に飛び込んだ。
最初はアイドルグループを作るか?という打診もあったけど、それは辞退した。確かにそこそこダンスも踊れたけど、私の目標は独りよがりなものだから、それに巻き込んでしまう人ができるのは避けたかった。事務所と話し、晴れて私はソロ歌手デビューした。動画配信サイトは続けつつ、顔を隠して歌い続けた。ボイトレや慣れないレコーディング、初めてのバンドグループとの演奏に四苦八苦する日々。結局、売れ始めるのにそこから4年かかってしまった。
軌道に乗って、CMソングや主題歌、音楽番組やライブに出ることに慣れた今、いつの間にか30歳を過ぎてしまった。今年で32歳になる。それはあの日のあの男と同じ年齢だった。
今だにメディアに出ていない私の顔。いつもテレビや人前に出る時は、顔が見えないように何かしら趣向が施されていた。それがひとつの魅力とも言われているけど、やっぱり正体を知りたいという声が大きいのも事実だった。そろそろ事務所も顔出しを検討しているそうで。その前にひとつ、私はやらなきゃいけないことがある。
「映画の主題歌?」
「そう!初のワールドツアーも控えてるけど、その前にどうかなって。発表前だから公開はまだまだ先だけどね。」
マネージャーから手渡された資料をめくる手が止まった。出演者予定一覧。そこに印字された名前から、目が離せなかった。
「やります、これ。」
ようやく目標に近づいてきた。そんな気がした。
無事に主題歌も完成し、情報解禁されたそれは話題になった。メインキャストには実力派が勢揃いしており、特にいまだに揺るがない人気と美貌を持つ壮年俳優の野田嶺二が出演するとなるとより話題性が高まっている。そして主題歌を、ワールドツアーを近々行うトールが手がけたということが少しばかり花を添えられたようで胸を撫で下ろした。
ワールドツアーでは顔出しをすることになり、それに向けた準備でここ最近はバタバタとしていた。顔を出すことに緊張が走るけど、いつかは覚悟をしていたことなので腹を括って備えるしかない。ふう、と騒ぎ立てる心を鎮める毎日である。
そして今日。事務所に無理を言って、関係者のみの事前上映会に参加した。ライブ前に業界内とはいえ、顔を出すなんて事務所はあまり良い顔をしなかったけど、ごく一部の関係者ならばと粘って許可を得た。大きな会場が暗くなると同時に入室し、一番後ろの席で参加した。中央に座っているだろう、ひとつ飛び出た形の良い頭に意識を引っ張られながら。
上映後、明るくなる前にマネージャーと会場を出る。手がけた主題歌と共に流れるエンドロールに、後ろ髪を引っ張られながらもひとつの部屋へ引っ込んだ。大きなスクリーンで見た嶺二さんを思い返す。久しぶりに見たあの人は、歳を重ねていても変わらないその美麗な顔立ちのままだった。むしろ重ねたことで大人の色気や渋さが増して、とても背徳的な気分にさせた。
この後、一部関係者がこの部屋に来る。深呼吸をする私に、緊張していると捉えたマネージャーが笑った。コンコンとノックされたドアに、いよいよこの時が来た、と思った。マネージャーの声と同時に開いたドアに、私は立ち上がった。
「ーーー初めまして。主題歌を担当いたしました、トールです。」
わざわざ来ていただいて、申し訳ありません。
そう言った私の視界には、驚いた顔の人たち。その中の1人に、感情が見えない目を大きく見開いてマヌケな顔をしている男がいた。
***
「なんで俺から離れた?」
大きな手が両肩をがしりと抑えている。その力は強く、痛みが走ったけど甘んじて受け入れてあげることにした。目の前の男の良い顔が先ほど見れたので。「なぁ、聞いてる?」と近づいた顔に、相変わらず綺麗な肌してるなと思った。本当に40代か?
「あの時、嶺二さんにフラれたから。」
「は?フッてないでしょ。俺が返事する前に透ちゃんが消えたんだよ。」
「ううん、ちゃんとフラれたよ。だって嶺二さん、私を子ども扱いして、ずっと一線を引いてたでしょ。」
目の前の男の瞳が揺れた。黒い瞳はどこか澱んでいて、見ているだけで飲み込まれそうな瞳をしている。その瞳が揺れた一瞬の変化を私は見逃さなかった。図星でしょう?
顔合わせの後何事もなく帰宅して、ずっとブロックしていた嶺二さんのトークにメッセージを送った。ただ自宅の住所だけを載せたそれはすぐに既読がつき、暫くして彼が現れたのだ。
「…それは。あの時、透ちゃんの時間をこんな年上の男に使わせちゃいけないと思って。」
「定期的にご飯連れてったり連絡したりしてたのに?そんなんもう、すでに時間を使わせてるじゃない。」
怒りに染まっていた男の顔は、気まずそうになっていた。目線を逸らそうとする嶺二さんの頬を両手で押さえる。ぱちりと合った視線に、気持ちが満たされた。
「…でも、あの時の私が子どもだったのは間違いなかったから。悔しいけど。なので、貴方と同じ世界で生きていける大人になろうと思いました。」
また目を見開いた。飄々とした笑顔じゃない貴方の顔、新鮮ですね。ふふ、と漏れた笑いに、嶺二さんはムッとした顔になった。なんだかあの時と逆みたいだ。
「…それに貴方、時期見計らって私の前から消えるつもりだったでしょ。」
ぎくりとした表情。ほーら図星。恋する乙女を舐めるなよ。
「それじゃ悔しいんで。だから私が消えてやりました。」
引っ越して、連絡先もブロック。親戚のおにいちゃんには口止めして。流石に大学には来なさそうだったし、ほぼリモート授業だったから問題なかった。なんだそれ…と少し震えた声を出す男に、ニヤリと笑うと、「あんまり年上のおじさん、揶揄わないでくれる?」と眉間に皺を寄せた。純粋な女の子をずっと揶揄っていたほうが悪いと思いますが。
「いつか貴方の隣に立てる女性になったら、迎えに行こうと思ってたんです。」
だから今日迎えに行きましたよ。さぁどうしますか、愛しい人。
そう笑った私に、嶺二さんは大きなため息をついた。掴まれていた手の力は緩まり、痛みはもうない。顔を上げた嶺二さんは、静かに私に問いかけた。
「…もう40代のおじさんだけど?」
「年齢差、ちょうど10個ですね。」
「食欲も体力も落ちてきたし。」
「一緒に食事して運動しましょ。長生きしてください。」
「…理想と違くて幻滅すると思うよ?」
「そのときには頑張って惚れ直させてくださいね。」
まぁ幻滅なんてしないと思いますけど、と内心呟く。
「…はぁーーー。…透ちゃん、思い切りよすぎない?なんでこんなに男前なの?そんなんかっこよすぎじゃん…。」
「あら、私に惚れました?」
瞬間、私の体に逞しい腕が周り、力強く抱きしめられた。爽やかでどこか色っぽい嶺二さんの香りに包まれる。夢にまで見た、追い求めていた温もりだった。耳元で囁かれた低い声に、私は思い切り笑ったのだった。
補足したい箇所もあるので、いつか嶺二視点を作成する予定。




