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双子と狼少年

王都の石畳を踏みしめる靴音が、訓練場へと軽やかに響く。昼を過ぎた陽射しは穏やかで、城壁を越える風が、少年の耳と髪をくすぐっていく。


「今日も来てるといいな……」


小さく呟いて、シュアンランは訓練場へ小走りに向かった。幼いころから何度も通ったこの道は、彼にとって王都の中で最も馴染み深い場所だった。


生まれも育ちも王都。父は兵士、母は医務官。その関係で、幼い頃から自然と王宮の敷地を出入りし、訓練の合間に混ざって木剣を振っていた。兵舎の空気も、訓練場の砂の匂いも、彼にとっては日常の延長だった。


最近、そんな訓練場で気になる子がいる。静かで、透き通るような白い髪をもった狐の子。

自分から話しかけることはあっても、その子から言葉が返ってきたことはない。でも、どこか気になって、気づけば目で追っていた。


風が旗を揺らすその下、ふと目を向けた先に、目当ての白い尻尾がふわりと揺れた。思わず笑みがこぼれ、彼は勢いよく駆け寄った。


「フーリェン──!」


振り返った顔に、シュアンランの足が止まった。


髪の色も、瞳の色もそっくりなのに。けれど、そこにある空気はまるで違っていた。

じっと見つめてくるその視線は鋭く、どこか張り詰めている。まるで矢のようにこちらを測り、刺すような眼差しだった。


「……フーリェン……?」


声がわずかに揺れる。白狐の少年は一瞬間を置いてから、首を振った。


「違う」


それだけの短い返答。けれど、そこにははっきりとした線引きがあった。

シュアンランは慌てて頭をかいた。


「ごめん。すごく似てたから……もしかして、フーリェンの兄弟…?」


少年は答えず、ただ視線だけを逸らした。

 

「名前、聞いてもいい?」


しばらくの沈黙のあと、少年は静かに答えた。


「……ジンリェン」


「ジンリェン、か……。やっぱり、そうなんだな。名前の響きが一緒だ」


笑ってそう言いながら、シュアンランは一歩だけ近づいた。その動きに、ジンリェンの目が警戒の色を強める。


「あっ、ごめん。近すぎたか?」


慌てて立ち止まった彼は、少し恥ずかしそうに笑いながら言った。


「なんかさ、君、俺と年が近そうだなって思ってさ。……こう、仲良くなれるかなーって」


ジンリェンは答えない。代わりに、ほんのわずかに眉をひそめた。


「何歳?」


シュアンランの問いに、少年は少しだけためらってから口を開いた。


「十」

「十? ……俺、十一だから、一つ上だ」


予想が当たっていたことに、シュアンランは嬉しそうに笑った。そして小さく頷いて、もう一歩、心の距離を詰めるように言葉を紡ぐ。


「じゃあ、ちょっとだけ先輩だ。……これからも、ここで会えたら話しかけてもいいか?」


ジンリェンはまたしばらく沈黙したまま、じっと彼を見つめていた。けれど、今度はそれを拒むような棘はなかった。


「……勝手にすれば」


ぶっきらぼうな返事だったけれど、シュアンランはそれで十分だった。ぱっと笑って、元気よく頭を下げる。


「うん!またな、ジンリェン!」


そして再び走り出し、今度こそ、本当にフーリェンを探して訓練場の奥へと消えていった。


その背中を、ジンリェンは黙って見送っていた。そしてやがて、また静かに振り返ると、ひとり訓練用の木剣を手に、影へと溶け込んでいく。


彼にとっては、いつもと同じようでいて、ほんの少しだけ違う午後だった。








⋆⋆

その少年が現れたのは、ほんの一瞬の隙だった。


陽の傾いた訓練場の端で、木剣を構えていたジンリェンは、気配に気づいた瞬間に背後を振り返った。

 

「フーリェン──!」


初めて見る顔だった。短く整えた髪、明るく色づいた目。息を弾ませていて、笑っていて、警戒心の欠片もなかった。知らないのに、まるで旧知の友のように真っ直ぐに声をかけてきた。


「……フーリェン……?」


名前が出た瞬間、ジンリェンははっきりと否定の言葉を返した。


「違う」


冷たくしているつもりはなかった。ただ、反射だった。王宮に来て、三年。訓練も生活も、もう慣れていた。けれど、誰かに突然話しかけられると、身体の奥に根を張る警戒心が咄嗟に反応する。誰かが近づくときは、何かを奪う時だった。かつての記憶が、ジンリェンの心にそう刷り込ませていた。


