東
「アルカイオスです。アフラ様、お目覚めでいらっしゃいますか?」
「ああ。お早う、アルカイオス」
扉を開けると武装を解き、軽装のアルカイオスが立っていた。その手には二本の木剣が握られており、屋敷の者に借りたのが分かる。
「おはようございます。稽古ですが、中庭を使ってよいとのことです。一刻後に朝食とのことですので、半刻くらいで行おうかと」
「分かった。行こうか」
動きやすいよう髪を高く結い、アフラはアルカイオスに続いて中庭に向かう。
「では、とりあえず軽く打ってみましょう」
「よろしく頼む」
アフラは木剣を両手で持ち正中で構える。
「はっ!」
素早く一歩を踏み込み木剣を打ち下ろすが、アルカイオスは難無くそれを受け止める。弾かれた勢いを利用して脇を攻めるがこれもいなされ、攻め手はことごとくアルカイオスには通じない。
(まるで獅子と猫だな……)
アフラが内心自嘲したその時、今度はアルカイオスが打ち込んできた。その軌道は単調で分かりやすいものだが、圧倒的な膂力の差に体勢を崩しかける。その隙を逃さず無防備になった側面に木剣が振るわれるが、アフラは反射的に木剣の片刃を掴んで両手で構えることで受け止めた。
「……。一旦ここまでにしましょう」
「っ……! はぁっ……!」
詰まっていた息を大きく吐き出し、アフラは身を屈める。ほんの僅かな剣戟だったがどっと汗が噴き出し、乱雑に手の甲で額を拭った。
「流石……兄様と対等に戦ったことはある……。私など、到底歯が立たんな」
「恐れ入ります。しかしアフラ様、そう卑下する必要はございません。基礎がしっかりしておりますし、何より咄嗟の反射神経が宜しゅうございます。思っていたよりも実戦的な稽古を受けられていたのかとお見受けしますが……」
「ああ……それは兄様だな。気紛れに私に稽古をつけてくれることがあったのだ。まあ……当然のように右手でだったし、転がされては鼻で笑われていたが」
「セリオン殿は右手になにかあるのですか?」
「逆だ。兄様は左腕に精霊を宿しているのだ。普段は右腕しか使わないから知らない者も多いが」
そこまで言って、アフラはばつの悪い顔をする。
「すまない。貴方に伝えるのをすっかり忘れていた」
「いえ。どうかお気になさらないで下さい、アフラ様。知らぬ事を理由に敗れたなら、それは私がそこまでの男だったというだけです」
「……言い訳をして良いのなら、あの時の兄様は左手で剣を使っていた。丸腰の私を庇いながら兄様と戦えた貴方なら、特に問題無いと思っていたのかもしれない」
「……アフラ様は──」
「アフラ殿下、おはようございます」
アルカイオスが何かを言いかけたその時、シラの声が割って入った。こちらに向かってくるのを見てアルカイオスは一歩下がる。
「いやいや、朝からせいが出ますな」
「お早う、シラ。中庭を使わせてくれて感謝する」
「いえ、この程度。もう少しで朝餉の支度が整いますゆえ、お声掛けに参りました」
「分かった。わざわざありがとう」
では、とシラはアルカイオスを一瞥し屋敷に戻っていく。
「すまない、アルカイオス。何を言いかけてたんだ?」
「あ……いえ、アフラ様は片刃の剣をお使いになられていたのかと」
「ああ、その事か。そうだな、一応どちらも使えるように教えられたが、確かに片刃の方が使いやすい」
「では、次は片刃でいたしましょう」
「分かった」
汗を軽く流し、広間に向かうと豪華な朝食が次々と運ばれてくる。ふんだんに盛られた果物には林檎もあり、アフラは果喰虫に食われた林檎を思い出す。
「殿下、いかがなさいましたか? お口に合いませんでしたでしょうか」
「いや、そんな事は無い。カミルの墓地はどの辺りにあるのだ?」
「王都をのぞむ、東向きの丘にございます。我が祖先が、マハ国創造の三貴竜がおいでになられるのを見逃すことがないように、とその丘を墓地としました」
「そうか」
王族として一挙手一投足を見られているのは慣れたものだが、あからさまに目で追われると居心地が悪い。会話もそこそこにアフラは朝食を済ませると、馬の手入れをしたい、と適当な理由をつけて席を立った。
「……殿下は少々変わっておられますな。殿下自ら馬の世話をしたいなどと。そうは思われませんか? アルカイオス殿」
「さあ。旅の相棒となる馬をお気遣いになることのどこが変わっておられるのか、私には分かりませぬ」
「なるほど……ティール殿のご友人と聞きましたが、貴方も変わり者のようだ」
「やはり、探っていましたか」
シラは内心を隠すような作った笑みを浮かべる。
「不躾とは思いましたが、貴殿は王城の兵士では無いように思われましたので。しかし王家に仕える身で無いのなら、如何様にして殿下の伴をするようになったのですか?」
「以前、アフラ様に命を助けられたことがありまして。その御恩に報いるべく御伴しております」
「なるほど。いやいや、羨ましいことこの上ありませんな」
「何を仰るか。王家より任ぜられた諸侯ならば、その領地を正しく治めることこそ誉でしょう」
