シャルダーム山
翌日。朝から半日ほど越影号で駆け、ようやく二人は目的地のシャルダーム山に到着した。
「開門を願う! 俺はアルカイオス! イザナ僧正の命を果たし帰山した!」
「──おお、アルカイオス! 無事戻ったか!」
門が開くと同時にその報せはたちまち広がった。あれよあれよと中に迎えられ、気付けばアフラは湯殿に通されていた。
「……」
ぽかん、と呆けていたがこのまま突っ立っている訳にもいかない。埃っぽい体を洗い、湯に浸かると昨日の出来事が蘇ってくる。
(「──お前が、死ななきゃならねぇってことだな」)
「……!」
セリオンが横暴なのは今に始まった事ではなく、アフラに剣の稽古をつけてもアフラが受けきれず転ぶと鼻で笑うような底意地の悪さもあったが、直接的に危害を加えることは無かった。アフラは、兄の性格の悪さは相手が自分と対等の力量でないことへの蔑みであり、事実勉学や政では凡そ対等であったため、短所であり長所でもあると受け入れていた。
だからこそ、セリオンが自分を何をもって殺そうとしたか──事実一度は首を撥ねたかが、分からなかった。
「──……ラ様、アフラ様?」
「っ! あ、ああ……何だ?」
「お加減はいかがですか? お疲れでしょうが、僧正様が……」
「ああ、いや、すまない。大丈夫だ。……支度は自分でするゆえ、もう少ししたら行くと伝えてくれ」
どうやらかなり長湯をしてしまったらしい。アフラは尼僧が離れるのを待って湯殿から出た。
「……お待たせして申し訳ありません、イザナ僧正」
「アフラ! ここではそう構えずとも良い、気楽にしてくれ」
案内された部屋にはアルカイオスに二人の僧侶と、紫色の袈裟を身につけた僧正であり、三兄弟の長兄イザナがアフラを待っていた。
「……はい、ありがとうございます。上兄様」
「……その、すまんな。顔のことだけはどうにもならん」
アフラの笑顔がぎこちないことをイザナはすぐに見抜いた。それもそのはずである。イザナと、アフラを斬った兄セリオンは瓜二つなのだ。アルカイオスもそれに得心がいったらしい。
「イザナ様とセリオン様は……」
「ああ、私とあいつは双子だ。もっとも、それで苦労したのは昔の話だが」
いくら双子といっても髪型が大きく違うものを間違える者はいないだろう、と暗にイザナは言う。アルカイオスは苦笑いしたが、穏やかな顔付きのイザナと獰猛性を大きく顕すセリオンでは顔が同じだけの別人である。
「アルカイオスから仔細は聞いた。辛い思いをさせてすまない、アフラ」
「……いえ。アルカイオスが助けてくれましたから」
「全てではないが、分かっていることを話そう。……ああ、だがその前に、この二人だが」
イザナの声に二人の僧侶が進み出る。
「この者達はダスラとノーンハスヤという。私が信を置く部下だ。口は堅いゆえ、安心してくれ」
「お初にお目にかかります、殿下。ダスラと申します」
「ノーンハスヤにございます。私どもは一時、首都でお務めをしておりました。お力になれるかと」
「ありがとう。──そうだ、大僧正様にご挨拶をしておりません」
イザナの目が僅かに見開かれ、憂いを帯びて伏せられる。
「……すまないが、先にこちらの話をしておきたい。セリオンはしばらく動けないだろうが、その部下はいつ来てもおかしくないのでな」
「……。分かりました」
アフラが頷くと、イザナは一呼吸置いて話し始めた。
「アフラ。まず、今のお前は『死なず』と呼ばれるものだ」
「『死なず』……もしや、『不死』というもの、ですか」
「ああ。お前がその力を持っているのは、我らの出自によるものだが……」
その時、思い出したようにイザナは目を細めた。そして低い声でアルカイオスに問いかける
「アルカイオス。お前は、王家の為に戦ったのではないな」
「は。私は過去、そしておゆるしをいただけるのならばこれからも、アフラ様に剣を捧げる所存です」
「アルカイオス……!?」
「偽りは無いようだな。これは、この国の者ならば知っている事だが──我ら三人は、父の実の子ではない」
「…………な」
これには流石のアルカイオスも絶句した。アルカイオスは思わずアフラを窺うが、アフラの表情に暗いものは無い。
「子供は知らぬ者もおるかもしれぬが、それは確かなのだ。父様はある日、天より声を聞いたのだという。サガルマータ山の頂上に、世を継ぐべき子がいると」
「サガルマータ山というと……あの霊山ですか!?」
