疾走
「まったく、セリオン様も人使いが荒い。やる事は山積みだというのに王子探しなんざ」
「ガルガン殿、不敬ですよ!」
「あの細っこい王子じゃ城から出て無事な訳ないだろ。ああでも、やたらと強い黒騎士がいたって言ってたな……」
身の丈程もある大剣を背負った騎士、ガルガンはマハ国で三万の兵を指揮する将軍である。本人もぼやいている事だが、そんな将軍が逃亡したアフラを捜している余裕は本来無いはずだ。
(「ガルガン……豪剣将軍と名高いガルガン将軍ですか」)
(「ああ。……その。ガルガンは以前、まあまあ大きいやらかしをしかけてな。戦においては無双の強さの将なのだが、恐らく……」)
「ん……おぬし、ハサン教の僧か」
「貴方様は、もしやマハ国の将軍様でいらっしゃいますか」
「うむ。“豪剣将軍”ガルガンだ。おぬし、ここで馬を見なんだか?」
「馬、といいますと……」
「白馬だ。それもただの白馬ではなく、銀色に輝く白馬でな。アフラ王子の馬なのだが、王子が失踪したのと同時に消えたのだ。銀色の馬がいると聞いて来たのだが、おぬし、何か知らぬか?」
「なんと。あの白銀の馬は王子様の馬でしたか」
ガルガンの意識はノーンハスヤに向いているが、部下達の注意は周囲にくまなく向けられている。下手に身動きをとれば見つかりかねない状況だ。
「ん……おぬし、やたらと汚れておるな」
「ええ、そうなのです。その銀の馬を保護するよう僧正様から申し付けられたのですが、大変気性が荒く……乗りはしたものの投げ出されてしまいました」
「ふーむ……」
ガルガンは突如として短剣を抜くと近くの木に──アフラが身を潜めている背後の木に向かって短剣を投げた。
(……っ!!)
「……外れか。仕方ない、シャルダーム山に行くとしよう!」
「はっ!」
ガルガン達が去ってしばらくして、ようやくアフラは詰めた息を吐いた。
「は、あっ……!!」
「間一髪でしたな……」
「思ったよりも穏当な御仁で助かりました。ときに殿下、スエンは駿馬でございますか?」
「ああ、父様から『銀の流星』と喩えられたほどだ」
「結構でございます。お二人共、急ぎガルガン殿の隊よりも先にシャルダーム山にお戻りください」
まだ日は高く、天候も穏やかだがノーンハスヤの懸念はそこではない。
「山道はほぼ一本道です。抜け道はありますが、慣れてない者が通るのは厳しい道であります。もし行き会ってしまえば不利な戦いとなるでしょう」
「分かった。行こう、アルカイオス。先導を頼む」
「はっ!」
念の為ガルガン隊が入ってきたであろう入口を避け、別の道を通って森を出る。鞍も手綱も無かったがアフラは手慣れた様子でスエンに跨ると優しく首を叩いた。
「しっかり掴まっているから、私のことは気にせず走って。越影号について行くんだよ」
「ぶるるっ」
「直線で突っ切ります。行くぞ、越影号!」
二頭の駿馬が駆け出した。その様はさながら黒と銀の旋風のようで、普通の馬とは比べものにならない速さで景色が流れていく。
「っ、わ……」
アフラは咄嗟に開きかけた口を閉じる。スエンの本気の速さは想像以上だった。以前城から抜け出しては遠乗りに出かけたことは多々あったが、本気で走らせる事は無かったのだ。
「…………つ、ついた……?」
「ええ、半刻(約一時間)程早めました。どうぞ、お手を」
「ありがとう……」
麓の馬小屋でスエンから降りるが地に足が着いている感覚が無い。しかし休んでいる余裕は無く、アフラはアルカイオスの手を借りて無心でシャルダーム山を登り寺院に入った。
「殿下、お帰りなさいませ! 随分とお早いお帰りで……」
「すまないが、休ませてもらえるか。それとイザナ僧正に言伝を……マハ国のガルガン将軍が来る、と」
その四半刻(約三十分)後、ガルガン到着の知らせが休んでいるアフラの耳に入った。
──────────
「お久しぶりでござる、イザナ殿……いえ、今は僧正でござったか」
「久しいな、ガルガン卿。しかしこんな時にシャルダームにまで来るとは、一体何用か?」