「ええ、そうでございます。ですが王族にお側で仕えることを許されるのは、諸侯ならば誰しも夢見ることでございますれば」
執務がありますゆえ、とシラも席を立つ。ふ、と息をつくと、アルカイオスもアフラの後を追って厩舎に向かった。
──────────
「こちらが、カミル様のお墓です」
「ありがとう。案内してくれて助かったよ」
「いえっ!」
「私達はこの後図書館に行くから、昼食は要らないと伝えてくれるかな。夜には戻るから」
「分かりました!」
使用人が去るのを見送って、アフラはカミルの墓に向き合う。弔いの花を一輪添えると、ふわりと風が吹いた。
「……この街が豊かなのは、カミル卿がよく治めていたのだろうな」
「私もそう思います。ティールは相談役のようなものをしていたと言っていましたが、あやつのような変人を受け容れていただけでも度量の大きな方だったのではないかと」
「ははは……」
ティールの知性は会話や言動の端々から滲み出るものではあるが、それはそれとして初対面の奇行を思い出すと苦笑いが漏れる。
「して、彼らを戻らせたのには何か理由が?」
「ああ、少し気になることがあってな。スエンを見ていてくれるか」
「はっ」
アフラは墓前に屈むと均された地面に触れる。
(屋敷からここは東の方向……あの時の気配が向かったのは……)
目を瞑り、精神を研ぎ澄ませ集中させる。朝の修練のように漠然とした感覚で探るのではなく、地に触れ指向性を持って魔力を探ると、何かが「息づいて」いる感覚が確かに触れた。
「……!」
それが「何か」は判然としないが、これは大きな収穫だ。シラ、もしくはメサの領守一族は、この地に「何か」を隠している。
「アルカイオス、図書館に向かおう」
「は。もうこちらは宜しいのですか?」
「ああ。なるべく早くに調べたい事がある」
「了解しました」
立ち去る前に墓石に一礼し、アフラはスエンを走らせる。墓地は街の外れにあり、行きは使用人の案内があり時間がかかったが、スエンと越影号が駆ければ四半刻(約三十分)ほどで街中まで戻ってこれた。
図書館司書には先に話を通しており、また一度ティールと話し合いたいのもありアフラ達は図書館の応接室を借りて集合することを事前に決めていた。なるべく人目に触れないように裏手の図書館出入口に近付くと、薄パンの香ばしい香りが漂ってくる。
「あっ、アフラ様!」
「ニーシュブル、随分早いな」
「それはお二人もですよ! お墓参りは終わったんですか?」
「ああ。ティールは?」
「来てますよ。なんか、朝に手紙が来てからすぐにここに籠っちゃって。お昼ご飯の準備できたので、応接室で待ってていただけますか?」
「分かった。ティールも呼んでくるよ」
「ありがとうございます!」
ティールは太陽の光が射し込む窓際で本に囲まれていた。図書館は静寂で満たされており、ティールが相当な美男子なのも相まって、絵画のようだな、とアフラは妙に感心する。
「ティール。昼餉の準備ができたそうだ」
「……。ああ、アルカイオスか。それにアフラ殿下も。これは失礼しました」
「いや、構わない。凄い集中力だったな」
「一時期はこれが職務でもありましたからな。そうだ、ニーシュブルは随分張り切っていたのではありませんか?」
「そう言われてみれば……確かに」
「雑談がてら西の国の料理はどのようなものかを教えたら、えらく感性が刺激されたようでして。なんでも、薄パンに肉や野菜を挟んだものを作るのだとか」
「それは……美味しそうだな……」
「爵位を持つ人物が発明した料理だったと記憶しております。そのような方が料理をするとは、世界は広いですな」
足取りが僅かに軽くなる自覚をしたその時、アフラはあることに思い当たった。
(待て……今は当たり前のように食事を作って貰っているが、ここを離れたらニーシュブルとは別れることになるのではないか……!?)
アフラの胃は完全にニーシュブルに掴まれていた。アフラは贅沢が好きな訳でも偏食でも無いが、好みに合うものと出会ってしまえば離れ難いのが人間というものである。
「……ニーシュブル。折り入って頼みがあるのだが」
「はい? な、なんでしょう」
ティールが話したという、薄パンを開いた中に肉と野菜の和え物を入れた料理を一口齧ったところで、アフラは徐ろに口を開く。物々しい雰囲気にニーシュブルは薄パンと一緒に生唾を呑んだ。
「ニーシュブル。領守の一件が解決したら、私達は西に向かう。私達の旅に着いてきてくれないか?」
「……へっ!? あ、あたしがですか!?」
「正直に言おう、私達の中でニーシュブル以上に美味な食事を作れる者はいない。無理にとは言わないが……」
「いえっ、行きます! お供させてください! すっごく嬉しいです!」
「本当か!」
はしゃぐ二人の傍ら、アルカイオスは複雑な面持ちで黙々と食べ進めている。
「どうした。悋気か?」
「……いや……うむ……アフラ様はニーシュブルに着いてきて欲しいのではないか、とは思っていたが」
「男の悋気など見苦しいだけだぞ」
「やかましい」
穏やかに食事の時間は過ぎていく。しかしそれを遠くから見ている、不穏な人影があった。




