私を、やめていた
くろが店を休みはじめて、3日が経った。
初日の夜、
くろは眠ることができなかった。
深夜2時、スマホの明かりだけが部屋を照らしていた。
SNSを見ても、連絡を返しても、
心はどこにも落ち着かなかった。
そして気づいた。
“私はあの男に、拒絶されてから一度も自分のことを見ていない”
翌日。
昼下がりの青山を歩く。
目についたのは、“理央が好きそうな女”ばかりだった。
タイトすぎないスカート。
ナチュラルなブラウン系メイク。
肌の露出は少なめ。
どこか“落ち着いているのに、手抜きじゃない”装い。
「あんなのが好きなんでしょ」
くろはそう思いながら、
同時に目が離せなかった。
午後、書店へ寄る。
女性誌の棚に並ぶ、“大人可愛い系”ファッション雑誌。
VOGUEではない。
Preciousでもない。
くろが普段、手にしないジャンルの雑誌ばかり。
彼の視線に引っかかる自分を探して――ページを捲った。
「“ナチュラルブラウン×ベージュ”が王道」
「目元は囲わない。抜け感が愛されポイント」
「内巻きミディボブで、清楚感を極めて」
――全部、自分じゃない。
でも、気づけば1時間以上、雑誌の前で立ち読みをしていた。
次の日も、渋谷のマルキュービルではなく、
丸の内のOL向けセレクトショップを見て回った。
店員に話しかけられそうになると、
足早に逃げるように立ち去った。
「この服を着れば、私のことを見てくれるの?」
「この香りにすれば、私を思い出す?」
――そんな問いを、心の中で何度も繰り返した。
4日目の夜。
ひとり、マンションのリビングで鏡の前に座った。
引き出しから取り出したのは、
清楚系ブランドのベージュのワンピース。
タグはついたまま、まだ袖を通していない。
ハンガーにかけたそれを見つめて、
くろはふと、笑った。
「……誰?」
その服が似合う女は、
あの男が好きだった“地味で優しい、清楚な女”だ。
でも――
それは、“黒瀬くろ”ではなかった。
その夜、久々にドレスルームのクローゼットを開いた。
くろが選んできた、誇り高き装いたち。
大胆なカットのドレス。
艶のあるピンヒール。
揺れるイヤリング、背中の香水。
ひとつひとつに、
あの夜の輝きが刻まれていた。
「あたしは――
“選ばれる女”じゃなくて、“選ばせる女”だったんじゃなかったの?」
深夜。
くろはワンピースを箱に戻し、
スマホの“理央”の名前を、初めて画面から削除した。
ブロックされたままだった彼の番号。
残していたメッセージ。
**それは、愛じゃなかった。
“崩れないための依存”だった。
そして、鏡の前で言葉にした。
「――私は、私に戻る。
もう誰にも染まらない。
たとえ、ひとりでも。」
その瞳には、
久しぶりに“黒瀬くろ”としての光が戻っていた。