なのに、この少年は──


「名前、聞いてもいい?」


まっすぐで、臆せず、強引で、それでいて笑っている。


「……ジンリェン」


名乗った瞬間、相手の目がぱっと輝いた。まるで花が咲いたみたいな顔だった。


「なんかさ、君、僕と年が近そうだなって思ってさ。……こう、仲良くなれるかなーって」


“仲良くなれるかな”──


不思議だった。初対面なのに、名前すら知らなかった相手に、そんなふうに言えるのか。警戒されることには慣れていたが、好意を向けられることには、慣れていなかった。


「何歳?」


尋ねられたジンリェンは、少しの間を置いて、短く返した。


「十」

「十? ……俺、十一だから、一つ上だ」


年下と知っても、相手の態度は変わらなかった。年上らしく振る舞おうとする様子もない。彼はただ、変わらず明るい笑みを浮かべているだけだった。


「これからも、ここで会えたら話しかけてもいいか?」


その言葉に、ジンリェンはどう返せばいいのか分からなかった。けれど、断る理由もなかった。


「……勝手にすれば」


思わず口をついたその一言に、相手はとびきりの笑顔で応えて、手を振りながら去っていった。


嵐のように現れて、嵐のように去っていった。けれど、嵐はただ通り過ぎただけではない。

確かに、何かを置いていった気がする。


ふと、ジンリェンは立ち止まり、足元を見つめた。弟の名前を呼ばれたとき、胸の奥が少しだけざらついたのを覚えている。フーリェンを知っている?いつ、どこでその名を知った?

問いかけは浮かぶが、答えはない。


(それに……人の名前は聞くくせに、名乗らないのかよ)


少しだけ思考が巡って、ジンリェンは息を吐いた。そして再び訓練場の影へと身を戻す。

それでも胸の奥には、狼の少年が発した“仲良くなれるかな”という言葉が、小さく残響していた。











⋆⋆

訓練場の隅。

陽の光がちょうど届かない石の影に、白狐の双子はぴたりとくっついて腰を下ろしていた。


ジンリェンの肩に、フーリェンの額がこつりと寄りかかる。それに構う様子もなく、ジンリェンはじっと遠くを見ていた。あまり人目の届かないこの場所は、兄弟にとって数少ない“休める”場所。すぐ近くにはフーリェンの監視役の兵士が一人、兄弟の空気を壊さないよう、黙って背を向けている。


「……外、疲れるか」


ジンリェンがぽつりと声を落とす。問いというよりは、独白に近かった。

フーリェンは、ほんの少しだけ首を振った。けれどそれは「疲れてない」という意味ではない。ただ、「大丈夫」という意思表示である。

ジンリェンはちらと横目で弟を見た。陽に透ける白い髪。耳はやや伏せられ、目元にはうっすらと疲労の影がある。


「無理、してないか」


再び投げかけられる言葉に、フーリェンは少しだけ唇を動かす。


「……してない」


つたなく、言葉がこぼれる。けれど、しっかりとした意思のある声だった。

ジンリェンはしばらく黙っていたが、やがて自分の膝にあった木片を指先でいじりながら、ぽつりとつぶやいた。


「お前が、外に出るって決めたから……見守る。でも、つらかったら、すぐ戻っていい」


フーリェンは小さく、ふるりと尻尾を揺らした。それが肯定なのか、安堵なのかはわからなかったが、彼には十分だった。


「……ジンがいるから、大丈夫」


か細い声に、ジンの指先の動きが止まる。


少しだけ息を吐いて、兄はわずかに弟の肩に自分の頭を預けた。互いの体温を確かめ合うように、言葉のない時間が、静かに流れる。


遠くで剣戟の音が響いていた。けれど、この片隅だけは、誰のものでもない、小さな聖域だった。







訓練場の石の裏手、騒がしい中心部から離れたその一角は、誰の目にも止まりにくい静けさがあった。


シュアンランは今日もまた、フーリェンを探しに訓練場へと足を運んでいた。そして視界の端にふわりと揺れる白い尻尾を見つけ、小さく息をのんだ。


けれど、すぐに足が止まる。その隣に、もうひとつの白が寄り添っていた。

ぴたりとくっつくように並んだ背中。微かに動く耳と、同じような尻尾の揺れ。

片方は間違いなく、昨日出会ったジンリェンだった。


ふたりはほとんど言葉を交わしていないようだった。それでも、互いの体温を知っているような、落ち着いた静けさがそこにあった。人目を避けるように、けれど、あたたかなぬくもりだけは確かに残る空間。


(兄弟……なんだよな)


似ている。けれど、全然違う。その差異に気づいたとき、シュアンランはようやく実感した。


フーリェンの目は、ジンリェンにだけ見せる柔らかさを持っていた。逆に、ジンリェンの目もまた、誰よりも穏やかだった。


(……ああ、これは、入っていい時間じゃないな)


