白い女が微笑んだ夜
くろが店に戻る夜、
「L’Eclipse」は久々に“ざわめき”に包まれていた。
スタッフはひときわ気合いが入っており、
ドアの前には早くから客が列をなしていた。
「おかえり、くろちゃん!」
「待ってたよ、この日をずっと!」
「やっぱ銀座はくろがいなきゃ始まらない!」
その声、その視線。
全てがくろの存在を“当然の主役”として歓迎していた。
深紅のドレスに艶やかな黒髪、
濃密に香るバニラベースの香水。
グラスの傾き一つで客の気分を操る技術。
笑顔の角度、話すリズム、全てが“戻ってきた女王”そのものだった。
――やっぱり私の席はここ。
私の世界は、ここにある。
店は次々にシャンパンが空き、VIP席は埋まり、
同僚たちもその夜ばかりは、くろに一歩引いた形で空気を読んでいた。
その最中、ふとくろの視界に一枚のボードが映る。
ランキング表
久々に見るその順位表は、くろの名前が当然のごとく1位に返り咲いていた。
だが――
「白石ゆか」
その名前が、くろの視線を止めた。
指名数・第3位
しかも、“体験入店扱い”の補足付き。
(誰……?)
心が一瞬、硬くなる。
空き時間に、くろはホールスタッフに声をかけた。
「ねえ、ランキングにあった“白石ゆか”って子……新しい子?」
「あ、はいっ。くろさんが休まれてる間に入ってきた新人です。
まだ入って2週間くらいですけど、けっこう人気あって……
お客様にも好印象なんですよ。ちょっと変わってるっていうか、清楚で素直で――」
「ふぅん……」
言葉は短く、それ以上は何も言わなかった。
けれど、心の奥に何かがぴしりと軋む音が響いた。
深夜、営業終了後。
店内の明かりが落ち、スタッフが後片付けを始める頃。
くろがロッカーへ向かう廊下を歩いていた時――
「黒瀬くろさん……ですよね?」
やわらかな声が、背後からかけられた。
振り返ると、そこに立っていたのは――
“白石ゆか”
小柄で、細身。
ふんわりとしたベージュのワンピース。
肩までの内巻きボブ。
アクセサリーは極力控えめ。
化粧も最小限で、血色を生かした素顔のようなメイク。
夜の世界に染まっていない、
まるで昼の光をまとったままここにいるような女。
くろは、一瞬、言葉を失った。
「はじめまして。今日、やっとお会いできて嬉しいです。
私……白石ゆかと申します。
まだまだ未熟なんですけど、これからご一緒できるの楽しみにしてます……!」
少し緊張気味に笑って、頭を下げる。
まっすぐで、どこまでも無垢な“挨拶”だった。
そして――その瞬間、
くろの心の奥で、何かが僅かに崩れた。
“この子が……
理央の好みに、限りなく近い気がする”
自分が、かつて“なろうとしてなれなかった”像。
でも今、目の前に“自然にそれである存在”が立っている。
笑顔を返さなければいけない。
ナンバー1の女として。先輩として。
余裕を持って受け止めなければいけない。
でもくろは――その一瞬だけ、笑えなかった。
「……そう。よろしくね。お互い、頑張りましょう」
そう言って、軽く微笑んだ。
けれどその笑顔は、
ほんの少しだけ――視線が宙を彷徨っていた。