星明かりの下で
【登場人物】
ランシー…獅子の獣人。「身体強化」の能力持ち。普段は戦斧を扱う。
ジンリェン…白狐の獣人。双子の兄。「炎操作」の能力持ち。普段は長槍を扱う。
フーリェン…白狐の獣人。双子の弟。「変化」の能力持ち。兄同様普段は長槍を扱う。
シュアンラン…狼の獣人。「氷操作」の能力持ち。大剣や大太刀を好むが、自身の能力で作った物なら何でも扱える。
星あかりが影を落とす夜更け、王宮の南門を抜けた少し先。広がる野外訓練場には、ひっそりと四つの影が集まっていた。夜風が草を揺らし、遠くで獣の鳴く声が響いている。昼間の喧騒から切り離されたようなその静けさの中で、彼らの吐く白い息だけが静かに空へとのぼっていく。
「全員揃ったな」
口火を切ったのはランシーだった。大きな外套の下、私服の襟をぐいと引き上げ、にやりと笑みを浮かべる。
「雪もないし、丁度良かったな」
ぐるぐると肩を回しながら言うシュアンランに、双子の白狐がほとんど同時に口を開いた。
「そうだな」「そうだね」
そのぴたりと揃った声に、ランシーが苦笑し、シュアンランは呆れ半分に目を細める。フーリェンも口元を緩めて小さくくすりと笑った。
四人の姿は、昼間の任務で見せる凛とした隊服姿とは違う。皆、動きやすい簡素な私服に身を包み、その上からそれぞれ外套を羽織っていた。腰に差すのは鋼ではなく木でできた訓練用の剣一本。戦場の緊張感とは無縁のはずの空気だが、その瞳の奥には戦士らしい光が宿っていた。
「殿下には許可取った。近隣に迷惑にならない程度に、だってさ」
ジンリェンが短く告げると、他の三人が無言で頷いた。無駄口を叩かずとも、互いの理解は早い。
「で、どうする? ペア組むか?」
「そうだな」
こくりと頷く双子を横目に、ランシーが片手を突き出した。
「手出せー。ほら、さっさと」
ぞんざいな声に従い、三人も順に手を重ねていく。深夜の静けさに似合わぬ、子供じみた始まり。無言のまま彼らは指を動かし、手の中で簡素な「くじ引き」を始める。やがて手を離せば、結果は自然と決まっていた。
「ジンと俺か」
「俺はフーとだな」
シュアンランとジンリェンは軽く目配せをすると、ランシーは口角を上げ、隣に立つフーリェンをちらりと見やった。
こうして、今宵の"遊び"のペアは決まったのだった。
互いに数歩離れ、円を描くように位置を取る。夜の草地に踏みしめられる足音が重なり、風が音をさらっていく。
「ルールは簡単に。能力は禁止。剣術と体術のみ」
ジンリェンの言葉は硬質で、戦場さながらの張りを帯びている。
「はーい」
ランシーがわざと間の抜けた声で返し、肩をすくめる。緊張を和らげようとする仕草に、フーリェンが小さく笑みを漏らす。
それぞれ、木剣を握り直す。
四人の間に静かな間が流れ、空気が張り詰める。
ジンリェンの投げた銀貨が、月明かりを掠めながら弧を描く。夜気の中、かすかな金属音を響かせて地に落ちた瞬間――四人の影が同時に動き出した。
先陣を切ったのは、ジンリェンとランシーだった。
木剣が交差した刹那、鈍い衝撃が訓練場に響き、二人の腕筋が盛り上がる。
「おっ、思ったより堅ぇな……!」
「そっちこそ、雑に力押ししてりゃ勝てると思うなよ」
押し合い、弾き合いながらも、互いの目は笑っていない。硬質な木剣同士がぶつかる度に、夜の静寂は破られた。そこへ狼男が回り込む。ジンリェンの剣に受け止められ、がら空きとなった獅子の横腹を狙って剣を振るう。
「もらった!」
鋭い横薙ぎ。だが次の瞬間、巨漢の男の背後からするりと白い影が滑り込んだ。
「そう簡単には、ね」