彼はそっと足を引いた。けれど、完全に踵を返すことはせず、影の向こうから二人をぼんやりと眺めていた。


そのとき、ふいにフーリェンの耳がぴくりと動く。小さく頭を上げて、訓練場の反対側──自分の方を見た。


思わず身を引こうとしたその瞬間、ジンリェンの鋭い視線が重なった。

ふたりの目が合う。けれど、彼は睨み返すわけでも、問い詰めるような空気でもなかった。

ただ、じっと、彼の存在を確かめるように見ていた。


足音が、静かな訓練場の隅に響いた。

シュアンランがふたりのいる場所へと一歩踏み出す。


ジンリェンが顔を上げ、静かに言葉を放つ。

「昨日の…」


横で兄の肩にもたれていたフーリェンが、ぽつりと名前を呼んだ。


「……シュアンラン」


その声にシュアンランは驚きと喜びを隠せず、小さく笑みを浮かべる。


「名前、覚えてくれてたんだな……!」


ジンリェンははっと顔を上げた。その瞳に少しだけ驚きの色が差している。

シュアンランはその場にしっかりと腰を下ろし、ふたりの空間に自然と溶け込んでいった。


ジンリェンは隣のフーリェンに向かって、静かな声で問いかけた。


「こいつと、知り合いだったのか?」


問われたフーリェンはわずかに顔を上げ、目を伏せたまま小さく首を縦に振る。


それを受けて、シュアンランが口を開いた。


「初めて会ったのは、ちょうどひと月くらい前かな。訓練場で偶然見かけてから、たまに声をかけてる」


ジンリェンはその説明に少し驚きを隠せず、隣のフーリェンに向き直った。

その視線は、ほんの少しだけ厳しくもあった。


「お前…どうして俺に教えなかったんだ?」


フーリェンはふっと息を吐き、急に視線を逸らしてしまう。その表情には、どこか照れくささや、言いにくさが混じっているようにも見えた。


ジンリェンは眉を寄せ、優しく言葉を続けた。


「いや、別に責めているわけじゃない」


シュアンランもにこりと微笑みながら、言葉を添えた。


「だって、お兄ちゃんはちょっと怖そうだもんな」


ジンリェンは軽く肩をすくめ、むっとした顔で言い返す。


「ほぼ初対面に向かって言うのか、それ。お前、昨日名前すら名乗らなかっただろ」

「あれ、俺、名前言ってなかったっけ…?」

「聞いてねーよ……」


そんな二人の会話に、フーリェンはまだそっぽを向いているがその肩は少しだけリラックスしているように見えた。


沈黙が一瞬流れた後、シュアンランが言葉を切り出す。


「まぁ、でもさ。折角話せるようになったんだし、もっと仲良くなれると思うんだよな、俺」


そんなシュアンランの言葉に、ジンリェンは目線を弟から彼へと移し、小さく答えた。


「……そうかもな」


その言葉に、フーリェンの顔がようやく少しだけ向き直り、少しだけ親睦を深めたふたりへと視線を向ける。

三人の距離が、ほんの少しずつ縮まっていくのを感じながら、夕暮れの訓練場に新たな風がそっと吹き抜けていった。



















薄明かりの中、二人の足音が静かな王宮の廊下に響いていた。

アスランとの合同訓練を終えたばかりで、ジンリェンとシュアンランは早朝の見回り当番に向かいながら肩を並べて歩いている。


「シュアン、この前の野営戦、どうだった?」


ジンリェンが何気ない口調で尋ねる。


「んー……いろいろ思うところはあるが、まぁ、満足かな」


シュアンランは軽く笑いながら答えた。


「俺は後方だったからな。最前線の様子は正直伝令頼みの部分あったが、うまくいったみたいでよかったよ」

「それでも、アスランはやっぱ手強かったな。…正直、模擬戦じゃなければ、どちらが潰れていたか分からん」


シュアンランが少し声のトーンを落としてつぶやいた。

それに対し、ジンリェンもシュアンランに習って低く返す。


「そうだな。……もっと、腕を磨かないとな。ついでに火おこしの腕も」


真剣に返された返答の最後に、冗談のような一文がくっついていることにシュアンランが小さく噴き出す。


「お前、確かに火起こし苦手だったもんな」

「そもそも、火起こしなんてしなくても能力使えばパパっと付けれるんだよ……」

「戦の前に貴重な体力温存しないでどうすんだお前…」


ひとしきり笑って、ジンリェンが話題を変えた。


「話変わるけど、ウェディング祭の時のフーの服…」

「服がどうしたって?」


シュアンランが興味深げに返す。


ジンリェンはにやりと笑いながら裏話を暴露した。


「あれ、俺が選んだんだ」


シュアンランは思わず目を見開き、驚きの表情を浮かべた。


「…全然知らなかった」


ジンリェンはさらににやにやしながら尋ねる。


「似合ってたろ?」


シュアンは笑いながら、素直に肯定した。


「ああ、似合ってたよ」


二人はまた笑い合い、王宮の静かな朝に柔らかな空気が広がった。

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