返信の来ないメッセージ
――深夜1時過ぎ。
営業終了後の「L’Eclipse」は、夢の名残を拭いきれぬ空気の中で、ひっそりと息を潜めていた。
ドレスを脱ぎ、溜め息をひとつ。
くろは洗面所でメイクを落とす手を止め、スマホのロックを解除した。
新規登録された名前――「綾瀬理央」
画面に浮かぶその文字列に、さほど深い意味はない。
そう思っていた。
なのに、何の気なしに“新規メッセージ作成”をタップしていた。
今夜はご来店ありがとうございました!
クールなのに意外と優しいところ、ちょっとドキッとしちゃいました
またお会いできたら嬉しいな。
くろより♡
顔文字はわざと抜いた。
「またお会いできたら」――この一文には、完全な好意でも完全な社交辞令でもない、
絶妙な“余地”を残していた。
男というものは、こういう“絶妙”に弱い。
くろは、そういう“勝ち戦の方法”を知り尽くしていた。
送信ボタンを押した瞬間、口元が自然と吊り上がる。
「これで、あの無表情も少しは揺らぐかしらね――」
しかしそのメッセージは、
すぐに既読になるでもなく、通知が返ることもなく、
ただ黙って時刻の横に“送信済み”として佇んでいた。
くろは気にも留めず、ロッカーにスマホを放り込む。
「ま、ああいう男って、たいてい3日後くらいに“遅れてごめん”って送ってくるのよ」
そう言い聞かせながら、ドアを閉める。
──その頃。
自宅のソファに腰かけていた綾瀬理央は、
届いた通知を一度だけ目にし、画面を閉じた。
返信はしなかった。
理由はなかった。
ただ、“特に返す意味もない”と判断しただけだった。
連絡先を交換したのも、場の流れ。
彼女の美貌にも、色気にも、確かに“美しさ”は認めたが、
興味とは、違った。
彼の中で、“黒瀬くろ”は記録されてすらいなかった。
翌朝。
くろはいつものように目覚め、コーヒーを淹れながらスマホを確認した。
通知――なし。
それを見て、ほんの0.5秒、眉が微かに動いた。
だが、すぐに肩をすくめ、キッチンへ向かう。
「ま、そういう男もいるわよね。変わり者ってやつ?」
ミルクを少し多めに入れて、カップをかすかに傾ける。
その頃には、すでに理央のことは思い出さなくなっていた。
というより、思い出す理由がなかった。
夜はまたやってくる。
新しい男たちが、今日も店を訪れ、くろの横に座る。
そのすべてが、いつものルーチン。
ただ、その中に――あの“名前を呼ばなかった男”の姿はなかった。