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あなたは綺麗だと言われて

「halo」が静かな定番を持ち始めてきたのは、

あの初めての勇気から数週間が経ったころだった。

表通りから少し外れた立地のカフェは、

人波に流されることもなく、

静かに“必要とする人”だけを迎える場所になりつつあった。

その日も、店内はゆったりとした時間に包まれていた。

「こんにちは」

やわらかな声とともに入ってきたのは、

何度か来たことのある若い女性客だった。

小柄で落ち着いた雰囲気、

文庫本を鞄から取り出して、

いつものように窓際の席に座る。

くろは、その姿に気づくと、

そっとホールに出てゆき、笑顔を添えて声をかけた。

「……いらっしゃいませ。

今日は……アイスラテ、ですか?」

女性は微笑んで、頷いた。

「覚えててくれるんですね。

うれしいです、くろさん」

その言葉に、

くろの指先が、ほんのり震えた。

“名前で呼ばれる”ことが、まだ慣れなくて。

でも、少しだけ胸が温かくなるのを感じた。

注文を受け取り厨房へ戻り、

少し濃いめのエスプレッソを落とし、

ミルクの割合を整えながら、

(また来てくれたんだ……)と、何度も心の中で繰り返した。

その繰り返しが、

不思議と“怖さ”を薄めてくれた。


ラテと小さなクッキーのプレートをそっと運び、

「お待たせしました」と言いながら席に置くと、

女性客は、ふとカップを見つめてからくろを見上げた。

「……やっぱり、くろさんってすごくスタイル良くて、

顔も綺麗で、

なんでそんなに自信なさそうなんだろうって思ってたんです」

「――っ」

不意に突き刺さるような言葉に、

くろの表情が一瞬だけ固まった。

けれど、その目は、

責めるでも、見下すでもなかった。

ただ――まっすぐだった。

「初めて来たとき、厨房から出てきた姿見て、

正直、モデルさんかと思ったくらいですよ。

でも声はすごく小さくて、

手も震えてて、

“何かあった人なんだろうな”って思ったんです。

それでも、また会いたくなって――今日、来ました」

くろは言葉が出せず、

ただ立ち尽くしていた。

目の奥が熱くなって、

言葉にしたい気持ちはあるのに、

うまく出てこなかった。

女性はにこりと笑って言った。

「だから、もっと自信持っていいんですよ。

くろさん、ちゃんと素敵です」

くろは、深く頭を下げた。

「……ありがとう、ございます……

でも――

“素敵”って言葉、

あたしには……まだ、こそばゆいです」

女性は静かに頷いた。

「大丈夫です。

慣れるまで、何度でも言いますから」


注文のラテのミルクが少し減っていた。

文庫本を開いた女性の横顔に、

くろはそっと、もう一つクッキーを置いてから言った。

「……また、来てくれたらうれしいです」

「はい、また来ます」

くろは、厨房に戻ったあとも、

しばらく胸の奥に残る言葉の余韻を、噛みしめていた。

「くろさん、ちゃんと素敵です」

それは、

かつて数多の客に浴びせられた“綺麗”“可愛い”とは違う、

心に触れるような言葉だった。

(……もしかしたら、

わたしは“自信”じゃなくて、

“信じたい誰か”を探してただけだったのかもしれない)


その夜、滝沢と並んで片づけをしていたとき、

くろはふいにぽつりと呟いた。

「……あたし、

明日はもうちょっと声を大きくしてみようかな」

滝沢は、くろの横顔を見て、

少しだけ、口元を綻ばせて言った。

「それ、めちゃくちゃ期待してる」

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