フーリェンだ。その声は仲間内だからこそ柔らかく、しかし動きは鋭い。無駄のない足運びで割って入り、シュアンランの豪腕をするりといなすと、その勢いを逆に使って弾き返す。
「っ……! 相変わらず速いな、お前!」
「ありがと。でも、まだまだだよ」
体勢を崩されながらもすぐに踏みとどまるシュアンランだったが、眼前にはフーリェンの次の一撃がもう迫っていた。木剣が軽やかに閃き、狼の剣筋を正面から押し返す。
――剣戯の場は熱を帯びていく。
ランシーとシュアンランの剣捌きは、一つ一つが重い。獅子と狼、どちらも普段は重量ある武器を振るうだけに、木剣といえど一撃ごとに唸るほどの迫力を持つ。振り下ろし、振り回し、地面を踏み割る勢いで相手にぶつかっていく。
一方の双子――ジンリェンとフーリェン。
彼らの剣筋はよく似ていた。無駄なく、流れるように。ただし、ジンリェンは上背と膂力ゆえに斬撃一つが重く、押し潰すような力強さを持つ。対するフーリェンは、三人に比べ体格では劣るが、その分俊敏さと体術を織り交ぜ、しなやかな連撃で相手を追い込む。
木剣が滑るように走り、足払いと組み合わさってシュアンランを揺さぶる。
「おっと、危ねぇ!」と舌打ちしながら飛び退いた狼は、思わず笑う。
「お前、前手合わせした時より動き良くなってないか…?」
「そう? ジンほどじゃないよ」
「いや、あれはあれで異常だが……っ」
返す一撃を受け止められ、シュアンランは歯を食いしばる。フーリェンは柔らかく息を吐きながら、その剣先をすでに次の角度へと滑らせていた。
一方、獅子と兄狐の対決も激しい。ランシーは大きな体を軸に剣を振り回し、ジンリェンは無駄のない一撃でそれを正面から受け止める。
「おらっ、どうだ! 正面勝負じゃ俺が上だろ!」
「馬鹿か。単純さで勝ちを取れるほど甘くないぞ」
木剣同士がぶつかり、火花のような衝撃音が響く。汗が頬を伝うのも構わず、両者は笑みすら浮かべた。
月下、夜風が吹き抜ける訓練場。
そのただ中で、四つの影は交錯し続けていた。
互いに軽口を叩き合いながらも、四人の剣筋は冗談めかす余地のないほどに鋭い。呼吸が荒くなるたび、熱気は増し、火花の散るたびに夜風さえも熱を帯びるようだった。
「どうしたフー、疲れてきたか? 剣が軽いぞ」
「重いだけの剣を振り回してる奴に言われたくないな」
フーリェンが涼やかに返すと、シュアンランの口角がぐっと吊り上がる。次の瞬間、狼は体格差を活かした腕力を惜しげもなく振るった。豪快な一撃が、真っ直ぐフーリェンの胸元を狙って振り下ろされる。
受け流した――だが、体重差は埋まらない。押し込まれる形になり、剣筋が絡んだ拍子にフーリェンの刃は容易く宙を舞った。
「もらった!」
勝ち誇る声と同時に、狼の牙のような剣が迫る。
だが、フーリェンは微動だにしなかった。剣を失った両腕を後方へ流すと、そのまま逆立ちに移り、しなやかな身体が弾むように跳ねる。振り抜かれた足先が弧を描き、真正面から狼の横腹を撃ち抜いた。
「ぐっ……!」
息が詰まる。受けきれず、わずかに体勢を崩した隙を、白狐は逃さない。宙を舞った剣に視線ひとつくれず、逆立ちからそのまま身を翻して滑り込み、低く沈んだ姿勢で足払いを仕掛ける。地を蹴る音とともに、シュアンランの体勢が大きく崩れ、握っていた剣が無様に転がる。
「――あっ!」
思わず声を上げたシュアンランに、フーリェンは口元だけでにやりと笑う。その隙に素早く自らの剣を拾い上げると、身軽に駆け出した。
狙うは、ランシーと渡り合う兄の背後。
「フー! 待てっ!」
慌てて体を起こしたシュアンランは、反射的に氷の剣を作り出そうと手をかざし、すぐに踏みとどまった。