「恍けるのは止められた方がよろしい。アフラ王子がここにいるだろう」
「アフラが?」
「件の『黒騎士』はここの者であることは調べがついている。セリオン殿下はアフラ様を出せば剣を向けた罪は不問にすると仰せだ」
ガルガンの眼光は鋭くイザナを射る。しかしイザナは微笑を浮かべたまま一言「此処にはいない」と宣った。
「剣呑たるセリオンの配下を迎える用意はここには無い。お帰り願おう」
「──それがイザナ殿の返答でよろしいか? 次は……セリオン殿下が来られるぞ」
その一言に空気が凍った。イザナの目が薄らと開きガルガンを見下ろすもガルガンは臆する事無く見上げ返す。背後の部下達の胃が冷たくなるがガルガンには関係なかった。
「そうか。何年振りだろうか」
そう言い捨てるとイザナは踵を返す。それと同時に門番がガルガン達をぐいぐいと押し出し、重い音を立てて門が閉められた。
「っ……の……腹黒王子がぁーーー!!」
シャルダーム山に、ガルガンの叫び声が響き渡った。
──────────
「アフラ。ガルガンは帰ったぞ」
「……はい。ここまで響いてきましたから……」
「しかし、次は無理だろう。セリオンが来るそうだ」
イザナの部屋にアフラはいた。戻ってきたイザナは微笑みで誤魔化していたが真顔になる。アフラもそれは分かっていた。セリオンは、ハサン教の教義や禁を平気で踏み越えるような男だからだ。
「アルカイオスと話をさせて下さい。明日、発ちます」
「ああ。……そうだ、忘れるところだった。アフラ、その髪を戻さなければな」
アフラの髪はあの夜以降白いままだった。戻せるとは聞いていたが、正直一生このままだと思っていたアフラは面食らう。
「戻せるのですか?」
「鏡の力を借りる、簡単なまじないだ。己を見つめ、己の元ある容を想起する」
やってみなさい、と鏡を渡される。アフラはそこで久々に自分の顔を鏡に映した。顔色はあまり良くなく、表情はぎこちない。しかし瞳は曇っておらず、思っていたよりもまともな顔をしていた。
(元ある容……)
思い出すのは、誰からも事ある毎に褒められた射干玉の髪だ。今や「愛された」事を感じる記憶は全て髪と共にあり、胸が締め付けられる。
「……あ」
戻れないことも覚悟して目を開けると、それを裏切るようにアフラの髪は元の射干玉の髪に戻っていた。肌も僅かにだが血色が戻ったように見える。
「戻ったな」
「はい。兄様……ありがとうございます」
「おまえの髪は色が違っても美しいが、自らの容を見失うのは辛いことだ。それに、アルカイオスと話すなら元々のおまえがいいだろう?」
「兄様……」
イザナの手が微かに動くが昔のように頭を撫でることはしなかった。アフラもそれを分かって立ち上がる。アルカイオスを自分の部屋に呼ぶよう僧に頼み、アフラはイザナの部屋から離れた。
「アフラ様。アルカイオスにございます」
「ああ。入ってくれ」
アフラは円座に胡座を組みアルカイオスを待っていた。アルカイオスはただならぬ雰囲気を感じながらも促されたまま円座に座る。
「アルカイオス。貴方は私に剣を捧げると言ってくれたな」
「はい。偽りはございません」
「私が貴方の命を救ったからだと言うが、私はそれを思い出せていない。そして貴方は肝心のそれを話してくれないが、それは何故だ?」
「何故──」
アルカイオスは面食らう。しかしアフラの端的な言葉は確実にアルカイオスに刺さっていた。
「私は明日、西に向かう。この旅では私の王子という身分が役に立たないのは瞭然だ。私は、貴方のことを知らないままで貴方と旅はできない」
「……!」
愕然とするアルカイオスの脳裏に大僧正の言葉が浮かぶ。
──おぬしは思い遣りはあるが頑ななところがある。常に己を省みよ──
アルカイオスは勢いよく拳をつきアフラに頭を垂れた。
「……己の不徳と致すところ、弁明の仕様もございませぬ。お話いたします。私が貴方様に救われましたのは、五年前、ファールスの野営地にございます──」




