もう一度、自分で選ぶ服
その日は、カフェ「halo」の定休日だった。
朝の空はやや曇り気味だったが、
雨の予報は出ていない。
風が心地よく、どこか“外へ出かけたくなる”ような空気が漂っていた。
「くろちゃん、今日はどうするの?
ちょっと出かける?」
朝食を終えた滝沢が、
ソファに座るくろへ声をかけた。
くろは、マグカップを口元に運びながら、
少しだけ微笑んで言った。
「……うん、ちょっとね。
でも、どこに行くかは“内緒”。」
「おや、ミステリアスだね。
……デートだったら嫉妬するけど」
「ふふ、それはどうかしら」
軽口を交わすその空気は、
数ヶ月前では想像もできないほど、自然で優しかった。
支度を整え、
くろは静かに玄関のドアを開けた。
今日の服装は、
シンプルな白のシャツに、
ロングスカート。
髪はふわりとまとめて、あえて飾り気はなかった。
でもその瞳の奥には、
“選ぶ目的”がはっきりと宿っていた。
向かったのは、
電車で数駅離れたショッピングモール。
かつて銀座で働いていたころ、
しばしば訪れていた場所だった。
だがその日は、懐かしむためではなかった。
“今のくろ”が、“もう一度”選ぶためだった。
洋服店のディスプレイ。
煌びやかなドレスや、カジュアルなワンピースが並ぶ中で、
彼女の目が止まったのは――
黒を基調とした、洗練されたシルエットのワンピース。
タイトで無駄のないライン。
膝下丈で、背筋が自然と伸びるカッティング。
ほんの少しだけ背中の開いた、
かつての“黒瀬くろ”が好んでいたデザイン。
でも、それはどこか――
今の「halo」に立つ彼女にも、似合いそうなものだった。
店員が声をかけてくる。
「ご試着、どうぞ。こちら人気のシリーズです」
「……はい、お願いします」
フィッティングルームに入って、
静かに服を纏う。
鏡の中には、
懐かしいようで、少し違う自分が映っていた。
化粧もアクセサリーもつけていない。
笑顔も、武器のような微笑みじゃない。
でも――
“きちんと立っている”。
それだけで、
十分だった。
購入を決め、包んでもらっている間、
ふと店員が尋ねてきた。
「お仕事で使われるんですか?
カフェとかに似合いそうな雰囲気で、すごくお似合いでしたよ」
くろは一瞬迷って、
それから静かに頷いた。
「はい。カフェで……
少しだけ、お客さんの前に立つ服として。
“わたしが選んだ服”です」
帰り道。
紙袋を持つ手が少し汗ばんでいた。
それは緊張ではなく、
少しだけ誇らしさに似た感情だった。
家に戻ると、
滝沢が新聞を読んでいた。
「おかえり。どうだった?」
「……うん、いい買い物できた」
「何買ったの?」
「内緒」
「また内緒か……いつか見せてくれる?」
くろは、ふっと笑った。
「そのうちね。
でも――“誰かに見せたい”って思ったの、
ほんと久しぶりだったかもしれない」
滝沢は、それだけで全てを察したように、
深く、やさしく頷いた。
夜、くろは袋からそっとそのワンピースを取り出し、
ハンガーにかけて眺めた。
“夜の女”だった頃に身につけた服ではない。
でも、確かに“黒瀬くろ”が愛したスタイル。
それを今の自分が選んだことが――
何よりの変化だった。
(今度、“この服”で、
ちゃんと“いらっしゃいませ”って言える気がする)
そんな思いを胸に、
彼女はそっと目を閉じた。