「……そうだった、能力禁止だった……!」
悔しげに歯を食いしばり、飛ばされた自分の剣を拾いに走る。
剣と剣がぶつかり、木が裂けるような鋭い音が夜気を震わせた。
「……重っ」
ジンリェンは苦笑混じりに声を漏らす。片腕に伝わる衝撃は、骨の奥まで響くほどだった。それでも彼は一歩も退かず、肩をひねって力をいなし、返す刃でランシーへと斬り込む。
「ははっ、まだまだ余裕そうだな!」
楽しげに笑うランシーの声が響く。巨躯の獅子が振るう剣は、打ち合う度に木剣が悲鳴を上げ、ひとつ間違えば粉々に砕けそうだ。
ジンリェンは片目を細め、相手の肩の筋肉の動きを捉えては、ぎりぎりで刃を受け流す。動きは普段の長槍と違う短い片手剣にも迷いはない。鋭く、正確に。まるでその武器こそが自分の本来のものだと錯覚させるほど、器用に扱っていた。
「おいおい、そんなんで俺に勝てると思ってんのか?」
ランシーが豪快に打ち込む。
「……試してみればいい」
言葉は淡々としているのに、ジンリェンの口元はわずかに笑んでいた。反撃の手を止める気配はない。ランシーが笑い、ジンリェンが切り返す。重さと精密さ、力と理知。二人の剣は互いに引くことなく、夜の空気を震わせ続けた。
ジンリェンの刃が鋭く閃き、狙い澄ました一撃がランシーの巨体を捉えた。
「っ……!」
重い衝撃に押され、ランシーが後ろへと二歩、三歩と下がる。
その一瞬の隙を見逃すほど、ジンリェンは甘くない。
踏み込み、次の一撃を叩き込もうとしたその刹那――。
「肩、借りる」
低く柔らかな声が耳に届く。
ランシーの肩に、白い影がふっと足をかけた。勢いそのまま、夜気を裂いて躍り出たのはフーリェンだった。兄の目の前へと弾丸のように飛び込み、鋭く木剣を振り下ろす。
「……っ!」
咄嗟に剣で弾き返す。火花のように乾いた音が鳴り、ジンリェンの顔にわずかな苦笑が浮かんだ。
「タイミングが良すぎるだろ……!」
視線の端にちらりと、剣を拾い上げる狼の後ろ姿が映る。だが気を逸らす暇などない。フーリェンの剣が滑るように舞い、次の攻撃が迫る。
ジンリェンは一呼吸、無駄のない動きで受け流し、間合いを測るように反撃へと繋げる。兄弟の剣が交差するたび、互いの呼吸が一致し、流れるような動きが続いた。
剣が触れ、弾かれ、また交わる。
長年の戦場で培った勘と、互いを知り尽くした動きが絡み合い、寸分の乱れも生じない。
息をつく間など与えられず、木剣が鳴り響く夜の庭は、まるで即席の戦場のように熱を帯びていた。
そんな双子の様子を少し離れて見守りつつ、笑みを崩さないランシーのもとへ、灰銀の狼が歩み寄ってきた。
「……大分疲れてんな」
隣に並んだシュアンランが、茶化すように言う。
「お前こそ、ぐだぐだじゃねーか」
ランシーは笑い飛ばし、木剣を肩に担ぎ直す。その言葉にシュアンランは小さく肩をすくめ、苦笑を返した。
ふたりの視線が自然と、目の前の双子へと戻る。
剣を交わす音は途切れることなく響き、夜気を震わせていた。
乱れのない双子の動き。押しているのはジンリェンだが、フーリェンはその圧を意に介する様子もなく、要所で鋭い反撃を差し込んでいく。攻めも守りも無駄がなく、二人の呼吸は重なり合い、剣戟の応酬が一つの舞のように流れていた。
「……てか思ったんだけどさ」
「うん?」
ランシーの呟きに、視線を剣戟から逸らさぬまま、シュアンランは問い返した。
「能力なしでいくなら……フーが断トツで動けるよな。この面子だと」
その言葉に、狼の瞳が白狐へと向かう。
目の前の白狐の弟ーーフーリェンは、あれだけの速さと正確さで攻防を繰り返しているというのに、息ひとつ乱れていない。動きは最小限、型は研ぎ澄まされた刃のように無駄がなく、美しい。基礎を芯まで叩き込んだ者だけが辿り着く境地。