「ああ。この国を創った三柱の竜が住まうとされる山だ」
そこでイザナはアフラに目配せをする。アフラは瞬きを一つすると、目を瞑り朗々と歌い始めた。
「──『天に御座すは三つの竜
その翼は空を覆い その声は天をふるわす
黒き竜はいのちを齎す すべての息吹の祖たる御方
赤き竜は流転を齎す すべてを壊す無常の御方
白き竜は光を齎す すべての叡智 安らぎの御方
三つの竜の神威によりて 世に生命ありければ
月と陽の盟約ありて 世に光を齎さん』……」
それはアフラの声でありながらアフラの声で無いような、神秘の息づく神の詩だった。誰からともなく拍手が起こり、アフラは恥ずかしげに微笑む。
「素晴らしいですな……!」
「ああ、以前よりも上達したな。益々磨きがかかっている」
「ありがとうございます。……ん、ともかく、これがマハ国の神話だ。その竜が御座す山に父様は登ったのだ。……アルカイオス?」
「──はっ! ……いえ、失礼しました。私は知らぬ間に天上にいたのかと」
失礼を致しました、とアルカイオスは頭を下げるが、アフラは固まるとその顔が一気に紅潮した。微妙になった空気を戻すようにイザナが大きく咳払いをする。
「……ともかく、そうして頂上に辿り着くと、そこにいたのが我々だったそうだ。父はお告げ通り我ら三人を連れて帰り、お告げの内容と共に我らを王家に迎え入れることを布告した。我ら自身、あのサガルマータ山の頂上にいたというのは信じられない事だが……三人とも、「普通」ではない自覚はある。アフラの死なぬ力も、おそらくそれだろう。生まれついて魔法を使えたことからも並ならぬ力がある、とは以前から神官も話していた」
「はい、そちらは存じております。私はその御力で救っていただいた身にございますれば」
「そうだな」
イザナはやや呆れたように息をつく。アフラはやはり心当たりが思い出せず首を傾げたが、ふとイザナの後ろに座るダスラにノーンハスヤが耳打ちをしているのを視界の端に捉えた。
「アフラ?」
「いえ、何でもありません。では、下兄様はどうして……」
それを訊かれたイザナは、より一層表情を険しくした。
「……それを話すには、確かなことは分かっていない」
「構いません。下兄様は……私が、死ななくてはならないと仰っていました。下兄様は厳しい方ですが、理由無くして動かぬ方です。そうしなければならない訳があったのではありませんか……!?」
悲痛な訴えにイザナは俯いて沈黙する。そして覚悟を決めたように言葉を紡いだ。
「……『死なず』は国を損なう、という伝承がある」
びり、と空気がひりつく。殺気の主はアルカイオスだ。
「落ち着け。言っただろう、確かなことは分かっていないと。……あいつは苛烈だが愚か者ではない。王族であるからある程度のまじないに従っているが、迷信というものを切って捨てる性質だ。恐らくは、あいつしか知らない何かがあり、それを以てアフラを殺そうとしたのではないかと私は考えている」
「下兄様かしか知らない、何か……」
アフラも閉口し、静まり返ってしまう。気遣わしげに口を開いたのはアルカイオスだった。
「では、これからひとまずはセリオン様の追っ手を避けつつ、セリオン様の知りうることを探らなければならない、ということですかな」
「ああ、そうなるな。それだが……一つ、方法に心当たりがある」
イザナはまるで、最初からそうするつもりだったようにするりとそれを話し始めた。
「王家の者の名は、皆に知られているのは俗称だ。真の名を我らは持っている。名には力があるというのは知っているだろう。アフラ、お前には今年の誕生日に父が真名を教えるはずだったのだが……それは叶わなくなった。だが西の果てに、我らの名付けに立ち会った方がいる」
「真名……? あの、上兄様、何故名前の話を……?」
「お前は生まれつき魔法が使える。神秘を宿す者ならば、真の名を得ればそれに相応しい力を得られるはずだ。お前がそうなったなら──お前を対等だと認めざるを得なくなったら、あいつは口を割るだろう」
アフラは目を見開いた。それは、と力なく言葉が零れる。
「簒奪をせよと、仰るのですか」
「……そうではない。それは、あいつの政次第だ」
ごう、と強く風が吹く。
「上兄様は──」
「お話中、失礼いたします」
アフラの声色が乱れたその時、外から僧侶が扉を叩いた。
「アフラ様、大僧正様がお呼びです」