そして何より――その目。相手の筋肉の微細な動きすら見逃さず、次の一手を予測する冷徹な観察眼が、彼のその正確な動きを支えている。
「……確かに」
シュアンランは短く、しかし納得したように呟く。
「おーい」
間の抜けた声が夜の庭に響いた。木剣を交わし合う双子へ、ランシーが片手をひらひら振りながら声を飛ばす。その声に、ジンリェンとフーリェンはぴたりと動きを止めた。空気ごと凍り付いたような静止ののち、兄の方が眉を寄せて問いかける。
「どうした?」
「休憩しようぜー」
ランシーは木剣を肩に担ぎ直し、気楽な調子で笑った。
「へーい」
ジンリェンが軽く返事をすると、その隣にいたフーリェンもこくりと頷き、二人並んで戻ってくる。
そうして戻るなり、フーリェンの視線がシュアンランへと向いた。
「ごめん。……脇腹、怪我のこと忘れてた」
「大丈夫?」と心配そうに尋ねるフーリェンに、シュアンランは少し目を細めて笑った。
「この前見ただろ? もう治ってる」
二人の間に流れるやり取りは、ごく自然で、どこか親密さを感じさせる。その様子を、ランシーはにやりとした笑みを浮かべて見ており、ジンリェンは表情を変えぬまま、しかし目の奥で小さく反応を示していた。
「おーおー相変わらず、仲睦まじいこって」
その茶化した獅子のもの言いに、フーリェンの狐耳がぴくりと揺れる。次の瞬間には不機嫌そうにむすっと唇を結んだ弟の反応に、ジンリェンは小さく苦笑を洩らした。肩をすくめて笑うランシーを気にすることなく、隣でシュアンランが裾をパタパタと煽いだ。
「動いたから暑くなった」
「分かるわー。冬でも汗かくもんな」
「風邪ひくなよお前ら」
そんな二人にジンリェンはふっと笑うと、手のひらに炎を灯した。ゆらめく赤橙の光に、フーリェンは自然と手を差し出して暖を取る。白狐の細い指先が炎に照らされ、わずかに赤みを帯びる。むすりとしていた表情はあっという間に解け、彼にしては珍しくふんわりと表情を緩める。そんな彼の様子に、シュアンランはある夜の光景を思い出していた。
――西での戦いから数日後。夜の茂みの奥で、ひとりしくしくと泣いていた白狐。
「どうして自分はこんなに弱いんだろう……」そう言って、自分の胸に顔を押しつけ、ずびずびと鼻を鳴らしていた幼さの残る面影。
今目の前にいるのは、汗ひとつかかず、基礎を極めた動きで軽々と自分をいなした同じ白狐。
能力なしなら断トツに動ける――さっきランシーもそう言っていた。
それなのに、どうして本人は気づいていないのか。
「フー、お前さ……自分のこと、過小評価し過ぎじゃないか」
思わず心の声が零れ落ちた。はっとして口を押さえたが、もう遅い。ランシーも、ジンリェンも、そして当のフーリェンも。三人とも、彼の言葉をばっちりと聞いていた。
夜の空気に、ほんのわずか沈黙が落ちる。
炎の揺らめきに照らされながら、フーリェンは気まずそうに視線を逸らし、尻尾をぱたりと小さく揺らした。
「なんだお前、自分の動きに自信ないのか?」
ランシーが肩肘をつきながら問いかけると、フーリェンは少し間を置いて、ぶっきらぼうに答えた。
「……そうだよ」
「ははっ、なんだよ素直だな」
その率直すぎる言葉に、ランシーは堪えきれず笑い出す。ジンリェンもまた微笑を浮かべ、弟に目を向けた。
「……お前、自分がなんで第四軍なのか、分かってないだろ」
その言葉に、フーリェンはきょとんとした顔で兄を見返した。第四王子の直属護衛だから――以外に理由なんてあるのか?そう訝しげに瞬きをする。
「お前が一番、基礎を固めてるからだよ」
ジンリェンはやれやれと呆れたように息をつく。
「そうそう」ランシーが勢いよく相槌を打つ。
「前も言ったけどさ、お前、動きに無駄がないんだよ。単純な剣術や体術なら、俺たちの中で一番できる。自覚した方がいいぞ」
そんなこと、考えたこともなかったのだろう。驚きと戸惑いが混じった視線が、自然とシュアンランへと向けられる。
「…俺もそう思う」
短く、しかし迷いなく言い切った狼男の声に、フーリェンは無言で、少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らした。それはほんの小さな変化だったが、炎の明かりに照らされて、その横顔には確かに嬉しさが滲んでいる。
「……まぁ、だからこそ負けられない分野もあるんだけどな」
小さくパタパタと揺れる白い尾を見つめながら、シュアンランはぽつりと呟いた。そのまま彼は、視線を兄狐へと向ける。
「ジン、久しぶりに勝負だ。今度は能力ありで」
挑発めいた目を向けられたジンリェンは、すぐに口角を釣り上げ、にやりと笑った。
「……お前、適度に調節できんのかよ」
「当たり前だろ。いつもちゃんと抑えてるだろ」
挑発を挑発で返された狼は、そう言って手元に氷を凝らすと、白銀に輝く長槍を形づくり、そのままジンリェンへと放った。
「ほら、これ貸してやるよ。これなら燃えないだろ?」
にやりと告げるシュアンランに、ジンリェンは目を細める。
「……言ってくれるな」
そう返しながら、彼の瞳にも戦意が灯った。
そんな二人のやり取りに、ランシーが焚き火にあたりながら大袈裟にため息をついた。
「いいなー……俺も能力使いてぇ」
「「お前が使ったら近隣住民どころじゃなくなる!」」
「地面が穴だらけになるから、絶対やめろ」
「ちっ」
不満げに舌打ちするランシーに、フーリェンは呆れ顔で視線を投げた。
「フーも何か言ってくれよ」
ランシーがぼやくと、フーリェンは少し考え込むように沈黙したあと、ふと何かを思い出したように口を開く。
「……僕もそう思う」
その素っ気ない返事に、ランシーは小さく肩を落としたのだった。
フーリェンとランシーから少し離れた場所まで歩いた二人は、互いに無言のまま向き合った。視界の端で、白狐と獅子が地面に腰を下ろすのを確認すると、ジンリェンは目の前の狼へと鋭い視線を向ける。
「……少しは兄らしいとこ見せたいんでな」
低く言い放つと同時に、彼の手に握られた氷の長槍が灼熱を帯びる。紅蓮の炎が絡みつくように槍を舐め、空気を震わせた。対するシュアンランは鼻を鳴らし、口元に獰猛な笑みを浮かべる。
「俺だってカッコつけたい」
その言葉と共に、凍気を纏った氷の大剣が空気を切り裂くように形成される。重々しい剣を勢いよく肩に担ぐ姿は、まさに戦いを欲する獣のそれだった。
ジンリェンの足元からは、じりじりと地面を焼く炎が立ち上り、赤い残光が揺れる。シュアンランの足元からは、白い冷気が這い出しては大気を凍りつかせ、霜が地面を覆い始めた。
出力は互いに最低限――しかし、それでも二人が持つ力の規模が圧倒的であることは、周囲にいる者なら誰の目にも明らかだった。
「どっちが勝つと思う?」
呑気に問いかけるランシーの声が響く。隣のフーリェンは、尻尾をゆらりと揺らしながら首を捻った。
「正直、能力の相性だけで言うなら……ジン、だよね」
冷静に答えたその琥珀の瞳は、次の瞬間、狼へと向けられる。
「でも、昔からセンスだけは圧倒的なんだよね、シュアンは」
その言葉が落ちた刹那。
ジンリェンとシュアンランが同時に地面を蹴り、風を裂いて飛び出した。紅蓮と氷雪――相反する力が衝突の軌跡を描き、空気そのものが爆ぜる音を立てる。紅蓮の槍と氷の大剣がぶつかり合った瞬間、轟音が響き渡り、地面が裂ける。火と氷が正面からぶつかり合い、衝撃波が周囲の草を吹き飛ばした。
ジンリェンは腕の力だけでなく、炎の推進を纏わせることで槍を押し込む。その勢いは凄まじく、真正面から受ければ並の戦士なら一瞬で吹き飛ばされるだろう。だが、シュアンランは牙を見せて笑いながら受け止めた。
「まだまだ!」
大剣を肩口から振り下ろし、その一撃で炎を切り裂くように押し返す。彼の剣筋は粗削りで、力任せに見える。しかし獣ならではの本能的な直感のもと振り下ろされたその軌跡は、確かに相手の急所を狙い抜いていた。
火花のように散る炎片。砕けて宙を舞う氷の欠片。
赤と白が交錯し、刹那ごとに戦場は新たな模様を描く。
「……やるな」
ジンリェンが短く吐き捨てる。くるりと槍を回転させると、その軌跡に炎の弧が描かれる。その動きに合わせるように、シュアンランは全身をひねり、大剣を振り抜く。重さと冷気を乗せた一撃が、槍の弧を断ち切るように打ち込まれる。
互いに一歩も引かない。
ジンリェンの炎は氷を溶かし、溶けた水が蒸気となって視界を覆う。しかしその白い霧の中を、狼の直感に導かれた大剣が迷いなく走る。逆に氷の冷気が炎を鈍らせようと広がるが、その中心から紅蓮が迸り、全てを焼き払う。
一進一退。
一歩踏み出した瞬間、同じだけ押し返される。
力と力が拮抗し、互いの牙がぶつかり合う音が響く。
離れて見ていたランシーが、尻尾をぱたぱたさせながら口を開いた。
「……なぁ、これ、どっちも引かねぇんじゃね?」
フーリェンは視線を逸らさず、真剣に二人を見つめていた。
「……そうだね。どっちも負けたくないだろうからね」
そう呟いた声は、どこか誇らしげでもあった。
二人の力は正面からぶつかり合い、勝敗の気配を掴ませぬまま、烈火と氷雪が交錯し続けていた。
互いに一歩も譲らぬ攻防。
しかし――最初に動いたのは狼だった。
「――っしゃああ!」
咆哮と共に、シュアンランの足元から冷気が爆ぜる。
氷の結晶が地面を走り、瞬時に足場を凍てつかせた。
その滑る感覚を利用して、彼は大剣を振り抜きながら一気に踏み込む。通常なら無防備になる体勢。だがシュアンランは敢えてそこに賭けた。
獣じみた直感と、力任せの突破。炎を纏った槍の間合いを、大剣の一撃が押し破る。
ランシーが思わず立ち上がる。
「おおっ、決まったか!?」
だが――次の瞬間、耳を劈く衝撃音。
ジンリェンは動じなかった。迫り来る大剣を半歩だけずらして受け流すと、槍の石突を逆手に回し、狼の懐を突いた。炎が爆ぜ、衝撃波が弾ける。
狼の体が宙に浮き、そのまま地面を転がった。氷の大剣は砕け散り、冷気が霧のように散乱する。
にやりと笑い、ジンリェンは手にしていた長槍を地面へと突き立てた。炎が一瞬だけ勢いを増し、槍の周囲を灼熱の揺らめきが取り囲む。
強引に攻め込んだものの、押し返されて悔しげに舌打ちしたシュアンランは、すぐさま体勢を立て直した。
両腕を振り抜くと、冷気がうねり、大剣の形をした氷塊が再びその手に形を取る。
「やっぱジンの方が上かねぇ」
呑気にそう呟いたランシーが、二人のぶつかり合いを眺める。
「分かんないよ」
淡々と返したフーリェンの言葉と同時に――
世界が一変した。
次の瞬間、周囲が一瞬にして銀世界へと変わった。
視界を覆うすべてが白色に染まり、吐く息は白く冷たい。けれど地面は凍ってはいない。不思議な、虚ろな空間。
「うおっ」
ランシーが声を漏らす隣で、フーリェンはぴくぴくと耳を動かしていた。
一瞬にして目の前が白に潰れる。ジンリェンはすぐさま長槍を構え直し、鋭敏な耳を頼りに神経を集中させる。だが――。
ピシピシ、と周囲から擦れるような音が聞こえてきた。氷を削るような、耳障りな雑音。
(やられた……)
心の中でそう呟いた瞬間、ジンリェンは悟った。目眩しと雑音。視覚も聴覚も、一瞬で潰された。
すでに、氷の大剣が振り下ろされていた。シュアンランは能力を発動した瞬間に駆け出し、迷いなくジンリェンのいるであろう空間へと横薙ぎに振るっていたのだ。
――瞬間。
炎が、視界を塗り替えた。
白を覆っていた無数の氷粒は一瞬で蒸発し、振り抜いた大剣さえも熱に呑まれて溶け去る。灼熱の風が吹き抜け、世界が晴れ渡ったとき、そこに立っていたのは――溶けかけた長槍を片手に持つジンリェンの姿だった。
互いに手にした武器は形を失い、ただ立ち尽くすのみ。
「はあぁ……」
シュアンランは肩を落とし、大きく息を吐いてその場に腰を落とした。
「んだよジン。今ちょっと火力あげただろ」
悔しげに抗議する狼に、ジンリェンは苦笑しながら歩み寄る。
「悪ぃ」
「今回はジンの勝ちか?」
「ちょっとズルだから引き分けかな」
立ち上がりながら、地面に置いてあった外套を拾い上げながら、ランシーは呑気に笑っている。隣で淡々と返したのはフーリェンは、散らばった三人分の木剣を器用に拾い上げると、ランシーの後ろを追い、兄たちの元へ歩いていく。
「次やる時はもっと広いとこでやりたいな」
そう言いながら、ジンリェンが片手を伸ばし、座り込んでいたシュアンランの手をぐっと引っ張り起こした。
「そうだな。できれば荒野だともっと嬉しいが」
引かれるまま立ち上がったシュアンランも、大きく息を吐きつつ答える。
「次こそは俺にも全力でやらせろよ」
ランシーが白い歯を見せて笑えば、狼と狐の二人は同時に顔を引き攣らせた。
「お前が能力使うなら、俺ら割と全力でやらねーと死人が出る」
「そうだな、冗談抜きで」
ジンリェンとシュアンランの声が重なり、互いに肩をすくめる。
「さすがにお前の一撃を受けたら、内臓が駄目になる」
「さすがにそこまでしねぇよ」
小さくぼやくフーリェンに、ランシーは肩をすくめ、悪びれもせずに笑った。冗談交じりの声が響き、張り詰めていた空気がようやく和らいでいく。
さあ帰ろうか。誰かがそう言って足を揃えて王宮へと戻ろうとしたそのとき、空気がふっと張り詰めた。
「みなさん」
その声に四人は勢いよく振り向いた。
そこに立っていたのは、顔にやや青筋を立てつつもにこやかに微笑むライヤンだった。転移能力を使ったのだろうか。──微笑んでいるにもかかわらず、その目は笑っていない。
「ライヤン、お前いつの間に…」
ジンリェンが声をかけようとするも、言葉は途中で止まる。
「南門周辺より、爆発音と衝撃風があったと、何件か連絡が来ています」
その声には怒気が含まれており、すっと細まった目が順に四人を捉えていく。身に覚えしかない兄狐と狼男の顔が引きつる。フーリェンとランシーは静かに横目で二人を見やった。はっきりと「犯人はこいつらです」と書かれているその目線に、ライヤンは深くため息をついた。
「殿下から、近隣の迷惑にならない程度に、と言われていましたよね?」
ライヤンが静かに詰める。ジンリェンもシュアンランも言葉を返すことができず、沈黙が広がる。みるみるうちに二人の尻尾は丸くなり、耳も倒れ込む。
「「申し訳、ございませんでした」」
静かな訓練場に、二人の声が揃って響き渡ったのだった。
その後、早朝の王宮で、正座をして説教を受ける男たちの姿があったとか、なかったとか──。




